人魚の足跡

今宵は満月。
軍議に参加することのない望美は、心が落ち着くまで、少しだけ散歩しようと陣幕の外に出て来ていた。
周囲の草むらや樹木が、蒼く照らし出されている。
暗さに慣れた目は、充分周りを見渡すことが出来た。
昼間は初夏らしい陽気で、山道を歩いていた額にじわりと汗が滲んだほどだったけれど、今は少し肌寒く感じる。小さく震える体は、けれど夜気のせいなどではない。
望美は震えを抑えるように、自らの腕を抱く手に力をこめた。
三草山に平家の兵が集まっているとの情報に、九郎たちも兵を率いて三草山にやって来た。
(あの時と同じ……)
望美は、以前たどった運命を繰り返している自分を、強く感じずにはいられなかった。
春の京では、ふとしたことで運命が変わっていることを感じられた。
最たるものは、京でヒノエや将臣と過ごせたことだ。
将臣は大切な用事があると言って、またどこかへ行ってしまったけれど、ヒノエは六波羅で出逢って以来、今日まで行動を共にしている。
あの運命では、夏に熊野を訪れるまで会えなかった二人に出会えたのだから、逆鱗で時空を越えた意味は確かにあったのだと、望美は小さな希望を見出していた。
それでも。
(運命は、本当に変わっている──?)
こうして三草山の戦に至ると、やはり不安でたまらなかった。
今頃、九郎や弁慶たちは、今夜の作戦について話し合っていることだろう。
作戦は、景時の連れてくる隊の合流を待ってから行われる。
もしも夜陰に紛れて平家に奇襲を仕掛けるというならば、なんとしても止めなくてはいけない。
運命があの時と同じように巡っているなら、奇襲を仕掛ける平家の陣は囮のはずで、源氏は平家の怨霊に背後を突かれて、多数の犠牲を出すことになる。それだけは、なんとしても避けたい。
 
『運命と呼ばれるような大きな流れを変える。お前は決意したのだろう。お前のその決意も、私には止めようがない流れだ』
 
初めて時空跳躍した時に言われた、リズヴァーンの言葉が思い出される。
ここまででなにかが変わったはずなのに、それでも、それは大きな流れを変えるには全然足りなかったのかもしれない。
 
『流れを自分の意志で変え、歪みを生む覚悟があるなら、ひとつ、ひとつ、流れいずる元を変えていくことだ』
 
流れいずる元。それはいったいどこにあるのだろう。
いつ、どんな選択が、行動が、あんな結末を招いたのか。
もしかしたら、変えようのない流れもあるのかもしれない。
そんな風に思いかけて、望美は慌ててその考えを打ち消した。
(なにか、方法があるはずだ)
そう思ってみても、どうすればいいのか誰も教えてはくれないし、手がかりひとつない。
(大丈夫。きっと変えられる)
言い聞かせるように心の中で繰り返す望美に、ふいに声が掛けられた。
「こんな所でなにをしてるんかね?」
ビクリと肩を揺らした望美は、剣の柄に手をかけ振り向いた。
「若い娘さんが、こんなところでどうしたね?」
具足を身につけた男がひとり、気遣うような眼差しでこちらを見つめている。
二歩、三歩と近づいて来た男は、彼女が腰に帯びた剣に視線を落とした。
「そんなもんを持っていたところで、危ないことに変わりはねえ。この山は戦場になるで、はよぉ里に帰りなさい」
父親よりも、もう少し年上くらいだろうか。胴の下に身につけた衣はいかにも粗末なもので、雑兵のひとりに違いない。
源氏の陣が近いこんな場所に平家の者がいるはずもないけれど、望美は柄に手を掛けたまま、相手との距離をとるように、じりと後退した。
「まさか……平家の間者ではなかろうの」
男は不審そうに眉を寄せながら刀に手をかけた。
望美は相手の言葉にようやくホッと息をつくと、剣の柄にかけた指先の力を抜き、口を開く。
「違います。私も源氏の」
「はて? どなたかのお身内か?」
雑兵は刀から手を離して首を傾げる。倣うように、望美も剣から手を離した。
「身内じゃなくて、その」
「……?」
春日望美です、と言っても源氏の一員だと通じるはずはないし、白龍の神子です、と自ら名乗るのはなんとなく気がひける。それでも、相手にわかるように言うには、結局それしか思いつかない。
「その……白龍の、神子です」
「ほぉ、白龍の……。っ、りゅ、龍神の神子さま!?」
「そう、です、けど」
「こっ、これは、しし失礼を致しましてございまして」
男は慌てふためいたようにその場にひれ伏し、両手を拝むように合わせた。
「ちょ、どうしたんですかっ?」
「神子さまとも知らずに、申し訳なんだ、あ、や、申し訳ありませんでした」
「えっ、そんな、た、立ってください」
あまりの豹変ぶりに、望美は駆け寄ってその肩に手をかけたが、男は額を地面にこすりつけんばかりだ。
「龍神さまの遣わしたお方に、なんと失礼な口を」
「失礼なんかないですからっ、あの、普通にしててください」
懇願する声音に男はそろりと顔をあげて、その場に座ったまま、呆けたような眼差しで望美を見た。
「あなたさまが……龍神の神子さま」
「はい」
まじまじと見つめられて、居心地の悪さを覚えながら、愛想笑いを浮かべる。
こんな風に『龍神の神子』と聞いただけでひれ伏すのならば、さぞかし神々しい『神子』を想像していたに違いない。
十人並みな人間で、がっかりしただろうか。それとも、本当に龍神の神子なのかと疑われているだろうか。
「えと、すみません」
「なにゆえ謝ります?」
「や、なんというか、そう、見えません……よね」
「いやいや。神子さまは、綺麗な目をしていなさる。龍神の神子さまは、清らかな心の姫さんがなるもんだと聞きました。神子さまが相応しいと思ったから、龍神様もお選びになったのでしょうな」
「はぁ」
「儂はついてるようじゃ。戦の前に神子さまとこうしてお言葉を交わせたとは、きっと龍神様も加護してくださるて」
ひとりごちて頷く男を、望美は複雑な思いで見つめた。
龍神の神子は、怨霊を封印できるだけで、神様の遣いでもなんでもないことを、彼女自身が誰よりも知っていた。
こうして言葉を交わしただけで神様が守ってくれるなら、誰よりも近くにいた皆があんな風に死んでしまうことなどなかったはずなのだ。
望美の心中など知るはずもない雑兵は、有難い有難いと再び手を合わせて望美を拝んだ。
「手柄をたてて、帰らねばならんのです。夏には娘が祝言をあげるで、間に合うように褒美を持って帰ってやらねば」
「そうなんですか。それは楽しみですね」
「えぇ、ほんに楽しみで」
頷く望美に、男は嬉しそうに懐から白い小さな布袋を取り出した。
「さちは、あ、いや娘は心配性ですで。お百度を踏んで、こうしてお守りも作ってくれてねぇ」
自慢の娘なのだろう。愛おしそうに手製の守り袋を撫でながら、望美に話す。
「神子さまと違って、はねっかえりだが器量よしで……。一生一度の祝言じゃ。手柄をたてて、いい着物を仕立ててやりとうてね」
「そう、ですか」
大切そうに守り袋を懐に戻す姿を見つめながら、望美は両親のことを思い浮かべた。
初めて京に来てから、一年以上の時間が過ぎている。心配しているだろうか。
逆鱗の力であの日に戻れば、こんなにも長い不在に気付かれなくて済むけれど。
この世界に来たばかりの頃は、早く帰りたくて仕方なかった。平家に勝ちたかったのは、仲間の為でもあるけれど、すべてを終わらせて、早く元の生活に戻りたかったからだ。
今でも、帰りたいとは思う。けれど、あんな痛みを知ってしまった今では、そんな思いも凌駕されてしまう。
「こうして神子さまに会えたからには、儂は一番の手柄がたてられますな」
「きっと、大丈夫。勝ちましょうね。」
そんな御利益があるとは思えないものの、否定してがっかりさせるのも忍びなくて、望美はそうなるといいと思いながら男に答えた。
「もちろんじゃ。儂らには、神子さまがついておられる。龍神様が、きっと勝たせてくださるて」
「あれ~? 望美ちゃん?」
背後から知った声が響いた。
「こんなところでどうしたの? 出歩いてちゃ危ないよ?」
「では、神子さま。儂は戻りますで」
男は立ち上がると、望美と、やって来た景時に深々と頭を下げて、陣の方へと戻って行った。
「ようやく三草山に着いたところなんだよ。遠いよね~。望美ちゃんはどうしたの? 今のは知り合い?」
男の背を見送ってから、景時を振り仰いだ望美は、違いますよとかぶりを振った。
 
 
「あぁ、朔も時々そういうことがあったよ」
隊を引き連れて、源氏の陣に向かう道すがら、望美は先ほどの雑兵とのやりとりを、景時に話して聞かせた。
「そうなんですか。私はあんなの初めてだったから、びっくりしちゃいました」
「そうだよね。望美ちゃんは、そんなにいろんな人と話す機会がないもんね」
「みんな……あんな風なんですか?」
龍神の神子が、その昔、京を救った存在だというのは望美も知っていた。だからといって、今の自分を、まるで神様のように拝まれたり、話しただけで御利益があるように思われているとしたら困惑してしまう。
「うーん。いろいろじゃないかな。朔が黒龍の神子だってわかった時、ああいう話ってパッと広まっちゃうんだよねぇ。突然、病気を治してくれって訪ねて来た人もいたし、門の前で拝んでいく人もいたし」
「えぇっ? そんな……」
やはり、人は龍神の神子の向こうに、龍神を見るのだろうか。
龍に何かを願いたいなら、白龍に直接言えばいいのに、と思う。もっとも、そんな風に願い事を携えて次々人が押し寄せて来るようでは、白龍も困ってしまうに違いない。それに、龍神本人が人の姿で居るということよりも、龍神に選ばれた神子が居ることのほうが、よほど信憑性が高いのだろう。
「そうかと思えば、遠巻きに指をさされてヒソヒソ話をされたり、面と向かって嘘つきだと罵られたこともあったみたいだし……いろんな人がいるよね」
「龍神の神子って言ったって、私は怨霊を封印することしか出来ないのに」
そして、もうひとつ。時空を越える力。
でもそれは、龍神の神子だから持っているという力ではない。むしろ、神子としての力が足りなかったからこそ、白龍が命と引き替えにくれたものだ。
 
仲間の命を代償に、手にした力──。
 
「それだってすごいことだよ。俺たちだけじゃ、いくら怨霊をやっつけたって、封印できないんだからさ。充分充分! 朔も始めは嫌そうにしてたけど、黒龍が……。いや、えと、だから望美ちゃんも、そんなに気にすることないよ」
「はい」
ふと、景時の背後に人影が見えた気がして、足を止めた。
(ヒノエくん?)
木々の隙間の向こうに目を懲らしてみたものの、折り悪く月の前を過ぎった雲が光を遮り、周囲を闇へと落としてしまう。
「望美ちゃん? どうかした?」
「今、そこにヒノエくんが」
「え?」
景時が望美の視線を辿るように振り返ると、雲が流れ、再び辺りに月明かりが広がっていく。
「あれ? 見間違い、かなぁ」
そこには誰もいなかった。
「どうだろう……でも、ほら、陣に戻れば合流できるよ」
その言葉に「そうですね」と頷いて歩き出した望美は、ふと白く明るい光を放つ月を仰いだ。
(将臣くんも、今頃月を見てるかな)
京に来てから、こんな月の夜は、幾度か夢で将臣に会うことができた。
ただの夢とは違う気がしていたけれど、春の京では待ち合わせまでできたのだから、やはり特別な夢に違いない。
将臣とは物心つく前から、いつも一緒にいたせいか、こんな風に離れて過ごすのが、とても不自然なことに感じる。
不自然なことというよりも、心細いのかもしれない。
子供の頃、譲と三人で迷子になった時、繋いでくれた温かな手。
怪我をして動けなかった時、おんぶしてくれた広い背中。
同じ年のはずなのに、兄のように感じることが多かった。
一緒にいるだけで安心できたのだと、離れた今だからわかる。
(将臣くん……)
「望美ちゃん?」
いつのまにか歩調がゆっくりになっていたらしく、数歩前を行く景時の声がかかった。
「あ、すいません。ちょっとボーッとしちゃいました」
「……。本格的な戦は、初めてだよね?」
「……はい」
「望美ちゃんは戦わなくっても、怨霊を封印してくれればオレたち充分助かっちゃうからさ。だから」
「私だって戦えます。その為に、剣の稽古をしてるんですから」
守るために。今度こそきっとみんなを守るために。
「君は……強いね。でも、怪我とかしないように、気をつけて」
「大丈夫です。だって、私は龍神の神子ですから。ね?」
望美は景時に、笑顔を向けた。 

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