記憶の欠片 第4章 守護者の力

 立ち聞きするつもりではなかった。
 ただ、忘れ物を取りに引き返してきた真弘に、美鶴が「大切な話をしているので、くれぐれもお静かに」とわざわざ念を押すから、気を遣って足音を忍ばせただけだ。
 キーホルダーにつけた家の鍵を探したかっただけで、来客中なのを邪魔するくらいなら、他の部屋で待たせて貰うか、美鶴にちょっと居間を見てきて貰えればそれでよかったのだ。
 それなのに、玄関の外で顔を合わせた美鶴は、頑なに真弘に自分で行くように言って取ってきてくれない。仕方なく廊下を歩いてきた真弘の耳に、その言葉は届いた。
「守護者の力をなくしてしまう、なんて出来る?」
 聞き違えるはずなどない。珠紀の声だ。
 言葉の意味がわからず動きを止めた真弘の耳に再び珠紀の声が響き、すかさず襖に手をかけた。
「……なんの話だ?」
「せん、ぱい……」
 襖を開け放ったそこには、珠紀と、同年代の女、それから幼い少女が驚いた表情でこちらを見ていた。
 真弘は珠紀の傍まで歩み寄り、見下ろしながら「どういうことだ?」と重ねて訊いた。
 珠紀は、真弘を見上げて何か言いかけて、けれど何も言わずに口を噤んでしまう。その様に苛立ちが募り、真弘はつい声を荒げた。
「おまえ、なに考えてるんだ!? 守護者の力をなくす!? ふざけてんじゃねーぞっ!」
 人形のように愛らしい少女は、真弘の怒声に少しも怯むことなく、珠紀に視線を戻して口を開いた。
「シビ……珠紀。霊力を中和し、無効化することは可能だ。しかし、恐らくおまえの従者達のようにいにしえの盟約に縛られ、その血に深く根ざしたものだと、一時的な中和しかできないと思う。望むなら試してやってもいい」
 子供らしからぬその発言に、珠紀が何か言うよりも先に真弘は「余計なお世話だっ」と吐き捨てるように言った。
「だいたいお前なにもんだ? 典薬寮の人間か!?」
 姿は子供だが、会話の内容はどう考えても一般人のそれではない。警戒するように、珠紀の向かいに座るふたりに視線を投げながら訊くと、少女は眉を寄せて怪訝そうな顔をする。
「何を言っている?」
「あ、アリア。先輩は、今ちょっと記憶喪失みたいな感じなの。先輩も。アリアはその……知り合いというか、友達というか」
 どうやら、子供の方は真弘が忘れているだけで面識があるらしい。ならばその隣のメガネの女も、あるいは真弘が知るはずの相手なのかもしれない。
 珠紀の発言にわずかばかりの落ち着きを取り戻した真弘は、このままふたりの前で話すべきではないと判断し、座ったままこちらを見ている珠紀の腕をとって強く引いた。
「とにかく話は終わりだ。ちょっとこいつ借りるからな」
 そう言って、珠紀を無理矢理立たせた真弘は、その腕をとったまま2階の珠紀の部屋へと足を向けた。
 押し込むように彼女を部屋に入れると、後ろ手に襖を閉め、戸惑いの透ける顔を強く見据える。
「どういうことだ?」
 先程と同じ問いを繰り返す。
 真弘達に対し、守護者の義務に囚われる必要はないのだと珠紀が言ったのは、つい先刻のことだ。それは一同を気遣っての発言だと思っていたが、守護者の力をなくすことを考えているとあっては、気遣いというよりも彼女自身が守護者はいらないと思っているのではないのか。
 真弘はその真意を探るように、彼女を見つめたまま尋ねる。
「俺たちが……守護者が邪魔ってことか?」
「違いますっ。……そんなんじゃないです」
 否定はしたものの、珠紀はそのまま真弘と目を合わせることなく黙り込んでしまう。
 珠紀が、なにを考えているのかわからない。なにをしたいのか。なにを望んでいるのか。
 守護者が邪魔でないならば、なぜその力をなくしたいなどと思っているのか。
「おまえ、俺たちのこと……俺のこと信じてないだろう?」
「そんなこと、ないです」
「いーや、信じてない」
 もしも信じてくれているなら、彼女はきっと話してくれるはずだ。拓磨達は、そういう奴だと珠紀を評した。あの時はあまり信じられなかったけれど、今ならそれを信じられる。
 珠紀は守護者を道具などではなく、仲間だと思ってくれているはずだ。その珠紀が、なぜ守護者の力をなくすことなど望むのだろうか。
「信じてますっ。だから、ダメなんです」
「……?」
「みんなは、きっとなにがあっても守ってくれる。カミが相手でも、まわり中が敵だらけになったって、きっと守護者でいてくれる」
「おまえ自分が言ってる意味わかってんのか? 矛盾してんじゃねーか。おまえを守るのに、この力をなくしちまったら……」
「だってっ! みんなせっかく自由になったのにっ! 自由に、なっていいのに……。もう先輩は贄になることも守護者でいる必要もないんです。なのに、その力があるから先輩は……」
 必死に言い募る珠紀に、ため息を落とす。
 珠紀が自分達を思ってくれているのはわかった。けれど、真弘にしてみれば、その思いはカラ回りに写るばかりだ。
「さっき祐一が言ってただろ? 俺達は義務感だけでいるわけじゃない」
「余計悪いです」
「んだとぉ!?」
「私はそんなこと望んでないっ。私のせいなら! 私が……玉依姫がいるせいで、先輩が守護者でいなければならないんだったら、私、ここにいられない」
 こちらを見つめる両の瞳にみるみる盛り上がった涙が、瞬きと共に溢れ出す。そのまま俯いてしまった彼女の足下に、滴が幾つも落ちて畳を濡らした。
 俯く珠紀の頭をそっと撫でてやりながら、真弘は言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「あのなぁ、それを言うなら玉依姫だって同じだろ? おまえだって、ここにいるからって玉依姫の役目に縛られることはない。典薬寮が管理したいってなら、させてやりゃいいじゃねえか」
「だって典薬寮は先輩達をっ」
 顔をあげ噛みつくように言いかけた言葉を、顔色を変えて飲み込む。その姿を前に、ようやく真弘はすべてわかった気がした。
 典薬寮が提示したのは、先ほど皆の前で珠紀が口にしたことだけではなかったのだろう。だから彼女は、こんなにも必死で、そして頑なに真弘達に話そうとしないに違いない。
「俺達を、なんだ? おまえ、まだなんか隠してんだろ?」
「……」
「典薬寮が俺達になんかするって脅したのか?」
 黙り込む珠紀の顔を少し視線を下げて覗き込むようにして尋ねる。
 眉を寄せ、悔しそうに哀しそうに唇を噛むその表情はいつかも目にした。
 ふたりで居た学校の帰り道。酔った村人の吐いた言葉に泣き出した珠紀。あの時の彼女も、こんな顔をしていた。
「なんつった? 俺たちみたいな化け物を殺すとでも言ったか?」 
「先輩たちは化け物なんかじゃないですっ!」
「おまえがそんなこと思ってないなんてこたあ知ってる。典薬寮が俺達を警戒して監視してるってことなら、今更だって話だ」
 珠紀は答えない。黙って息を詰めている。両の手を握りしめて、まるでなにかを堪えるように。
「図書室のアレ、読んだんだろ? そういうこと、書いてなかったか?」
「……」
「確かになぁ。鬼斬丸がなくなったら、守護者なんて暴走してないオボレガミってところか?」
 真弘の言葉を違うと否定するように、珠紀は顔をあげてまっすぐな眼差しを向けてくる。
 涙に濡れた頬を拭ってやりながら、真弘は柔らかな笑みを浮かべた。
「そんな顔すんな。俺と祐一はそういう話をしたこともある。守護者は化け物だ、鬼斬丸の為に生かされてるだけだってな」
「そんなの……」
「典薬寮に何を言われた? おまえは何をひとりで抱えて込んでんだよ」
 頬に手を添えたまま尋ねると、視線から逃れようと珠紀が目を逸らしかける。それを許さないと言うように、真弘は両手で珠紀の顔を挟むと、その目をまっすぐ見つめた。 
「鴉取真弘先輩様に隠し事をするなんざ、100万年早いんだよ。全部話せ」
 ひとりで抱え込むな、と。全部話せ、と念じるようにその瞳を見つめると、涙に濡れた瞳を細めて、彼女は泣きながら小さく笑った。
「100万年って……そんなに生きられません」
 か細い声で呟くように言った珠紀は、典薬寮で守護者を排除すべきだと言う意見があること、ならば玉依姫である自分が守りたいと思ったこと、それが出来ないなら、守護者の力をなくすことで普通の人間として生きていけるのではと思ったことを、ぽつりぽつりと話し出した。
「んなこと考えてたのかよ」
 珠紀は真弘の前で、叱られた子供のように俯いている。頼りなげなその姿に、胸が痛む。
 芦屋という男がいつ珠紀を訪ねてきたのかはわからない。けれど、少なくとも妖の出現とほぼ同じタイミングで、彼女は典薬寮からそのことを突きつけられたのだろう。
 だから珠紀は守護者の誰にも真実を告げることなく、倒れるまでひとりで頑張り続けたのだ。守護者を守る為に。
「あのなぁ、守護者が玉依姫を……俺が、おまえを守るんだ」
 守られてどうする、と言いながら、胸に溢れる痛みにも似た想いのままに真弘はそっと珠紀を抱き寄せた。
「大丈夫だ。俺が守ってやる。全部いいようにしてやる」
 大人しく腕の中におさまる珠紀の髪をそっと撫でてやりながら、おまえは信じて守られとけ、と言うと珠紀は真弘の肩に顔を埋めたまま、それまで堪えていたものを吐き出すように泣き出した。
 背に回された彼女の手が、しがみつくように真弘の服を握りしめているのを感じる。その思いがけない強さに、これまで珠紀がひとりで抱え続けた不安の大きさを感じ、真弘は大丈夫だと言い聞かせるように、抱きしめる腕に力をこめた。
「おまえホント泣き虫だな。そんなんでよく鬼斬丸こわすなんてできたな」
 からかうように言ってみても、珠紀の涙は止まらない。
 泣き虫で、意地っ張りで、頑張り屋で。抱きしめてみればこんな風に腕の中におさまる頼りないほどの彼女が、守護者を守ろうとしてくれていた。
 己の中に満ちる想いのままに、真弘は珠紀が泣きやむまで抱きしめて、その髪を撫でつづけた。
 しばらくしてようやくそっと身を離した珠紀は、涙でぐちゃぐちゃになった顔で、気まずさや恥ずかしさがない交ぜになったような表情をしている。
 そんな顔すら愛しくて、真弘は引かれるようにそのままそっとキスをした。
 玉依姫とか守護者とか、そんなものは関係なくて。
 記憶すら、今のこの想いには関係ない。
 結局のところ、たったひとり特別な相手を前にすれば、何度だって好きになってしまうということだろう。
「せんぱい……」
 真弘はなかば観念するように、赤い顔で告げた。
「俺はなんとも思ってない女に、キスなんてしないからなっ」
「それって……」
「好きだっつってんだ! だからおまえも他の奴にキスなんてすんじゃねーぞっ。わかったな!?」
 濡れた睫のまま、ひどく幸せそうに微笑む珠紀を前に、なんだかいたたまれない気持ちになった真弘は、己の早まる鼓動を誤魔化すように「とにかく!」と言って珠紀から目を逸らした。
「俺たちがいるこの村で、好き勝手する化け物が居るってのも気にくわねえし、賀茂って奴にやられた分もきっちり返す。で、典薬寮の奴らも黙らせる。いいな?」
 ほんの今まで泣いていたとも思えないほどに、珠紀は晴れ晴れと笑い、「はいっ」と元気に返事をした。

1 2 3 4 5 6
  • URLをコピーしました!