記憶の欠片 第4章 守護者の力

「もういっそ、私が全員にキスしちゃうとか?」
 冗談まじりを装って、笑い飛ばすような軽やかさで言った珠紀に、全員の視線が一瞬で集まった。
 
 珠紀が倒れた翌々日の土曜日。
 大蛇家での術の練習を美鶴に止められた珠紀は、居間に出されたコタツにあたりテスト勉強をしていた。
 そんな彼女の元に、ひとり、またひとりと守護者の面々が見舞いに訪れ、結局守護五家全員が玉依姫を囲んでコタツにあたるという図が展開されるに至った。
 先ほどまでは、卓と祐一、慎司の3人がかりで、テスト勉強が思うように進んでいない珠紀の為、『ここだけやっておけば平均点はとにかく確保』なる科目別山掛けリストが作成されていたが、それも一段落し、皆でお茶を飲みながら今後のことを話していた時のこと。
 沼に留めた妖について対策らしい対策もたてられない現状に、珠紀が発したひと言だった。
「もういっそ、私が全員にキスしちゃうとか?」
 守護者全員の視線は一斉に珠紀に向けられ、向かいに座っていた真弘は飲みかけていたお茶を吹き出した。
「……っ、ゲホっ、おま……っ」
「ちょっ、先輩。ノートが濡れちゃうじゃないですか」
 盛大にむせている真弘は、目に涙まで滲ませている。
 珠紀はテーブルの上に置いていた英語のノートを避難させながら、ふきんを手渡して「大丈夫ですか?」と声をかけた。
「おまっ、おまえ! 自分が言ってる意味、わかって言ってんのか!?」
 ようやく咳が治まった真弘は、テーブルに乗り出す勢いで喚き立てる。
 冗談3割、本気7割での発言だったが、真弘がここまで反応するとも思わなかった珠紀は、戸惑いながらも「わかってますよ」と頷いた。
「だから全員にキスをして、玉依姫の力を……」
「待てっ! おまえなあ、一応は俺様のっ……いや、そうじゃなくて……お、女がそういう慎みないのはよくないぞ?」
 真弘の言葉に、珠紀は少々ムっとした。
 珠紀だって、真弘以外とキスなどしたくないに決まっている。けれど、いまだ妖から魄を切り離す方法は見つけられず、守護者の姿となった真弘と珠紀を除いた皆が、妖を前にして力がまったく使えなくなってしまった理由もわからないままだ。
 このまま時間ばかり過ぎてしまえば、意識不明の村人は本当に助からなくなってしまうし、そんなことになれば、きっと典薬寮はいよいよ黙ってはいないだろう。それならば、どんなに好ましくない手段でも、活路を見いだせる確率が高そうな方法をとるのがいいように思えた。
「つ、慎みないって……人をふしだらみたいに言わないでくださいっ」
「んなこと言ってねえだろがっ」
「言ってますっ。これはキスじゃなくて、玉依姫として力を授ける為に……」
「うるせぇっ! 覚醒している俺様がいるんだから、他は見学で充分だ。だいたい、おまえにキスしていいのは俺だけだ!」
「え……」
 今度は全員の視線が真弘に集まる。
 テーブルを挟んで言い合っていた珠紀は、言葉の真意を探るように真弘の顔をじっと見つめた。告白の返事も貰っていない現状で、今の台詞に少しは期待してしまうのは仕方がないというものだ。
 けれど、視線の先でしまったという顔をした真弘は困ったように視線を彷徨わせ、赤い顔でしどろもどろに言い訳を紡ぎ出す。
「いや、だから、今のは言葉のアヤで、だな。もし記憶があったら、そう思うかもしれない、って話だ」
「……そんなの。そんなの、今はないんだから却下ですっ」
 バツが悪そうにそのまま視線を逸らした真弘に、ひどく落胆しながら珠紀がきっぱり言い切ると、再び真弘が噛みつくように声を荒げた。
「んだとぉ!? じゃあおまえは誰かれ構わずキスして平気なのかよ!?」
「平気とかそういう問題じゃないでしょうっ!? そうすればみんなだって力が……」
「まあまあ、ふたりとも落ち着いてください」
「だって先輩がっ」
「だってこいつがっ」
 割って入った卓に、双方相手の非を訴える。
「とりあえず落ち着いて話しましょう。珠紀さんは病み上がりなんですよ? 鴉取君もムキにならないで」
 これが落ち着いていられようか。
 そう思いつつも、今は子供のようにケンカをしている場合ではないと思い直した珠紀は、ひとまず口を噤む。真弘も、あからさまに納得がいかないという顔つきながら、珠紀同様それ以上何も言うことはなかった。
「最初に妖が真弘の姿をして現れた時には、力が使えたんだろう?」
 黙ったふたりの顔を交互に見つめ、祐一が口を開いた。
「ああ。普通に使えたぜ?」
「だったら、妖にそういう力があるっていうより、やっぱり沼があやしいってことすかね」
「鬼斬丸を長く封じてきた場所ですからね。私達が思いもよらない作用があっても、不思議はないと思います。ただ、これまで変わった兆候はまったくなかったのに、なぜあの戦いにおいてだけ、そんなことが起きたかということが問題です」
「珠紀先輩の頭痛を考えると、封印域もあやしいですよね」
「つっても、どの封印域でも何も見つけられなかったぜ?」
 真弘の言う通り、守護者は連日沼や封印域の様子を見て回っているし、何かしらの呪具が埋め込まれいる可能性も考えて、それぞれの封印域を調べてもいたが、あやしいものは見つかってはいない。
 珠紀としても、絶対に封印域に何かあったせいで頭痛がしたと断言できるほどの確信はなく、それでも釈然としない何かが頭の片隅に居座っていた。
「結論を急ぐことはないですよ。封印域は、引き続き見回りの時に各自で調べてみましょう」
「そういや、おまえ、沼で戦った時、なんか術でも使ってたか?」
 頬杖をついた真弘が、ふと思い出したように珠紀に問う。
 珠紀は、真弘の質問の意味がよくわからずに小首を傾げた。沼で戦った時といえば、オサキ狐に力を託して攻撃をしたことを言っているのだろうか。
「あー、だからよ。自分の体の周りに結界を張るとか、そういう術を使ってたか?」
「いえ、そういうのは何も……。なんでですか?」
「や、なんかあん時、おまえのまわりだけ少し光って見えたからよ。何か結界を張っていて、その結界のお陰で玉依の力だけは使えたんじゃねえかと思ってな」
「……? 私は何もしてないですけど。あ、おーちゃんかな?」
 答えながら、先ほどまで人型で珠紀に戯れていた使い魔を探すが見当たらない。コタツ布団をめくり上げて覗いてみても姿はなく、どこに行ったのかと室内を見回していると「ここにいる」と祐一が答えた。
 いつの間にか獣の姿に戻ったオサキ狐は、祐一の膝の上で丸まっていたらしい。白い獣に視線を落とした祐一は、柔らかな毛並みを優しく撫でながら「違うと言っている」と通訳した。
「んー……。おーちゃんじゃないとなると……」
 あの時の記憶を、たぐり寄せてみる。しかし、ただただ必死だったというだけで、自分がどういう状態だったかなどということは、実の所よく覚えていない。
「でも、考えてみれば、守られていたというか、手助けされていたような……」
 オサキ狐に力を託すということは、そのまま珠紀の体力と霊力の消耗を意味する。しかし、思い返してみれば、あの場では自分の力以上の攻撃が出来ていたような気がしないでもない。
 それは、真弘が見たという光と関係があるのだろうか。
「……なんだか、わからないことがどんどん増えてる気がします」
「まあ、害がなきゃいいんじゃねえか?」
 考え込む珠紀に、「なんでもかんでも考え込むとハゲるぞ」などと軽口を叩いた真弘がニヤリと笑った。
「実は……妖の中から魄を切り離す方法に、ひとつだけ心当たりがあります」
「え!? ホントですか?」
「えぇ」
 解決策があるのは喜ばしいことのはずなのに、卓は浮かない表情だ。
「安全な方法じゃない、ってとこすか?」
「お察しの通りです。けれど、我らが玉依姫が、守護者全員を覚醒させてもいいと考えるほどに思い詰めているのなら、試してみるのもいいかもしれない」
「卓さん、教えて下さい。どうすればいいんですか?」
 皆を危険に晒すのは避けたいけれど、他に方法がないならば、程度によってはやむを得ない。まずは内容を聞いてみて、判断はそれからだ。
 珠紀は迷いの透ける卓を、懇願するように見つめた。
「その前に、珠紀さん。お尋ねしたいことがあります。典薬寮の件で、私達に話すべきことがありませんか?」
 典薬寮。その単語に、心臓が跳ねる。
 先日卓とふたりで芦屋の来訪について話した時も、卓は会話の端々に典薬寮のことを持ち出して、その度に珠紀は必死で話題を逸らした。今またこの場でそんな話になるとは思いもよらなかった珠紀は、言葉を選びながら尋ね返した。
「典薬寮……ですか? なんで、そんなこと?」
「先日、芦屋さんが挨拶に来たと言っていましたね」
「挨拶? 珠紀先輩、それっていつのことですか?」
「いつって……。えーと、少し前」
 驚く慎司に答えると、寝ているかに思われた祐一が口を開いた。
「……妖が現れてからか?」
「……はい」
「ならば、妖についても芦屋さんと話したのではないですか?」
 そうでなくとも触れたくない話題だというのに、次々と質問が寄せられ、珠紀の中で緊張が増していく。
 あのことを知らせたくないという思いが、受け答えする声音や所作をわずかながら不自然にさせていることに、彼女自身気付くことも出来なかった。
「いえっ。そういう話は全然っ! 全然してません」
「全然? ということは、村人が意識不明になった話もですか?」
「はい。本当に、挨拶だけで……」
「珠紀。ならばおまえは、あのことをいつ知ったんだ?」
「それは……。えーと……、屋上で、先輩達と話してて……」
 おかしな答えを返していないか、不安になりながら必死で言葉を選ぶ珠紀の声を、「やめようぜ」という真弘の声が遮った。
「こういう腹の探り合いみたいな話の進め方は性に合わない。だいたい仲間内でやるようなことじゃないだろ」
 ため息を落とした真弘は、珠紀にまっすぐな視線を向けてくる。
 目を見ればすべてを見透かされる気がして、珠紀はテーブルに視線を落とした。
「珠紀。村の病気のことも六人目の守護者のことも、典薬寮の奴に言われたんじゃないのか? 俺達は典薬寮が妖を盾に、何かおまえに交換条件でも出してきたんじゃないかって思ってる。違うか?」
「それは……」
「俺達は守護者だ。玉依姫が俺達に秘密にするって決めたんなら、それに従う。でもよ、それだとおまえがしんどくないか?」
 窺うように視線を上げれば、そこにあったのは隠し事を暴こうとするような問い詰めるものではなく、ただひたすら珠紀を気遣う優しげな眼差しだ。
 ずるい、と思う。
 ここにいるのは、珠紀のことをほとんど知らない真弘だ。
 ふたりで重ねた時間を全部忘れてしまったくせに、こんな優しさは反則だ。
「そん、なの……」
 つらいのは、黙っていることでも、嘘をついていることでもない。ただ、あんな申し出をされたことが、悲しくて腹立たしいだけだ。
 居間は誰かの身じろぐ音すらなく、シンと静まり返っていた。他の守護者も、言葉を発することなく玉依姫の──珠紀の答えを待っている。
「なんか言われたってことはバレてんだよ。素直に白状しとけ」
 だめ押しのような真弘のひと言に、珠紀は「すみません」と謝罪の言葉を口にして、芦屋から、典薬寮で村を国の直轄地にしようとする動きがあること、それは妖を典薬寮の力を借りることなく退治できるかにかかっていること、そして六人目の守護者の存在を仄めかされたことを皆に簡潔に説明した。
 説明が終わるのを見計らうように、美鶴がお茶のおかわりを持って来た。
 湯飲みにお茶を注ぐ美鶴の視線が、物言いたげに珠紀に向けられる。
 もうひとつ言うべきことがあるのではと訴える眼差しに、珠紀が曖昧に笑って小さく首を振ると、彼女は諦めたように目を伏せた。
「まあ、大方予想通りだな」
「ですね」
 拓磨と慎司が頷きあう。
 だいたいのことはとっくにバレていたらしいことに気付いた珠紀は、少し拍子抜けした。それでも、まさか典薬寮が自分たちを亡き者にすることまで考えているとは思っていないに違いない。これだけは絶対に気付かれないままに、騒動を終わらせたい。
 緊張を解くことが出来ないままの珠紀の耳に、「別にいいんじゃねーの?」と言うひどく呑気な真弘の声が届いた。
「鬼斬丸もないことだし、あいつらが管理したいってならそれでもよくねーか? 典薬寮っつったら、カミ絡みの問題を丸ごと引き受けてくれんだろ?」
 ラクでいいじゃねえか、などと言って茶をすする真弘に、駄目ですっ! とすかさず言葉を返した。
「典薬寮なんて、鬼斬丸の時だって敵だか味方だかわかんない時もあったしっ。あんな人、信用できません!」
「確かに、芦屋さんが油断ならない相手だというのは、私も同意しますよ。それに今更典薬寮が介入するまでもなく、この村には玉依姫と守護者がいるんです。その必要もないでしょう」
 卓の言葉に、珠紀は急いで付け足すように言った。
「あの、典薬寮は必要ないと思うんですけど、みんなも守護者の役割に拘らなくてもいいと思うんです」
「なに言ってんだ? おまえ」
 訝しむように言った拓磨を見つめ、どう言ったら伝わるだろうかとほんの少し思案した珠紀は、考えながら口を開く。
「鬼斬丸はないんだし、村を守るとか、玉依姫を守るとか、いつまでも守護者の義務に囚われる必要はないんじゃないかなって」
「珠紀。今の俺達は義務感だけでここにいるわけじゃない。安心していい」
 祐一の言葉に同意するように、守護者の皆は軽く頷いて珠紀を見つめた。
 義務感ではない。それはとても嬉しい言葉ではあったけれど、結局珠紀がいることで、彼らが守護者であり続けるのだという意味で考えれば素直に喜んではいけない気がする。
 申し訳なさを感じながら「ありがとうございます」と小さく呟いた珠紀は、そういえばと卓に話を向けた。
「芦屋さんが卓さんの所に来た時にも、こういう話をしたんですか?」
 先日、大蛇家にも芦屋が来たのだと彼は言っていた。わざわざ守護者の家に立ち寄ったのならば、当然ある程度の話をしたのではないか。
 疑問を投げると、年かさの守護者は眼鏡の奥の瞳を悪戯っぽく細め、あれは嘘です、とさらりと答える。
「すみません。あなたにカマをかけてみました。それにしても……、典薬寮の目的がこの村に介入したいというだけならば、やはり魄の解放は諦めて、このまま沼の封印を強化する方がいいかもいしれない」
 つまりは、魄の解放にはそれだけ危険が伴うということだろう。それでも、やはりここは諦めるわけにはいかない。
「教えてください。卓さん。方法があるなら、諦めたくないんです」
「……。珠紀さん、結界を壊す時の力の使い方はわかりますね?」
「……? 結界に同調して、力を流しこんで、壊すというか崩すというか」
「あの妖に、同じことができますか?」
「え……?」
「要するに、妖と魄との繋がりを内側から瓦解させるんです。ただ、鬼斬丸の犠牲者はかなりの人数にのぼるでしょう。それだけのものをすべて解放するとなると、膨大な力が必要となります」
 結界は、純然たる霊力だ。無機質なものと言える。けれど、妖はそうではない。ましてやあれは、おそらくは無数の魄を取り込んでいる妖だ。そんなものに、同調するなど出来るのだろうか。
「大蛇さん。それって無茶苦茶危なくないすか?」
「そんなことをしたら、同調した珠紀先輩の意識が、逆に取り込まれたりしませんか?」
「その危険はあります。ですから、そんな賭にでるよりも、これから先の犠牲者を防ぐことを重視して、ここまでの犠牲者は諦めるのが一番の良策だと思います。そもそも、魄が取り込まれているということすら仮定でしかないわけですし」
 諦めるわけにはいかない。典薬寮は、犠牲がないかたちでの解決を望んでいるはずだ。
 なにより、あそこにいるのが贄になった人達だというならば。犠牲になった人達に、少しでも報いることが出来るかもしれないならば、可能性に賭けてみたい。
「……やります。やらなくちゃ。だって私は、玉依姫なんですから」
「あなたならそう言うと思いました。とにかく、まずは体調を整えて下さい。決行はそれからです」
 苦笑しながら言った卓に、珠紀は「はい」と頷いた。

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