記憶の欠片 第4章 守護者の力

「これが『コタツ』というものか」
 居間に通されたアリアは、物珍しそうに居間の中央を見つめて大きな目を輝かせた。
「そうだよ。ここに座って、中に足を入れてね」
「うむ。……暖かいな」
 コタツ布団をめくって中の様子を確かめるアリアの隣に、「すっきりしたぁ」とトイレから戻った清乃が腰を下ろした。
 守護者の面々が帰って行ったのと入れ替わるようにやって来たのは、清乃とアリアだった。その意外な取り合わせに驚く珠紀に質問する間も与えず、久しぶりに顔を合わせた元クラスメイトは切羽詰まった声で「お願い! トイレ貸して!」と懇願した。
「清乃ちゃんもアリアも、久しぶりだね」
 トイレを済ませてなお、どこか落ち着かない様子の清乃と、コタツにあたって機嫌よく紅茶を飲んでいるアリアを前に、珠紀はそう言って微笑んだ。
 転校したはずの清乃が訪ねてくること自体は、不思議に思うほどでもない。驚いたのは、アリアが同行して来たからだ。
 芦屋と親類だという清乃のことだから、そういうツテで知り合った可能性は考えられるが、ロゴスから保護すべく典薬寮にいるはずの聖女が、なぜこんな場所に一介の女子高生と共にいるのだろうか。
 何から訊こうかと迷いながら、「もう少し前に来たら拓磨とかいたんだよ」などと言うと、途端に清乃は表情を曇らせた。
「あー、……うん。知ってる」
「おかげで外で1時間以上過ごした」
「え? なんで? 入ってくればよかったのに」
 歯切れ悪く答えた清乃と、待ちくたびれたと言うアリアに珠紀が首を傾げる。
 清乃は、拓磨と仲がよかったということはないにしても、クラスメイトだったのだし顔を合わせたくない理由がわからない。
 かつて珠紀達と敵対したアリアを気遣ってという雰囲気でもないし、鬼斬丸の時のあれこれを清乃がどれほど知っているのかもよくわからない。
 珠紀が言うべき言葉を選んでいると、清乃は両手をテーブルについて額を打ちつけそうな勢いで頭を下げた。
「ごめん! 珠紀ちゃんっ」
「どうしたの?」
「話があって来たんだけど、最初にあやまらなくちゃと思って。あのね、私……典薬寮で働いてるの」
 テーブルに両手をついたまま、清乃は珠紀を窺うようにそろりと顔をあげた。
「典薬寮って……アルバイト?」
 芦屋の紹介で始めたのだろうか。そもそも典薬寮とは、女子高生が気軽に働けるような場所なのだろうか。
 今ひとつ状況が飲み込めないままに問う珠紀に、呻くようにうぅと唸った清乃は言いにくそうにしながらも口を開いた。
「あの、ね。実は私、本当は高校生じゃないっていうか、なんていうか」
「……? どういうこと?」 
 尋ねながらも、これまでの清乃の言動を振り返ればひとつの可能性が見えてくる。
「清乃ちゃん、もしかして……。本当は何歳なの?」
「……23」
「えぇぇぇっ!? 23歳で……高2……?」
 せいぜい高校を卒業してすぐ、19、20才くらいかと思いながら訊いた珠紀は、予想よりも年上だった清乃をまじまじと見つめた。
 時折年上らしい発言はあったものの、こうしておさげ髪にカジュアルな服装の彼女を見れば、同級生だと言われても違和感はない。むしろ23歳という年齢の方がしっくりこないくらいだ。
 その視線に何を感じ取ったのか、清乃が慌てたように捲し立てる。
「もぉぉ、私だってヤダって言ったんだよ!? なのに芦屋さんが、おまえは幼児体型だから大丈夫だとかなんとか言うからっ」
 つまり彼女は芦屋に言われて女子高生に扮し、珠紀に近寄ってきたのだ。
 もっとも、紅陵学院に在籍していたのは彼女の方が先なのだから、珠紀のことをというよりも、始めは守護者の動向を探っていたのだろう。
「見張って……いたんだね」
「……ごめん。それもある」
 申し訳なさそうに目を伏せた清乃は、それだけじゃないんだよ、と前置きして、鬼斬丸について口を閉ざしがちな村の大人と接するよりも、高校に潜入した方が噂話から情報を拾いやすいのだと説明した。
「今はいないけど、あの高校は典薬寮の職員が配属されることもあるんだ」
 彼女の言葉に、教師を名乗った賀茂が浮かぶ。思い返せば彼は担任とも面識があったようだし、かつて紅陵学院に籍を置いていたのかもしれない。
「じゃあ、賀茂って人は……」
「うん、典薬寮からあの高校に配属されてたことがある」
 清乃も賀茂の行動について知っているようで、申し訳なさそうに答えた。
「私も詳しくはわからないんだけど、元々はこの村の担当だった人みたい。あの妖を起こしたのはあいつだって芦屋さんが言ってた」
「起こした? どういうこと?」
「賀茂って人、術の力はかなりみたいなんだ。でもさすがに、守護者や玉依姫を相手にどうこうできるほどじゃないからさ。だからあの妖を使って、その、珠紀ちゃん達を……ね」
 それならば、この騒動は元をただせば典薬寮が画策したということだ。結果次第などといいながら、彼らの方針はすでに決まっているのではないのか。
「それってどういうこと? 最初から私たちを試すつもりだった? それとももう答えは決まってて……」
「待って待って! それは賀茂の独断。勝手に先走ったみたい。典薬寮の方針はまだ決まってないよ。様子を見てる」
 様子を見ているということは、どちらに転んでもいいということだ。つまり、珠紀達が賀茂の手に掛かってもいいということだろう。湧き上がる怒りに震えそうになる声を抑えながら、珠紀は清乃に問うた。
「それは……あの人が私達を殺すならそれでもいいって思ってるってことだよね?」
 清乃は否定も肯定もしなかった。それこそが、珠紀の問いに対する答えを雄弁に物語っている。
 なぜ、と思う。なんで守護者が、そして自分が、そんな風に思われなければならないのだろう。
「人間は、己と異なるモノを排除する生き物だ」
 幼い声に不似合いの言葉がぽつりと呟かれる。そこにはその年齢とも思えない重い響きがあった。アリアもまた、その力ゆえに普通の子供ならば見なくていいようなものまで目にしてきたのかもしれない。
「でも、諦めぬのであろう?」
 ニヤリ、と。問いながらも確信しているような笑みを浮かべるアリアを見つめ、珠紀もどうにか笑みを浮かべて頷く。
 様子を見ているということは、まだ可能性があるということだ。鬼斬丸の時だって、目の前には絶望しかないように思えた瞬間は幾度もあった。それでも道は開けたのだ。今度だってきっと出来るはずだ。諦めない限りは。
「うん、諦めない。諦めないよ」
「あのね、珠紀ちゃん。今日ここに来たのは、典薬寮の人間として来たんじゃないよ。珠紀ちゃんが心配だったから来たの」
 気遣う眼差しは、やはり年上のそれだった。
 典薬寮の人間であり、友達でもある清乃。彼女の言葉を心から信じていいのか、迷って揺らぐ。
「芦屋さんの本意も伝えたかったしね」
「本意?」
「あの人、わかりにくいからさあ。あのね、芦屋さんは、玉依姫と敵対することは望んでない」
「どういう意味?」
「典薬寮の方針は、聞いたんだよね? この村を管理したがっているとか、その……カミの力を持っている人は排除してしまいたい、って考えてる人がいること」
 排除。
 人とも思われていない、邪魔なものをどけるだけのような言葉だ。
 再び耳にするその言葉に、珠紀は胸苦しくなり目を伏せた。
「……うん」
「芦屋さんは、現状維持がいいって言ってた」
「でも、たとえば芦屋さんが個人的にそう思ってくれてたとしても、典薬寮はそうじゃないんでしょ?」
「う、ん……。上の人たちは報告書を読むだけだからさ。やっぱり鬼斬丸を壊すほどの力を持つ存在は、怖いんだろうって」
「怖いって、別に私も先輩達もなんにも悪いことしてないのに」
「うん、ちゃんとわかってる人だっているよ。だから、芦屋さんもいろいろ立ち回っているところなんだ。ただ、やっぱり最低限典薬寮が介入する前に、珠紀ちゃん達だけで今回のことを収めないといけないって」
「それは、もちろんそのつもりだけど」
 珠紀を励ますように、殊更に明るい口調で清乃が「あのね」と口を開いた。
「あの妖、玉依姫と典薬寮が封じた妖なんだって」
「えぇ!?」
「すっごい昔の話。鬼斬丸の封印を維持するために贄の儀が始まってしばらくした頃らしいよ」
 そう言って、詳しい経緯までは記録されていなかったと前置き、その頃は典薬寮と玉依姫が協力関係にあったらしいこと、芦屋が、多分このことは玉依側の資料にはないはずだと言っていたことを教えてくれた。
「そうだったんだ。じゃあ、あの妖の正体とか退治方法とかも書かれてたの?」
「あー、アハハ……ごめんっ! そのへんまでは全っ然わからない」
「……詰めが甘い情報だな」
 それまで黙ってふたりのやり取りを聞いていたアリアのひと言に、清乃がしょんぼりと項垂れた。きっと清乃は本当に珠紀を心配して、少しでも何かの足しになればとこの情報を持って来てくれたに違いない。そう思うと、重かった心が少し軽くなる気がした。
「あ、ううん。大丈夫。清乃ちゃん、ありがとね」
 典薬寮が関わっていたというなら、蔵以外にもうひとつ探すべき場所がある。考えてみれば、祐一と共に調べて以来、学校の図書室の本を調べてはいなかった。
 それに、かつてあの妖を封じたのが玉依姫だというならば、自分でもどうにか出来るということだ。
 少し道が開けたように感じながら、アリアに視線を移せば、少女はコタツで暖まったのか頬をほんのり赤く染め、美鶴の持ってきたバタークッキーを食べている。その姿は聖女というよりも、やはり子供がおやつを食べているようにしか見えなくて微笑ましい。
「ね、アリア。元気だった?」
「うむ。退屈ではあったが変わりない」
「そっか。わりと外出は自由なの? もっとこう、いろいろ制限されてるのかと思ってたよ」
 保護するというからには、ロゴスはアリアを連れ戻そうと狙っているのだろうし、それを防ぐには典薬寮によって厳重な警戒がなされているのだろうと思っていた。
 けれど、聖女は今、目の前でおやつを食べている。
 考えていたほど、危険な状態ではないということだろうか。
「普段はあまり出られない。今日はこのメガネがおまえに会いに行くというから、付き添ってやったまでだ」
「無理矢理ついてきたくせに……いえ、なんでもありません」
 アリアに視線を向けられて、清乃は言いかけた言葉を飲み込んで顔の前で手を振る。
 ふたりの間では、幼いアリアの方が力関係が上らしく、それが滑稽に見えて笑いがこみ上げてくる。
 そんな珠紀を前に、清乃はテーブルに顎をのせ、「笑い事じゃないんだよ!」と訴える。
「聞いてよ、珠紀ちゃん! 実は、アリアがここに来てること、芦屋さんにも誰にも内緒なの」
「内緒って……大丈夫なの?」
「全然大丈夫じゃないよ! 私が珠紀ちゃんに会いに行くって聞いて、連れてかないと霊力を消すって脅すんだよ? 私なんてアリアに比べれば虫けらくらいの力しかないかもしれないけどさあ。それがなくなったら典薬寮にいられなくなっちゃうのに!」
 こんなことばれたらボーナスカットだよ、と言って、清乃は芝居じみた所作でテーブルに泣き伏した。
 霊力を消す。そんなことが可能なんだろうか。
「霊力をなくすなんて、そんなこと……できるの?」
「アリア・ローゼンブルグを誰だと思っている? この女の霊力を消し去るなど造作もないことだ」
 唇の端にクッキーの粉をつけながら、少女は肩をそびやかす。
 テーブル越しに手を伸ばして、ついてるよ、と口元を指先ではらってやると、アリアは照れたように目を逸らした。
 その少女を見つめながら考える。
 もしもそれが出来るなら、根本的な解決が出来るのではないか。
 力さえなければ。
「ねえ、アリア。だったら……守護者の力をなくしてしまう、なんて出来る?」
「珠紀ちゃん?」
「なぜそんなことを訊く」
 騒動はきっと解決させる。それはこの村での玉依姫としての務めだからだ。
 けれど、典薬寮はそれで本当に納得してくれるのだろうか。カミの力を恐れるならば、それをなくすのが、一番の解決法ではないのか。
「鬼斬丸はもうなくなったんだよ だったら守護者のみんなは、もうそういう力に振り回されずに生きていくほうが……」
「……なんの話だ?」
 低く抑えた声と共に、ふいに襖が開く。
「せん、ぱい……」
 そこには、他の守護者と共に帰ったはずの真弘が、こちらを睨み付けるようにして立っていた。

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