記憶の欠片 第4章 守護者の力

「こんな風に、心も繋げたらいいのにな……」
 そう言って目を閉じた彼女にかける言葉が見つけられないでいると、珠紀は微かに「真弘先輩」と呟いて、そのまま寝付いてしまった。
 指先は眠っているとも思えない必死さで、きゅっと握られている。
「どこにも行かねえっつうの……」
 答えるはずのない寝顔に囁きかける。
 繋いだ指先が熱い。珠紀に熱があるのだから当然なのだが、その熱が自分にも移り、己の鼓動まで早くさせているように感じるのは、きっと気のせいだろう。
 今朝、玄関に出てきた美鶴のひどく疲れた顔を見た時には何事かと思ったが、珠紀が倒れたと聞き、驚きつつもやはりと思った。きっと守護者の誰が聞いたとしても、同じように思っただろう。
 それほどに、昨日見た珠紀の熟睡ぶりは、溜まっている疲れを感じさせた。
  
 昨日のこと。
 雨で屋上での昼食を諦めたいつものメンバーは、屋上に続く階段に現れなかった拓磨と珠紀を不戦敗と決め込んで、二人の教室で昼を食べることにした。
 2年生の教室を訪れてみれば、教室のあちこちにグループが点在して、お昼を食べている真っ最中だ。その教室の後方窓際。雑誌を広げる拓磨の後ろの席で、珠紀が机に突っ伏していた。
 教室に入ってきた真弘達に気付いた拓磨が雑誌から顔をあげ「今日はここっすか?」と少し嫌そうに顔をしかめる。
「おまえら、来なかったから不戦敗だ」
 そう言って近づくと、珠紀に視線を落とした拓磨は肩を竦め「まあ、ちょうどいいっすね」と答える。
 けして声をひそめているわけでもないのに、机に突っ伏した珠紀はぴくりともしない。
「具合でも悪いのか?」
「寝てるだけですよ」
 拓磨の答えにそっと覗き込んでみれば、口を半開きにして机に伏している珠紀は完全熟睡態勢だ。さすがにこれでは、起こすのも気が引ける拓磨の気持ちもわかる。だからといって、鬼斬丸の祟りなどという噂のせいで近頃孤立しがちだという彼女を置いて席を立つわけにも行かず、ここで雑誌を読んでいたのだろう。
「あーあー、よだれ垂らしそうな勢いで寝てやがんな」
「これでは教師に丸わかりだ。今度姿勢正しく寝る方法を教えてやった方がいいな」
「祐一先輩。多分それ、誰にも真似できません」
 祐一の言葉に慎司が即答すると「そう難しいことではないんだが……」と祐一は納得がいかないという顔だ。
 そんなやりとりをしつつ、各々手近な椅子を引き寄せて座り、弁当やパンを取り出した。
「最近、授業中はずっとこんなんすよ。成績落とさない条件もあるはずなのに、どうすんだか……」
「なんの条件だって?」
 やきそばパンを取り出しながら尋ねると、拓磨は「こいつが村に戻んのに、親が反対したって話、聞きましたか?」と弁当を開きながら答える。
「いや」
 初耳だ。もっとも、本当に知らないわけではなく、消えた記憶に含まれる情報なのだろう。
「知らねえけど……ま、この村のことを知ってる人間なら、そりゃ反対するわな」
 珠紀の母親は、本来次代の玉依姫になるはずだった女だ。その彼女がこの村から出ることを許されたのは、玉依の力の片鱗が欠片ほどにも見られなかったからだったと聞く。
 もっとも、無条件に村を出られたわけではなく、結婚して子を産み、もしもその子供に力が現れたら村に戻すという条件が出されたらしい。
 子供の頃、おれのたまよりひめはどこにいるんだ? と訊いた真弘に、確か静紀がそんな話をしてくれた。
 あなたの玉依姫は、今は村の外にいるわ。いつか戻ってくる玉依姫の為に、力を磨いておきなさい、と。
 自分の運命をまだ知る前のことだ。あの頃は、いつかやってくるはずの玉依姫は、きっと自分が悪者から守ってやろう、とまるで正義のヒーローのような気分でいた。
 それにしても、鬼斬丸がない今はまだしも鬼斬丸のあった頃に、珠紀の母親が、よく珠紀を静紀に預ける気になったものだと思う。
 珠紀が七歳の時に行うはずだった、玉依姫として力を現す為の儀式。その儀式を拒み、以来村に戻ることすらしなかったはずの彼女が、珠紀を季封村に寄こしていいと思うほどに、珠紀は玉依の力をまったく発現させずに育ったのだろう。
 けれど、珠紀は玉依姫として覚醒した。そうなれば、例え鬼斬丸がなくとも、大切な娘をこんな村に寄こしたくないというのは当然の考えだろう。珠紀の親がどれほど反対したかなど、容易に想像がつく。
「ま、確かにそうっすね」
「親の反対を押し切ってまで住みたい村でもないだろうに。なあ?」
 同意を求めて視線を上げると、他の3人は呆れたようにこちらを見つめ、ため息をついた。
「そうっすねえ。でも、こいつは戻りたかったんじゃないすか?」
「というか、真弘先輩が戻って来るように言ったんじゃないんですか?」
「確か、真弘が土下座をしたと聞いたはずだが」
「祐一! てめえ、勝手なこと言ってんなよ! こいつが俺の傍にいたくて戻ってきたんだろうが!」
 思わず言ってしまってから、自分の発言に顔が熱くなる。それでも、きっとそうだろうと思うのは、単なる自惚れではないはずだ。
「あー……真弘先輩。言ってて、恥ずかしくないっすか?」
「~~~っ うるせえ! おい、珠紀っ。いい加減起きろ。メシだメシ!」
 眠っている珠紀の肩に手をかけて、軽く揺する。
 昼休みは、残すところあと半分ほどだ。そろそろ起きなければ、弁当を食べる時間がなくなってしまう。
「ふぇ? ──っ!? えっ!? なんで真弘先輩!?」
 慌てて顔を起こした珠紀は、寝ぼけ眼で皆が顔を揃えているのを見て、「もしかして……昼休み?」などと首を傾げる。
「もしかしなくてもとっくに昼休みだ。いつまでもアホ面晒して寝てないで、メシを……痛っ!」
 寝起きとも思えない素早さで、真弘の後頭部に珠紀の手が飛んで来た。
 痛みに顔をしかめると、珠紀は「誰がアホ面ですか!? 乙女の寝顔を勝手に見ないでください」と不機嫌そのものだ。
「だ・れ・が、乙女だ? あぁ? 涎たれてたぞ?」
「──!?」
 慌てて机と口元を確認する珠紀に、してやったりとニヤリと笑った真弘は、2つ目のやきそばパンの袋を開ける。
「ばーか、嘘だ。夜更かしして漫画とかばっかり見てるから、授業中に眠くなんだよ」
「それは真弘先輩でしょ? 私は真面目にテスト勉強をしていて遅くなったんです」
 むぅと膨れて答えた珠紀は、ようやくごそごそと弁当袋を取り出した。
 なるほど、夜遅くまでテスト勉強をしていた結果が、先ほどの熟睡に繋がっていたらしい。珠紀なりに、親の出した条件をクリアすべく頑張っているということだろうが、授業中にあれだけ熟睡してしまえば、教師の心証も成績も悪くなる一方に違いない。
「んなもん、いくらテスト勉強やったって、授業で寝てれば本末逆転だろう?」
 我ながら、先輩らしい発言だ。そう思いながらパンを囓ると、「あのー」と慎司から遠慮がちな声がかかる。
「真弘先輩。それを言うなら、本末転倒じゃないかと……」
「あ? あー、ま、まぁそうだな。そうとも言う」
「そうともって……先輩、受験するんですよね?」
 いただきます、と手を合わせた珠紀は、眉を寄せながら訊いてくる。
「うるせぇ。たまたま言い間違えただけだ」
「大丈夫だ、真弘。1浪で済めば、珠紀たちの後輩にはならないで済む」
「祐一。それ、全っ然大丈夫じゃないだろう?」
 なおも軽口をたたき合う横で、珠紀が弁当を食べ始めた。
 
『私、真弘先輩が好きです』
 
 唐突な告白以降、珠紀は何も言ってこない。
 真弘としても、何を言っていいのかよくわからず、結局そのままにしているが、何かしら返事をすべきだろうか。ただ、珠紀が告白などなかったような顔で笑っているから、真弘もそれをいいことに敢えて何も言わずにいた。
 さりげなく横目で見ていると、いつもの量の弁当も持て余し気味なのか、箸を口に運ぶペースはずいぶんと緩やかだ。どれだけ寝不足なのかは知らないが、疲れの透けるその顔色は悪く、あまり体調も良さそうではない。
 無理するなよ、くらいは言ってやってもいいかもしれない。
 そんな風に思っていると、珠紀は真弘の視線に気付いたようにこちらを見て、箸をくわえたまま首を傾げた。
「どうしたんですか? 先輩。物欲しそうに見て。卵焼きでも食べますか?」
「物欲しそうって、おまえ。……そこまで言うなら食ってやる」
「あぁ! なに唐揚げ取ってるんですか!」
 真弘は醤油風味の唐揚げと共に、言ってやろうかと思った言葉を飲み込んだ。
  
 眠る珠紀を見つめながら、やはりあの時、釘を刺しておくべきだったと反省する。
 美鶴の話では、珠紀はテスト勉強だけでなく、毎日、術の練習をしたり蔵の本を調べたりしていたらしい。
「おまえ、頑張り過ぎだ……」
 もっと守護者を利用して、ラクをすればいいのに。
 テスト勉強だけは代わってやれないが、術の練習などせずにただ守られて過ごし、蔵の本など誰かに言って調べさせればいい。妖に関することすべて、ただ家にいて指示だけ出していればいいのだ。玉依姫とは、それが許される身分なのだから。
 けれど、彼女はそれが出来ない。しないのではなくて、出来ない性分なのだろう。自分で考えて、自分の足で立ち、そして皆と共に立ち向かおうとする。
 だからこそ、守護者の誰もがあんな風に信頼を寄せるのだろう。
 そんな珠紀だから、自分は彼女に惹かれ、共に鬼斬丸を壊せたのかもしれない。
「バカな奴……」
 呟きが零れる。
 鬼斬丸がなくなったということは、玉依姫の義務がなくなったということだ。
 幼い頃から、『守護者』であるという生き方を強制されてきた真弘とはワケが違う。彼女なら、このまま『普通』の生活に戻ることは簡単なはずだ。
 それなのに、こんな風に倒れるまで頑張って、『玉依姫』であろうとする必要なんてないのに。
「ホント、ばかだよ。おまえ……」
 言葉とは裏腹に、唇に笑みが浮かぶ。
 ほんの少し前の、『ばかばか言わないでください』と唇を尖らせた珠紀の顔が思い出された。同時に浮かぶのは、泣き顔や怒った顔、凜とした眼差し。そして、屈託のない笑顔。
「『守護者』なんて、やめときゃいいのによ……」
 もしも珠紀が真弘を選んでいなかったなら、彼女は村に戻ることなく、彼女の日常に帰って行けたのではないのか。
 玉依姫がいなくたって、もう世界は滅んだりしない。
 珠紀が玉依姫をやめても、誰も彼女を責めはしない──真弘も。
 完全に寝付いたのか、珠紀の指先から力が抜けてきた。
 
『こんな風に、心も繋げたらいいのにな……』
 
 頼りなげな呟きが思い出されて、しばし迷う。
 けれど、繋いだ指先は心なしか熱さを増し、氷枕くらいはした方がよさそうだ。
 真弘は、珠紀の手をそっとはずして立ちあがった。

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