2 おわりをひかえた日/ひとつだけ嘘をついた

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ようやく梅の蕾が膨らみ始めたところからすっ飛ばして、庭の中央の桜は今が盛りと咲き乱れている。
こんなことも自在にできるシステムではあるけれど、これまではオートで動かしていたから普通に四季が巡っていたこの本丸では、一夜にして庭の様相が一変するなんて初めてのことだ。
朝の挨拶を交わしながら口々に疑問や驚きを示す彼らもどこか楽しげで、そういえば花見を控えた本丸の雰囲気はいつもこんな風だったなと改めて気付く。
薄紅の蕾が膨らみ始めると、月間スケジュールも満開の日を予想して花見の為の全体休養日を設定する。それがなかなかに難しくて、鶴丸と顔をつきあわせては、時に桜の木の下で咲き初めたそれを見上げてはああでもない、こうでもないと予想をしていた。
もっとも、その予想が当たってもはずれても、結局はみんなでワイワイと花の下で食べたり呑んだりするのが楽しかったのだけれど。
朝ご飯のメニューは、栗ご飯とウドのきんぴら、かぼちゃの煮物に小松菜のかき玉汁。昨夜、光忠にリクエストしたものばかりだ。

『光忠~。明日の朝ご飯当番、光忠たちだったよね?』
『そうだけど、どうかした?』

畑から夕飯用の野菜を収穫してきた彼をつかまえて訊ねると、泥のついた大根を手にしながら首を傾げる。

『あのね、明日の朝ごはん、栗ご飯と、ウドのきんぴらと、かぼちゃの煮物が食べたい。ほら、あの煮物。バターを隠し味にしてるって言ってたあれ』
『君がリクエストなんて滅多にないから応えてあげたいけどさ。いくらなんでも旬がごちゃまぜだよね』

オートで巡らす季節の中で、それでもこの本丸は旬の食べ物というのを割と気にする食事当番が多い。
畑で育てているものは別にして、食材は一年中どんなものでも手に入る。それでも季節ごとの味覚を、旬というものを感じながら味わえたのは彼らのお陰だ。

『ウドはほら、もう少しだから待っててよ。きんぴらだけと言わず、君の好きな酢味噌和えとか天ぷらとか、嫌ってほど作ってあげるよ?』
『うーん、それはそうなんだけどね。ほら、あるでしょ? なんか無性に食べたくなる時って』
『そりゃ……』
『ってことで、食材注文しとくから今夜中に届くよ。ね、お願い。ついでに注文したいものがあるなら言ってみて。今すぐ必要じゃないけど食べたかったものとか、料理してみたかったものとか、ダメ元と思って全部言ってみて?』

そうして引き出したリクエストを元に注文しまくり、今、本丸内の大きな業務用冷蔵庫はいっぱいだ。

離れた場所に座る光忠に、ひらひらと手を振る。視線をとらえて、膳を指さし「ありがとう」と口で象ると戸惑うような笑みが返った。
そりゃそうだろう。いきなりリクエストしてみたり、冷蔵庫を満タンにしてみたり、桜を咲かせてみたり。
これまでのことを考えれば、何事だろうと思っているに違いない。
種明かしをしたのは、全員が食事を終えた後のこと。
いつもなら食事を済ませた人から三々五々広間を出て行くのを、今日は引き留めて。

「明日で本丸は解体となります。猶予が少なくてすみません」と頭を下げた。

ざわりと空気が揺れる。それでも、内容が内容なだけに、一同私の言葉の続きを待っている。

「戦は無事に終わりました。全部、皆さんのお陰です。ありがとうございます。
今日は馬の面倒と畑の水やりだけはやるとして、それ以外明日に支障が出ないことは全部やらなくていいです。一緒に楽しく過ごすもよし、ひとりで好きに過ごすもよし。
万屋への買い物も行っていいけど、これは必ず行く前に声をかけてからにしてね。
それから、季節ですが。午前中は春、昼から夏、夕方からは秋。夜から明日にかけては冬とします」

「おいおい、そこまで変える必要があるのか?」

声をあげたのは、すぐ近くにいた鶴丸だった。
他のみんなはまだ本丸解体という事実を受け止めるだけで、いっぱいいっぱいなのかもしれない。

「みんなと……みんなで季節をもう一巡りするのも楽しいかなぁって。あ、でも反対が多いようなら考えるよ。ただ、夜からは冬にします。これだけはごめんね。決定事項ってことで。
ちなみにお酒も食材もいっぱい買ってあるので、このままお花見も出来るし、昼は去年盛り上がった流しそうめんをしよう。どこかに食べに行きたい人はあとでパスを渡すね。それから西瓜もあるから、西瓜割りもしようね」

楽しいことをいくつも挙げ連ねて、でも一番言わなくちゃいけないことはこれなんだと小さく息をついて続きを口にする。

「明日、……みんなを刀解、します。本霊の元にお送りします。たくさんたくさん助けて貰っておいて、こんな急な終わり、本当に、ごめん。ごめんなさい」

私が主じゃなかったら、少なくともこんなに急ではなかったのにと、ただただ頭を下げる。
半月あれば、もう少しくらいはみんなが何かを考えて、好きなことをやって終わらせることも出来たかもしれないのに。本当にごめん。

「よかったじゃないか」

声をあげたのは蜂須賀だった。

「俺たちは元々戦の終息のために呼ばれたのだろう? 主の元でそれを成すことが出来たのなら、それは刀の誉れというものだ」
「そうだよぉ、桜も咲いてることだし、みんなでさ、ぱーっと呑んで祝おうよ。祝い酒だしさ、今日はしこたま呑んでいいんだろう?」

重い空気の中、次郎の明るい声音に少し救われた心地で頷いて「そりゃもう、たっくさん買ってあるよ。足りなくなったら買いに行けばいいし」と答えると、大太刀は目を輝かせた。
それにつられるように空気がほどけ、よかったな、という声がさざめくようにあちこちであがった。
こんなに身勝手な展開を、よかったと言ってくれる神様たちを前にいたたまれない気持になる。でもだからって、私がここで泣いて謝ったって、なんにも事態は変わらない。

「ちなみに、全員がかえったらこの本丸は時空ごと消えちゃうそうなので、いらないものは放っておいて大丈夫」
「まさかだからって掃除しなくていいなんて言わないだろうね。立つ鳥跡を濁さずというだろう。散らかしたまま消してしまうなんて、雅じゃないよ?」
「そうだけど……残りの時間はみんなが一番いいように過ごそうよ。汚せとは言わないけど、掃除より片付けよりも各自が楽しく過ごすのが最優先。食事当番の人だけはごめんね。温めるだけのものもいろいろ買ってあるから、適当に取り入れて……出来れば得意な人はお手伝いしてあげてください。私は」
「主はいいよ。むしろ来ないでくれるかな」
「うん、知ってる。今日も食べる側に専念するよ。ってことで、わからないことがあれば、まんばちゃんか鶴丸、あとは私に訊きに来てね。以上、解散!」

◇   ◇   ◇

「今日もうまかったぜ。ごっそさん」

厨に朝餉の食器を下げて持って行くと、光坊が難しい顔をして冷蔵庫に寄りかかっている。
そりゃそうだろうな、と思う。昨日知らされた俺ですら、一日かけてどれほど気持の整理がついたというのか。

「鶴さんはさ、知ってたの?」
「悪いな。俺は昨日知らされた」
「鶴さんですら昨日だったのか……」
「そもそもの連絡が昨日だったんだ」

ため息交じりの伊達男に告げてやれば、驚きを顔に張り付かせて、ずいとこちらに寄ってくる。

「昨日? こんな……本丸解体なんてとんでもない重要事項なのに?」
「ああ。あの政府らしいといえばらしいんじゃないか?」

持ってきた食器を水を張った盥に入れていきながら答えると、光坊も合点がいくというように頷いた。

「昨日さ。昨日、珍しく主が朝ご飯のリクエストをしに来たんだ」
「へぇ、よっぽど食べたかったんだな」
「うん。珍しいなと思っていただけなんだけど……こうして理由がわかったら嬉しくてさ。もう戦で誉れをとってくることは出来ないけど、まだ喜ばせてあげることは出来るんだよね」
「そうか……そうだな」

あの子を喜ばせること。
これまでの時間を振り返りながら、彼女の願いを思い返してみる。
そういえば、と思う。
願う度に却下していた、あれを叶えてやろう。

「ありがとな、光坊っ」
「は? え? 鶴さん?」

◇   ◇   ◇

「で、なんで手合わせ?」
「やってみたかったんだろう?」

面白そうだから、という理由で幾度か鍛練をしてみたいと言われたことがある。
主とはいえ刀を振るう機会はないし、中途半端に覚えて、いざという時に逃げるよりも先に身構えてしまう方が危険だろうと考えて、言われる度に却下してきた。
咄嗟に対処できるほどに仕込む気もなかったし、そもそも敵は人の身ごときでどうこう出来る相手でもない。ならばいざという時には本能に任せてひたすら逃げるのが、一番マシな選択肢だ。
周囲には過保護だと笑われたが、脆い体を持つ娘にはそのくらいで丁度いい、そう思ってきた。

「うん。どう構えるの? こう?」

笑みを浮かべ、両手で握った木刀を上に下にと構えながら首を傾げる。
今日の彼女は終始笑顔だ。
朝、皆の前で今後の話をした時には悲痛な顔をしていたが、その後は花見だ流しそうめんだと輪に交じっては歓声をあげていた。
道具ならばある日壊れることもある。それは人の身を得てからも変わらない。
明日までなどという猶予があるせいで、寂しいとか離れがたいなどとつい思ってしまいはするが、それにしたって彼女が思うよりもずっと、俺たちは刀解されることをすんなりと受け入れている。受け入れられていないのは、きっと彼女の方だろうに。
目の前の、血生臭いことなど到底似合わない人の子を、平穏な現世の生活に帰してやる。それは恐らくこの本丸の誰もが、いつか叶えてやりたいと願い続けたことだった。それが叶う今、何を思うにせよ、やはり胸を占めるのは喜びが一番だ。

「えいっ」

打ち込んでくる切っ先を軽くさばく。
それでも、手に伝わる衝撃はそれなりだったのか、掌を見つめてクスリと笑った彼女は再び木刀を構えた。

「遅い遅い。そんなんじゃ、なんにも斬れないぜ?」

どれくらいそんなことを繰り返しただろうか。
彼女の額には玉のような汗が浮かび、息も少し上がっていた。

「夏はやっぱりしんどいねぇ。暑い!」
「そういう言い訳をしていると、また痛い目に遭うぞ?」

もちろんこちらから打ち込んだりはしない。自分で勝手に足をもつれさせて転んだだけだ。それにしても、日頃体を動かさない彼女には結構な運動量なのか、足下がよろよろとし始めていた。

「おいおい、そのへっぴり腰はあんまりだぜ? さっきも言ったろう。腰を落とせ」

揶揄するように言えば、負けず嫌いの彼女はこれでもかと木刀を振るう。
下がりながら幾度も受けてやりながら、最後に体をかわせば、膝をついてぜいぜいと肩で息をしている。

「主君っ、西瓜が切れましたよ」
「お、やってるな」
「あ、あり……ありがと」
「はは、へろへろか。どうだ、大将。助太刀はいるか?」
「お、おねがい、します」
「だそうだぜ? 旦那」

短刀たちの気配がぎらりと変わり、すぐに壁にかけてあった木刀を手にする。
形成逆転。これはかなり不利だ。

「待て待て」

息を整えながら楽しげにこちらを見ている彼女を横目に捉えつつ、案外本気の短刀たちが次々に仕掛けてくるのを際どく躱す。
こんな日に彼女を独占していたのは、懐刀たちの不興を買ったらしい。

「ほら、大将。今だ!」
「とぉっ」

ままごと遊びのような切っ先が、肩から腰を滑っていった。尻をついて、木刀を置き、軽く両手をあげて降参を示してやると、満面の笑みが広がる。

「勝った~」
「はは、そうだな。きみの勝ちだ」
「ありがと。わかってるよ。こんなの全然勝負じゃない」

それでも彼女は嬉しそうに目を細める。
それだけで、心が満たされ、あたたかな気持になった。

「あるじさま、あるじさま。つぎはぼくともてあわせしましょう!」

今剣がねだり、そこに他の短刀たちも加わった。
大人数での手合わせなどそうはしないが、そこは手練れの者ばかり。彼女が怪我などしないように、上手に立ち回って打ち合っている。
彼女も楽しそうに応戦していて、あんなに喜ぶならばもっととっくに相手をしてやればよかったのかもしれないとすら思う。

ふと、浮かない顔で道場の隅にいる山姥切が目に入った。
歩み寄っても初期刀の視線はずっと彼女に向けられたままだ。

「初期刀としてはフクザツか?」

彼女を現世に帰してやれる。それを喜んでいないはずはないだろう。
それでも、一番最初から苦楽を共にしてきた初期刀ともなれば、思うところもいろいろあるのかもしれない。

「あんたこそ。……いいのか? 明日で終わりだぞ?」

隣に立ち、壁に背中を預ける。
彼女はいよいよくだびれてきたのか、座ったまま応戦しているが、それすらも楽しそうな明るい声をあげ、短刀たちと戯れている。
あの笑顔が続くなら、それでいいじゃないかと思う。彼女がああして笑っていられるように、今日まで刀を振るってきたのだ。

「終わりか……そうだなぁ。確かに終わるのは惜しいがな。あの子にはまだその先がある。現世で平穏に生きていってくれるなら、重畳だろう」

初めてこの本丸に降ろされた日。
目の前の彼女を見て、こんなのが主なのかと思った。
貧相で、覇気もなく、悪くはないがとりたててイイ女というほどでもない。
ただ、霊力は神気と見まごうほどに澄み、それが彼女の本質そのものを表しているのだとわかる頃には、隣にありたいと願うようになった。

人と刀。審神者と神。主とつき従う者。

俺がそれを考えたように、きっと彼女の頭の中にも常にそれがあっただろう。
だから、ひとつだけ、約束をした。
ずいぶん前のことだし、彼女はもう覚えてすらいないかもしれない。
それが果たされないことだけは口惜しいが、それでも彼女を現世に帰してやれる以上にいい結果は思いつかない。
だからもう、それでいい。

「あんたたちは本当に……」

山姥切はそこで言葉をとめ、あとはただため息を落とした。

◇   ◇   ◇

「くたびれたぁぁぁぁ……」

まだ寝る気はないから、私室ではなく執務室に来た。
たくさん体を動かして、夕ご飯もおいしくて、みんなと過ごすのはやっぱりすごく楽しくて、だからいよいよつらくなってきた。
文机にへにゃりと寄りかかり、ふと思い立って引出のノートを取り出す。
みんなを顕現した日のことを書き付けてあるノートだ。
でかいとか、可愛いだとか、エロそうだとか、ちょっとした印象などと共にその日にあったことを記録していたもの。
そうでなくとも報告書だの戦績記録などと書くものは多くて、それ以外に私的な日記なんてつける気はさらさらなくて。
それでも、その刀剣男士が降りてきてくれた日は特別だからと、書きつづけてきた。
パラパラとめくって見れば、ひとりひとりが来てくれた日が、頭の中で鮮やかに蘇る。
ふと、鶴丸のページで手を止める。
そうか、あの日は雪だったな、と思い出す。
白い神様を前にして、雪の中に桜が咲いたと記されたその文字を指でたどると、自然笑みが浮かんだ。

「入るぞ」

まんばちゃんの声だ。
私はノートをそっと引出に戻すと座り込んだまま「どうぞ」と返した。

「……大丈夫か?」
「大丈夫。楽しすぎて、ちょっと……しんどくなっただけ」
「そうか」
「ごめんね。損な役回りさせて。まんばちゃんもなんにも知らなければ余計なことを考えなくて済んだのに」
「余計なことじゃない。他ならないあんたのことだからな」
「ありがとう」

本丸にいるのは優しい神様ばかりだ。
明日には自分たちは刀解されてしまうというのに、誰も彼もが口々に、現世に帰れる、よかったなと自分のことのように喜んでくれる。
戦がない世界だ、よかったな、と。
だから私は嘘をつく。楽しみだな、何をしようかな、嫁にもいかなくちゃ、と。

「まんばちゃんは? やりたいことちゃんと出来た?」
「そんなこといちいち気遣うな。何か手伝うか」
「大丈夫だよ。このへんの書類も全部消えちゃうんだし」

そう答えつつも、なんとなく乱雑になっていた書類の束を手にして、整え直した。

「さっきね……さっき、政府の人が来て、馬を全部連れて行ったよ」
「そうか」
「馬ですら、連れて行って貰えるのかと思っちゃった」

自分で驚くほどに、声が弱々しい。
なんとなく掌をぐーぱーしてみる。今日手合わせでできたマメを見つめ、明日は筋肉痛になるだろうかと考えていると、まんばちゃんの眼差しがひどく痛ましいのに気付いた。

「ごめん。何言ってるんだろうね。忘れていいよ」
「愚痴でも弱音でもいくらでも聞いてやる」
「ふふ、まんばちゃん、男前だねぇ」
「……このまま終わりでいいのか?」
「いいもなにも、最初からそういう約束だったからさ。今の時間は特別にもらった延長戦みたいなものだから。ただ……思ってたより短かったかな」

審神者にならないかと政府から声がかかった時、私は病院のベッドの上だった。
現代の医療ではどうにもなりませんとお医者さんは首を振り、お父さんもお母さんもただ絶望していた。私はといえば、余命一ヶ月などという命の期限をつきつけられて、ただ呆然としていた、そんな時。
訪ねて来た人たちに、審神者の素質があること、未来の医療ならばこの病気も容易く完治できることが告げられた。
審神者になるのならば、その病気を無償で治してあげましょう、と。

いわゆるあれだね、砂漠で水が飲めなくて死にかけている人の前に、水を差し出す行為。政府はそうして私を誘った。
けれど、そうそうおいしい話ばっかりなわけもない。

こうも告げられた。途中で辞めることは出来ません。もしもすべての戦いが終息して審神者が不要になった時にも、元いた場所に帰ることは適いません。
本来ならばここで死ぬあなたの寿命を改変する、それは憎むべき歴史改変に他なりません。それでも、今は非常事態です。非常事態の間だけは、我々はそれを許しましょう、と。
つまりは、非常事態が終わったら死んでくれ、ということだった。

審神者になりたてだった頃。いろんな不安に押しつぶされそうになった私は、初期刀にだけはそれを告白した。
政府と契約した、命の期限を。
今、不安で怖くて堪らないのに、あの日のように押しつぶされずにいられるのは、曲がりなりにも審神者として主として仰がれ、重ねてきた時間があるからだ。
みんなが寄せてくれる信頼が、好意が、私をずいぶん強くしてくれた。

明日、この本丸は閉じられる。私の命ごと。
痛かったり苦しかったりしないといいな、と願う。

でもそれは本当は、あの病院のベッドの上で感じるはずのものだった。だったらそれも、私は受け入れなくちゃいけないんだろう。
あのまま病院にいたなら、きっと私はただ苦しんで死んだんだろう。それなのに、本丸に来て、楽しい思いもいっぱいできた。
まさか恋まで出来るなんて、想像すらしなかった。
だから──これでよかったんだ。
それなのに、その瞬間のことを考えるだけでこんなにも震えが止まらない。
小さく震える指先を握りこみながら、なおもこちらを見つめる初期刀に「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」と笑って見せる。

「刀解したら本霊に還るって聞いてるけど、それであってるんだよね?」
「そうだろうな」
「そっかぁ。私はどこにかえるんだろね」
「人は、転生の廻りに還るんだろう」
「転生……そっか、転生ね。生まれ変わるのか。それも楽しそうだね」
「写しの俺でも神は神だ 行く末は見守っていてやる」
「うん。だったら、……なにも怖くないね」
「入っていいか?」

耳を打つその声に、少し心が凪ぐ気がした。
「いいよー」と声をかけると、すぐに白い神様が顔を覗かせる。さっきまで、伊達のみんなと笑い合ってお酒を呑んでいたはずなのに、どうしたんだろう。

「俺は戻る」

そう言ってさっさと立ち上がったまんばちゃんと入れ替わるように、鶴丸が私の前に腰を下ろした。

「どしたの? まだみんな呑んでるでしょ?」
「なあ……きみは、帰るんだよな?」
「帰るよ? どしたの急にあらためて」
「いや、すまん。転生だなんだと聞こえたからな」
「立ち聞き反対~! そういうのはイケナイと思いま~す」
「だから悪かったと……」

気まずそうに頭をかく鶴丸は、居心地悪そうに視線を泳がす。
優しい優しい大好きな神様。
あなたがいるから、私は今、背筋を伸ばして笑っていられる。

「心配しなくても、ちゃんと帰るよ。あれは、私が、……私がもしも死ぬ時には、って話だよ」

死ぬ時は、か。
そうだった。私は鶴丸に謝らなくちゃいけないことがあったんだった。

「ねぇ、鶴丸。私、ひとつ謝らなくちゃいけない」

鶴丸がこの本丸に来て、一年が過ぎた頃だっただろうか。
私は彼と、ひとつ約束をした。

『なあ、きみがこのまま審神者であり続けて、もしも、もしも死んで墓に入るなら、俺も一緒に入れてくれないか?』
『墓? いいけど……それって退屈じゃない?』

かつて主の墓に入り、そこから暴かれたことがあるという鶴丸の来歴は知っていた。
それでも、一緒に過ごしてみると、彼が墓でずっと静かに眠り続けるというのはどうもイメージと結びつかない。
だから、そんなことを言い出したのは心底意外だった。

『主の一生を守り切って、そうして共に眠りにつくというのもやってみたい。だいたい、どう考えてもきみがいない日々に遺される方が退屈そうだ』
『あははは、熱烈だね』

笑い飛ばしたのは、一瞬口説かれているような気分になった自意識過剰の自分と、溢れそうになった期待。
それでも、あの頃はこの戦いに終わりが来るなんて全然思えなかったし、審神者のまま死んで墓に入るくらいのことは出来そうな気がしていた。
だから、いいよ、と答えたのだ。鶴丸がそれでいいなら、私はいいよ、と。

「……約束?」
「ごめんね、一緒のお墓には入れない」
「あれは。……あれは、きみが審神者を全うして死んだら、という話だろう。現世に帰って死ぬのなら、それは約束を破ったことにはならないさ」
「……うん。それでも、ごめんね」

でも、守りたかった。私はその約束を、守りたかったんだよ、鶴丸。

「気にするな。主が幸せに人の生を全うするのは、刀としての喜びだ」
「う、ん……。ね、広間に戻ろうよ。最後の夜だよ。鶴丸だってみんなともっと話したいでしょう」
「そうだな」

ふたりで立ち上がって障子を開ける。
空からはちらちらと白いものが舞い落ちていた。

「あぁ、降り出したな」

冬が、始まった。

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