記憶の欠片 第2章 当代玉依姫

 珠紀は、真弘の隣に並ぶ自分の影に目を落としながら歩いていた。
 珠紀の送り迎えが、学生組の守護者間での交代制になって2日目。
 じゃんけんで決めたというその当番は、今日の下校は真弘の番だ。
「やっぱカミがざわついてんなぁ」
 ひとり言のような真弘の言葉に「昨日から特に落ち着かない感じですよね」と頷いた。
 あの日の夜から、村の空気はどこか落ち着きなくさざめいている。
 あの日──真弘と二人で、カミに襲われた日以来。
 以前の珠紀ならばそんなことには気付かなかったかもしれない。けれど、毎朝少しずつ感覚を鍛え続けたこともあり、そういうものをずいぶんと感じ取れるようになった。玉依姫の力を得てからは特に、村のカミたちの気配には敏感になった。
 だからと言ってそのさざめきの理由までは感じ取ることができず、カミたちが何故落ち着きをなくしているのかまではわからない。
「わかんのか? って当然か。玉依姫だもんな」
「……そうです。玉依姫なんだから当然です」
 頭に過ぎったものを誤魔化すように笑って、胸を張ってみせた。
 そうして再び己の影に目を落とした珠紀は、昨夜のことを思い出す。

「やあ、久し振りだねぇ」
 昨日、帰宅した珠紀を居間で待ち構えていたのは、典薬寮の芦屋だった。
 昼に図書室でいくつかの資料を読み、典薬寮について祐一と話していたこともあって、男の来訪は珠紀を緊張させた。
 その気配を察したように、「そんなに警戒しないでよ」と茶をすすりながら胡散臭い笑みを浮かべた。
「魚尾に陰りあり、か。彼氏とうまくいってないんじゃない?」
「余計なお世話ですっ。なんであなたがここにいるんですか?」
「玉依姫に話があってね」
「このようにおっしゃるのでこちらでお待ち頂いていたのですが、よろしかったですか?」
「いいけど……おばあちゃんは出掛けてるの?」
 美鶴にそう尋ねると、いいえと首をふる。
 芦屋が玉依姫に話がある、とは、それはつまり静紀に話があるということだろう。鬼斬丸を巡る戦いの最中でも、この男と実質的な話をしていたのは、いつも静紀だった。
 湯飲みに口をつけた芦屋は、困惑した珠紀に苦笑を浮かべた。
「僕が話をすべき玉依姫は、君だと言われたんだけど。違ったのかな?」
「違いません。継承式はまだですが、当代玉依姫は珠紀様です。先ほど先代玉依姫様も、そのようにおっしゃったはずです」
 すかさず答えた美鶴は、同意を求めるように珠紀を見た。
 既に静紀とは話したのだとわかり、珠紀は美鶴に小さく頷いて見せて、芦屋の向かいに腰をおろした。
「どう? 村での暮らし。親元に戻ったって聞いてたから、もうここには戻ってこないと思ってたんだけど」
「なんの用ですか?」
 雑談に応じる気にもなれず、珠紀は口を開いた。
 芦屋にはまったくいいイメージがない。真弘が贄になる運命だと知っていて、それを急かすようなことを言ったり、ロゴスとの戦いの折に、だまし討ちのようなタイミングで静紀と共に現れたことが一番の原因だった。
 静紀に対してはまだ血の繋がった親族であり、幼い頃のかわいがってもらった思い出がある分マシだったが、この男は元々他人であることもあって、ひたすら腹立たしいだけだ。
「あれ? もしかして僕、君に嫌われてる?」
 もちろんです、と言いたいのを堪えて、珠紀は「別に」と答えた。
「単刀直入に言うよ。この地を国の直轄地にしたい、という動きがある。まだ正式な話じゃないけどね」
「直轄地?」
「そう。鬼斬丸があったから、この村は玉依姫とその守護者たちに委ねられてきた。けれど、それがなくなった今、季封村も国が管理すべきなのではという意見も多くてね」
「それは……玉依に関わる人間を、監視する為ですか?」
 昼休みの出来事を思い出しながら、珠紀は探るように尋ねた。
 
 真弘を殴って屋上を後にした珠紀は、教室に戻って弁当を食べる気にもなれず、図書室へと足を向けた。
 調べたいことはたくさんあった。
 カミとも妖ともしれないものの正体や、典薬寮のこと、玉依姫が鬼斬丸の封印に関わる以外に出来ること。
 もっとも、それらは蔵で調べるべき内容で、学校の図書室に期待できるのは医学書関連に記載されているかもしれない『記憶喪失について』くらいのものだろう。
 そう思いつつ居合わせた祐一に尋ねると、「そうでもない。そういう本もある」と言って、まるで司書のように迷うことなく何冊かを選んで珠紀に渡した。
 その中の『季封村の歴史』という本に目が止まり、珠紀はページを捲って拾い読みを始めた。古びた深緑の表紙のその本に書かれていたことは、とても信じられないような内容だった。
『季封村は、鬼の封印を守るために存在していると言い伝えられてきた』
 まるで伝承を書き記した内容であるような書き出しであるにも関わらず、読み進めるとけしてそういう本ではないことがわかる。
 本来であれば交通の要に当たるこの地が、外からのバスすら通らないままでいるのは、政府がこのあたりを孤立させるために行ったことだ、とか、政府はこの村からの出入り全てを管理していて、害あるものが他に放たれることを防いでいる、とか。
 端々に見られる記述は、明らかに鬼斬丸に限らず、守護者の力も外部に出ないように監視していることを表しているようだった。
「先輩、この本……」
「この学校は、以前典薬寮の拠点だったんじゃないか、と真弘と話したことがある。はっきりそうだと書かれているものはないが、そう考えると納得がいくものが多い。これらの資料は、多分その時の名残なんだと思う」
 本を手にしたまま呆然とする珠紀から、その本を静かに受け取った祐一は、ページを捲りながら言った。
「でも……そこに書かれているのって、まるで守護五家を村に閉じ込めて管理しているようじゃ……」
「恐らくそうなのだろう。俺たちのようにカミという異形の血をひく者が、そういう対象に見られていても不思議じゃない」
「先輩たちは異形なんかじゃないですっ! それに、鬼斬丸はもうないんですよ? 管理する必要なんて、ないじゃないですか」
「……そうだな」
 震える声で言った珠紀に、祐一は宥めるような笑みを浮かべて頷いた。
 本当はもっと違うことを言いたかったんじゃないかと感じた。それはきっと、珠紀が考えていたことと同じだったのではないかと思う。
 鬼斬丸がない今、国は守護者を管理するだけに留まらないんじゃないか、と。

「ふーん。会わない間に、少しは勉強したってことかな」
 芦屋は、珠紀の言葉を面白がるように目を細めた。
「確かに、珠紀君が言う通り、カミの血をひく守護者を見張り、場合によっては排除すべきだという意見もある」
「そんな……」
 排除すべき。
 その言葉に、背筋がぞっとする。
 初めて鬼斬丸のことや玉依姫について聞かされた時と比べものにならないほどに、それは珠紀にとって嫌悪や恐怖を呼び起こす発言だった。
「彼らの力は人ならざる者の力だ。僕みたいに少し力のある人間から見ても、彼らのあの力は異様で、人間離れし過ぎている」
「だからって、あなたにそんなこと言われる筋合いはありません。先輩たちにそういう力があるからって、誰にも迷惑かけてるわけじゃないじゃないですか」
「まあね。でも存在するだけで恐怖を覚える人間がいるってことは、覚えておいた方がいい。君は感じたことがないかい? 村人でさえ、守護者や君とは一線をひいているだろう?」
 そうだろうかと考えてみるが、村人と彼らが接するところを見ていないのでよくわからなかった。
 でも、ひとつだけ思い当たることがある。
 守護者の皆は、いつもそのメンバーで一緒にいる。普通はクラスメイトとお昼を食べることもあるだろうに、真弘たちはいつも学年が違うのに、お昼休みを一緒に過ごす。そして昼休みだというのに、屋上にやって来る生徒は、他に誰もいなかった。
 そこに共にいる珠紀も同様で、学校の行き帰りは真弘と、昼休みは皆と過ごしていた為、いまだにクラスには親しいといえる友達はいない。
 けれど、だからといってそれがすぐに、一線をひかれているとまでいえるものだとも思えなかった。
「そうは言っても反対意見もあるんだよ。歴代の玉依姫でも、鬼斬丸を完全に封印どころか、破壊するなんて考えられないことだった。それを成し遂げた玉依姫と守護者を、排除どころか国の管轄下に置くなんてとても無理だろうってね。典薬寮としては協力関係を結んだ方がいいんじゃないか、と。それで、当代玉依姫様は今後についてどういう意向をお持ちかと、僕がお窺いに来たってわけだ。ま、この地域を担当する僕としては、仕事は少ない方がいい。現状維持が望ましいとは思っているんだけど。どう思う?」
「今後って、そんなの」
 真弘たちを管理するなどという組織の介入など、認められるわけがない。
 珠紀の言葉を待つことなく、芦屋は口を開いた。
「幽霊が、でるんだってね?」
「……はい」
「この程度の騒動をどうにかできないならば、遠からず季封村は典薬寮が管理するようになるだろうね」
 緊張に、膝の上に置いた手がじわりと汗ばむのを感じた。
 あの妖のことも知っているのだろうかと考えつつ、迂闊なことを言わないようにと言葉を探す。
 本当は、介入などさせない、と言ってやりたい。
 けれど、現状幽霊騒動については何もわかっていないし、カミらしきものに襲われて守護者の一人は記憶喪失。その上、まだ何も対策は立てられず、珠紀はただそれらと遭遇しないように守護者に送り迎えしてもらい守られているだけだ。
 典薬寮の介入していないこの村で、玉依姫としてやるべきはずのことをつきつけられた心地で、珠紀は黙り込んだ。
「とりあえず、君は玉依について知らなすぎる。例えば、6人目の守護者がいる、とか」
「6人目?」
 試すような眼差しは、呆れに変わり、芦屋は肩を竦めた。その目が、当代玉依姫はこの程度なのかと言っている気がした。
「今日のところはこれで失礼するよ。君がここを管理できないなら、早めに言ってくれると助かるかな。犠牲者が出る前にね。ま、もう出ているも同然のようだけど」
「どういう意味ですか?」
「今日、村から一番近い総合病院に2人の人間が意識不明で運び込まれた。外傷も何もなく、ただ眠っているように意識だけが戻らない。まるで、魂だけ抜けてしまったように」
「それって……」
「じゃあ、僕はこれで」
「待ってください。それって……。それに守護者って」
 立ち上がりかけた芦屋を引き留めるように、珠紀も腰を浮かせた。
 その珠紀を見下ろして、男はひとつ息を吐いた。
「裏が取れたら教えてあげてもいいよ。君たちに調べようがないっていうならね」
 そんなことすら、典薬寮に聞かなければわからないのかと言われている気がして、珠紀は強く相手を見返すと、結構です、ときっぱり告げた。
 部屋を出て行く芦屋を送り出すべく、傍に控えていた美鶴が立ち上がった。
 珠紀は見送ることなく座ったまま、目の前に置かれた湯飲みに手を伸ばした。冷めたお茶を飲み干して、落ち着かなければと言い聞かせる。
 典薬寮が介入しようとしていたり、6人目の守護者がいると言われたり、珠紀の頭は混乱するばかりだ。
「大丈夫ですか?」
 戻ってきた美鶴に気遣うように言われて、珠紀は、大丈夫だよと微笑んだ。うまく笑えている自信はなかったけれど、美鶴にそう答えながら、自分に言い聞かせてもいた。
「皆様に、連絡しましょうか?」
「皆様って……先輩たち?」
「はい。今のこと、お伝えした方がよろしいのでは?」
 典薬寮の介入について伝えるのはいいとしても、守護者を異形として排除する考えもあるらしいなどとは話せないし、絶対に聞かせたくない。
 村で、幽霊かカミかわからないけれど、犠牲者らしき人が出たというのは話しておきたいけれど、情報の出所を追及されたら、それはそれで返答に困る。
 少し考えてから、珠紀は「みんなには言わないで」と言った。
 犠牲者かもしれない村人が現れたことについてだけは伝えておいた方がいいとは思うけれど、それが本当に幽霊やカミの仕業ならば、すぐに知れることだ。
「よろしいのですか?」
「うん。典薬寮とのことは、『玉依姫』がなんとかすべきことだし。ね?」
 何か言いたそうにしながらも、美鶴は「はい」と頷いた。

 夕陽に照らし出されるふたつの影は、つかず離れずの距離で並んでいる。少し手を動かすと、珠紀の影が真弘の影と手を繋いだ。
 それに気付いたわけでもないだろうが、真弘がふと手を動かすと繋いだ影は離れ、珠紀は「あ……」と小さく声を漏らした。
「どうかしたか?」
 真弘が不思議そうにこちらを見て、立ち止まった。
 初日よりはずいぶんマシになったものの、流れる空気はまだぎこちないままだ。
「いえ」と答え、再びふたりは歩き出す。
「先輩。お願いがあるんですけど」
 緊張しつつも、珠紀はそろりと切り出した。
「なんだ?」
「手を、繋いでもいいですか?」
 立ち止まってこちらを見つめる真弘が口を開きかけたその時、珠紀は「冗談です」と笑った。
 本当は冗談ではなかったけれど、嫌だと言われそうで怖かったからだ。
「そ、そうか。つまんない冗談言ってないで帰るぞ」
「はい」
 最後に繋いだ時の手の温かさを思い出す。
 あの時、真弘はまるでプロポーズのような言葉を口にした。
「真弘先輩」
「おぅ」
「私も3人くらいはいいんじゃないかと思います」
 言ってもわからないと、わかっていた。
 でも、あの日伝え損ねた言葉を、言ってみたくなった。
 嫌じゃないです。私も先輩となら、いいんじゃないかと思います、と。
「はあ? 何言ってんだ?」
「いえ、ちょっと言ってみただけです」
 ふと向かいから、2人連れが歩いてきた。
 それまで何やら話していた男たちは、珠紀たちに気付くと、驚いたように黙り込んだ。
 広い道ではないけれど、2組がすれ違うにはなんら支障がない道幅だ。
 珠紀は男たちの様子が少しおかしいように思いつつも、それほど気に留めずにそのまますれ違おうとした。
 男たちからは酒の匂いが漂っていた。
 そのすれ違いざま。
「幽霊騒ぎだけじゃなくて、妙な病気まで流行りだしやがってよぉ。鬼斬丸がなくなったって祟られた村に変わりねえなぁ」
「おい、やめとけ。祟られるぞ」
「うっせぇ。この村で化け物を5匹も飼ってやってるのは、いざというときどうにかしてもらう為だっていうのに糞の役にも立たねえじゃねえか」
 聞こえよがしに言った男を、もう一人の男が慌てたように引っ張っていく。
「なっ!? ちょっと!」
 振り返って声をかけるが、珠紀の呼びかけなど聞こえないとばかりに足を止めない。
「待ちなさいよっ」
 追いかけようとした珠紀を、強い力が留めた。見れば真弘が、珠紀の腕を掴んでいた。
「離してください、先輩。抗議してきます!」
「ばーか。酔っ払いなんていちいち相手にすんな。言わせとけばいいだろ」
「なんでですかっ!?」
 鬼斬丸がなくなったって、などとあの男は気軽に言ったが、それを成すのがどれほど大変だったことか。
 そのうえ、あの言いようでは、飼ってやっている化け物というのは、守護者を指して言ったに違いない。
 酔っている上での言葉とはいえ、文句のひとつも言ってやらなければ気が済まない。
「よそから来たおまえにはわかんないかもしれないけど、村の奴らもこれまで犠牲をはらってきたんだ。あのくらい言わせてやれ」
「そんなの先輩たちだって!」
 いっそこんな風に腹を立てている自分に、呆れた顔をしてくれていればよかったのに。
 真弘の目は、わからないのは仕方ないとでも言うような優しさを宿していて、それが尚更哀しくて、珠紀は言おうとした言葉を飲み込んだ。飲み込んだ代わりに、喉元にはじわじわと抑えきれないものがのぼってくる。
「ま、おまえが怒ってくれる気持ちは嬉しい」
 俯く頭をぽんぽんと撫でられて慰められ、珠紀はますます情けない心地になる。
 せり上がってきた涙は、とうとうぽたりと地面に落ちた。
「気にすんな。こんなのは慣れてるからよ」
「慣れないでくださいっ! そんなのっ!!」
 顔をあげて強く言うと、真弘は珠紀が泣いていることに驚いたように目を瞠った。けれどその目はすぐに優しく細められた。
「おまえ、すぐ泣くのな」
「先輩が泣かないから、代わりに泣いてるんですっ」
「男がこんなことくらいで泣くか、ばか」
 そう言って、珠紀の頬の涙を温かな指先で拭う。
「なにもおまえが泣くことはないんだ。俺は気にしてないんだから、おまえも気にすんな」
 真弘は珠紀の手を取ると、そのまま繋いで歩き出した。
 慣れている、と真弘は言った。慣れるほどに、こんなことを言われてきたのだろうか。
 贄になる将来を決められて生きてきた真弘の気持ちなど、誰にもわからないはずだ。
 その絶望を、散々な苦労の末にようやく打ち砕いたというのに、なんであんな風に言われなければならないのだろう。
『場合によっては排除すべきだという意見もある』
 芦屋の言葉を思い出し、そんなことは絶対させない、などと考えていると徐々に涙はおさまってきた。
 まだ典薬寮は、この村に介入しているわけではない。
 今回の騒動さえ収めれば、きっぱりと断ることができるだろう。
 玉依姫として、自分が頑張らなくてはいけない。
 そんなことを思って、手を引かれながら歩いていると、真弘が立ち止まった。
 どうしたのかと前方に目をやって、珠紀は息を呑んだ。
 そこには、腕を組んで不敵に笑う真弘が立っていた。
「先輩、あれ誰に見えますか?」
「俺に、見えるな」
 呆けたような声が返る。珠紀ももう一人の真弘を見つめながら、ですよねぇと頷いた。
「先輩……双子?」
「んなわけ、あるかっ!」
 真弘は繋いだ手をほどくと、左手に風を集めて相手に躍りかかった。

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