記憶の欠片 第2章 当代玉依姫

 勢いよく閉じられたドアの音が、屋上中に響き渡る。
 手すりに座ったまま殴られた頭をさすっていた真弘が、ふと視線を感じてそちらに目をやると、拓磨がじっとこちらを見ていた。
「んだよ?」
「……なんでもないっすよ」
 拓磨はなにも言わずに視線をはずしたものの、珠紀が怒って屋上を出て行ったことを責められている心地になる。
 非が自分にあると認めないでもないが、既に彼女に殴られた真弘にしてみれば、この上更に責められるのは面白くない。
 カラの弁当箱ならいざ知らず、中身の詰まった弁当箱を入れた袋で殴られたのだから堪らない。コブこそ出来ていないが、かなりの痛さだった。
 ふいに、再びドアが開いた。
 一瞬珠紀が戻ってきたのかと身構えたが、やってきたのは困惑顔の慎司だ。
「おぅ、慎司。遅かったじゃねえか」
「先生に教材運びを手伝わされちゃいまして。それより、珠紀先輩とそこですれ違いましたけど、何かあったんですか? なんか怒ってましたけど」
「慎司。他に原因があると思うか?」
 パンを食べ終えた拓磨がクロスワード雑誌を取り出しながら言うと、慎司は、あぁ、と納得顔で頷き、無言で真弘を見つめるとため息を落とした。
 慎司はそのまま弁当を取り出して食べだし、拓磨は雑誌に目を落としたままだ。
 たちこめる沈黙にまで責められているような心地になった真弘は、たまりかねたように叫んだ。
「なんだ? なんなんだ? おまえらっ。言いたいことがあるならはっきり言え!」
「別に。ただ珠紀先輩が可哀想だなというだけです」
「それは俺のせいか? だいたい本っ当に俺は、あいつとつきあってたのか!?」
 真弘は、昨夜祐一から、珠紀とつきあっていたのだと聞かされ戸惑っていた。
 珠紀がこの村に来て以降何があったのかは、祐一に説明して貰った。しかしその説明は、己の眠さを優先させたとしか思えない簡略ぶりで、例えて言うなら『浦島太郎』とはどんな話だと尋ねたら、『男が竜宮城に行って帰ってくる話だ』と答えられた並に手短な説明だった。
 いくつか質問して、ようやく、珠紀が来てすぐにロゴスが現れ、宝具を奪われたりしている間に鬼斬丸が目覚め、結局ロゴスは倒し、真弘と珠紀が鬼斬丸を破壊した、という流れだけは把握した。
 しかし、どうして典薬寮が関わってきたのか、蔵の書物で名前を見たことがあるだけのロゴスという敵がどんなものだったのか、いったいどうやって鬼斬丸を壊したのか、なにより、何がどうなって珠紀と真弘がつきあうことになったのか、というような細かな内容は、彼の歩きながら眠るという芸当によってわからないままで終わってしまった。
 もっとも、仮に本当に珠紀と真弘がそういう仲になっていたのだとしたら、経緯を知るのは当人たちくらいのはずで、家族並に親しい幼馴染みといえど、答えを期待するのはお門違いというものだろう。
 だからといって、もうひとりの当事者である珠紀に、事細かに説明を求めるなんてできるはずもない。
 せめて本当につきあっていたのか確認しようと思い、今朝、意を決して訊こうとした。しかし、話しかけただけで期待満面の彼女を前に、とてもそんなことは言い出せなかった。
 それでも、朝のすげない態度を真弘なりに反省したからこそ、ちょうど珠紀の弁当がおいしそうだったこともあって話しかけてみたのだ。ただ、褒めたおかずが珠紀作とは予想外で、しかも『先輩が前においしいって言ってくれたものばっかり作ってきたのに!』とまで言われ、とても嬉しかった。嬉しくて照れ臭くて、けれどやはり恋人だったとまでは認めきれず、複雑な気持ちになった。
「先輩はあいつのことを『俺の女だ』って言ってましたけどねぇ」
「たぶん、つきあっていたんだと思います」
 拓磨と慎司は、互いの顔を見合わせて頷きあう。
「なんなんだ、その微妙に中途半端な答えは」
 顔をしかめた真弘の目の端で、再びドアが開き、祐一がやってきた。
 もう昼休みも残りわずかで、ゆっくり昼食を摂るほどの時間は残っていない。
「ずいぶん遅かったな。どうせ寝てたんだろう?」
「珠紀と図書室にいた」
「は? 図書室?」
 祐一は焦る様子もなく座り、弁当の蓋を開けた。いつものごとく、黄金色のいなり寿司が整然と並んでいる。
「ああ。いろいろ調べていた」
「あいつ弁当は?」
「真弘。図書室は飲食禁止だ」
「んなこたあ知ってる」
 てっきり教室に戻って弁当を食べるのだろうと思っていたのに、図書室に行ったとは思わなかった。
 さっき珠紀の弁当からおかずをつまみ上げた時も、弁当はほとんど手つかず状態だった。箸こそ手に持ってはいたけれど、五目ご飯を少しばかり口にしただけのはずだ。
 昼も食べずに図書館で調べ物など、急ぎの何かがあったのだろうか。
「いろいろって、何調べてたんだよ?」
「……興味があるのか?」
 ふっと笑う祐一の表情に、真弘はすかさず全否定した。
「ば、別に俺はっ、単に話の流れとしてだなぁっ! ……別にあいつがなにを調べようと、全然まったく少しも興味はないっ」
「典薬寮についてと、この学校が以前なんだったか、という本を読んでいた」
「興味ないって言って……は!? 典薬寮!?」
 授業か宿題がらみの調べ物かと思っていた真弘は、予想外の単語に思わず聞き返してしまった。
「そんな本が図書室にあるんすか?」
「なんだ、拓磨。知らないのか? ババ様んとこの蔵ほどじゃないが、ここの図書室はそういう資料が結構あんぞ?」
 真弘は、宇賀谷の蔵では贄の宿命から逃れられる手段は見つけられず、ならばと小学校でも中学校でも調べられる限りの本を調べた。しかし、そんな資料が学校の図書室になどあるはずもない。
 なかば諦めつつも高校に進学してすぐの頃、図書室へと足を運んだそこで、普通は高校の図書室には置いているはずもない資料の数々があるのを見つけ、読みあさった。その中には、真弘が求めていた内容の本はなかったが、この学校がかつて国の機関だったのだろうと思わせる記録が、いくつか見られた。
 図書室に入り浸る祐一と共に導き出した推論は、この学校がかつて典薬寮の拠点だったのだろう、ということだ。
「そういう本があることよりも、それを真弘先輩が知っているということの方が驚きなんすけど」
「拓磨先輩。真弘先輩が自分で読むわけないじゃないですか。祐一先輩に聞いたんですよ」
 真弘は手すりから飛び降りると、拓磨と慎司の頭をぺしぺしと立て続けにはたいた。
 恨みがましく見上げてくる後輩二人を、腕を組んで見下ろした真弘は「俺だって本くらい読むんだよっ」と言い放ち、祐一に向き直った。
「で? あのお姫さんは、なんでそんなもん調べてるんだ?」
「そりゃあ、今回の件に、典薬寮が絡んでるかもしれないって話が、昨日出たからじゃないんすか?」
 拓磨は当然のことだという声音だ。真弘の視線の先で、祐一もいなり寿司を食べながら同意を示して頷く。
 確かに、今回の件に典薬寮が絡んでいるかもしれないという話は、昨日ひとつの可能性として挙げられた。
 それについて早速調べているというなら、当代玉依姫はずいぶんと行動的で前向きだ。
 彼女の姿勢には好ましさを覚えるが、恋愛感情とはもちろん異なる。
「真弘先輩? どうかしたんですか?」
 黙り込んだ真弘に、慎司が不思議そうに声をかけた。
「いや……。なあ、あいつの送り迎えだけどよぉ。交代制にしようぜ? 俺ばっかじゃ不公平だろ」
 今朝、珠紀とふたりで学校に来るまでの間のどこか気まずい空気。あんなものが、毎朝夕と続くのでは堪らない。
「交代制っ!?」
「不公平っ!?」
 慎司と拓磨が、信じられないものでも見るような目で真弘を凝視する。その様子に、真弘は「な、なんだよ?」とたじろいだ。
「真弘先輩がそれでいいなら、僕は構わないですけど」
「そうすね。真弘先輩がいいなら、俺らはいいっすよ」
「真弘がいいなら、構わない」
「なんっなんだよ。その、俺がいいなら、ってのは」
「……記憶をなくすって怖いですねえ」
 弁当箱を片付ける手を止めて、慎司が呟くように言う。
 すると拓磨はふと思いついたように口を開いた。
「先輩、前に俺から取り上げた写真集、今週返してくれるって約束したんすけど?」
「真弘。一昨日貸した千円、返してもらおう」
「それはぜってえ嘘だろうっ!? そうじゃなくてっ。送り迎えだよ、送り迎えっ!」
「皆構わないと言っている。嫌ならおまえは行かなくてもいい」
「先輩がそんなんじゃ、かえって珠紀先輩が可哀想です」
 慎司の言葉に、拓磨と祐一が頷いた。
 確かに、もしも本当に珠紀と真弘がつきあっていたというなら、忘れられた彼女は可哀想だと思う。
 しかしながら、こんな状況に陥っている自分も、十二分に可哀想に値すると思うのに、目の前の仲間達はどうも『玉依姫派』に見える。
「なんだおまえら。いくら守護者だからって、昔からの仲間よりも玉依姫の味方かよ?」
「違いますよ」
 拓磨の否定に一瞬期待感がわく。けれど、すぐにそれは打ちのめされた。
「玉依姫というよりも、珠紀の味方っすね」
「同じだろうが。どっちにしろ女かよ。男の友情なんて薄っぺらだよなあ?」
「真弘先輩にだけは、言われたくないっすねぇ」
「なんだよ? それ」
「忘れてるならいいですよ。今日の帰りは、俺があいつを送る。それでいいっすか?」
「お、おう」
 響いた予鈴に、慎司と拓磨が腰を上げた。
 そそくさと屋上を出て行く後輩を見送って、真弘は手すりの傍まで歩み寄ると、見るともなしに校庭を見た。
 下級生は体育らしく、ジャージ姿の女子がわらわらと校舎から出てくる。揃いの服の群れの中に、珠紀の姿があった。
(2年か。拓磨の奴、間に合うのか……?)
 今頃慌てて着替えているところだろうなどと考えながら、なんとなく珠紀の姿を目で追う。
 昼をろくに食べていないのに体育など、大丈夫だろうか。
 手すりの上に組んだ腕に顎を乗せて、その姿を見つめてみる。
 遠目ながらもつい目が行くのはきっと、珠紀が他に比べて目を引く存在だからだ。
 玉依姫だから、守護者である自分がその気配に敏感に反応する、というのもきっとある。
 けれど、そんなものを抜きにしても、やはり珠紀は他に比べて可愛いと思う。
 そんな彼女に好かれて、悪い気はしない。でもそれを受け入れていた記憶が、今の真弘にはない。
 どちらから告白したか知らないが、昨日からの様子を考えてみれば、きっと珠紀から告白してきたのだろう。
 自分はそれをどうして受け入れる気になったのだろう。
 今まで告白されたことがないわけではない。
 村の人間は、朧気ながら、あるいは明確に、守護五家の者が人間離れした存在だということを知っている者が多い。
 そんななか、知ってか知らずかつきあいたいと言ってくる女子はいた。
 女とつきあうことには人並みに興味はあった真弘だが、自分の先々の役目を思えばお互いにとって残酷な気がしたし、そこまでしてつきあいたいと思える相手もいなかった。
 ならば、事情を知る玉依姫ならいいかと言えば、なにも覚えていない自分からすれば、なんでよりによって玉依姫なんだ、と思う。
 ふと、校庭の彼女が視線に気付いたように見上げて来たので、真弘は慌てて振り向き、手すりに背中を預けた。
「真弘。午後もサボるのか?」
 問われてしばし考える。 
『受験するって言ってましたよ』 
 そう言った珠紀の顔を思い出しながら、真弘は仕方ないとため息を落とした。
「いや、行く。昼寝は十分したし、一応受験生らしいしな」
「そうか。俺はこれから寝る。放課後起こしにきてくれ」
「おまえも受験生じゃないのかよ!?」
「俺は単位も成績も問題ない。真弘は行った方がいい」
 微妙に失礼な発言を残して、幼馴染みはいつものように目を閉じた。

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