産再来

どうぞ、と言われても……。
 
神世降を始めて最初の沐浴を済ませた望美は、呆然と立ちつくしていた。
白い小袖に紅袴を身につけた、2つ3つ年上らしい巫女は『龍神の神子』の心中など知るはずもなく、どこか期待をこめた眼差しを向けてきている。
望美も同じく沐浴の後は、白い小袖と紅袴を着てはいたが、小袖の上に蘇芳の単、さらにその上に白い袿を着せられていた。
前髪をあげ、金細工の髪飾りをつけていた為、ふとした動きで髪飾りの細工がしゃらりと音をたてる。
いつも身につけないものを着るのは、新鮮で浮き立つ気持ちになり、着替えの後はわくわくしながら案内されるままに神殿まできたのだ。
「では、こちらで神子さまがお仕えする龍神さまに、祝詞を捧げてくださいませ」
そう言って微笑まれるまでは。
 
のりと?
祝詞っていうと……あの神社でお祓いをうけたときの、なにやら妙なイントネーションで神主さんが『かしこみかしこみ~』とか言っていたあれのことだろうか?
白い紙で出来た房がついた棒をふりながら、ここでなにかしなくちゃいけないんだろうか?
 
ヒノエくん、こんなの聞いてないよ?
 
心の声が、彼の許に届くはずもなかった。
 
 
 
◇   ◇   ◇
 
 
 
「明日からって……。儀式なんでしょう? なんかこう、いろいろ事前に準備したりとかあるんじゃないの?」
「だからそのための準備をね、姫君が寝ている間にしてきたってワケ」
ヒノエはどこか得意気な表情で笑っている。
 
してきたってワケって。
それで明日? なんかこう、あまりに急じゃない?
もうちょっと、ゆとりというかなんというか……
 
「神世降と婚礼を済ませないことには、お前とひとつ屋根の下で寝ることもできないからね」
「え? じゃあ、ヒノエくんは今日はここに泊まらないの?」
今夜は彼もここに泊まるものだと思っていた望美は、なんとはなしにそう訊ねた。けれど、それがひどく意味ありげな問いにも聞こえると気付き、思わず赤面してしまう。
朔や他の八葉たちがいた時ならいざ知らず、下働きの者がいるとはいえ実質ここには二人きりである。それを『泊まらないの?』と問えば、まるで『そういうコト』を期待していたように聞こえるかもしれない。
なんとなくヒノエの顔が見られなくなり、自分の手元に目線を落とした。
「ふふ、残念?」
ヒノエは俯いてしまった望美の顎をとってそっと上向かせ、その瞳を覗き込む。
さっきの彼女の発言に他意がないのも、照れて俯いてしまった意味も知りながら、そう問うた。
「全然」
即答されて、
「ひどいなぁ」
ぼやくように言ってから、掠めるように口づける。
「……っ、…… こういうのもいけないんじゃないの?」
ますます真っ赤になりながら、照れ隠しに少し怒った表情で言う望美に、
「さぁ? 共寝は御法度だけれど、口づけくらいは見逃してもらえるんじゃない? それすら許されないっていうなら、相手が神様だってオレはお前を今すぐさらっていくよ」
冗談のようで、限りなく本心に近いことを口にした。
「もぉ。……それで、その儀式はどんなものなの?」
口説き文句を「もぉ」で流して、望美は取り急ぎ知らねばならそうなことを訊ねてみる。
「『神世』と『現世』を行き来して、神様に仕えたり、言葉を預かる、まぁ託宣ってやつだね。それをする女は、神様のものなんだ。それを九日かけて『現世』にだけ属する女に生まれ変わらせるのが『神世降』。その『生まれ変わった女』を男が迎えに行くのが『産再来』」
「ふーん。じゃあ十日目にヒノエくんが迎えにきてくれるまで、私はどこかで待ってるんだね」
「そういうこと。この儀式を行う、決まった社があるんだ。で、これがたぶん望美には一番苦痛になると思うけど、この九日間、禊をするとき以外は一切外に出られないし、なにもしちゃいけないことになってる」
それはずいぶんと退屈そうだ、と望美は思った。外に出られない上になにもしてはいけないとは、動き回るのが好きな彼女には確かに苦痛である。
「退屈だろうけど、潔斎だからさ。でも、禊を手伝ってくれたり、食事を運んで来てくれる巫女たちとは少しは話ができるはずだぜ?」
退屈でもなんでも、そういう儀式だというなら仕方ない。
「禊ってことは、滝に打たれたりとか?」
まさか、と笑ってヒノエが答える。
「姫君にそんなことはさせないよ。禊っていうか、沐浴、かな。この儀式でしか使わない温泉があるんだ。九日間、毎日そこで沐浴をする」
温泉と聞いて途端に目を輝かせた望美は、
「毎日温泉に入れるってこと?」
思わず声を弾ませる。
「姫君は温泉が好きだね。前に熊野に来たときもよく行ってたよな。婚礼が終わったら、一緒に行こうか?」
「行くだけならね。入るのは別だからね!」
先回りで断りつつも、照れた顔になる彼女を可愛く思いながら、
「それはその時に考えようぜ? 姫君の気が変わるかもしれないし、ね?」
今度はその指先に口づける。
「変わりません! それで? ヒノエくんは九日間何をするの? 禊?」
「つれないねぇ、姫君」
口づけた手を慌てて引っ込めてしまった望美にそうは言いながらも、さして気にもとめないようにヒノエは説明を続けた。
「男はね、産再来の日に滝に打たれるんだ」
「滝? 寒そう」
以前、望美が熊野に来たのは夏である。
それでも川の水はずいぶんと冷たくて、そんなに長い時間は入っていられないほどだった。
なのにまだ暑くもないこの時期に、滝に打たれるとは凍えてしまうに違いない。
「それで神子姫さまを妻にできるっていうなら、オレは真冬でも滝に打たれるよ。望美?」
そんな風に言って貰えるのはとても嬉しかったから。
少しだけ素直になって、望美は「ありがとう」と小さく小さく囁いた。
 
 
 
◇  ◇  ◇
 
 
 
「神子さま?」
困った表情で立ちつくす望美に、どうしたのかと巫女が問いかけるように声をかけてきた。
 
なんで、こんな肝心なこと、教えてくれないのよ!
そんな風に思ってみても後の祭り。
「産再来の夜までは、オレはこの向こうには行けないんだ」
儀式を行う神社まで送ってきてくれたヒノエは、鳥居の傍までくると、そう言って望美を出迎えの巫女に託して帰ってしまった。
 
「あの。私、祝詞ってよくわからないんですけど」
仕方なく望美は正直にそう告げた。
「まぁ、龍神の神子さまは、朝夕、神様に祈りを捧げる時にはどのように致しますの?」
巫女は心底不思議そうに訊ねてくる。
そもそも祈らないんですけど、と言える雰囲気ではない。
どうしよう、どうしようと考えて、ふと花の巌でのヒノエとのやりとりを思い出した。
『ここでは祭の時、舞を奉納するんだ』
彼はそう言っていたはずだ。ならば祝詞じゃなくて、舞ではダメだろうか?
「あの……祝詞じゃなくて、舞を捧げる、とか」
「ああ、舞を献上なさるのですね。構いません。龍神の神子さまがいつもなさるように、してくださればよいのです」
なるほどと頷いて、巫女は再び微笑んだ。
 
神様、ごめんなさい。
白龍、ごめんなさい。
『いつも』なんて、全然違うのに。
神様に捧げるためになんて、雨乞いのどさくさまぎれで舞ったときくらいしかないのに。
どうか罰をあてないでください。
 
見守る巫女が考えているであろう祈りとはまったく違う祈りを心の中で繰り返しながら、望美はその場で舞始めた。

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