「腹の具合でも悪いのか?」
明日からは冬休みという朝。
いつもなら子犬のように目を輝かせて、見ているこっちがいつ転ぶかとハラハラする勢いで石段を降りてくる珠紀が、今日は様子が変だ。
終業式ということでいつもより軽いはずの鞄を手に、足取りもどこか重い。
ここ数日続いた雪もやみ、今日は穏やかな陽射しが降り注いでいる。もっともその陽射しも寒さを和らげるには至らず、吐き出す息は白く、凍り付く寒さだ。
季封村の冬を初めて過ごす珠紀が、そろそろ風邪のひとつくらいひいても不思議ではない頃合いかもしれない。
そんなことを思いながら降りてくる彼女に声をかけると、不満あらわな表情で、「第一声がそれですか」とため息を落とした。
「乙女に対して失礼ですよ」
「オトメ? は? どこに乙女がいるんだ?」
「もぉっ、ここに! 目の前に! 立派な乙女がいるじゃないですか。視界に入りませんか?」
「誰が小さいから見えないだと?」
「そんなこと言ってませんっ。そういうのを被害妄想って言うんデス」
軽口に応酬する様子はいつも通りの彼女で、特別具合が悪いということでもなさそうだ。
真弘が少しホッとしながら歩き出すと、彼女も並んで歩き出す。
「へえへえ、おとめオトメ。で? なんかあったか?」
「あの……実は先輩に折り入って相談というか、なんというか」
「なんだ? 通知票の結果は俺でもどうにもなんねーぞ?」
「そんなんじゃアリマセン。明日の……クリスマスの約束のことなんですけど」
珠紀は言いにくそうに、申し訳なさを滲ませながら話を切り出した。
昨夜、典薬寮の芦屋から電話があったのだという。
クリスマスイヴにアリアを季封村に連れて行きたい、という申し出だった。
「なんか企んでんじゃねえのか?」
「それは私もちょっとは思ったんですけど」
芦屋の説明によれば、アリアがクリスマスに、かつての部下たちの最期の地で、祈りを捧げたいと言っているのだという。
実のところ気位の高い彼女を典薬寮でも持てあましていて、このままではクリスマスを見張りの人間がいる程度で寂しく過ごさせることになりそうなのだと言った男は、モナドとはいえ、子供にそれは可哀想だしねえと零したというのだ。
庇護すべき両親もいない彼女が、組織への帰還を拒んでいる以上、他に行くあてもない。
この国で知り合いといえば珠紀たちくらいのもので、アリアの申し出に便乗して、クリスマスの間くらい典薬寮の人間が解放されたいというのが本音らしい。
先ほどからの珠紀の申し訳なさそうな様子はつまり、明日はデートを取りやめて、アリアと共にクリスマスを過ごしたいということのようだ。
「アリア、か……」
洋館に佇む、妙に大人びた雰囲気を持つ少女を思い出す。
彼女もある種、鬼斬丸の被害者だ、と真弘は思う。
鬼斬丸という強大な力を持ち帰る為にこの地にやってきて、結果として仲間全員を失ったのだ。
自業自得だと思う面もないではないが、だからと言って恨んでいるわけでもない。
珠紀にしてもそういうわだかまりはないようで、だからこそ、彼女が来るのならば温かく迎えたいと思っているのだろう。
「おまえはいいのか? 見たかったんじゃないのか? どこだかのクリスマスツリー」
クリスマスの予定を決めた時、珠紀はツリーを見たいと言っていた。
彼氏ができたら一緒に見たいと思ってたんです、と。
はにかむような笑顔で言っていたのは、ほんの数日前のことだ。
真弘はクリスマスに特別何かしたかったわけでもない。ただ、せっかくの特別な日だから、珠紀と一緒に過ごしたいと考えていた。
アリアの来訪で二人きりとはいかないのは不本意ではあるけれど、一緒に居ることには変わりはないし、珠紀がそれでいいならいいかとも思う。
「そうですね。残念ではありますけど、私は好きな人と一緒に過ごせればそれでいいかなって」
恥ずかしげもなく口にする珠紀から視線をはずした真弘は、じゃあいいんじゃねーの?、と同意を示した。
正直、芦屋の申し出というのは引っかかる。
アリアが村に来たいと言ったのだとしても、それだけならばわざわざ珠紀に了承を得る必要などどこにもない。
名目上、典薬寮はこの地に不可侵という取り決めはなされているが、今回のように干渉するわけでもない出入りならば今までだって勝手に行っていたはずなのだ。
アリアに寂しいクリスマスを過ごさせたくないし、典薬寮もお守りから解放されたい。
それは最もらしい理由ではあるし、人の良い玉依姫を納得させるには充分な事情ではあるけれど、なにか引っかかる。
かといって、ここで反対して二人で遊びに行ったところで、アリアを気に掛けていれば珠紀は楽しめないだろう。彼女はそういう女だ。
だったら、アリアがいる間はいつも以上に周囲に気を配り、珠紀を守ればそれでいい。
「クリスマスは今年だけじゃないからな。明日は他の奴らも誘って、派手にパーティでもしようぜ」
「はい。アリアも賑やかな方が楽しいだろうし」
ようやくいつもの笑顔を浮かべた珠紀と共に、パーティの段取りについてあれこれと話ながら学校に向かった。