カノジョの婚活 02

婚活開始を宣言してから、一ヶ月が経った。元々気まぐれな呼び出しに私が応じた時だけ、ヤるだけの関係だ。それが日常から欠けてなくなったところで日々はそれほど変わりはない。ない、はずだった。なのに、仕事が終わる頃にスマホが震えるとつい彼の顔がよぎってしまうなんて苦笑するしかない。
 宣言した以上はと婚活も始めてはいたけれど、これが案外難しい。いや、難しいというか、率直に言って面倒臭い。
 ひとくちに婚活といってもいろいろあって、友達や知り合いにそういう相手を紹介してもらうのも婚活といえば婚活だし、そういうサービスを提供している業者もネットで検索すれば山ほど情報が出てくる。出会い系サイトと何が違うんだろうと首を傾げてしまうものもあれば、単発で参加するパーティや、それなりの登録料金を支払い、条件にマッチする相手を紹介して貰うお見合い方式、そこに専属担当者がついてコレという人に出逢えるまで継続的に二人三脚で頑張っていくようなものもあった。もちろん手厚いサポートがあるものほど、または入会の審査基準が厳しい会社ほど料金は上がっていくけれど、登録している人たちは一定の基準をパスしているという安心感を同時に買えるとなれば十万単位の登録料もそこまで高くはないのかもしれない。
 最初からあちこちに登録するのはどうかと思ったし、ネットの口コミ情報を読み比べて、それなりに知名度もあるらしい一社にだけ登録をした。結婚まで手取り足取り面倒を見るというほどには手厚くはなく、かといって登録したらあとはご自由にと放置はせずに活動の進捗状況を適宜チェックしてアドバイスをくれるその会社のシステムは、マイペースで進めたいけれど面倒に感じるとつい後回しにしてしまうという私にはぴったりに思えた。
 登録後、初めて婚活会社を訪れ、スタッフの方と面談した時のこと。オフホワイトを基調とした応対スペースで初めましてと挨拶をした担当の女性──高村さんは、アラフォーでバツイチなのだとカラカラと笑って自己紹介してくれた。婚活会社で、担当者が離婚経験者があることをおおっぴらにするなんてイメージが悪そうだ。けれど、高村さんは肩で切りそろえた髪を耳にかけながら、私の思ったことを見透かしたように『二度目の結婚は順調ですから、失敗談も踏まえてアドバイス出来ることもあると思いますよ』と悪戯げに目を細めた。
 入会時に提出した相手に求める基準。学歴、年収、身長、居住地、家族構成、将来的な要素を含めた親との同居の可能性、その他諸々。細かな基準を読み合わせをするように、時折質問を交えながら確認していく。
 何を訊かれても、これといった明確なヴィジョンのない私は、考えこんではどうにか答えをひねりだして差し出す。それでも。

「理想の夫婦像はありますか?」

 そう訊かれて、いよいよ返答に窮してしまった。
 どんな家庭を築きたいですか、とでも訊かれたらきっと、温かい家庭とか明るい家庭とか具体性に欠きながらももっともらしい答えを返せたかもしれない。けれど、夫婦と訊かれて咄嗟に答えが浮かばない。
 子どもを産んで育てて、将来老後を共有する共同体なんてこともよぎるけれど、正直老後はまだそれほどリアルじゃないし、そもそも絶対に子どもが欲しいというほどでもない。婚姻届けを出したらそれで夫婦になるのに、改めてこんな風に問われてしまうと、私は夫婦というものがよくわからない。返事に窮する私に苦笑を向けた高村さんは、それならと再び口を開いた。

「どうして結婚したいんですか? というのはいかがでしょうか」

 どうして。どうしてだろう。普通はきっと、誰か大好きなたったひとりが居て、その人とずっと一緒にいたくてするものな気がする。なのに、そんな相手が居るわけでもないくせに、なんで婚活までして結婚するんだろう。
 一応思い立ったきっかけはある。実家からの電話だ。

『桜が咲く頃にでも一度帰ってきて、お見合いなさい』

 正月に実家に帰らないのを咎めるでなく、新年の挨拶をするでなく、松の内が明けて早々、数年ぶりに聞いた声は、受話器の向こうで朗らかにそう告げた。桜が咲く頃。その寸前まで年度末の忙しさに追い込まれ続ける娘の予定など、声の主は知る由もない。

『ほら、いつまでも嫁の貰い手がない妹がいるというのもね、お兄ちゃんの外聞が悪いでしょう?』

 いい相手がいる、とか、嫁に行けなくなりそうで心配だとか、そういう理由でないところがとてもらしいと思いながら、貰い手がないと断言されてつい口が滑った。ないこともないです、と。

『……これ以上お兄ちゃんに恥をかかせないで。そうでなくとも』
『大丈夫、です。だから、お見合いはいりません』

 そう言って、通話を一方的に切り上げたものの、まったくもって大丈夫ではない。なにしろ、あの時はセフレがひとりいただけだ。しかも、どんな仕事をしているのかすら知らないまま、ただ欲を吐き出す表情しか知らない相手とそんなことをしていると知ったら、あの人はどんな顔をするんだろうか。
 それにしても兄だってまだ結婚していないのに、どうして矛先がこちらに向いたんだか。理由はどうあれこのままにしておけばあちこちからお見合いの話をかき集めてくるに違いない。そうして、どれもこれも断れば角が立ちそうな相手で、四苦八苦する未来が容易に見えた。とんでもなく面倒に違いない。
 漠然とセフレとの中途半端な関係をずるずると続けるのはよくないんだろうなってことは常に頭の片隅にあった。だからあの夜、彼に婚活宣言したのは、終わらせるのにちょうどいいという言い訳に過ぎなかった。過ぎなかったけれど、お見合いが持ち込まれる前にはどうにかしなくてはいけない。

「年齢的にしておこうかな、でもいいんですよ。子どもが欲しいでもいいですし、老後に備えてでもいいです。ひとりが寂しいとか、収入面での生活を安定させたいというんでも……相手がいるからしたいのでなく、その為に相手を探そうというくらいですから皆様割と現実的なことをおっしゃいます」

 言葉をきり、カップの珈琲に口をつけた高村さんは「……結婚したいという意思はおありということでよろしいんですよね?」とそろりと切り出した。核心をつかれた気がして、一瞬固まってしまう。これではいいえと答えたも同然かもしれない。
 結婚願望があまりないのは自覚していた。
 世間では、結婚は勢いとタイミングである、なんて言葉もある。既婚者の友人たちは、まあ確かにそうかもねと笑っていたけれど、私が今そのタイミングなのかと言われれば、正直さっぱりわからない。
 この先バリバリ働こうと考えるほど仕事にやり甲斐を見いだしているわけでもないし、かといって、家庭に入りたいのかと言われればそれを強く望んでいるわけでもない。ただ、いつかするかもしれない結婚を、母から持ち込まれるお見合いに押し切られて決めるくらいなら自分でどうにかしてみよう、という程度のことだ。
 前世の記憶があるとはいえ、結婚は未経験だ。それでも、今生の二十数年と前世分の人生経験で見聞きしたことを踏まえれば、結婚は夢を見るようなものではないということくらいはわかる。少なくとも、セフレと熱を分け合うよりは遥かに現実的で地に足の着いたものなのは間違いないだろう。

「このような場で、あまり大きな声では言えませんけどね」

 内緒話を打ち明けてくれるような声音で高村さんは微笑んだ。

「結婚はしなくてはいけないものではないですよ。私の友人も独身生活を満喫している子だって結構いますし、お仕事をしていらして、今の生活が楽しいのならまだまだしないというのも全然アリだと思います」
「……」
「したい人に出逢えたら、でもいいと思うんです。だから、取り急ぎ結婚したいから、出来そうな相手というだけで決めてしまうのはおすすめしません。……なんて、あまりに高望みをされるお客様には『妥協も必要ですよ』ってお伝えするんですけどね」

 書類の記入をする時に、望むというよりもこのくらいなら出来そう、身の丈に合いそうだと思いながら書いたことを見透かすようにベテラン担当者はなおも続ける。

「私は離婚した時に、今後また結婚しようなんて思うことはないだろうなって思いましたけど、こうして二度目の結婚をしてますし。してよかったです」
「それは、そういう方に出逢えたからこそ、ですよね」
「はい。ですから、嵯峨野様がそのように思えるお相手とのご縁を結ばせて頂ければと思います。その為に全力でサポートさせて頂きますね」

 自分が誰かと結婚をする。あまり想像出来ない未来ではあったけれど、少なくともこの担当の方は信頼できそうだという印象を残して、初めての顔合わせは幕を閉じた。
 そんな打ち合わせを経て始まった婚活生活。そのほとんどはメールの確認と返信作業だった。
 所定の会員サイトに自分のプロフィールを掲載しておく。この時はまだ顔や本名を見せないし、見ることはできない。載っているプロフィールを読んで、いいなと思ってくれた人からメールが来るし、自分でも気になる人にメッセージを送る。そうしてやりとりして、会ってもいいかなと思った相手がいれば登録会社に申請する。そこで初めて顔と名前を知り、その上で会いたいと思えば仲介してもらってのデートもどきとなる。
 これといってアピールポイントのない私は、特技に『華道』と書き、趣味には食いしん坊ゆえの『料理』と書く。華道については好きではないけれど他に特技というほどのものはないし、こういう所に載せるには見栄え的に悪くない特技だ。それ以外に、履歴書よりも少しだけくだけた文章で、自分の長所や、休日の過ごし方などひな形を参考にあれこれと書き連ねていく。
 そんな釣書もどきに釣られて届くマッチングメールは日に数十件。始めこそ真面目にひとつひとつ読んでいたけれど、徐々にその方の趣味が読書だの映画鑑賞だの一般的なものは読み流し、埋蔵金探しとか第三世界との魂的交流なんていう首を傾げるような変わった趣味を書いてるものをついつい探して読んでしまったりして、当初の目的を忘れそうになった。
 もちろんメールだけでなく、紹介された方に会ってもみた。
 最初に会ったのは、婚活会社を通さなくとも自力でも充分お相手を探せそうな堅実な人。思った以上にまともで普通だなという印象で、それ以上でもそれ以下でもなかった。
 次に会った人は目も合わせずにボソボソと独り言のように話すばかりの人で、コミュニケーションを取るのは難しそうだなと感じたし、くちゃくちゃと音を立てて食事する姿に生理的に無理だなと感じて早々に切り上げた。
 三人目に紹介されたのはイケメンと呼べる容姿だったし、会話も上手な人だったけれど、カフェを出たら早々に「体の相性は重要ですよね」などとしたり顔で説いてホテルに連れ込もうとしたから、速攻逃げ出した。会ったばかりで寝るとか馬鹿じゃないのと心の中で悪態をついたけれど、自分だって鶴さんとは会ったその日に寝たと考えてみればため息しかでない。
 私の中で、『鶴丸国永』の存在はどうしたって大きすぎた。だってずっと好きだったんだから。ただの片想いだったけれど、きっとだからこそ終われないまま深く刻み込まれてしまったような気がする。せっかく記憶も全部まっさらになって生まれ変わってきたのに、物心ついて前世の記憶を認識した途端、事実とも妄想ともつかなかった相手にまたひとりで勝手に恋に落ちた。
 少なくとも今生で会うことはない相手だと思っていた。だから、他の人と付き合ってみるなんてことができたんだと思う。あの男に会うまでは。
 『鶴さん』と初めて出逢った夜。バーを出た後は、ホテルに直行した。店を出た時と同じように選択は私に委ねられたものの、部屋に入ってからはもうろくに会話もなく、ただ貪るだけの行為だった。貪るといっても、金色の双眸は最後まで観察するような冷静さを残していたような気がする。
 「人と同じベッドで寝るのは嫌いでな」と言い放って私ひとり残して早々に帰って行った姿に、デスヨネーと二度目はないなと思ったのに。タイミングの良さというべきか悪さというべきかが重なって気付けばセフレだった。
 始めこそセックスもする友達なのか、セックスをするためだけの友達なのか考えてみたこともあったけれど、場所がマンションに移ってからも「まさかここに泊まるつもりか?」とあからさまに眉を寄せられ、行為の真っ最中でもスマホであの子に呼び出されれば速攻中断、部屋を追い出されること二回。友達どころかどこまでもヤルだけの関係だった。
 時折、ほんの気まぐれのように髪を撫でられたり、優しく唇を食まれると不安になった。一方的で自分勝手で、甘さの欠片もない関係に安堵して、そうやって少しずつ焦がれ続けた私の中の鶴丸を殺す、あれはそういう行為だった。

『それってセフレカーストでも最下位扱いなんじゃない? っていうか呼び出されてヤって帰されるってそれ、タダな分デリヘル以下なんじゃないの?』

 そう評したのは数少ない友人だった。
 セフレだなんて理解できないと不機嫌そうに話を聞いていた彼女は辛辣にそう言い放った。
 デリヘル以下。友達思いの彼女が敢えてそんな言葉を選んだのはわかるから、ごもっともですと納得しかなかった。同時にその台詞に、私の中の目を向けたくはない何かがざらりと撫で上げられた気がした。

『ま、せいぜいがんばれよ』

 終わりを宣言した夜。ベッドボードに背を預けたまま、どこか揶揄するようにひらひらと手を振ってみせた男を前に、心が波立つことがなかった。ただ、およそ一年も続いていた関係の終わりを悲しいとすら思えなかった薄っぺらさがほんの少しだけ寂しかった。この次誰かと関係を築くなら、せめて終わりには喪失感くらいは感じられる関係がいい。あの夜、ファミレスで始発電車を待ちながら、そう思った。
 それなのに、そんな相手を探すこと自体に、もう既に疲れてしまったようだ。
 年度末に向けて続く忙しさに、金曜日の夜という開放感よりも疲労感が勝る。
 帰宅してすぐにつけたエアコンが、シャワーを浴びている間に部屋着に何も羽織らなくても寒くない程度には室内を暖めてくれていた。濡れた髪をタオルで拭いつつ、ドライヤーを手にするのも億劫なのに無意識にPCを立ち上げたのは、寝る前のマッチングメール確認がなかば習慣になってしまっているせいだろう。
 会員サイトにログインすれば、トップ画面には今日もたくさんのメッセージが届いていると通知されている。
 どれほどメッセージを読んでも、誰かと出逢ってみても、彼以上の人なんているはずがない。あんな風に想える人なんて、きっといない。
 姿を見て、声を聞けるだけで嬉しいのに、ちょっとでも油断すると心の全部をぎゅうと掴まれてワケもなく泣きたくなった。どこか幼くて、それでも必死だったあれを恋と呼ぶのなら、私は前世以来、恋すらしていない。
 それでも時折人恋しくなる気持ちはあったから、それを満たしてくれるセフレという関係は丁度よかった。つかの間でも求められている気になれたし、錯覚だとわかっているのにそれなりに幸せな気分も味わった。本当に欲しいものには手を伸ばさないあの男と、ほんのひとときベッドの上で体温と虚しさを分け合う。『鶴丸国永』の姿は、その相手としては間違いなく極上の存在だった。それだけだ。だから、今寂しいような気がするのも、ここのところの忙しさにくたびれ果てて、人恋しくなっているだけ。

「はあ……もう全部ヤダ……」

 うんざりとため息をつき、未読のメッセージもまとめて削除してごろりとラグに転がる。ふわふわの少し長い毛足が頬に心地よい。この触り心地が気に入って買ったんだよなあ。そんなことを思いながら、目を閉じるとあっという間に眠りに引き込まれた。

◇  ◇  ◇    ◇  ◇  ◇

 鶴さんとはどうも行動圏内が被っているのか、会社帰りに道で会ってしまうということが稀に起きた。だからこそ、二回目以降なんてことが発生したのだけれど。もっとも、厳密に言えば出会うというよりも見かけるが正しい。なにしろ、女連れの時もそうでない時も、視線を逃がしてひたすら他人のフリをしてやり過ごした。一夜限りの関係ならもちろんのこと、セフレに用があるのは、セックスしたい時限定だ。だから私は私のイメージするセフレらしさを考えて、声をかけられない限りはこちらからは知らんぷりするというのを徹底していた。

 残業を片付けていつもよりも遅くなってしまった帰り道。駅へと向かう道すがら、向かいから歩いてきた彼とうっかり目が合ってしまったのは、婚活を始めてからは初めての遭遇だったせいと、家の近くのコンビニでおでんでも買って帰ろうかななんて気の抜けたことを考えていたせいだ。
 隣には緩く編んだ髪を肩へと垂らし、ふんわりと笑う可愛い人が彼の腕に掴まっている。鶴さんが連れている女性にしては珍しいタイプの気がする。隣に居る彼女の雰囲気のせいか、鶴さんも少し若いというか学生みたいというか、そんな風に見えるのはこれまで見たことのなかったダッフルコート姿だからだろうか。
 観察しそうになった視線を外そうとして、ついもう一度彼の顔を見て、互いに息を呑んだ。

「……ある、じ?」

 薄い唇が、少し掠れた音を押し出す。
 金色をまん丸に見開いた彼は、かつて私を主と呼んだ『鶴丸国永』だった。

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