卯月に誓う百年

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 朝餉の前のひととき。歌仙を相手に手合せで汗を流した帰りのこと。廊下の角を曲がりこちらに気付いた彼女はパッとその目を輝かせ、飼い主に走り寄る犬のごとくパタパタと駆けてくる。

「あぁ、またあの子は……」

 隣で物憂げに息を吐いて頭を振る初期刀の姿が見えているのかいないのか。

「鶴丸さんっ」

 一目散にこちらにやってきた細い指先が白い衣に届きそうなその間際。ひょいと躱せば、標的を失ってつんのめった彼女は歌仙に抱き留められた。

「っ、……ありがと、歌仙さん」
「どういたしまして」

 律儀に返す初期刀も、恒例ともいえるこの娘の所行にどう言って聞かせればいいものかと言葉を選びあぐねているようだ。
 それを横目に後ろ頭で両手を組んで、「きみ、本当に学習しないな」と呆れ半分に言ってやれば、いつものへらりとした笑みが返る。
 この本丸を統べる審神者は、日に一度はこうして鶴丸めがけて駆けてくる。着物に触れることすら叶わないのだからもうそろそろ諦めてもよさそうなものを、避けても躱しても彼女はよく懐いた子犬のようにやっぱりこうして寄ってくるのだ。
 当初、勢い余って縁から落ちた彼女は足を挫いた。自業自得だと思う反面、人の子が存外脆弱なのを思い出し、以来、どう躱せば彼女に害が少ないかには注意を払うようになった。
 そんな怪我に懲りることなく、日課ともいえるこれは四ヶ月あまりが経とうという今も続いている。

「おはようございます、鶴丸さん。今日は天気もいいから主従契約しませんか?」
「しないな」
「ですヨネー」

 知っていたとばかりに答える声音には落胆の色もなく、断られる彼女も慣れたものだ。

「ですよね、じゃないだろう、主。廊下を走ってはいけないと何度言ったらわかるのかな?」
「ごめんなさい……鶴丸さんを見つけたらつい」

 殊勝顔で少し項垂れ上目遣いに歌仙を見上げる様も、幾度目にしたことか。
 叱られるのにつきあう義理もなく、そのまま立ち去ろうとした背に「鶴丸さん」と声が掛かり、肩越しに返り見る。

「好きですよ」
「はは、そうかい」
「はい」

 飽きもせずに差し出される告白をいなすように笑ってやれば、そんな答えも知っていたとばかりに彼女は能天気な笑みを浮かべて頷いた。
 健やかに、愛されてぬくぬくと育ってきたんだろう。疑う余地もなくそう思えるほどに、この本丸を満たす彼女の気は暖かくやわらかで、今が戦の只中であることを忘れそうになるほど心地よい。
 かつて鶴丸が身を置いた本丸──最初に顕現したのは、こことは対照的だった。冬の朝のように凜と張り詰めた空気は同じく清浄だったはずなのに、あの女が執着にのまれ、閨事に耽るようになってからは、どこまでも寒々とした陰鬱なものへと変わっていった。
 人の躰を得て最初に命じられたのは夜伽だった。血の通う身で得る快楽も、理知的な目をした女の性を暴き、熱く乱れる様を見るのにも愉悦を覚えたが、そんなものにはすぐに飽いた。
 主とまぐわい、戦に行かせて欲しいと強請る日々。女の紡ぐアイシテルという言葉にうんざりしながら、腰を振り白濁を吐き出して得る快楽はほんの刹那。後にはただ空虚が満ちていくばかりだった。
 それでも、その女は審神者と呼ばれる者たちの中でも優秀な部類だったというのだから驚きだ。確かに、気に入った数振りの刀剣とイロゴトに耽りながらも、表面上本丸運営は円滑にまわり戦績も上々だった。始めのうちだけは。
 徐々に昼となく夜となく閨にこもり始め、短刀ばかりが錬度を極めていくようになった。日常業務をも疎かにするようになったのを窘めた刀は遠ざけ、手入れもせずに出陣を命じ続けた。
 褥に侍る者たちが機嫌をとってどうにか手入れだけはと頼み込んでも、折れていった者等が二十三振り。
 ある夜、閨に政府から派遣された者が踏み込んできた。半狂乱で弁解を繰り返した女とは、以来一度も顔を合わせてはいない。審神者の職を取り上げられたと耳にはしたが、その後の顛末になど興味はなかった。
 人の多くが己が欲望に忠実なのは今更過ぎることで、絶望するほどの期待などはなから寄せていなかった。ただ、せっかく人の身を得たのだからもっと愉しみたい。それが本霊に還るのでなく他への譲渡を望んだ唯一の理由だった。
 もっとも唯々諾々と従う気はなく、選択権は掌中に残して。

「主従の誓約を交わす気はないぜ? それでいいなら貰われてやろう」

 政府の用意した一室で、引き合わされた審神者は男女あわせて七人。横並びで立つ、年も霊力の強さもまちまちの彼らを見渡して開口一番言い放てば、明らかに動揺を示す者、眉だけをぴくりと動かす者と反応も様々だ。

「つ、鶴丸国永様、それは困ります。本丸にお住まいになられる以上は、その審神者様を主と仰ぎ従って頂かなければ……」
「ほお? それで? また種馬の真似事でもさせるつもりかい?」
「いえっ! そんなまさか」

 唾を飛ばして弁明を試みる役人の背後で、「いいですよ」と声があがった。
 七人の中で一番年若く、容姿も霊力も凡庸な女だった。鶴丸の肩ほどの身の丈しかない彼女は、振り分け髪のせいか尚更幼げにも見える。臆することなくまっすぐにこちらを見つめた彼女は、事の重さを知らないような顔でへらりと笑った。

「うちなら、出陣も当番もやってくれるなら……、あ、あと他のみんなと仲良くしてくれるなら主従契約はしなくてもいいです」
「さ、審神者様っ」

 慌てた役人を片手で制した鶴丸は、品定めするように相手を見据える。その視線を受け止めながら、彼女はただ小首を傾げた。

「きみ、わかって言ってるのかい?」
「主従契約をしない意味ならわかってるつもりですけど……。まず、手入れに時間がかかりますよね。霊力の受け渡しがスムーズにいかないって聞くし。確かそのせいで錬度が上がるのも普通の倍はかかるんでしたっけ。あとは、顕現を維持する為には出陣以外で本丸を出られないし、回数も限られちゃう……あ、本丸と出陣だけだと退屈しますか? たまになら、万屋くらいは行けるはずですけど」

 眉を寄せた女は、いや本丸の中を楽しめるようにすればいいのかな、でもそもそもみんな他には演練と遠征しか行かないし、などとぶつぶつと言っては何事か思案しだす。
 ただの阿呆なのか、それとも度胸があるのか。なぜか一番肝心なことを口にしない。

「主を定めないってことは、誰の言うことも聞かないってことだぜ?」

 『鶴丸国永』は求められ続けた刀だ。人の身を得てなお、それが変わらないことは最初の主で実証済み。もっとも、あの本丸で求められたのはこの容姿と雄である身だったか。こいつがこうまで言って望むのは、刀か雄か、どちらだろうか。
 そんなことを考えながら、音もなく目の前まで歩み寄る。彼女の首に鞘に納めたままの刀を軽く当ててやり、僅かばかりの神力を込めてじっと見据える。

「俺がきみに刃を向けても、言霊で縛ることは出来ない。いいのかい?」
「……私が刀を向けられるなら、きっとそれは自業自得でしょうから。その時は遠慮なくスパっといっちゃってください」

 しかと視線を受け止めながらもそこには好戦的な色はなく、かと言って冗談のようにも見えず、相変わらず緊張感のない笑みをたたえ彼女はさらりと言い切った。

「はは、存外面白いな、きみは」
「神様は約束は守るんですよね? 主従契約はしなくてもいいです。本丸の一員としてやらなくちゃいけないことには参加するってとこだけ約束してくれれば、それだけで。ただ、私はきっと毎日お願いすると思うので、いつか気が向いたら私を主にしてください」
「……いいだろう。他には主従契約なくともこの『鶴丸国永』を貰い受けようって審神者殿はいないのかい?」

 ざっとその表情を窺っても、口を開きそうな者は誰もいない。
 並ぶ者の中にいた長い髪の女がつと視線を外すのを視界に捉え、艶めいた黒髪だったかつての主の姿が過ぎる。紅い唇で擬い物の愛を欲したあの女は、高い霊力と言霊とで鶴丸たちを縛り上げた。

「他の審神者殿たちも異存はないようだぜ?」

 息を溢すように笑んだ鶴丸は、約束を乞う彼女を見つめる。こんな小娘程度の霊力では、あの女のような真似は無理だ。万一伽を命じられるなら夜のひととき可愛がってやるのもやぶさかではないが、それ以上に己を囚えることは出来ないだろう。そう思った。

「ホントですか、ありがとうございます!」

 満面の笑みで、刀を持たない方の手をぎゅうと握る。その柔いぬくもりに、ざっと鳥肌が立ったが、そうと覚られることのないよう鷹揚に笑って「おいおい、さすがに馴れ馴れしくないか?」と窘めれば、審神者は慌てて飛び退いた。

「ごめんなさい、失礼しました」

 無礼を詫びる彼女を前に、その時初めて自覚した。『人の手に触れられる』という刀の時であったならば当たり前すぎることを、嫌悪するようになっている己の変化に。
 

 そんな出会いが、紅葉の散る頃だった。
 後からわかったことだが、彼女は審神者になったばかりの新人だった。本丸を始動させたのが他の新人よりも一ヶ月遅れとなったせいで鍛刀が追いつかず、切実に太刀を欲していたらしい。
 これで任務が達成しやすくなります、と感謝を述べた審神者は、雪の季節を経て、梅が香り、敷地の奥に植えられた桜がそろそろ盛りを迎える今日までも、当初宣言した通りに毎日主従契約を乞うてくる。
 日に一度は口にしていた「主従契約をしてくれませんか」に「主従契約してくれなくても好きです」が混ざり、近頃では想いを告げる頻度の方が上回りつつあるものの、だからといって、契約以外の何かを願われたり特別扱いされることもない。希望者のみでまわす近侍当番に組み込まれることもなく、他の当番や出陣は平等にまわってくる。
 この本丸には夜番があって、日が落ちると離れから出なくなる彼女と共に当番の者はそちらで過ごす。離れといっても渡殿で繋がるそこには、いつ何時でもこちらから訪ねて行くことは禁止されていないあたり、閨事を愉しんでいるということでもなさそうだ。
 もっとも齢二十にして色気の欠片もないあの娘が、伽を愉しむどころかそもそもそういう経験などないであろうことは誰の目にも明らかではあったが。
 その初期刀の歌仙と初鍛刀の薬研とで固定されている夜番に、鶴丸を組み込みたいという打診もない。
 日頃の言動で他の刀も大切に考えていることは充分伝わっているせいか、主が鶴丸に好意を示すことについて周囲から不満が出ることはなく、袖にされ続ける主に苦笑するもの同情するもの反応は様々ではあるが、本人に悲壮感がないせいかそれについて鶴丸を咎める刀もいなかった。
 つまりは主従契約などなくとも、ここでの生活はなんの不自由もなく、いたって円滑に回っていた。

 今日も今日とて廊下を駆けてきた彼女をひらりと躱すと、そのまま床に跪き、お願いしますと頭を下げた。さあ恒例の主従契約か告白か。そう思いながら否やを口にする機を計る鶴丸の耳に届いたのは「万屋につきあってください」だった。

「お願いしますっ」
「昨日、乱と行ってきたんじゃなかったか?」
「そうなんだけど……お願いできませんか?」
「きみ、たかだかそんなことの為に土下座か」

 安いことだなと嗤ってやれば、いつも通りの笑みが返る。
 仮にもこの本丸の主たる者が買い物の付き添いごときで膝を折るのはいかがなものかと思いながら、ため息混じりに彼女の前に膝をつこうとしたその時。

「もぉ、主。僕から言うって言ったでしょ」

 後を追うようにしてやってきた光忠は、跪く彼女の腕をひいて立たせた。

「ほら、立って。土下座なんてそんな簡単にしちゃダメだよ」
「だって、光忠さんに言われたら鶴丸さん断りにくいでしょう?」
「断られたくないんじゃないの?」

 ぐぅと返答に窮したように呻き「それはそうですけど、無理強いは……」とごにょごにょと口の中で呟く彼女は、ばつが悪そうな視線を寄越した。

「って主は言ってるけどね。今、手が空いてるの、鶴さんくらいなんだ」
「今日の近侍は光坊だろう?」
「うん。でもお花見の準備がまだ結構残っててさ。主が買い物に出るならその隙に僕も少し厨を手伝おうかと思って……頼めないかな?」

 この本丸で行われる初めての花見を明日に控え、昨日あたりから本丸全体がどこか浮き足立っている。特に料理を得意とする者たちは正月の準備並、いやそれ以上のはりきりを見せていた。
 かくいう鶴丸も皆と呑み交わすのは好きだし、それが夕餉の後のひとときでなく、昼間から一同介してわいのわいのと騒ぐならばさぞや愉快だろうと楽しみにしている。その花見の準備を引き合いに出されてしまえば、彼女の見立て通り無下に断れるものでもない。
 そもそも、元の約束もあって彼女は鶴丸に当番外の仕事を頼むのを善しとは思っていないようだが、さすがにこの程度のことなら土下座などしなくとも引き受けたに違いない。もっとも、そうと言ってやる気はさらさらないのだが。

 そんな先ほどのやり取りを思い起こしながら、手にした荷物を抱えなおし、少し後方を歩く気配を探る。軽く息はあがっているが、まだ離れてはいない。
 舗装こそされていないが、むき出しの土がしっかりと踏み固められたこの道を鶴丸が普通に歩けば、彼女には少々早い。歩幅が違うから当然のことではあるが、それに加えてこの審神者は、空が綺麗だ、花が咲いていると何かが目にとまる度に足を止めるものだから、まともにつきあっていては本丸にたどり着くだけで倍以上の時間がかかる。

 主従契約のない刀剣男士を伴って外出すれば、審神者が消耗する。厳密に言えば、本丸外で主従の誓約を結ばない刀剣男士の顕現を審神者が支えようとするならば、だ。初めて審神者と共に万屋に出掛けた時には、それがそこまで彼女の負担になるとも知らなかった。
 以前の本丸では庭に降りることすら稀だった鶴丸にしてみれば、本丸の外を歩くというのは初めての経験で、あちらこちらに興味を示す審神者につきあわされる態で、実のところ自身もかなり愉しんでいた。ところが、本丸に帰着した途端に彼女はぱたりと倒れ伏してしまったのだ。結局翌朝までぐっすり眠るだけで回復はしたものの、肝を冷やした鶴丸は、外出はなるべく短く切り上げるとあの時密かに心に決めた。

 まだバテてもいないだろうと歩調を緩めることなく進む背後で、小さく息を呑む気配がした。彼女が何かに躓いたらしい。
 咄嗟に手を出しかけて荷物を持っていることに気付いたのと、彼女の手が鶴丸の腕を掴みかけたのは同時のこと。ああ、転ぶのは回避できるだろうと判断したその瞬間。伸びてきた手がさっと引っ込められ、彼女はべしゃりと倒れ伏した。

「──っ!?」

 身を起こしながら、転んじゃいました、と恥ずかしそうに自己申告するのを、見りゃわかる、と心の中だけで返した鶴丸は、立ち上がった審神者をまじまじと見つめた。幸い怪我はなさそうだ。

「あ、すみません。大丈夫です」
「そうみたいだな」

 なんで、と口を開きかけた鶴丸は、けれど何も言わずに再び歩き出した。ついてくる歩調に乱れもなく、足を痛めていることもなさそうだと判断し、変わらぬ早さで歩く。
 少し行くと、相変わらず軽く息をあげて付いてくる背後から「鶴丸さん」と声が掛かった

「こっちから帰りましょう」

そう言って指さす先は、本丸への迂回路だ。

「なるべく急いで歩きますから。ね?」

 明らかな遠回りを誘う彼女に否やを唱えなかったのは、先ほどの光景が頭の中を巡り、どこか後ろめたかったせいかもしれない。

「きみは大丈夫なんだろうな? また本丸に着いた途端にぱたりといかれたんじゃ洒落にもならんぜ?」
「あぁ……最初の頃よりもだいぶ加減がわかったから大丈夫ですよ」

 答えた彼女が小さく笑った気配に、視線だけでなんだと問う。

「ふふ、すみません。鶴丸さん、お出かけが嫌いなのかと思ってたので。心配してくれてたんですね。ありがとうございます」
「……きみに何かあれば、叱られるのは俺のほうだからな」
「はい、気をつけますね」
 
 迂回路は、小川沿いの道だった。うららかな春の陽射しの中、微かな水音と、彼女の足音、それから少し早い息づかいとを耳にしながら歩く。
 川沿いには山桜が等間隔に植えられており、小さな花弁は本丸に咲く桜とはまた違った可憐さがある。芽生えたばかりの淡い黄緑色が地面を覆い、桜の薄紅がよく映える。なるほどこれが見たかったのだろうと思いながら歩を進めた。

「鶴丸さん、こっちこっち」

 ふと背後に居たはずの彼女が道をはずれ、小さな社の入り口で手招きしていた。目が合うと悪戯げに目を細め、返答も待つことなくさっと鳥居をくぐって境内へと向かってしまう。
 ため息を落として鳥居をくぐれば、彼女は柏手を打って、頭を垂れていた。社の神に礼を失しない程度に頭を下げた鶴丸は、本殿の裏手へと向かう審神者の後を追う。

「きみなぁ」
「ほら」

 得意満面に彼女が指し示したその先は、一面薄紅だった。神域かと見紛うほどの、桜、桜、桜。
 中央には数百年以上の齢を経ていそうな枝垂が広く枝を伸ばし、淡い紅色のそれはさながら空から降ろされた垂れ幕のように視界を覆う。まさに春爛漫だ。

「見事だな……」

 感嘆のままにほろりと零れ落ちた言葉の後にはもう何も続かず、ただただ立ち尽くす。
 ふと視線に気付きそちらを見れば、彼女は桜でなくこちらを見ていた。

「昨日見つけたんです。もう満開だったから、散り始める前にどうしても鶴丸さんに見て欲しくて」
「そうか」
「はい」

 お花見がてらどうぞ、と差し出されたのは三色団子だった。店で何かを買っているなと目の端に捉えてはいたが、なるほどこれだったのかと思いながら受け取る。
 彼女も自分の団子を手にして、ぱくりと食いつく。倣うように手にしたそれに食いつけば、一番上の桜色の団子には桜餡が入っていた。何も入っていないものと思って口にしたから少々驚きはしたが、春らしい香りも甘さも絶妙で、つい串に刺さった残り二つをかざし見てしまう。

「鶴丸さん、好きそうかなって」
「あぁ、旨い。ありがとう」

 幽玄な風景に見入りながら、二つ目の団子を口にした。味噌餡の甘さを舌に感じた途端、「不思議」と彼女が小さく呟いた。

「昨日より綺麗……。鶴丸さんとだと綺麗なモノはもっと綺麗に見える気がするし、このお団子だって昨日よりずっとおいしい気がします」

 桜を見つめながらそんなことを口にする横顔を、窺うようにそっと見る。照れるでなく、気取るでなく、そこにあったのはただ素のままの心だと知れる表情だった。何か言葉を掛けるべきだろうかと考えながら、三つ目の団子を口にする。蓬の香りを咀嚼して飲み下しながら、鶴丸はゆるゆると息を吐いた。

「なあ……」
「はい」
「なんで腕を引っ込めた?」
「……?」

 こうして桜を眺めても、団子を食べても、気になるのはやはり先ほど彼女が転んだ時のことだった。伸びてきた手は明らかに鶴丸に掴まろうとしていた。実際そうすれば転ぶこともなかっただろうに、それは明確な意思を持って引っ込められた。鶴丸はそれが不思議でならない。

「さっき、きみが転んだ時。俺の腕を掴めば、転ばずに済んだろうに」
「それは……了解とるの間に合わなくて。鶴丸さん、私に触られるの嫌いでしょう?」

 毎日のように抱きつかんばかりに駆けてくる彼女の口から出てきたとは、到底思えない科白だ。
 軽く目を瞠った鶴丸は、少し困ったように視線を落としながら二つ目の団子に噛みつく審神者を凝視した。

「初めて会った時……手を握った時、鶴丸さん嫌そうにしてたから。……すみません」
「きみ、知ってて毎日あの所行か?」
「それはだってほら、鶴丸さんはイヤなら避けてくれるし。そのうちに気が変わることもあるかもしれないなって」

 いつも遠くから名を呼んで、大げさなほどにこれから触れますという態度を示して駆けてくるあれは、彼女なりの気遣いだったらしい。それならば触れようとすること自体やめてくれればいいものを、もしかしたら今日は触れられるかもしれないと手を伸ばすというのだから、その打たれ強さにはいっそ感心する。

「好きです。うちの本丸に来てくれて、ありがとうございます」

 団子を手にしたままに、いつものようにへらりと笑う。
 そんな彼女を前に、薄闇の中で「アイシテル」と紅い唇の端を釣り上げる女の姿が脳裏に浮かんだ。

『愛してるわ、鶴丸』
『愛してるから傍にいてね』

──もうやめてくれ

『どうしたの? 鶴丸。だって好きなんだもの』
『好きよ、鶴丸。愛してるわ』

──きみのそれは、本当に愛か?

『刀の貴方がそれを訊くの? だったら訊くわ。愛ってなあに?』
『愛してるわ。愛してるから──愛して?』

「好き、か……」
「……?」

 あの女に寄せられた感情が、愛だったかなんて今でもわからない。ただそこには確かにどうしようもない執着と、ままならない何かに引き摺られるような情念があった。
 どろりと凝るそれで相手を浸食しようという意志と、けして離さない、離れないという意思が。
 それに比べて、と考える。目の前の彼女は、どうだろう。能天気な笑みを浮かべて想いを差し出す彼女には、そこまでの欲も希求も感じられない。だから思ってしまうのだ。そこまで手にしたいものでもないのだろうな、と。

「きみの言う『好き』は軽いなァ」

 あの女の所行は到底誉められたものではないし、今でも認めてやる気も起きない。
 きつい香水の匂いを身に纏う女を前に、鶴丸はいつも冷え冷えとした何かにギリと締め上げられる心地だった。
 それに引き替え、彼女の口にする想いは春の陽だまりに似ている。ふわふわと柔らかなそれはあまりに心許なく夢見心地だ。存在しないとまでは言わないが、肌を撫でるだけの風にすら容易く散りゆく桜に似て、ひどく儚い。

「軽い、ですか」
「ああ。しかも永遠でも夢見ていそうなほどに現実感もない」

 ふいにざっと風が吹いた。枝から放たれた花びらと、地面に落ちていたそれが舞い上がり、雪が舞うようにひらりひらりと審神者を彩る。咄嗟に目を瞑って風に靡く髪をおさえた彼女は、この次目を開く時、少しは傷ついた顔を見せるのだろうか。それともいつものように笑うのだだろうか。
 風がやみ、審神者はゆっくりと両の目を開いた。舞い上がった花びらが再び地面へと落ちる様を見つめる彼女は「えいえん」と口の中で呟く。

「さすがに永遠なんて信じてないし、夢も見てないですよ。鶴丸さんは『永遠』が欲しいんですか?」

 傷つくでなく、笑うでなく、まっすぐに問いを向けられて、咄嗟に鶴丸は言い淀んだ。そんなにあっさりと信じていないと言い切られるとは思いも寄らなかったし、こんな問いを向けられるとは予想もしていなかった。

 永遠が欲しいか、だと?

 自問しかけて、思わず笑いが漏れた。

「ふはっ、欲しいかときたか。そうだな。あるんならお目に掛かってみたい気もするが、手にしたところでさして面白みのあるようなものにも思えん気はするな」
「……『永遠』はそれを手にする資格のある人にしか見えないんですかね……あぁ、でも、もしかしたら永遠の中にいる人もそうとは気付けないのかも」

 謎かけかと思ったがそういうことでもなさそうで、眩しそうにこちらを見た彼女はそうかそうかとひとり納得するように頷いている。
 この時、彼女が何を思ったか。鶴丸が審神者に今少し寄り添う想いがあったなら踏み込めたかもしれない。けれども、この時は彼女がなにを思ってそんなことを口にしたか知りたいなどとは露ほども思わず、その機会を逸したのだと気付いたのはずいぶん後になってからのことだった。

「ふうん。永遠を信じちゃいないなら、毎日飽きもせずに愛を囁くのは、消えてなくなる前に押しつけておこうって(はら)かい」

 わざと意地の悪い物言いをする。そうして、身の内に留まるこのどろりとした何かをどこかに放り出してしまいたかった。そんなものは本来あの女にこそぶつけてやるべきもので、彼女に向けるなど筋違いだということはわかっている。それでも、あの女と同じ人の子である彼女に、つい放り投げてしまった。
 なかば八つ当たりでもあるそれをまっすぐに受け止めた眼差しは、すっとはずされて頭上の桜に向けられる。花の屋根のもっと遙かを見遣ったそれは、ひとつ瞬いてから二つの金色へと向けられた。

「確かに。それもあるかもしれないですね」

 からりと言ってのけた彼女は、再び薄紅の天井へと視線を投げる。

「なくなっちゃうのかはわからないけど、いつでも伝えられるなんて思っていると、きっと渡し損ねちゃうから。言えなくなってから後悔しても遅いし」
「まるで渡し損ねたことでもあるような口ぶりだなァ」

 彼女はそっと目を伏せて、ただ僅かばかり口の端を引き上げる。初めて見るどこか寂しげな表情に、鶴丸は己の発言が的外れではなかったことを覚った。
 顔を合わせれば好きだ好きだと連呼するこの能天気ともいえる女が、告げ損ねた想いを悔やんだことが本当にあるのだろうか。そう考えると、心のどこかに小さく爪をたてられたような不快さを覚えた。

「ねえ鶴丸さん。私、永遠は信じてないけどね。百年なら自信がありますよ」

 百年といえば、普通人の子の寿命いっぱいだ。命尽きるまで、と。ともすれば熱烈なはずの告白は、いつもの軽薄な笑みのせいでやはり決定的に重みを欠いていた。だから鶴丸も、軽口で応える。

「千の齢を生きる付喪を前に、たった百年(ももとせ)で尽きる愛を囁くなんざ覚悟が足りないんじゃないかい?」
「そうかもしれないけど、今日から百年好きで、明日起きたらやっぱりまた明日から百年好きで……そうしたらいつの間にか千年にも永遠にも届くかもしれないですよ?」
「……」
「永遠がもしもそんな風にして届く場所なら、私、永遠を信じられるかも」

 信じないと言ったその口であっさりと前言を翻した人の子は、まぁそんなに生きられませんけどね、とやっぱりへらりと笑う。そうしておいて、これだけは変わらないのだと確信を添えた眼差しで、彼女は同じ言葉を口にする。

「だから私は毎日でも言います。鶴丸さんが好きですって」

 絆される気も、応える気もなく。なのに、何かがかちりとはまった気がした。それは刀を鞘に収める時の、鯉口がしかと締まる感触によく似ていた。

「言うのはきみの勝手だからなァ」
「はい、勝手に好きでいますね」

 もう、百年は残されていない時間。そんな儚いものにつきあってやる義理もない。
 けれど、と思う。団子はおいしかった。桜は綺麗だ。そして──天気がいい。だからこれは、春の陽気に浮かされた気の迷いだろう。出自も知らぬ徒人(ただびと)の、しかもこんな小娘のイロコイになどつきあってやる謂われはない。それでも。

「心まではやれないが、そうだな……」

 まっすぐな眼差しを正面から見つめ返す。
 千の齢を経てみても、道具はどこまでいっても道具らしい。人に添い、人に使われてこそという気質は、神の末席に連なろうとも何も変わらないのだ。だから。もう二度と人の子になどやるものかと決めていた己の名を。主従の誓約を差し出した。

「『鶴丸国永』だ。きみの言う百年(ももとせ)、見届けてやろうじゃないか」

 鳩が豆鉄砲を食ったようとはよく言ったものだ。半開きになった口から「ひぁへ?」と意味のなさない音を息と共に吐き出した彼女に、鶴丸は破顔する。

「さ、帰るか」
「待っ、待ってくだい。鶴丸さん」
「とっとと帰らにゃ日が暮れるぜ?」

 まだ日は高い。それでも、くるりと背中を向けた鶴丸は、振り返ることもなく歩き出した。歩幅の違う主にあわせて、ほんの少し歩調を緩めながら。
 
 
  


 
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