command 3 『鶴丸国永』と寝てください

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 鶴丸さんが帰るのを見送ってからしばらくはベッドの上でごろごろしてみたものの、ひとりで居ればどうにもならないことばかりが頭を巡る。これなら執務室で報告書のひとつでも書いていた方がまだマシかもしれない。そう思って、あの部屋を後にしてきた。
 初めての時よりも躰が重い気がするのは、話したり緊張したり、一回目の時よりはその……いろいろがいろいろだったせい、かな。思い出せば赤面してしまうことばかりで、蘇りそうになるあれこれを打ち消しながら転位門から足を踏み出せば、いつもの見慣れた風景だ。帰ってきた、と心が緩み肩の力が抜けるのを感じながらふと見れば、箒を手にしたまま珍しく呆けた顔でこちらを見る薬研と目があった。

「ただいま」

 彼の白衣が夕焼け色に染まるこんな時間に、庭の掃除をしているなんて珍しい。今日はまだ遠征組が帰る予定もないし、出陣はなかった。私が不在だったこともあって、みんなのんびり目に内番をこなしたのかもしれない。

「おかえり……」

 まじまじとこちらを見た薬研は眉間に皺を寄せた。どうしたのだろうと思って口を開きかけ、ふと母屋からこちらへやって来る鶴丸の姿が見えた。跳ね始めた鼓動を宥めながら、ただいまを言う為の心の準備をしたものの、彼はさっと踵を返し、母屋へと足早に戻っていった。膨らませたつもりのない期待が、しゅんと音をたてて萎ぶ。こちらに気付かなかったのかもしれない。たまたまなにか用事を思い出して引き返したかもしれない。そう挙げ連ねてみるのに、やっぱりただ避けられたような心地になって、地面へと視線を落とす。

「大将?」
「あ、うん……執務室で書類とか片付けてるから、なにかあったら呼びに……」
「いや、いい。じき夕餉だ。大将は部屋に帰って休んだ方がいいな」

 白衣のポケットに左手を突っ込んだ薬研は、そう言うと私の頭の先から足の先までざっと視線を走らせて、軽く息をついた。

「そこまで疲れてないよ?」
「駄目だ。今日は勘弁してくれ」
「勘弁って」
「そんな顔色が悪いまま執務室に居られたんじゃ気が気じゃない」
「そんなにひどい?」

 なにかを言いあぐねたように視線を逸らした彼のほうこそ、具合でも悪いんじゃないだろうか。どう見たって様子がおかしい。

「ねぇ、やげ」
「主ぃ、おかえ……うわぁ」

 母屋からパタパタと駆けてきた加州が、近くまで来ると足を止めて顔をしかめた。薬研といい加州といい、人の姿を見るなりのこれは微妙に傷つく。確かにちょっと疲れ気味ではあるけれど、特別具合が悪いわけではない。それなのに二人にこんな顔をされてしまうとなると、そんなにひどいのかと心配になってくるというものだ。

「清光の旦那、いいところに来た。見ての通りだ。大将を部屋に連れてってくれ」
「りょーかい。布団敷いてあげるから行こ」
「え、そんなに駄目そう?」
「駄目そう。ほら、行くよ」

 加州の少しひんやりとした手が迷うこともなく私の手をとってくいと引く。逆らう気にもなれず歩き出すと、「あとで薬湯でも持ってくからいい子で寝てな」と箒の柄を抱え込むようにして持つ薬研がひらひらと手を振ってくる。

「薬湯……苦いのくると思う?」
「さあね」

 初期刀はこちらを見ることも足を止めることもなく、ただ手はしっかりと繋いだままにまっすぐ私の部屋へと導いていった。

「ね、加州。なんか怒ってる?」
「怒ってない。……でも、心配はしてるよ」

 部屋に着くなりさっさと押し入れを開けた加州が手早く布団を敷いてくれる。いつもよりも口数の少ない彼は、明らかに機嫌がよくなさそうだ。

「夕飯ができたらここに持ってくるから。お茶でも煎れてこようか?」
「ううん。大丈夫。横になっとくよ」
「部屋から出ないでちゃんと寝ててよね」
「はーい」

 出て行く加州を見送って、部屋着のパーカーワンピースに袖を通して布団に転がった。あの部屋と違っていつもの天井を見上げて横たわるのは、やはり心も体もゆるりとほどける。自覚する以上にくたびれているのかもしれない。
 片腕で目を覆って瞼を閉じれば、去り際の鶴丸さんの柔らかな笑みが浮かんできた。

「寝てるのか」

 遠慮がちに囁くような声がして目を開ければ、シャワーを浴び終えた鶴丸さんが、あとは羽織を着るばかりという様子でベッドサイドに佇んでいた。その姿に、心臓がきゅっとなって息が詰まった。

「……大丈夫か? シャワーあいたぜ」
「鶴丸さんが帰ってからにします。もうちょっと落ち着いてからでないと、帰れそうにないし」

 のろのろと身を起こしてどうにか笑みをかたちづくると、鶴丸さんも「そうか」と薄く笑ってソファに放られたままだった羽織に袖を通した。金の鎖が彼の動きに合わせてしゃらりと音をたてる。そんな馴染みの音にすらため息をつきそうになり、すんでのところで飲み込む。こんな思いをするのも、あと一回。けれども、こんのすけの言っていた通りなら、これからも何度でもこういう思いはしなければならないのかもしれない。

「約束ではあと一回、だったか」
「そうみたいですね。すみません、おつきあいいただいて」
「いや、俺の方が役得だろう」
「そんなことは……」

 上掛けを引き寄せて裸体を隠しながら、たてた両膝に顎をのせて鶴丸さんを見上げる。苦笑を浮かべた神様は、ふと真剣な目をこちらへと向けてきた。

「なあ。あと一回で終わらせたくない、って言ったらどうする?」

 主さんが好きなんだからやめた方がいいです、と真っ当な言葉が頭を過ぎる。けれども同時に、もしもこれからもこんなことを続けなければいけないなら、相手は鶴丸さんがいいとも思ってしまう。
 誰も鶴丸の代わりになんてならないとわかっていたって、やっぱり彼は『鶴丸国永』で。道徳だとか倫理だなんていう自分を少しも温めてくれないものを優先するには、ここでの時間は心地よすぎた。
 ベッドに片膝をのせた鶴丸さんが唇を寄せてくる。ごく自然に目を閉じてそれを受け入れた自分に少し驚きながら瞼を開けば、金色の双眸はなにかを探すように覗き込んでくる。狡い心まで見透かされそうで、軽く目を伏せ視線を逸らした。

「迷うくらいの余地はある、ってところか」
「そ……いえ、でも──っ」

 振り切ろうとした答えは、最後まで紡がせては貰えずに甘く食まれて飲まれてしまう。

「今は聞かないでおく。まだ一回あるんだ。考えてみてくれ」
「でも……」

 白い指先が唇に触れて先を制す。不服を訴えて見つめると「ダメだ。次まで聞かないぜ」と苦笑まじりに瞼に口付け、ようやくベッドから降りていった。

「躰は平気か」

 訊かれた途端、恥ずかしいあれこれがフラッシュバックして顔が熱くなる。そんな私を面白そうに見下ろした鶴丸さんに頷いて返せば、「気をつけて帰るんだぜ?」と背を向けた。

「あ、鶴丸さん」

 ん?と視線だけで問いながら肩越しに振り返る彼に「お願いがあるんですけど」と告げる。

「この次、出来れば最初に会った時の服装にして貰えませんか。違う服でもいいんですけど……その、普段着る着物以外にして貰えると嬉しいかなって」
「……いっそ身代わりにしようとは思わないのかい?」
「重ねたく、ないんです」

 姿だけでも同じ人がいいと『鶴丸国永』を指名しておきながら矛盾している、と自分でも呆れてしまう。現実とのギャップに傷ついて、そうしてまた夢に慰められていることを自覚しながら重ねたくないだなんて、綺麗事にもほどがある。それでも。

「気持ちが追いつかないっていうだけかもしれないんですが」
「きみは……」
「……」
「いや、わかった」

 またな、と。柔らかに微笑んだ鶴丸さんは部屋を出て行った。

 
 
 
 身じろいで、意識がふわりと浮上する。横になるだけのつもりがいつの間にか眠ってしまったらしい。
 障子の向こうはまだ明るいものの、夕焼け色はなりを潜めている。そろそろ夕餉ができあがる頃だろうか。
 加州はここに食事を持ってくると言っていたから、広間に行く必要はない。ということは、今日はもう鶴丸を見ることは出来ないだろう。他の人とあんなことをしてきておいて、会いたいと思ってしまうなんて我ながらどこまでも図々しい。いっそその図々しさを存分に発揮して、前みたいに何事もなかったように話しかけられればよかったのに、そうもいかないんだからどうしようもない。
 鶴丸さんも、そろそろ夕飯の時間だろうか。彼はこんな後、主さんと顔を合わせるのは気まずくないんだろうか。考えかけて、『御役目は御役目だろう?』という科白が耳に蘇る。

「お役目、かぁ……」

 ココロとカラダは別物だとはよく言ったものだ。確かに、誰かを想っていたってそういう風にされれば気持ちいいんだと今の私は知っている。鶴丸さんだって、おそらくは主さんの足下にも及ばない私なんかとそういうコトをするのは、それなりに気持ちいいんだろう。そうでなければ、三回目の先を考えてみて欲しいなんて言うはずがない。
 ふと、鶴丸はどうしてるんだろう、と思った。鶴丸だけじゃない。うちのみんなは、女の人とそういうことをしたいとは思わないんだろうか。
 刀剣男士は人並みはずれた力を持つ。だからこそ遡行軍と戦えるけれど、それ以外にはご飯も食べるし眠りもするし、身体的に人と違うようには見えない。だったらそういう欲求はどうなんだろう。
 起き出して端末を叩けば、すぐにそういう情報に行き当たった。政府公認の色街だ。事前申請は必要だけれど、審神者・刀剣男士問わずそういうことが出来る場所らしい。そんなものがある時点で、刀剣男士の欲求、推して知るべしということだ。

「主、起きてる?」
「起きてるよ」

 急いで端末を消して応えると、障子が開かれた。布団を抜けだしていることを叱られるかと思いきや、加州は私を見て、それから室内を見回して「換気するね」と障子の両側を開け放った。
 薄闇に包まれ始めた庭に人影はなく、少しだけ寂しく見えた。みんなは広間で膳を並べ、今日の出来事のあれこれをワイワイ話しながら箸をすすめているんだろうか。

「ここでいい?」

 そう訊ねて並べられた膳はふたつ。これはもしかして。

「加州も一緒に食べてくれるの?」
「ひとりでご飯じゃ寂しいでしょ」
「……うん」

 さすがは初期刀、と内心褒め称えながら向かいに腰を下ろす。

 てっきりお粥でも運ばれてきたかと思いきや、野菜のかき揚げと海老の天ぷら。だし巻き卵にほうれん草のごま和えと普通のメニューだ。添えられた糠漬けのきゅうりは最近歌仙が凝っているもので、朝晩きちんと糠床を混ぜることがいかに重要かを力説していたのは記憶に新しい。

「雑炊とかの方がよかった? 一応すぐ作れるように仕度はしてあるよ」
「ううん、大丈夫。……あ、でも雑炊の仕度が無駄になっちゃうか」
「そっちは明日の朝の汁物に使えるから大丈夫」
「そっか。じゃあ食べよ」

 視線を合わせタイミングをはかってから、揃っていただきますと手を合わせる。まだ加州とふたりきりだった頃は、よくこうして向かい合わせで食事を共にした。最近はふたりきりで食事する機会はなくなったけれど、それでもご飯時には近くに座るのが当たり前ではある。
 汁椀の蓋をとれば、だしのいい匂いが鼻腔をくすぐる。今日はなめことお豆腐のお味噌汁だ。

「あとで薬研が薬草茶持ってくるって言ってた。……苦くないってさ」

 同じように汁椀を手にした加州はそう言って椀に口をつけた。私がさっき言ったことを、訊いてくれたらしい。そんな小さなことが嬉しくて、つい笑みがこぼれてしまう。

「なに?」
「ううん。ねえ、加州。ご飯時に訊くような話しじゃないかもしれないんだけどね」

 ごま和えを飲み込んでから、先ほどの疑問を投げてみる。

「加州は、その、やりたくなった時ってどうしてるのかなって」
「やりたくなった時って、何をさ」

 小首を傾げながら、海老天にかぶりついた彼からそっと視線をはずしながら、こんのすけはなんと言っていたかと記憶を手繰る。交尾じゃなくて、ええと。

「女の人とまぐわいたくなった時──って、大丈夫!?」

 吹き出された海老の尻尾は、ぎりぎり皿の上へと落下した。むせながらもどうにか口の中の物を飲み下そうと格闘する加州に、私は急いで湯飲みを差し出す。

「あるじぃ……。ホントにそれ、ご飯時に話す話しじゃないよね」

「ごめん。その……今まで知らなかったんだけどね、政府公認の色街があるんだって。事前申請は必要みたいなんだけど、そういうコトをしたくなったりとか、もしも必要なら予約しようと思うんだ」
「……なんか急だね」
「う、ん……これまであんまり考えたことなかったけど、男の人の体っていろいろその……あるかなぁとか思って。ごめん、変なこと訊いて」

 上目遣いに様子を窺いながら、野菜のかき揚げに箸をのばす。カラリと揚がったそれに歯をたてると、玉ねぎの甘さが口に広がった。
 加州はといえば、嫌そうに顔を顰めながら、糠漬けを口に放り込んでいる。なにかを考えるように咀嚼していた彼は、飲み下してから口を開いた。

「そんな公式なとこじゃなくてもそれなりにあるんだよ、そういうの。主が心配しなくたってみんな適当に息抜きしてる」
「そ、そっか……みんな……」

 話しをふっておいて、ついつい落胆してしまう。私が知らなかっただけで、みんなちゃんとそういうことはしていたのだ。きっと、鶴丸も。
 口にした糠漬けが、いつもより塩辛く感じる。

「鶴丸さんとかは行ってないんじゃないかな」

 加州の言葉に、あやうくきゅうりを吹き出しそうになる。目を瞠って向かいを見れば、彼はご飯を口に運んで、なに?と視線で問うてくる。

「なんでここで鶴丸?」 
「別にぃ。鶴丸さんに限ったことじゃなくて全員が行ってるわけじゃないってこと。短刀たちも行ったって話しは聞いたことないや。あ、俺も行ってないからね」
「あ、あぁそっか。なるほどね。うん、そうか」

 短刀が見た目通りの年齢なんかじゃないというのは頭ではわかっているつもりだけれど、それにしたって小夜くんや秋田くんなんかが女の人とそういうコトをするというのはやっぱりちょっと想像しにくい。

「……主は今日」
「……」
「……。……今日さ、厨にネズミが出た」

 一瞬、今日何をしていたのか訊かれるかと身構えたものの、加州はあれやこれやと今日の出来事を話して聞かせてくれた。
 厨にネズミが出て光忠が裏返った声を出して驚いた話や、イチゴの花がたくさん咲いていたから今年は収穫量が期待できそうなこと、ここのところ出陣が少なめで退屈しているメンバーで紅白戦の手合せをしたこと。
 ひとつひとつに相づちをうちながら、もしも霊力が枯渇してしまったら、とつい考えてしまう。顕現して、戦って貰っておいて、みんなの日常すら守ってあげることも出来ない主なんて本当にどうしようもない。それとも、私なんかよりももっといい主に貰われて、今よりも楽しい毎日を送ることが出来るんだろうか。
 主が代わるのってどう思う、と。訊いてみたい衝動に駆られたものの、それを音にすることは出来なかった。私はやっぱり代わりたくない。
 ここでずっと審神者を続けたいと思ったり、終わるならいつでも終われと思ったり。心はずっと行ったり来たりだ。

「食べないの?」
「あ、うん。食べるよ」

 いつの間にか止まっていた箸を動かして、冷めてしまった海老を口に運ぶ。

「ねぇ、主。俺は主のことが大好きだよ」
「え……」
「俺だけじゃない。みんな、主のことが大好きだよ。なにかを理由に嫌いになったりしないから。そこはちゃんとわかっといてよね」
「……なにか、あった?」
「なんにも。最近あんまりふたりでゆっくり話すこともなかったし、ちゃんと言ったことなかったなって思っただけ」
「そっか……ありがとう。私も、加州のこともみんなのことも大好きだよ」

 言葉にしてみて、そうかと思う。私はみんなのことが大好きだから、やっぱり審神者でいたいんだ。

◇   ◇   ◇

 昨夜は早々に眠ってしまったせいか、今朝はすっきり目が覚めた。
 例の報酬のひとつであるノルマの免除は何ヶ月かに分けて貰うことにしたので、今月はせかせかと仕事に追われる心配もない。午後になって今日やらなければいけない書類にも目処が立ち、近侍に飽き始めていた包丁くんに「今日はもういいよ」と告げると、嬉々として遊びに行ってしまった。
 ひとり残された執務室で、包丁くんのくれたミルクミントの飴を軽く指先で弾く。遊びに行く前、掌いっぱいに載せた菓子から好きなものを取っていいと言ってくれた少し得意げな顔を思い出される。あの子は肩からかけたバックの中だけでは飽き足らず、ポケットの中にまでどれだけ菓子を詰め込んでいるんだか。

「……終わったのかい?」

 声が掛かって、小さく息を呑む。見上げると、開け放った障子から鶴丸が顔を覗かせていた。

「ううん。もうちょっと」
「だったら手を動かしたらどうだ」

 そんな科白は今までだって何度となく言われていたはずなのに、呆れられたように感じてしまうのは過剰に反応しているんだという自覚はある。それでも、「はい」と応えた声は思いのほか硬く響いた。

「なにか手伝うか?」
「う、ううん、大丈夫。今日はもう大したことないから、包丁くんにも遊びに行っていいよって言ったくらい」
「そうか」

 それだけ言うと、鶴丸はどこかへ行ってしまった。手伝って貰ったら、もうちょっとくらいは話が出来たのにと今更な後悔にぱたりと机に突っ伏した。

「やろ……」

 書類に目を通しながら、戦績データを入力していく。ちまちました作業はあまり得意ではないけれど、今日はもうこれさえやれば全部おしまいかと思うとさして苦にもならない。
 ふと視界の端に白い衣が映り、再び息を呑む。盆を置いて斜め後ろで胡座をかいた鶴丸は、「そんなに驚かなくてもいいんじゃないか」と愉しげに目を細めた。
 盆の上にはお茶とマドレーヌが二つずつ。甘いバターの香りを感じながら、つい頬が緩んでしまう。

「たてこんでいるわけじゃないなら、少し休憩しないか」

 以前はよくあったお誘いだ。仕事に飽き始める頃を見計らって、こうしてお茶を持ってきてくれる。その日の近侍と三人でお茶をすることもあれば、二人だけのこともあって、なんにせよ心待ちにしている時間ではあった。

「具合はもういいのか」
「うん。そんなに具合が悪いってことはなかったんだよ。でも顔色が悪いって言われちゃって」
「ならいいんだが」

 熱いお茶をすすりながら、話題話題と頭の中を探し回る。

「そ、そういえば昨日ネズミが出たんだってね。鶴丸は見た?」
「いいや。光坊が野菜籠から野菜をとろうとして籠から飛び出してきたらしいぜ。子ネズミだったから可愛らしくて、ネズミ取りを仕掛けるのを躊躇っているらしい」
「子ネズミか……あんまり増えちゃっても困るけど、それはフクザツだね」
「はは、きみは顔を見ちまったらせっかく捕らえたネズミも放してしまいそうだな」
「そうかも……」

 けらけらと笑う鶴丸にこっそり胸を高鳴らせながら、こんな笑顔を向けて貰えるのも久しぶりだな、と思う。少しだけ以前の雰囲気に戻れた気がして嬉しくなりながら、鶴丸が聞かせてくれる話に耳を傾ける。
 湯飲みが空になる頃、ふと沈黙が降りてきた。

「駄目だな」
「なにが?」

 マドレーヌの最後のひと口を飲み込んだ鶴丸は、溢すようにそう言って視線を落とした。そうしてひとつ息を吐いた彼は、「我ながら狭量なことだと思ってな」と苦笑する。 なんのことだかさっぱりわからず見つめていると、視線をあげた金色にまっすぐ捉えられた。

「なぁ、きみ。昨日」

 昨日に後ろめたいことが山盛り過ぎて、背筋に冷たいものが走る。昨日。訊かれたら、どうしよう。

「いや……いや、それはいいんだ その……」

 つとはずされた視線は、彼が手にする湯飲みに落とされた。その湯飲みも私と同じく空なのだろう。弄ぶように傾けたり、両手で包んでみたりしている。鶴丸がこんな風に言いあぐねるというのも珍しい。

 昨日のことは訊かれても困るけれど、いったいどうしたんだろう。

「どうか、した?」
「いや、どう言えばきみに伝わるんだろうと思ってな」
「なにが」

 再び視線をあげた鶴丸は、怖いほどに真剣な眼差しをこちらに向けて口を開いた。

「きみが好きなんだ」
「……………………え?」

 今、幻聴が聞こえた気がする。

 きみが、すき。鋤。透き。……好き?

 瞬きも、息をするのも忘れてふたつの金色を凝視する。逸らされることのないそれを見つめたまま、はくはくと鯉みたいに口を動かして、慌てて息を吸い込んだ。遅れてやってきた衝撃に、蹴飛ばされたように心臓が全速力で働き出す。

 好き。鶴丸が、私を? 

 引きはがすように体ごと視線を逸らして、衝撃を和らげようとどうにか笑ってみる。そうしてかたちだけでも笑ってみれば、そんなことがあるわけないと冷静になれた。

「そ、そういうのは驚きの材料にしてはいけないと思いマス」
「別に驚かせたくて言ったわけじゃない」
「主として、だよね。ありがとう。これからも頑張るよ」

 昨日の加州の言葉を思い出しながら、感謝を伝える。鶴丸も、最近ぎくしゃくしていてほとんど話す時間もなかったから、気遣ってくれているのかもしれない。

「いや、男女の色恋のほうだな」

 どこかで聞いた科白に、別の意味で心臓が跳ねる。同じ鶴丸国永だからって、言い回しまで同じとかホント勘弁してください。

…………え?

………………同じ? 同じってそれは、まさか。

「きみが欲しいという意味なんだが」

 熱っぽく告げられるその言葉に、冷や水を掛けられた心地になった。私はどうしてこう懲りるってことを知らないだろう。有り得ないってわかっていたのに、今更また傷ついてるなんてただただ呆れるしかない。
 あんなに愛おしそうな顔で主さんへの想いを語る鶴丸さんですら、任務を引き受けたくらいだ。
 加州も昨日言っていた。鶴丸は、そういうところへは行っていないと。彼が顕現してから随分経つ。いよいよ限界を超えたということかもしれない。

「えーと、ね。……その、そういうこと出来る政府公認の色街があって、今度申請しようと思ってて」 
「きみ……」
「……手近で済ますのはよくないよ。なるべく早くそういう場をちゃんと設けるから」

 私でよければどうぞ、と言いたい気もするけれど、ああいう最中になにを口走るんだかわからないのは身を持って知っている。好きな相手ではないと知っていてなお、わけがわからくなって混同してしまいそうになるのに、それを本人とするなんて無理に決まっている。
 それに、と思う。気付いてしまった。任務のことを鶴丸にお願い出来なかった一番の理由は、申し訳ないだとか気まずいからっていうだけじゃない。惨め、だったんだ。そんな風にお願いしなくちゃ、好きな人とそうなれないってことが。今この状況でも、やっぱりその惨めさを飲み込んで私で我慢してくれるならとは思えないなんて、ずいぶん安くて高いプライドだ。

「自分が何を言っているのかわかっているのか?」
「わかってる、つもりだけど」
「俺はきみが好きだと言ったんだぜ?」
「……男の人の体のこと、これまで考えてきたことなかったのはホントごめん。主として至りませんでした」

 鶴丸がどんな顔でこちらを見ているのか、怖くて見ることは出来ない。ただ、そんなことを言わせて申し訳ないと深々と頭を下げた。

「………………わかった」

 白い衣がすっと立ち上がり、部屋を出て行く。
 顔を上げることも出来ないままに、ぽたりぽたりと滴が膝を濡らす。廊下を渡る足音が聞こえ、私は急いで立ち上がり、開け放っていた障子を閉め切った。

◇   ◇   ◇

「えーと、鶴丸サン。なんで出掛ける仕度をしてきてるんでしょうか」
「ほお、きみに鶴丸さんと呼ばれるのはなかなか新鮮でいいな。今度からそう呼んでくれて構わないぜ?」

 声を弾ませる彼の言葉に、ぐうの音も出ない。
 鶴丸さんと会う三度目の日の朝、近侍を務める鶴丸は転位門の前で見送るだけの筈が、どう見ても一緒に行く気としか思えない、羽織を着て刀まで持って現れた。
 あの告白ともつかない衝撃発言の日以来、鶴丸は何事もなかったような顔で振る舞っていた。ふたりきりで話すような時間はなかったものの、あまりに前と変わらないその様子に、もしかしたらあれはやっぱり幻聴だったのではとさえ思い始めていた。
 本当ならば色街の予約申請だって早いほうがいいだろうと思いながら、鶴丸にそんな所に行って欲しくないなんて考えてしまうあたり本当に自分勝手だと思う。
 今日だって他所の鶴丸国永に抱かれに行くクセに。そう考えると、ゆるゆるとため息が零れた。

「今日は政府の施設に行くんだったな。最近多くないか」
「前に比べると、そうかもね」
「本丸を出る時は護衛がついて行くのが当たり前だったよなァ」

 鶴丸の言うことはもっともだった。本丸を出る審神者に、護衛がついていくのはごく当たり前のことだ。これまで他の刀剣にも同じように訊かれて、答えたそれをなるべく自然に口にした。

「今日は政府の施設からは一歩も出ないから。ほら、あの施設には政府直轄の刀剣男士がいっぱい控えてるでしょ。だから大丈夫って……」
「俺も行く」
「はい?」
「聞こえなかったのか? 俺も行くと言ったんだ」

 刀の位置をくいと直した鶴丸は、機嫌よく笑って門へと足を踏み出そうとする。

「いやいやいやいや。これはそういう付き添いいらない仕事だから近侍サマにおかれましては書類などを進めて頂けると主はとっても助かるというかなんというか」
「それなら昨夜終わらせておいた」
「昨夜!?」
「それで気付いたんだが、ここしばらく随分課せられる任務が減っちゃいないか。きみ、あの管狐になにかまた無理難題を課せられてるんじゃないだろうな」

 鶴丸は案外真面目な近侍サマだ。驚かすことや楽しませることが大好きな反面、事務仕事を手伝ってくれる時には、予想外の優秀さを発揮する。
 一週間ずつ交代している近侍当番は、自分の当番週だけを見てくれている限り、ノルマが軽減されていることには気付かないはずだった。そういう風に割り振って、スケジュールを組んだ。彼のこの発言は、ここしばらくのデータと今後のスケジュールまでチェックしてきた上でのことだろう。

「よ、夜のうちにやってくれたんだ? ありがとう。帰ったら確認するから、終わっているなら今日は鶴丸はお休みということで。ゆっくり好きに過ごして」
「好きに過ごしていいのか」
「うん」
「そうか、ならばきみと行く」
「はい!?」
「きみ、さっきからついて来られちゃマズいと言っているようなもんだぜ?」

 両腕を組んだ鶴丸が、目を眇めて尋ねてくる。
 いよいよ返事に窮して、迎えにきてくれていたこんのすけに助け船を求めようと姿を探せば、門の横、転位設定装置の横にちょこんと行儀良く座っていた。目配せしようにも、当の狐は飛んできた蝶々などに気を取られ、一向に目が合わない。

「なにをしに行くんだい」
「そりゃ、い、いろいろだよ」
「会議でもないんだろう?」
「いや、だからほら、審神者の霊力を保つための検査とか」
「霊力? 何か困ったことでも起きているのか?」
「う、ううん。困ったことが起きたら困るから困らないように」

 段々と何を言っているんだかわからなくなってくるなか、事態を動かしたのはこんのすけだった。

「主はこう言っているが、こんのすけ。俺がついていっちゃマズい理由はあるか? 通常政府施設にも護衛がつくのが常だったな」

 空高く飛び去った蝶々を見送ったこんのすけと、ようやく目が合った。黒いつぶらな瞳に、助けてと念を送る。

「……同行していただけばよろしいんじゃないですか?」

 助け船どころか泥舟を寄越されて、心の中でこの裏切り者!と声をあげた。そんな心の叫びもどこ吹く風、こんのすけはぱたりぱたりと尻尾を振って鶴丸の足下までやってきた。

「別室でお待ち頂いてる分には何も問題ないのでは? ただ、鶴丸さま。用事が済むまでは途中で会わせて差し上げるなどできません。それでよろしいですか」
「やむを得んだろうな」
「では、行き帰りの護衛のみ。それでよろしければ、護衛としてご同行くださいませ」

 

 そうして、今、エレベーターで肩を並べている。ポーンと軽やかな音がして、目的階に着いたことが知らされるものの、踏み出す足がどうしようもなく重い。

「降りないのか」
「降りマス」

 《開》ボタンを押してくれている鶴丸に促され、絨毯敷きに足を踏み出すと背後の扉はすぐに閉められた。
 施設についてすぐこんのすけと何事か話していた鶴丸は、私と同じようなカードキーを手にしていた。あんなコトをしている最中、鶴丸が同じ建物の中に居るというだけでも酷い罰ゲームを受ける心地だというのに、同じフロアだなんてあまりにあまりだ。これで万が一鶴丸が隣の部屋だったりしたら、いくら防音がきいていようとなんだろうと今日は絶対に絶対にしたくない。事情を話せば鶴丸さんだってわかってくれるはずだ。

「じゃ、私はここだから」
「あぁ」
「鶴丸は? まさか、隣とか?」

 さりげなく、さりげなくと自分に言い聞かせ、カードキーで解錠しながら訊いてみる。ドアノブに手をかけた途端、ぐいと体を押されて鶴丸と一緒に室内に入ってしまった。

「ちょ、鶴丸っ」

 まさか鶴丸さんは来ていないだろうかと慌てて気配を探る。そんな私の動揺を気にも止めず、私の腕を強く掴んで部屋の奥へと足を進めた。
 磨りガラスのドアに手を掛けるのを見て、まだ来ていませんようにと祈りながら目を瞑る。乱暴にドアの向こうへと押しやられ、急いで室内を見渡せばまだ鶴丸さんの姿はなく、安堵が押し寄せる。

「なにか捜し物か? 主」
「……え? あ、ううん。っていうか鶴丸は別の部屋でしょ」

 言いながらも、ドアの向こうが気になって仕方がない。いつものようにノックしてくれればまだ誤魔化しようもあるけれど、カードキーで入って来られてしまえばさすがに言い訳するのも苦しそうだ。

「そう心配しなくたって誰も来やしないさ。鍵がかかる音ならきみも聞いただろう?」
「そ、そういうんじゃなくて」
「それとも。そいつはここに入ってこられる鍵でも持ってるのかい?」

 舌なめずりをする肉食獣は、きっとこんな表情をしているんだろう。獰猛に輝く金色は狙いを定めるようにこちらを見ている。無意識に後ずさりかけて、「どうした?」と嗤われた。

「つ、鶴丸こそどうしたの?」
「どうした、か。はは、なあ主。俺は機会はやったつもりだぜ?」

 視線は外さないままに、鶴丸はゆったりとした仕草で刀を外した。

「もう一度だけ訊こうか。なにか隠してることがあるだろう」

 言えるはずもない問いだ。ふるふると首を振れば、はっと短く息を吐くように笑った鶴丸は、ソファに刀を置くと私の腕を強く掴んでベッドに投げるように転がした。慌てて起き上がろうとするのに、すぐにのしかかられて組み伏せられた。

「それで? きみはまた俺じゃない俺に抱かれるつもりだったんだよなぁ? 俺には色街を勧めておいて、とんだ茶番だな」
「──! な、んで、そ」

 噛みつくようなキスだった。
 鶴丸の草摺が当たる腿や足も、強く掴んで押さえ込まれた手首も酷く痛む。
 差し込まれた舌はどうしようもなく熱く、逃げ惑っても追い回されて絡め取られる。

 どれだけそうしていただろう。抵抗する気力もなくなり、足りない酸素に意識が遠のきかけてようやく手首も唇を解放された。
 眦から涙が滑り落ちるのを感じ、両腕で目を覆い隠した。

 全部、知られてしまったんだ。

「泣くほど嫌かい」

 問いかけに首を振る。嫌なはずはない。こんな風に強引に押さえ込まれて怖いのに、それでも鶴丸とのキスが嫌なはずがなかった。

「なんで、こんな……」
「なんで? 理由なんてひとつだと思わないか」
「黙ってたことならごめんなさい。こんなこと誰にも言えなかったから……」

 他の鶴丸国永と寝ていた。そんな女を今彼がどんな表情で見下ろしているのか。目にする勇気はなくて、腕をどかさないままに謝罪を口にした。

「本当に……俺が何に怒っているのかすらわからないんだな」

 疲れたようにそう言った鶴丸は、優しく、けれど強引に私の腕をはずさせて、そっとベッドに縫い付けた。先ほどまでギラギラとしていた金色は、今は静かにこちらを見ている。

「きみが好きだと言っているだろう」
「知ったから?」

 嗚咽が混じりそうな声を、どうにか抑えて絞り出す。

「こんなことしてるって知ったから、だから好きとか言い出したの?」 
「何を言って」
「哀れんでなんて欲しくないっ」

 精一杯の虚勢で睨み付ければ、ぎらりと底光りするような眼差しを向けられた。その顔をぐっと近づけて、唇が触れそうな距離のもと、鶴丸は信じられない言葉を口にした。

「心外だな、主殿。二度も睦み合った仲じゃないか」
「……え?」
「今日は最初に会った日の服装を所望だったのに悪かったな。なにぶんきみと一緒じゃ着替える隙も刀を別の部屋に置いてくる暇もなかったさ」

 鶴丸さんしか知らないはずのことをつらつらと言ってのけた鶴丸は、私の胸元のボタンを慣れた仕草ではずしていった。

「今日はずっと鶴丸と呼べばいい。なァ? 愛しい愛しい俺の主」

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