「メリークリスマス!」
皆で口々に言い合って、グラスをかざせばアルコール0%の健全発泡ジュースが揺れる。
当初の予定を変更してパーティをすると決めてからは、なかなかに目まぐるしかった。
今朝アリアを送ってきた芦屋は、珠紀に彼女を預けると、じゃあ後はよろしく、と人のいい笑みを残して早々に立ち去った。
油断するなと念を押されていただけに、あまりにあっけなく立ち去るその姿に、思わず傍にいた真弘と顔を見合わせたくらいだ。
その後はアリアに同行して、学校や廃墟となった洋館、鬼斬丸が封印されていた地をめぐり、彼女が祈りを捧げるのを見守った。
考えてみれば鬼斬丸を破壊して以来、学校を除くそれらを訪れたのは初めてのことだった。
いずれの地も戦いの跡を色濃く残し、崩れかけた壁や、抉られた地面があの時の戦いの壮絶さを否応なく思い出させ、改めて真弘が生きて傍にいてくれることが本当に幸せなことだと実感した。
隣に立っていた彼も、同じことを考えたのだろうか。
祈りを捧げるアリアの後ろで、どちらともなく手を取り合って、互いの温度を感じていた。
その間、他の守護者たちはといえば、美鶴と共に食材の買出しや、ツリーの調達、部屋の飾り付け等各自が与えられた作業をこなした。
その甲斐あって、室内は純和室には少々不似合いながらも、きらきらしたモールが飾られ、床の間には電飾に彩られたクリスマスツリーがある。誰がどう見ても、部屋は立派にクリスマス仕様だ。
「あー! 俺の肉食ってんじゃねえぞ、拓磨」
白い湯気をあげる鍋を前に、真弘の大声が響く。
「それほど食べるのに背が伸びぬとは、神のなさりようは人の理解を超えるな」
珠紀の隣に座るアリアは、呆れとも感嘆とも取れる声音で、珠紀の反対隣に座る真弘の食べっぷりを評した。
「なんだ、チビっこ。今失礼なこと言っただろ?」
「チビっこではないっ! それに私が述べたのは目の前の真実についてだ」
「んだとぉ!?」
「いや、真弘。俺も常々思っていたことだ」
向かい側から、真弘も拓磨もほとんど手をつけない長ネギを取りながら、祐一が淡々と言う。
「祐一、てめえ」
「煮えすぎると固くなるんで」
真弘が祐一に気を取られた隙をつくように、拓磨の箸が肉を攫う。
「ってコラ拓磨! だからそれは俺の肉だー!」
鍋を前にした守護者たちの応酬は見慣れたものだが、クリスマスだというのに、あまりにいつも通りの光景だ。
珠紀は口を挟む気にもならず、煮えた白菜を自分の皿に取り分けた。
「……慎司くん、食べてる?」
「はい。僕は大丈夫ですよ」
鍋の争奪戦には適度に加わりながら、クリスマスのチキンやサラダを手元に確保している慎司は、先輩こそ食べてますか? と逆に気遣ってくれる。
「うん、食べてるよ。アリアは大丈夫? 何かとろうか?」
「うむ。ではそのチキンをいただこう」
持ち手にホイルが巻かれ、カラフルなリボンが結ばれているチキン。
それを嬉しそうに食べているアリアの向かいで、祐一はいなり寿司を食べ始めている。
鍋を中心としてテーブルいっぱいに並ぶ様々な料理に、改めて今朝からの美鶴の準備に頭が下がる思いだ。
「美鶴ちゃん、結局ほとんど手伝えなくてごめんね。こんなにいっぱい大変だったでしょう?」
「いえ、時間は充分ございましたから。……普段作らないようなものも作ったので、お口にあうといいのですけど」
「どれもすっごくおいしいよ。ありがとね、美鶴ちゃん」
そう言うと、美鶴はほんのり頬を赤らめて、花が綻ぶように笑った。『可愛い』というのはこういう女の子の為にある言葉だとつくづく思う。
お嫁さんをもらうなら絶対美鶴ちゃんがいい、などと考えながらプチトマトを食べているところに、もう一人の守護者がようやくやってきた。
「遅くなりました」
「卓さん。よかった。これ以上遅かったら、料理がなくなっちゃうところでしたよ?」
「申し訳ありません。でも、間に合ったようですね」
アリアに挨拶をしながら、卓はその隣に腰を下ろした。
入れ違いに立った美鶴は台所へ向かったかと思うと、まもなく皆が飲んでいるのとは違う瓶を盆にのせて戻ってきた。
「卓さんは、本物のお酒?」
「クリスマスですから。大蛇さんはさすがにジュースというのも」
「お気遣いありがとうございます」
シャンパンが、慎司の手の中で小気味よい音を立てた。
鍋戦争を繰り広げている2人と寝ている1人を除いて再び乾杯をして、珠紀は卓が口に運ぶその淡い黄金色の液体を興味深そうに見つめる。
自分の前に置かれたお子様向けなんちゃってシャンパンとは、醸す雰囲気が違って見えるのは当然といえば当然なのだろうか。
それをごく自然に飲んでいるのは、なんだか『大人の男』という感じがする。
「卓さんが大人なんだって、改めて実感しました。なんか格好いい……」
尊敬の眼差しを向けていると、会話に割り込む勢いで、真弘がポイポイと珠紀の皿へ肉を放り込んだ。
「珠紀、食ってるか? おまえも肉食え、肉! 育つべきところが育たねえぞ」
「ちょ、先輩! それどういう意味ですか!」
「……食べても育ってはおらぬではないか」
「だからチビっこは黙ってろ!」
案外ヤキモチ焼さんなんですねぇ、という卓の呟きに、なんのことかと首を傾げながら、珠紀は皿へと積まれた肉を箸でつまんだ。
所狭しと並んでいたはずの料理は、ものの見事にたいらげられた。
最後まで肉の争奪戦を繰り広げていた二人も、さすがに満足したのかおとなしくなっている。
美鶴を手伝って空いた皿を片付けた珠紀は、ケーキを持って居間へと戻った。
大きなホールのいちごのショートケーキ。
砂糖菓子で作られたサンタやトナカイが並ぶ、いかにもクリスマス仕様のそれをテーブルに置くと、先ほどまで「たらふく」だの「もう食えない」などと言っていたはずの守護者たちも、おぉと感嘆の声をあげる。
もっとも珠紀も人のことは言えず、こうしてケーキを前にすると、別腹という言葉が頭を過ぎる。
隣に座るアリアも、子供らしい表情でケーキを見つめていた。
珠紀に続いて、美鶴が紅茶を運んできた。
そろそろ頃合いかもしれない。
珠紀はまわりに目配せで同意を得てから立ち上がり、部屋の隅に隠すようにしておいていた袋を持ってくると、それをアリアに差し出した。
「はい、アリア。みんなからプレゼントだよ」
銀色の袋に真っ赤なリボンが結ばれたそれは、この場にいる全員からアリアへのクリスマスプレゼントだった。
「プレゼント、だと?」
「そう、クリスマスプレゼント。よかったら開けてみて?」
促すと、アリアはおずおずとリボンをとく。
好奇心に満ちた表情で袋の中を覗く彼女の様子を、一同が見守った。
「これは……」
中から姿を現したのは、アリアが抱っこするにはやや大きめのクマのぬいぐるみだった。
薄いベージュの柔らかにカールした毛で覆われたそのクマは、珠紀がひと目みてコレが一番可愛いと決めたものだった。
アリアは、目の前に捧げ持つようにクマの顔を見つめている。
そして満面の笑みを浮かべ、クマをそっと抱きしめた。
その姿は今まで見たどのアリアよりも、年相応の少女の仕草だった。
「気に入って貰えたなら嬉しいのだけど」
「礼を言う。大切にしよう。……すまぬ、珠紀。私は何も用意していないのだ」
「ばーか。ガキはそんなこと気にしないでいいんだ。いいからケーキでも食ってろ」
いつの間にか切り分けていたケーキを目の前においた真弘に、「私はガキなどではないぞ!」と噛みつくようにアリアが抗議の声をあげる。
「しょーがねーから、サンタもやる」
真弘がアリアのケーキの上に立たせるように砂糖菓子のサンタを置いてやると、少女は目を輝かせた。
「よ、よいのか? ……おまえがこのように親切な振る舞いをするなど、裏があるのではないか?」
「だぁーっ! いちいちムカつくガキだなっ。だが今日はクリスマスだからな。オトナの俺様は大目に見てやる」
食事中には散々言い合っていたのを忘れたように胸を張った真弘は、美鶴によって置かれた己のケーキの上に、トナカイをキープした。
珠紀の視線に気付くと、「なんだ? 食いたいのか?」とトナカイを指す。
「いえ、先輩どうぞ」
「おう」
ケーキと共に、紅茶が皆に配されていく。
珠紀は香りのよいお茶に口をつけながら、ふと疑問が湧いた。
「先輩、そこまで甘い物好きでしたっけ?」
「いや?」
トナカイの頭をくわえた真弘は、甘っ!と呟き、紅茶のカップを手にした。
「好き嫌いじゃなくて、なんつーかこういうのって、いかにもクリスマスケーキ食ってるって気分になるからな」
それは小さな子供がそれを欲しがる理由に、似ているのではないだろうか。
思い至ると、その行為がとても可愛らしいことのように思え、笑みが零れる。
「おまえ、今なんかしつれーなこと考えなかったか?」
「いえ、別に」
答えてケーキをフォークで切り分けていると、ほら、と目の前に『Merry X’mas』と書かれたチョコレートのプレートが差し出される。
口元に運ばれているということは、このまま食べろと言うことだろう。
皆の前で恥ずかしいと思いつつ、珠紀はパリとそれを一口かじった。
「旨いか?」
ニカっと笑った真弘は、その残りを当然のことのように自分の口へと放り込んでしまう。
「!?」
「なんだ、ケチ。半分くらいいいだろが」
珠紀の驚いた視線に不服を唱えた真弘は、指先についたチョコをぺろりと舐めると、目の前のケーキを食べ始めた。
周囲の皆は何も見ていませんという顔で、ケーキを食べている。
まだ、誰かに茶化された方がマシだったかもしれない。
珠紀は赤くなっている自分を感じながら、微妙な空気に耐えて、ケーキを口に運んだ。
「珠紀。礼を言う。こんなに楽しい降誕祭は、初めてであった」
皿の上にいちごを残しながらケーキを食べているアリアが、ぽつりと言った。
「よかった。私も楽しかったよ。明日は、芦屋さんが迎えに来るの?」
「うむ。昼までには来ると言っていた。実はあの者から、珠紀に直接交渉するように言われていたことがある」
「……交渉だ? やっぱりあの野郎、何か企んでやがったな。ぜってえダメだ」
早くもケーキを食べ終えたらしい真弘が、即座に不機嫌な声音で断じた。
「ちょっと、先輩。まだアリアは何にも言ってないですよ」
「真弘。話くらい聞くべきだ」
オサキ狐の口に甲斐甲斐しくケーキを運んでやりながら祐一が言えば、それを否定するように即座に拓磨が口を開く。
「俺もろくな話しじゃないと思いますけどねえ」
「ちょっと拓磨までっ。もお……。ごめんね、アリア。ちゃんと聞くよ。交渉って何?」
「その……この地で、暮らすわけにはいかないだろうか?」
「え? アリアがこの村にってこと?」
「私の至らなさが、フィーアたちを犠牲にする結果となった。許されるならこの地で、あの者たちの安寧なる眠りの為、祈りを捧げて過ごしたい。この村で……ここで、暮らすわけにはいかないだろうか?」
フォークを置いたアリアは、珠紀に向き直った。
真剣でまっすぐな瞳を見つめ返しながら、今日、目の前の少女に同行した時のことを思い返す。
それぞれの場所で、相手に対して真摯に問いかけ祈る姿から、『しもべ』などと呼びながらも、アリアにとって彼等が本当に大切な仲間だったのだということは痛いほどに伝わってきた。
両親もいなくて、大切な人たちまで失った彼女がそれを望むなら、叶えてあげたいと珠紀は思う。
「アリア様が……ここで暮らす?」
「それってここんち、ってことだよな?」
呟くような慎司と拓磨の言葉に、アリアは小さく頷いた。
「無論、世話になる礼はするつもりだ。……だめか?」
「もちろん、歓迎するよ。アリア」
確かめるように一同を見回すと、温かな雰囲気が肯定を示していた。
「なぁんか、あの野郎の思惑に乗っかってる感じがしてムカつくけどな。ま、いいんじゃねえか?」
「典薬寮とは細かい調整が必要になるでしょうね。明日芦屋さんがお見えになる時は、私もご一緒しましょう」
ため息まじりの真弘も同意を示したことで、それまで成り行きを見守っていた卓は守護者のまとめ役らしくそう言うと、アリアに同意を求めた。
その後はお茶を飲みながら、他愛ないやり取りが続いた。
子供が寝る時間、というものがアリアに当てはまるのかはわからないが、今日はここに泊まることになっている彼女には、そろそろ風呂を勧めるべきだろうかと珠紀が考え始めた頃、真弘がトイレに立った。
部屋を出て行く背中を目で追いながら、やはり今日は真弘とふたりの時間を確保するのは難しそうだと思った。
クリスマスのプレゼントくらいは渡したいと考えていたけれど、明日にでも渡そうか。
そんなことを考えていると、「珠紀」と声がかかった。
「珠紀、実はおまえにも、皆からプレゼントが用意してある。境内に置いてあるから見てくるといい」
祐一が膝に乗せたオサキ狐を撫でながら微笑んだ。オサキ狐は撫でられる感触が気持ちいいのか、うっとりと目を閉じている。
「境内、ですか? っていうか私みんなのプレゼント用意してなくて……」
「いいから、早く行け」
「早くしないと、なくなっちゃいますよ?」
急かされて、珠紀はよくわからないままに立ち上がった。