水晶森の咎人 第2章  甘くて苦い想い出 4

オリジナル, 水晶森の咎人

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 洗濯物を干し終えて家に入ると、室内は甘い匂いに満たされていた。途端に空腹を訴えるおなかをそっと撫でながらキッチンのドアを開けたフィラは、その光景に思わず「わぁ」と声を漏らす。
 庭で摘んだハーブのサラダ、ふんわりとしたオムレツに、サンドイッチ。それに加えてスコーンやカラフルにデコレーションされたプチケーキなどがテーブルに並べられていた。
「どうかした?」
 厚い生地の手袋をした声の主は、天板からクッキーのような焼き菓子を皿へと移している最中だ。そこからも香ばしい匂いが漂ってくる。それに刺激されたように、おなかは再びグゥと鳴いた。
 昼食は朝食の残りのスープとパン、それにサラダと香りのよいお茶。それが常だった。夕食にはそれに1つか2つの料理が加わるが、それにしたってこんな風に菓子が並ぶことはなかった。
「なにかの、お祝いですか?」
 ドアの前に立ち尽くしたまま尋ねると、ソルは機嫌のいい笑みを浮かべて片目を閉じる。
「違うよ。お手伝いを頑張ってるお子様に、少しくらいはご褒美をってね」
「お子様って……」
 尋ねかけた少女は、それが誰のことを指すのか気付くと「そんなに子供じゃありません」と頬を膨らませた。
「まぁまぁ。ほら、座りなよ」
 促されて席についたフィラは、再びまじまじとテーブルに視線を落とす。
 とろりとチーズが溢れ出すオムレツからはまだ湯気があがっている。籠から顔をのぞかせているスコーンからだろうか。バターの香りが鼻腔をくすぐる。
 なによりフィラをワクワクさせたのは、指先で摘めるほどの小さなケーキたちだ。
 ご褒美とは言っていたけれど、きっと彼もこういうお菓子が好きに違いない。そう感じるほど、ケーキはどれもひとつひとつ丁寧にクリームが絞られ、ピンクや水色、銀色の飴のような粒菓子で綺麗に彩られていた。
「これ、全部作ったんですか?」
「もちろん」
 フィラの前に置かれたカップにミントティーを注いだソルは、己のカップにも同じように注ぐと、向かいの席に腰を下ろした。
 彼はいつものように目を瞑り、精霊に感謝を捧げる。フィラも続いて目を閉じた。
 いつかの光景が瞼の裏に浮かぶ。
 
 窓から射し込む暖かな陽射しに、白いテーブルクロスが明るく映し出される。並べられた皿の上には様々な、でも彼女が食べきれる程度に少しずつの菓子が並んでいた。砂糖細工の美しい花々や、バニラの香りがするクッキー、炒り豆をチョコレートでコーティングしたもの。それに大好きだったマドレーヌ。そこに添えられた飴細工が、陽の光を受けて輝いて見えた。
 早く食べたくてもどかしくて、マサルサスへの祈りを捧げながら気もそぞろだった。
 
「今日は熱心に祈るね」
 笑み含んだ声に目を開けると、向かいの青年が頬杖をつきながらこちらを見ている。思いのほか時間が経ってしまったようだ。俯いたフィラは「たまたま、です」と誤魔化すように曖昧に笑った。
「ほら、冷めちゃうから食べよう」
 彼の言葉に頷いて、甘い誘惑を意識の外に押しやりながら、最初にサラダを口にした。柑橘系のドレッシングとハーブの香りが広がるいつもの味だ。ケーキにいきそうな指先を制してパンに手を伸ばした途端、向かいから不思議そうな声があがった。
「あれ、こういうの嫌い?」   
「こういうの?」
「甘いもの」
 嫌いなはずがない。頭を振って否定したものの、なんでソルがそんな風に思ったのかわからずに小首を傾げると、「食べないからさ」と答えが返った。
「食べて、いいんですか?」
「飾っといても仕方ないだろ?」
「食事が済まないといけないのかと」
 子供の頃、デザートは食事をきちんとした者だけが得られるのだという小言を幾度となく耳にしたから、食事が済むまで手を伸ばしてはいけないのだろうと思っていたけれど、そういうものでもないのだろうか。
「いつもってわけじゃないしいいよ。だいたい君、食事の後にこんなに食べられるの?」
 テーブルを見渡して、ふるふると頭を振ったフィラは、惹かれてやまなかったプチケーキを指先で摘んだ。
 白いクリームの上には、水色の粒飴が輝いている。口に入れると舌の上にふわりと甘く広がり、自然と笑みが浮かんだ。プチプチとした歯ごたえの粒飴も、瞬く間に溶けていく。
「ちゃんと笑えるね」
「え?」
「いーや、こっちのこと。気に入ったならよかったよ」
「すごくおいしいです」
 満足げに頷いたソルは甘いものに手を伸ばす気配もなく、いつものようにサラダやオムレツをつついている。
 ふとテーブルの端に置かれた菓子が目に留まった。先ほど部屋に入って来た時にちょうど焼き上がっていた菓子だ。コロコロと丸いそれをつまみ上げて歯をたてると、外側はカリリとしているのに、口の中にいれた途端ほろりと崩れ、シナモンに似た、けれどそれよりももう少しスパイシーな香りと甘さが舌の上に広がった。
 その香りに呼び起こされるように、いつかの笑顔が鮮やかに脳裏に浮かぶ。
 ふたりだけの秘密よ、と人差し指を唇の前にたてた少女のような笑顔。
「……さま」
「ん?」
「──! あ、いえ。これ、エアティール?」
 この菓子を初めて食べた日のことを思い描いていたフィラは、青年の表情に驚きが過ぎったことには少しも気付かなかった。
「よく……知ってるね」
 珍しいお菓子なのだろうか。もっともフィラ自身、食べたのはこれが三度目のことだ。
「そう、エアティールだよ。食べたことある?」
「はい。いつかちゃんとしたのを食べてみたいなって思っていたんです」
 懐かしくて、再びそれに手を伸ばし、つまみ上げたそれをまじまじと見つめる。これがきっと『ちゃんとしたエアティール』なのだろう。
「『ちゃんとしたの』ねぇ。君が食べたのはちゃんとしてなかったのかい? ……甘くなかったとか?」
「甘かったですよ。そうじゃなくて、もっとでこぼこした形をしていたし、ちょっと焦げたりしていました」

『ちょっと失敗しちゃったわ。でも味は同じよ……だいたいは』
 
 そう言って肩を竦めていた姿を思い描いただけで、なんだか泣きたい気持ちになる。つまんでいたエアティールを口に入れて、こみあげてきた何かごと飲み込んだ。
 
『いつかあなたにちゃんとしたのを食べさせてあげたいわ。なんというか、本当においしくてクセになる味なのよ。お皿いっぱいにあったって、いつの間にか全部食べちゃうくらいに』
 
(ホント、そうだね……)
 エアティールは彼女の言っていた通り、いくつでも食べられそうな気になる菓子だった。
「これは案外焦げやすいからね。味は、同じだった?」
「同じです。とても……とてもおいしかったんです」
 作ってくれたのはたったの二回。三回目は一緒に作る約束だったのに、それは結局果たされなかった。
「そう。ほら、こっちも食べなよ」
 勧められたデコレーションされてないプチケーキを半分囓ると、中にはジャムが入っていた。ハーブの香りが漂うこのジャムも、ソルの手作りなのだろうか。彼の料理の腕に改めて感嘆しながら飲み込むと、そのタイミングを見計らったようにソルが口を開いた。
「ねぇ、フィラ。君さ、本当に十六歳?」
 ティーカップを手にしながら軽く目を伏せる青年の表情からは、質問の意図は読み取れない。
 確かにもう何年も、今日がいったい何日なのかはわからないような生活をしてきた。それでも季節は巡り、年に一度の祈年祭を遠くから眺めることで、己の年齢が確実に積み上がっていることを数えることは出来た。
 なにより、もうこんなことを偽る必要も感じられない。
「はい。あと少しで十七歳ですけど。なんでですか?」
「んー……いや……。もっとお子様かと思ってさ」
 むぅと膨れながらも残りのケーキを口に入れれば、甘いバニラの香りに不機嫌など吹き飛んでしまう。幸せに緩みそうな頬を引き締めながら、フィラはティーカップを持ち上げた。
「よく食べてたの? エアティール」
「二回だけ、です。……本当は料理なんて」
 してはいけなくて、と言いかけて、ふと迷った。これ以上は話し過ぎかもしれない。
 口を噤んだのを不審に思ったのだろう。向かいから「どうかした?」と心配そうな声がかかった。
「いえ。それより訊いてもいいですか?」
「なに?」
「ソルさんは、なんで魔法使いになったんですか?」
「さぁ。それしか出来なかったからじゃない?」
 先ほどの質問など忘れたように、どこか他人事めいた答えを口にする姿に安堵しながら、フィラは話題が後戻りしないように言葉を続けた。
「それしかって。だって、こんなおいしくて可愛い菓子を作れるなら、きっと城仕えの菓子職人にだってなれるのに」
「城仕えか。それは光栄だね。でも、これは僕にとって目的じゃなくて手段だったからさ」
 ほんの少し寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。それに、お菓子を作ることが目的ではなく手段とはどういう意味だろう。
(このお菓子が手段? なんの?)
「それって」
 テーブルの菓子を端から端まで見回したフィラは、思いついた可能性をそっと口にしてみた。
「もしかして……これも魔法?」
「これって、どれ?」
「このお菓子に、魔法がかけられているんですか?」
 慎重に問いを差し出すと、ソルは喉の奥で笑って、ひどく愉しそうに見つめてくる。
「あぁなるほど、目的と手段か。じゃあさ、どんな魔法かあててごらん」
 あぁやっぱり。別に害はないけれど、それにしたって知らないうちに魔法をかけられてしまうなんて面白くない。
 フィラは悔しい気持ちで唇を尖らせながらも、思いつくものを挙げてみた。
「食べたら幸せな気持ちになる魔法とか。笑顔になっちゃう魔法とか」
「いいね。うん、それはいいや」
「笑わないで答えてください。どんな魔法をかけたんですか?」
 クスクスと肩を揺すっていた彼は、カップを置いて頬杖をつき「幸せになったんだ?」と黒い瞳を細めた。
 柔らかな笑みに、なぜだか顔が熱くなった気がして慌てて視線を逸らす。これもやっぱり魔法の効果だろうか。
 悔しく感じながらも頷いて肯定すると「そいつはよかった」と満足げな声が響く。
「よくないです。なんで魔法なんて」
「かけてないよ」
「え、でも」
「うん。君が幸せになったんなら、魔法なのかもね」
 そう言って片目を閉じるソルを前に、そんなの矛盾している、と思う。魔法はかけていないと言う。けれど、魔法かもと答える。いったいどっちが本当だろう。
 フィラの困惑を読みとったように、青年は軽く肩をすくめた。
「本当に魔法なんてかけてないんだ。でもね、そんなもの使わなくたって、誰かを幸せにすることも、自分を幸せにすることも出来るってことだよ。それって魔法みたいに……いや魔法よりもずっとすごいことだと思わない?」
「……」
「だから魔法使いになんて」
 ソルが言わんとすることを察したフィラは、「それでも」と口を挟んだ。
「それでも、私……。幸せになれなくていいんです。ただ……」
「ただ、……なに?」
 ただ、願いを叶えて欲しいのだ。そしてそれを叶えられるのは、フィラの知る限り水晶森の魔女以外いないのだ。
「幸せになりたくないの? 僕……水晶森の魔女は誰かを幸せにする為の魔法しか教えられない」
 もしもその願いがこんなに後ろめたいことでないのなら、きっと正直に言ってしまっただろう。魔法使いになりたいんじゃない。ただ、彼女に会いたいのだ、と。
 気まずい沈黙が降りる。彼の溜息の気配に居たたまれない気持ちになりがら、フィラは俯いたままスカートを握りしめた。
「そういえばさぁ。あの馬、名前はなんていうの?」
「え?」
 先ほどまでとは違うのんびりとした声音に顔を上げると、青年の眼差しは小窓の外に向けられていた。視線の先では葦毛の小馬が、飽くことなく草を食んでいる。
「名前……」
「君の馬でしょ? 名前はないの?」
「私の馬というか……貰ったというか……」
「まさか盗んだんじゃないよね?」
 疑わしげに眇めた黒い目に、ぶんぶんと首を振って否定すれば、「ならいいけどさ」と軽い調子で言って席を立つ。
「じゃあ午後は留守番しながら、あいつの名前でも考えててよ」
「もう出かけるんですか?」
「うん」
「え、だって、まだあまり食べてないのに」
「早く行かないと帰りが遅くなるし、甘ったるい匂いだけでもう十分かな。あとは君が食べな」
 そう言いながら部屋の隅に置かれていた大きな革袋を担ぐと、ドアノブに手を掛けた。
「何か必要なものはあるかい? 買ってくるけど?」
「いえ。大丈夫です」
「そう? ……あぁそうだ。それ、無理に全部食べたりしないこと。わかった?」
 頷くと、ソルもまた頷いて「じゃ、留守番よろしくね」と出て行った。
 ややして窓の向こうに現れたソルは、いつものように己の馬を呼び寄せて鞍をつけている。その横では相変わらず葦毛の馬が、ただ黙々と草を食べ続けていた。
「甘ったるい匂いって……」
 彼はお菓子が嫌いなんだろうか。だったら、なんでこんなにたくさん作ったのだろう。
「私の、ため?」
『少しくらいはご褒美をってね』と言って片目を閉じた先ほどの彼の姿を思い出しただけで、また少し鼓動が早くなった気がした。
「やっぱり、魔法だ。きっと」
 椅子の背もたれに体重を預けながら、少女は再びエアティールに手を伸ばした。 
 
 
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