水晶森の咎人 第2章  甘くて苦い想い出 1

オリジナル, 水晶森の咎人

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 ソルは出窓に腰掛けて、手にした羽を見つめていた。指先でくるくると弄ぶそれは、今となってはただの羽だ。

 【解】と【封】。

 彼の人から届けられたのはこの二文字と、白い羽だけだった。
 謎かけのようだ、と思う。
 解き放つこと。封じること。相反するその魔法文字は、ひとつの対象に対して同時に発動するなどあり得ないものだ。
 捕まっているから助けてほしいとでもいうならば【囚】と【解】でよかったはずだ。
 なぜ、この2文字だったのか。
「本当に、相変わらずでたらめな人だよね……」
 沈みそうになる心を誤魔化すように呟いた青年の耳に、遠慮がちなノックの音が響く。
 今この家には、彼の他にはもうひとりしかいない。だからソルはドアの方を見ることも立ち上がることもなく、ただ「どうぞ」と答えた。
 顔を覗かせたのは、五日前に拾った少女だ。『水晶森の魔女』に弟子入りしたいと言い張る彼女は、修行という名の雑用をしながら魔女の帰還を待つという。
 魔法使いなど、その才しかない者がなるものだとソルは思っている。ましてや魔法力の片鱗もない少女に、おすすめしたい職業ではけしてない。なにより、修行したところで、才能がなければ魔女にはなれないのだ。そんなあれこれを噛んで含めるように言って聞かせてみたものの、少女は魔女に会ってお願いするの一点張りだった。
 強制的に家に送り届けるということも考えなくはなかったが、馬から落ちた時に打ちつけたという肩の打撲はかなり辛そうだったし、なにより助けた晩には熱をだして寝込んでしまった彼女を無理に移動させるわけにもいかず、そのまま帰すタイミングを逸して今に至る。
 もっとも、そもそも彼女をどこに帰せばいいのか、ソルにはわからなかった。
 フィラは、帰る場所はないと言ってそれ以上は自身について語らない。シュリーフトから来たのかと尋ねた時には顔色を変えながらも否定はしなかったし、着ていた服に伝統的な刺繍が施されていたことも考えあわせれば、おそらくはあの国から来たので間違いないだろう。
 彼女のワンピースは、泥にまみれて所々裂けており、後は捨てるしかないという状態ではあったが、生地も仕立てもそれなりに上等なものだったことはかろうじてわかった。あれが盗品ではなく彼女の物だというのなら、フィラはそれなりの家に生まれた者に違いない。
 では、その少女がなぜこんな森で男たちに囲まれていたのだろうか。
 フィラは、ここまで来た経緯についても語らなかったし、男たちに襲われた理由もわからないと言っていた。同時に彼女の口からは、攫われたとか捕まったとか、そんな言葉を聞くこともなかった。
 彼女を助けたあの時、対峙した男から感じたのは明確な殺意だった。
 始めは、物盗りか誘拐かと思った。けれど、あの男たちがただの物盗りならば、少女がその身なりに反して金目の物など持っていそうもないことはすぐにわかっただろうし、それ以外で価値を見いだせるとしたら彼女の家に身代金を要求するか、彼女自身を売り飛ばすことくらいだったはずだ。
 あの時、剣を抜いていた男たちは十中八九フィラを殺そうとしていた。どこかに売るつもりがなかったのなら、殺した上でさも生きている風を装い、身代金だけせしめるつもりだったのだろうか。
 それとも──最初から彼女の命こそが目的だったのか。
 それからもうひとつ、ソルには気になることがあった。フィラの手首が縛られていたことだ。
 状況を考えれば、縛ったのはあの男たちのはずだ。けれど、彼女がシュリーフトの民だというのなら、それとは別にひとつの可能性があった。
 シュリーフトでは、罪人の手首を縛って国外追放するという罰があるはずなのだ。『罪人』と言っても、人を殺したとか物を盗んだとか、そういう犯罪ではない。そういったものは、鞭打ちや監禁や、場合によってはその命で贖われる。
 あの頃──十四年前と変わりなければ、女が手首を縛って国を放り出されるのは、魔法を使ったか、既婚にも関わらず他の男と密通した時だったはずだ。
 シュリーフトでは、女は一度嫁げば生涯添い遂げるもので、離婚は認められていない。それに対して、男は何人もの妻を持つことを許されているのだから、ずいぶんと不公平だと腹立たしく思ったのを覚えている。
 もっとも、フィラがその『罪人』だという可能性は、ほとんどないようにも思えた。
 彼女はもうすぐに十七になるのだと言う。年齢だけでいえば、充分適齢期に達している。しかし、凹凸のないその体型はもちろん、纏う雰囲気も男を知らない子供めいたもので、不義密通どころか結婚すら無縁に見えた。そして彼女は、魔法をまったく使えない。
 だからソルは、心のどこかに引っかかりを覚えつつも、フィラを縛ったのはあの男たちなのだろうと結論づけていた。
「あの、掃除が終わったので……」
「うん、ごくろうさま。また床中水浸しだったりしないよね?」
 雑巾の絞り方すら知らなかった彼女に任せた最初の掃除は、ひどい有様だった。その時の惨状を思い出しながらからかうように訊けば、上目遣いに「今日は大丈夫……と思います」と自信なさそうに答える。
「そう? じゃあ少し早いけど昼にしようか」
 答えて出窓から立ち上がると、はいと頷いた少女がきびすを返す。その後ろ姿を目にして、ソルは息を飲んだ。
「──っ!? ちょ、フィラ!」
「は、はい?」
 ほんの今朝まで、フィラの背中は長い胡桃色の髪で覆われていたはずだ。それが、今はひとつに結ばれてはいるが、さながらうさぎの尻尾のような長さで、そもそも結ぶ必要があるのかすら疑問な状態に変わっていた。
 ソルの勢いに驚いて振り返ったフィラは、なにかしでかしたのではと怯えるようにうろうろと視線を泳がせている。そうじゃなくて、と言ってやりたい気持ちよりも、今は驚きの方が大きかった。
 つかつかと歩み寄って、その背後の髪をのぞき込みながら「髪、それ、どうしたの?」と尋ねる。
「あ……えーと……ハサミがあったので」
「ハサミがあったから、切ったの?」
「はい」
 いやいやいや。道具の有無が問題じゃないだろう! と内心つっこみを入れるソルに不思議そうに小首を傾げた少女は、困ったように己の短くなった後ろ髪に触れながら「なにか変ですか?」などと言う。
 変かと訊かれれば、変だ。
 そもそも階下には鏡がない。この書斎の続き間──ドア向こうの部屋には大きめの鏡台もあるが、『水晶森の魔女』の部屋であるそこは廊下からは鍵がかかっていてフィラは入れなかったはずだ。
 鏡もなしに自分で切った髪の毛が綺麗に揃うはずもなく、うさぎの尻尾を解けば、ざんばらな毛先が踊るに違いない。
「あ、ハサミ……。勝手に使ってすみません」
「いや、それはいいんだけど。そうじゃなくて、その髪どうやって切ったの?」
「どうって、ハサミで。結んだまま、切り落としました」
 ある意味予想通りの、そして女の子が髪を切った表現としてはあまりに雑な答えが返る。
 ハサミは、大きさはともかくとしても、もう何年も使っていなかったものだ。切れ味はけしていいとはいえない状態だっただろう。すっぱり切り落とせたならまだしも、幾度も刃をあてたであろう尻尾は見れば見るほど酷い有様だ。
「あの……そんなに変ですか?」
 思考が表情に透けていたのだろう。ソルを見上げる瑠璃色の瞳が不安げに揺れる。そんな顔をするくらいならば切らなければいいものをと思いかけ、ふと昨日の己の台詞を思い出した。髪を結うこともなく掃除をするフィラに、「その髪、掃除するのに邪魔じゃない?」と訊いたのだ。なにしろ胡桃色の髪はかなり長く、彼女が少し屈んで作業しようものなら床に垂れるほどなのだ。どうにもそのあたりに頓着していなそうな少女に、「これで結っておきな」と飾り紐を渡しはしたが、まさかその結果がこれだろうか。
「もしかして、昨日、僕が邪魔だって言ったから?」
「……本当に邪魔だったので」
 緩く首を振って俯きがちに答える少女は、その頼りない見た目に反してずいぶんと思い切りがいいらしい。女はそれなりに髪を大切にするものだと認識していたけれど、掃除ごときの為に切ってしまうとは思いもよらない行動だ。
「あとでちゃんと揃えてあげるよ」
 ちょっとひどいよ、とため息混じりに柔らかな尻尾に触れる。結い紐を解いたら肩にかかるくらいの長さは残っているだろうか。その毛先を見つめて考えていると、ようやく事態を把握したらしい少女は「そんなに酷い、んですね」と狼狽えて、己の髪を手探りし始める。剛気な行動に似つかわしくない姿に、ソルはくすりと笑いを漏らした。
「うん、ちょっとそれはない、かな」
「うぅ……」
「次はせめて鏡を見ながらにしておきなね。とりあえず下に行って昼にしよう」
 未練がましく髪を触る少女を促して、ソルは書斎を後にした。
 
 
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