第七話 嫁ぐとき

←前の話

「この役立たずが!」
 
怒声と共に響いたメキという嫌な音に、みおはビクリと肩を揺すった。
璃卯が去って7日が過ぎた。照りつける陽射しは容赦なく、川は細く辿々しい流れへと姿を変えている。それでも、泉はいつも通りに水を湛えていた。
木漏れ日射す水面が輝いて見えないのは、その地の主が不在だからだろうか。それとも、ただみおがそれを寂しく思っているからだろうか。
その水辺に腰を下ろした少女は、膝を抱えて顔を伏せ、ただただ泉から現れるはずの気配に注意をはらう。時折泉に水を汲みに来る人の気配にも、顔をあげることなく待ち続ける彼女の耳にその不快な音が届いたのは、暑さも盛りの昼を過ぎて少しした頃だった。
 
「薪の足しにでもしてくれるわ!」
「そうじゃそうじゃ! なにが村の守り神じゃ!」
「神は神でも祟り神だっ」
 
慌てて立ち上がって見遣れば、数人の男たちが口々にそんなことを言いながら、賽銭箱や社の手すりに鉈や鋤を降り下ろしていた。
元々脆くなっていた木材だ。ミシッ、メキッと悲鳴のように音をたててたやすく壊されていく。
 
「だめっ!」
 
男たちのもとへと、弾かれたように駆け出す。
ここは大事な社だ。璃卯の一部だ。誰かに壊させるわけにはいかない。
 
「やめてっ」
 
現れた少女に、農具を手にした男たちが、胡乱げな目で振り向いた。
 
「ふん、鬼子か」
 
鼻を鳴らした男は、興味を失ったように社に向き戻ると、再び鉈を降り下ろそうとする。その男の袖に飛びついたみおは「壊さないでっ」と叫んだ。
 
「邪魔をするな。こんな社はぶち壊して、もっと徳の高い、立派な神様をお奉りするんだからな」
「なんでそんなっ」
「なんでだと? 祈っても祈っても雨粒ひとつ落とさん神なぞ、この村にはいらんからじゃっ」
 
別の男が答えながら、男の袖にしがみつくみおの肩を乱暴につかんで引き倒した。派手に転ばされた少女の肘や頬に、痛みが走る。それでも男たちを止めなければと、夢中で身を起こした、その時。
 
「何をしておるかっ!」
 
一喝する老人の声が響く。皆が動きを止めて、鳥居を見れば、杖をついた村長が肩で息をしながら上ってきたところだった。その後ろには、ここにいる男たちの妻らしき者たちが心配そうな顔で付き従っていた。
 
「社を壊すとは何事かっ」
 
整えるように深く息を吐いた長は、そう言って一同をねめつけた。
男たちの間から、チッと舌打ちが響き、互いに目配せするように視線を交わすと、先ほどみおを引き倒した男が前に進み出た。
 
「壊すんじゃねぇ。新しく建て直すんだ」
「ならば相応に手順がある。神主を呼んで、ここの神さんをどこかに移して、取り壊すのはそれから……」
「ここには居ねえべ」
「そうだ、ここに神なんかおるものか。そうでなければ川が干上がるほどに、雨が降らんはずがねえ」
「今のまんまじゃ乾いてくばかりだ。壊して、新しい神さんを奉ればいい」
 
そうだそうだと男たちが答える。彼らを窘めにきたはずの村長も、ついてきた女たちも、困惑したように視線を泳がせるばかりで、反論する様子もない。
溜まりかねたみおが「違うっ」と声を上げた。
 
「雨ならもうすぐ降る。璃……ここの神様が、今その準備をしているの。雨が降るようにお願いに行っているから、もうすぐ降るから」
 
必死に言えば、途端に不気味なものを見るような視線がこちらに集まった。
 
「出任せを言うな」
「託宣でもするのか?」
「鬼子が託宣なぞするものか」
「そもそもこんな化けもんが、ここに通っているせいで、神さんが逃げ出したんじゃないのか」
 
責めるような眼差しに気圧されながらも、ぐっと足を踏ん張ったみおは「降るよ」ともう一度口にした。
 
「ここを壊したら、雨は降らない。だから待って。壊さないで」
「誰が鬼子の言葉なぞ聞くものか。皆の衆、騙されるな。鬼子がここを壊すなと言うなら、きっと壊した方がよい」
「まぁ待て」
 
口々に好き勝手を言う皆を制して、とつとつと杖をつく村長が、みおの前に歩み出てきた。
 
「確か、みおといったか」
「はい」
「顔に張り付いとった蝶は、どうした?」
 
村長は、そう言ってじっとみおの双眸をのぞきこむ。
少女は村人とほとんど関わりを持ってこなかったから、彼の人となりなどわからない。それでも、今この場で一番の発言権があるらしい老人が納得してくれれば、この社を壊さないでいてくれるのではないか。
 
「蝶は、ここの神様がとってくれました」
 
ざわと空気が震えた。
 
「嘘じゃ! 鬼がいるのじゃろう!」
「娘を喰って成り代わったのだろうがっ」
「黙らっしゃいっ」
 
怒声で男たちを制した村長は、再びみおに向き直ると、ふむとひとつ頷いた。
 
「なるほど、みお。おまえはここの神に、特別寵を受けている者らしい。ならば村の為に、神のもとへと嫁いではくれぬか?」
 
嫁ぐ。それが額面通りのものではないことなど、みおにだってわかる。
それはつまり──。
 
「人柱」
 
誰かの呟きが耳に届く。
 
「村の古い記録に、雨を乞う為の記録があっての。美しい年頃の娘を泉に捧げて、社の神の花嫁にするんじゃ。おまえさんほどの器量よしなら、社の神も満足するじゃろ」
「それで雨が降るなら、一石二鳥だな」
「鬼子は、あっちの世界へ返してしまえ」
 
いくつかあがる声の中に、みおの味方をしてくれるものなどひとつもない。誰もが、それは名案だと頷くばかりだ。
 
「そ、そんなことをしなくても、雨ならもうすぐ……」
 
震え出す体を自らで抱きしめるようにしながら言いかけた言葉は、「すぐに準備にとりかかろう」という誰かの声に消されてしまう。
ゆるく頭を振りながら、じりと後退ったみおは、踵を返して駆けだした。
 
「逃げたぞ!」
「捕まえろ!」
 
追ってきた声はすぐに迫った。足をもつれさせた細い体にいくつもの手が伸びてきて、容赦ない力が少女を地面に縫いつける。恐怖のあまり声もあげられないみおに、否と答えるのを許さない声が降ってきた。
 
「村の為じゃ。村の衆の為に、花嫁になっておくれ」

→次へ(最終話)

目次