第2章 魔法の言葉 3

午後の降水確率50%。
降っても降らなくても当たりなんて、なんて狡い天気だ。
降り出す前に──そう思って、咲良は買い物に出た。

デニムに無地の長袖シャツ。手にはキャンパス地のトートバッグ。休みの日にスーパーへ行く時と、たいして変わらない格好だ。
 
せっかくの誕生日にといっても、特別な予定があるわけじゃない。それでも、どうせなら晴れてくれたらよかったのに、と思う。
 
『蒼い森』は木曜が定休日。今年はちょうど誕生日と重なった。
いっそ、いつも通り仕事だったほうが気が紛れたかもしれない。
 
家を出る時には、ケーキをいくつも買おうと思っていた。
けれど、こうして外に出てみると、そんな気持ちはどこかへ消えていた。
広場では、今にも降り出しそうな空の下、ナギがパフォーマンスをしている。

そういえば、じっくり見たことはなかった。
咲良は、彼からは少し離れたベンチに腰を下ろした。
 
彼は今日も、音もなく世界を紡いでいる。

ナギの包んだ両手から、小さな生き物が生まれる。
それは遠くに行きたがり、彼はそれを繋ぎ止めようと必死だ。
見えない糸を手繰り寄せ、張り詰めた糸を慎重に巻き戻していく。
 
そんなナギとは裏腹に、足を緩める人はいても、立ち止まる人はほとんどいない。

どこにも届かない言葉のようだ、と咲良は思った。
 
胸の奥では波紋が広がるのに、外には出ていかない。
 
──それでも、いいのかもしれない。
 
ふと、鼻先に差し出されたカンパニュラに咲良は我に返る。
視線の先、少し上には、狐面が小首を傾げていた。
 
差し出されたピンクのカンパニュラは、昨日ナギが迷いに迷って選んだ花だ。
釣り鐘のような花が連なり、可愛らしい音を奏でそうで、咲良の好きな花だった。
けれど、まさか自分に差し出されるとは思わなかった。
 
おずおずと受け取ると、ナギは恭しく、マリオネットのようにお辞儀をした。
咲良もつられて、ぺこりと頭を下げる。
 
顔を上げると、ナギが面を外しながら「これだと、キャッチアンドリリースですね」とおどけて笑った。
咲良も思わず笑みを返すと、彼はほっとしたように目を和ませた。
 
「伊藤さんは、花が似合いますね」
 
さらりとしたそのひと言に、咲良の身体が固まった。
 
花が、似合う。
 
そんな風に言われたのは、生まれて初めてだった。
言葉の意味が胸に届いた瞬間、頬がじんわりと熱を帯びる。
冬の名残を抱えた胸の奥に、小さなぬくもりが灯った。
 
お世辞だとしても素直に嬉しかった。
咲良はスマホを取り出し、指先で文字を打つ。
 
《ありがとうございます。嬉しい誕生日になりました》
 
「え……誕生日なんですか? じゃあ、これからお出かけですか?」
 
”誕生日のお出かけ”とはほど遠い格好だと自覚して、咲良は恥ずかしさに目を伏せ、、そっと首を振った。
 
少し考え込んでから、ナギが口を開いた。

「よかったら、このあと、ご飯でもどうですか?」 

不意の誘いに、咲良の心臓がトクンと跳ねた。
曇り空のはずなのに、世界が少しだけ明るくなった気がした。

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