after SUEZEN – winner 真弘 ver –

 天気はいい。授業は終わった。そして、赤点がない。ゆえに、足取りはいつも以上に軽い。明日から冬休みまでの数日間は三年生は試験休みになっており、それもまた浮き立つ気持ちに拍車をかける。
 いまだかつて、これほど晴れやかな気分でこの日を迎えたことがあっただろうか。いや、ない。などと、思わず疑問反語もよぎるほど、真弘は機嫌よく歩いていた。
 全学年のテスト結果が出揃った今日、放課後に全員で卓の家に成績報告に向かうのは守護者にとって恒例のことで、今までと違うのは、そこに珠紀と遼が加わっていることだ。
 並んで歩く真弘と珠紀の隣にはそれぞれ祐一と拓磨がおり、その前には遼と慎司が肩を並べている。珠紀と拓磨は先ほどからしきりに互いの点数を探り合っているようで、そんな二人の成績をからかえば、真弘先輩は黙っていてください、などと声を揃える。
 拓磨の結果が悪いのはいつものこととしても、今までで一番悪いと言って肩を落としていた珠紀がその下をいくならば、卓の小言は彼女に集中するに違いない。もっとも、常ならば真弘がそれを受けるポジションに甘んじていたわけだが。
「そういや、あれどうなったんだ?」
 どうやら珠紀よりも成績が悪かったらしい拓磨が、話題転換とばかりに珠紀に尋ねる。
 なんのことかと思いながら、真弘は手にしていたペットボトルの蓋を開け、スポーツドリンクを口に含んだ。少しぬるくなったそれは、甘みが増したように思える。拓磨の視線が一瞬こちらに向けられた気配を感じつつ、残りはとっとと飲みきった方がよさそうだ、などと考える。
「あれって……ああ、あれ?」
 今度はちらと珠紀の視線がこちらに向けられたが、すぐに拓磨の方へと戻された。訝しく思いながらもペットボトルを傾け残りを一気に口に含んだ、その時。
「真弘先輩、制服着たとこ見たいんだって」
「─っ!?」
 珠紀の返答に、飲んでいたものを吹き出す。
「……っ、ごほっ」
「なっ、何してるんですかっ」
 珠紀が差し出してくれたハンカチを受け取りながら、違うのだとまわりに主張しようにも咳が止まらない。
「コスプレ……か……」
 隣にいた祐一が呟く。ほとんど表情が変わっていないが、長年のつきあいだからわかる。この目は絶対に面白がっている。
「ベタですね」
 振り返った慎司が向けてくる眼差しは、あからさまに可哀想な子を見るような目だ。
「というか、どんびきっすね」
 呆れた声音の拓磨に、畳みかけるように「確かにどんびきです」と慎司が頷く。
 ようやく咳が収まった真弘が反論しようと息を吸い込んだ途端、それまで参加していなかった遼が肩越しに振り返りとどめの一言を発した。
「おい、珠紀。愛想をつかしたなら早めに言ってやった方が傷は浅いぞ」
「待て! ちげーよっ! 珠紀、おまえその説明ヘンだろ! っつーか、なんでおまえらが賭のこと知ってんだよ!」
 訊いてはみたが、答えなど聞くまでもない。真弘が誰にも話していない以上、きょとんとした顔で小首を傾げている彼女が話したに違いない。
「変って何がですか? 先輩、そう言ったじゃないですか」
「だからっ」
「なんの制服だ? メイドか?」
 涼しい顔で尋ねる祐一の問いに、興味津々の拓磨が「看護婦とか?」と続く。
「祐一っ、拓磨っ、それはおまえらの趣味だろう!?」
「な、なに言ってんすか!」
 慌てる拓磨と対照的に、ふと宙を見た祐一は「珠紀なら、きっと似合う」などと言って、真弘越しに珠紀に微笑みかけた。
「オイ、変な想像してんなよ?」
「別にしていない。……拓磨はしてそうだが」
「なっ、祐一先輩っ! 何言ってんすか」
 視線を泳がす拓磨は常にない狼狽えぶりで、そんな姿を前にすればますます揶揄したくなるというものだ。
「そういや拓磨。おまえから借りたDVDに、看護婦モノ、あったよなぁ?」
「なに言い出してんすかっ!」
 そうかそうか、おまえはそういう趣味か、という真弘の言葉を慌てて否定する拓磨の姿に、からかい甲斐がある奴だなどと思いながら笑っていると、恐ろしく冷たい声が耳に響いた。
「……先輩。それ、どういうDVDですか?」
 恐る恐る視線を向けると、隣に居たはずの珠紀は真弘の少し後ろで足を止めていた。笑顔を張り付かせた彼女の目は少しも笑っておらず、背筋にヒヤリとしたものを感じながら、真弘は慌てて弁明を始めた。
「ば、ばか、誤解だぞ? ほら、あれだ、普通の看護婦が病院のっ……な、なあ拓磨?」
「……。そうっすねえ。普通に脱いでやらしーことをする……」
 たった今まで狼狽えていた後輩からのまさかの逆襲に「てめぇ、ふざけんなっ」と急いでその先を遮る。
「そっちが先に言ったんじゃないすか」
「拓磨っ! 先輩に向かってその口のきき方はどういう了見だ!?」
「年上なら年上らしい行動をしたらどうですかねぇ」
「んだとぉ!?」
「それで、なんの制服なんだ?」
 睨み合う真弘と拓磨を放置して、祐一は遅れて歩く珠紀を振り返って訊いた。
「前の学校の制服です。ブレザーなんですけど、結構可愛いんですよ」
「ブレザー……」
 珠紀の返答に、祐一は含み笑いで「そうか、真弘はセーラー服よりブレザー派か」などと呟く。
「だからちげーよ!」
 長閑な畑の一本道に、真弘の声が虚しく響いた。
 
 
 
 勝手知ったる宇賀谷家の居間で、真弘はこたつにあたりながらテーブルの上の籠に盛られたみかんに手を伸ばした。すぐに戻ってくると思った珠紀は降りてこないし、かといって部屋に様子を見に行くほど時間が経ったわけでもない。手持ち無沙汰な気分を紛らわすように、真弘は手にしたみかんを剥くと、数房まとめて口に放り込んだ。
 賭の景品が届いたと珠紀から電話が来たのは、昨夜のことだ。「いつにしますか?」との問い掛けに、真弘は明日がいいと即答した。試験休みは宿題もなく、うだうだと過ごすにはもってこいだったけれど、学校がないとデートの約束でもない限り珠紀に逢えない。彼女からの電話は、逢いに行く絶好の口実だった。
 昼まで授業があった珠紀と校門で待ち合わせ、そのまま二人で宇賀谷家へと帰ってきた。
「部屋に置いてあるんで、取ってきますね」
 珠紀はそう言い置くと、パタパタと楽しげな足音をたてて二階の自室に行ってしまった。
 少し酸っぱいみかんを食べながら、真弘は数日前のことを思い返した。
 
「先輩、まさかカンニングとか……?」
 珠紀より一足早く全科目のテスト結果が出揃った真弘は、彼女との下校の道すがら、意気揚々と赤点がなかったことを告げた。それに対する珠紀の第一声が、これだ。
 二学期の期末テストが終わる前日、真弘は珠紀と賭をした。真弘に一科目も赤点がなかったら、珠紀がなんでも一つ言うことをきく。逆に、一科目でも赤点があったなら、真弘が珠紀の言うことをきく、という賭だ。
 これまでの真弘の成績を卓たちから聞いていたらしい珠紀は、よほど自信があったのか、拍子抜けするほどあっさりとその賭に応じた。
「するかっ。失礼な奴だな」
 十二月も半ばを過ぎ、陽射しが降り注いでいても気温はあまり上がらない。寒がりの珠紀はふいに吹き抜けた風に身を縮ませ、手に息を吹きかけている。
 立ち止まって「ん」と手を差し出すと、珠紀は不思議そうに首を傾げた。
「手だ、手。寄こせ」
 真弘の言葉に、ようやく気付いたように伸ばしてきた手を取れば思いのほか冷たくて、指先を絡めたまま自身の上着のポケットに突っ込んで再び歩き出した。
「ま、俺様が本気になれば、テストなんて楽勝ってことだな」
 実の所、今回のテストの結果は、真弘自身も驚いていた。
 今まで考えることを避けてきた未来は、鬼斬丸の破壊により唐突に開けた。しかし、どこか実感がわかず、将来という単語すら他人事のような響きに思えた真弘は、とりあえずは祐一に倣って大学受験を目標にしてみた。そうして勉強に取り組みだしたのが、珠紀が村に戻ってすぐの頃だ。
 期末一週間前からは珠紀が「勉強に専念します!」と宣言した為、放課後に寄り道することもなく、真弘もそこそこ真面目にテスト勉強に取り組んだ。
 成果は見事に現れ、期末テストは平均点をやや下回った科目もあったが、ほとんどの科目は赤点どころか平均点以上だった。
「ってことで、賭は俺様の勝ちだ」
 勝者の優越感いっぱいに珠紀を見れば、胡乱げな眼差しの彼女は「エッチなお願いはダメですよ?」などとすかさず牽制してくる。
「ほぉ、エッチなお願いって、たとえばどういうのを言うんだよ?」
 ニヤニヤと笑って言ってやれば、珠紀は頬を赤らめながら「いろいろですっ」とそっぽを向いてしまう。そんな風に視線を外しながらも、ポケットの中の指先はキュッと握られたままで、本気で怒っているわけではなさそうだ。
「どうすっかなぁ……」
 考えながら、なんとなく空を見上げる。雲ひとつない青空にひとつ呼吸を放ってから珠紀を見れば、彼女はちょっと困ったような顔でこちらを見ていた。いったいどんな願いを突きつけられるのかと身構えているのが透けるその姿に、笑いそうになる。
 十八歳男子なりの、ある意味健全で、たぶん彼女の言うところのエッチな願いもないではないけれど、そういうことはお願いしてすることではないし、そもそもこんな賭で何かを強要するつもりは毛頭ない。
 元々賭を持ちかけたのも、真弘が赤点をとると決めつけていた珠紀を見返したかっただけで、なにか願いたいことがあったわけではなかった。
 実の所、テストの結果を告げた時の、彼女の驚いた表情を見られただけでかなり満足している。それでもせっかくなので、どうしようかと考えてみた。珠紀にして欲しいことのひとつやふたつ、絶対あるはずだと思うのに、どうもいい案が浮かばない。
 これが夏なら水着姿を見たいというのもアリだが、この季節に遊びに行くついででもなく室内で着て見せられれば、精神衛生上却ってよろしくない事態に陥りそうだ。だいたい、そんな願いを口にすれば珠紀にどう思われることか。
 特製やきそばパンを作って貰う、という案もよぎったが、彼女はお弁当を作ってくれる度にリクエストを聞いてくれるのだから、せっかくの願い事をこんなところで使ってしまうのはもったいない。
 考え込む真弘に、眉を寄せてますます表情を険しくした珠紀は、ふと思いついたように「あ、背を伸ばすのも無理です」などと早口で付け足す。
「うるせぇ」
 空いた片手でぐしゃぐしゃと彼女の髪を乱してやりながら、そういえばと思いつく。
 願い事が、ひとつある。さて、どう言ったものか。
「アルバムが、見たい」
「え? アルバム?」
「お、おぅ。……あれだ、前の学校の制服。可愛かったっつってたろ? 着てる写真とか、いろいろ」
 怪訝そうな顔をする珠紀に、急いで言い訳を付け足した。
「制服、ですか?」
 彼女は呟くようにそう言うと、拍子抜けしたように表情を和ませた。どれだけすごい願い事を想像していたのか。それはそれで訊いてみたい気がするが、きっと教えてくれないに違いない。
「赤ん坊の時とかの写真もな」
「えぇっ、そんな頃からですか?」
「ついでだ、ついで。ま、いつでもいいぞ。正月はあっち帰んだろ?」
 長期休暇ごとに親元に戻ること。
 それが珠紀が村に戻るにあたり、彼女の両親から出されていた条件のひとつだった。
「いえ、お正月は神社が忙しいって聞いてるんで、こっちで手伝いします。あっちには、年が明けてから何日か帰ろうかなって」
「じゃあ、そん時に持ってくるんでいいぞ」
 少し思案顔だった珠紀は、「わかりました」と頷いた。
 
 てっきり年が明けてからになるであろうと思っていた戦利品は、珠紀が親に送って貰ったとのことで、終業式を待たずに届いた。
 みかんの最後の一房を口に入れた真弘は、もう一つ食べるか考えながら橙色の山を見つめた。少し迷って、結局二個目に手を伸ばしたその時、襖の向こうから「先輩、開けてもらえますか?」と声が掛かった。
 立ち上がって襖を開けると、厚いアルバムを数冊抱えた珠紀が、見慣れない制服で立っている。
「おまえ、それ……」
 室内に足を踏み入れた珠紀は、テーブルの上にアルバムを置くと、「どうですか?」と真弘の方に向き直った。
「どうって……」
見たことのないそれは、珠紀が言っていた以前の学校の制服だろう。
 キャラメル色のブレザーは、襟元に青いネクタイがのぞいており、胸には校章をかたどっているであろうエンブレムがある。スカートはネクタイと同系色の青をベースにしたタータンチェックで、どちらも珠紀によく似合っていた。
「スカート、短けーな」
 なんとなく視線を落とした真弘の口から零れたのは、そんな言葉だった。
 紅陵学院とそう変わらない丈で、デザインのせいか気持ち短く感じるが、指摘するほどでは多分ない。ただ、可愛い、とそのまま口にするのが恥ずかしかっただけだ。しかも、見慣れない姿のせいか、そわそわと落ち着かない心地になる。
 真弘のそんな心中など気付くはずもない珠紀は、スカートの襞をつまんで見下ろしながら小首を傾げる。
「そうですか? みんなこれくらいですよ?」
「ふーん」
「ふーんって、それだけですか?」
「それだけって?」
「だから……可愛いとか、何かないんですか?」
「あー……。確かに、可愛い制服だな」
「制服ですか」
 真弘の返答が気に入らなかったのか、むぅと唇を尖らせた珠紀は真弘の向かい側に腰を下ろしてこたつに足をつっこんだ。
「これアルバムだろ? 見んぞ?」
「制服見たんだし、いいんじゃないですか?」
 座って声を掛けるとまだ膨れ気味の珠紀は、つまらなそうにそう言ってテーブルに顎を載せた。
 彼女の言葉を無視するように、積まれたアルバムに手を伸ばすと「一番下のが最初です」と声が掛かった。
「これか?」
 言いながら、一番下に置かれた元は真っ白だったであろう表紙のアルバムを手に取る。うさぎの絵と珠紀の名前、生年月日が刺繍されているそれは、いかにも初めてのアルバムという装丁だった。
 開いてみると、小さな手形や足形、体重が記されたページが最初だった。「ちっちぇーなぁ……」などと呟きながらページを捲ると、母親の胸に抱かれた赤ん坊の写真があらわれた。
 少し機嫌が直ったのか、珠紀も向かい側から身を乗り出して真弘の手元を覗きこんでいる。
 抱かれたり寝かされてばかりの姿から、やがてハイハイをしたり、おもちゃを手に機嫌よく笑っている写真へと変わっていく。
「一応全部送って貰ったんで部屋にはあるんですけど」
 そう言って渡された二冊目のアルバムは、珠紀七歳、という添え書きの隣で着物姿の小さな珠紀が千歳飴をくわえている写真で始まっていた。
 七歳の七五三。本当はこの日村に戻り、玉依姫になる為の儀式をするはずだったということを、珠紀は知っているのだろうか。
 写真の少女は、運命も宿命も知らずにただ無邪気にこちらを見つめていた。
「ホント、普通に育ったのな」
「普通ってなんですか、普通って」
 その言葉をどう受け取ったのか、珠紀はまた唇を尖らせた。
「ばーか。誉めてんだよ」
 もしも珠紀が村で育っていたなら、こんな風に無邪気な笑顔を浮かべていただろうか。
 ごく普通に親に愛されて、鬼斬丸に縛られることもなく、のびのびと天真爛漫に過ごしてきたであろう珠紀。そういう穏やかで優しい日々が、今の彼女を創ったのだと思うと、珠紀が村の外で育ってよかったと心から思う。
 珠紀は何かを感じ取ったように口を噤み、真弘の手元に視線を落とした。
 三冊目のアルバムは、桜咲く校門の前で、緊張した面持ちで立つ珠紀から始まっていた。入学式の写真だろうか。今、彼女が着ているのと同じ制服姿なのにずいぶんと印象が違うのは、二年間でそれだけ珠紀が変わったということだろう。
 顔をあげて、向かい側で写真に視線を落とす珠紀を見つめる。
 真弘の視線に気付いたように顔をあげて「なんですか?」と小首を傾げる姿は、写真の珠紀よりも大人びて綺麗だ。
「二年でこれかよ……」
 思わず呟きが漏れる。たった二年でこんな風に変わるなら、これからもっと可愛く、そして綺麗になっていくのだろう。それはそれで嬉しいが、気が気でない。
「なんですか?」
「なんでもねぇっ」
「……?」
 時折添えられる珠紀の解説を聞きながら、次々とページを捲った。遠足や体育祭、文化祭。どの珠紀も、何がそれほど楽しいのかと呆れるほどの笑顔だ。
「先輩、こんなんでよかったんですか?」
「あ?」
「賭の……。制服とかアルバムとか、ホントにこんなのでよかったのかな、って」
「……なんだ? エッチなのがよかったか?」
 ニヤリと笑ってからかえば、すかさず「違いますっ」と否定する。
「そうかそうか。エッチなのがよかったのか。だったら次は……」
 思案するフリで彼女の姿を横目に窺えば、テーブルに身を乗り出したまま「だから違いますってば」などとますますムキになっている。アルバムに散りばめられていたたくさんの笑顔もよかったけれど、やっぱり今こうして一緒にいる珠紀が大好きだ、と改めて思う。そう思うと、自然に笑みが浮かんだ。
「もぉっ! ニヤニヤしないでくださいっ」
「なっ、おまえ、別にニヤニヤなんてしてないだろが」
「してました。……ブレザー派の先輩が満足したなら、それでいいです」
 一瞬何を言われたかわからなかった真弘だが、それが先日の祐一の言葉を指しての言葉と思い至った。
「俺は別に、ブレザー派ってわけじゃないからな」
「違うんですか? じゃあセーラー服派? だったらなんで……」
「ばーか。んなもん、どっちでもいいんだよ」
「あぁ……両方好きなんですね」
 どうにも、真弘を制服マニアとでも思っていそうな珠紀に頭痛を覚えながら「あのなぁ……」とため息をひとつ。
 セーラー服とブレザーと。真弘は別にどちらかにこだわりがあるわけでもなければ、特別好きというわけでもない。珠紀が着るならば、似合っていればどちらでもいいと思うし、それ自体にさして興味はない。
「……だからだな。制服が好きだから見たいって言ったわけじゃなくて、だな。……知りたかったんだ」
「え?」
 こんなことまで言うつもりではなかった。しかし、マニアックな誤解を受けたままというのも不本意な真弘は、熱くなる自分の顔を意識しつつ珠紀から視線をはずして本意を口にした。
「おまえが村に来るまでどんな風に過ごしてた、とか。今まで何があったか、とか……俺が知らないおまえのこと、いろいろ見てみたいって思ったんだよ。アルバムを見りゃ、少しはわかんだろうが」
 ふふっとたてられた笑い声に視線を向ければ、珠紀はテーブルに乗り出したままひどく幸せそうに笑っている。
「何笑ってんだよ?」
「だって、嬉しいじゃないですか」
「……?」
「好きな人にそんな風に思って貰えるのって、すごく嬉しいです」
 そういうものだろうか。
 真弘は、珠紀の顔を見ながらしばし考える。確かにまったく興味がないと言われるよりは、嬉しいことなのかもしれない。
「私も知りたいです。今度、先輩のアルバムも見せてください」
「俺のなんか見てもつまんねーぞ? この村で、あいつらと写ってんのばっかだからな」
「でも、見たいです。私だって、逢う前の先輩のこと、いろいろ知りたいです」
 期待満点の瞳で見つめられ、「まぁ、今度な」と答えると「はい」と弾んだ声が返った。
 無防備な笑顔が可愛くて、そのまま引かれるように唇を寄せた。珠紀が瞼を落とすのを見ながら、真弘も目を閉じかけた、その時。「失礼します」と声が掛かり、ふたりはパッと身を離して座り直した。
「珠紀さま、着てみたのですがどうでしょうか?」
 襖を開けて入ってきたのは美鶴だった。しかもなぜか、紅陵学院の制服を着ている。
「なんだ? なんで美鶴がソレ着てんだ?」
「美鶴ちゃんも来年から通うことになったんです。サイズを見がてら着てみてって。似合うよ、美鶴ちゃん。可愛い」
「ありがとうございます。珠紀さま、この制服、少しきつくありませんか?」
 美鶴は身につけている制服を見下ろしてから、少し困惑したような顔で珠紀に訊ねた。
 美鶴は珠紀よりも身長が低い。スカート丈がやや長めに感じるくらいなのに、珠紀の制服が窮屈なのだろうか。
 不思議に感じたのは珠紀も同様のようで「え? 美鶴ちゃん、細いのに?」と首を傾げている。
「その……このあたりなど」
 眉を寄せながら制服を見下ろした美鶴は、胸のあたりを指し示す。
 それを見るや、堪えきれずに真弘は吹き出してしまった。
「おまえはちょうどだよなぁ? 珠紀。つか、余ってんじゃ……っ!」
 茶化す真弘の足が、こたつの中で景気よく蹴っ飛ばされた。
「痛ぇなっ!」
「余ってませんっ! 私だって別に小さいわけじゃないですっ」
 珠紀の発言に、思わず彼女の胸元に視線をやるが、テーブル越しに座る彼女の胸の大きさが透けて見えるはずもない。
 八咫烏の力に透視能力があったなら、よかったような、悪かったような。
「何見てんですかっ」
「ばっ、お、おまえが小さくないって言うからっ、その、つい……だな、想像を……」
「しないでくださいっ。……あ、美鶴ちゃん。制服似合うから大丈夫だよ。今度ちゃんと採寸しに行こうね」
「はい。では、お茶をお持ちしますね。お昼も用意が出来ていますけれど、お持ちしてよろしいですか?」
「あー、うん。じゃあ私も手伝うよ」
 珠紀が立ち上がりかけると、美鶴は「いえ」と微笑んでそれを制した。
「着替えてからお持ちしますので、こちらでお待ち頂けますか?」
「うん。じゃあ片付けは手伝うね」
「はい、お願いします」
 頭を下げて部屋を辞す美鶴を、真弘は頬杖をついて見るともなしに見ていた。
「おい、珠紀。賭けようぜ」
「はい?」
「で、今度は水着見せろ、水着」
 嬉々として言った真弘に、「なんで真弘先輩が勝つ想定なんですか」と呆れたように息を吐く。
「そういや水着の写真なかったな」
「ここにはないです」
 あるにはあるが、ここに持ってくるのを意図的に避けたということだろう。
「それも見せろ」
「嫌です。それに……」
 頬を赤らめた珠紀は、ぼそぼそと言葉を続ける。
「賭なんかしなくたって……夏になって一緒に泳ぎに行ったら、見られるじゃないですか」
「よっしっ! じゃあ夏になったら泳ぐぞ。プールでも川でも泳ぎまくる!」
「海は行かないんですか?」
 珠紀に言われて、はたと気付いた。そうだ。今度の夏は、村を出て海にだって行くことが出来る。その事実は、珠紀の水着姿並に真弘の心を弾ませた。
「海も、だなっ」
「楽しみにしてます」
 微笑む珠紀に身を乗り出して口づけようとした真弘の耳に、お茶をお持ちしました、という声が響く。
 本日二度目の絶妙なタイミングに、美鶴が学校に通い出すのが、自分の卒業後でよかったとつくづく思いながら、テーブルに突っ伏した。その真弘の耳にひそりと珠紀の声が届く。
「また、あとで……」
 顔を上げると、珠紀は照れ臭そうに、けれど悪戯っぽく笑っていた。

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