初めて書いたのは、紫陽花が綺麗な季節だった。
雨の中、買い物に行くのは少し憂鬱に感じるものなのに、彼とふたりで出掛けられるというだけで嬉しくて、寄らなくていい場所にもいくつも寄って遠回りをした日。可愛らしい金魚が透かしに入った淡い水色の便せんに一目惚れして手に取った。
帰ってきてから、その日がとても楽しかったこと、本当は言いたかったこと、一緒の傘に入りたいと思ったことをしたためた。
言いたくて言えなかった想いは、いつも色とりどりの紙へとつづり、箱の中にそっと押しとどめた。最初はどうにも溢れてしまう想いを、今は遠のきそうになるそれを留めておくために。
万屋で見つけたひまわりの便せんを前に、小さく溜め息を落とす。
先ほどから一文字も書けない。
書きたいことがないわけでもない。西瓜割りをしたこと。線香花火を誰が一番長く咲かせておけるか競ったこと。七夕の日は雨だったから、恒例の流しそうめんを庭でなく廊下でやったら水浸しになって、後からの掃除が大変だったこと。
そうして楽しかった日々を振り返るほどに、思い知る。鶴丸さんを喪ったのに、笑って日々を過ごす自分を。
降り出した雨に、駆けだしてきた幾振かが干していた洗濯ものを取り込んで以降は、庭を歩く者もない。白く煙るほどに打ち付ける雨のせいか、それとも恒例のお盆休みに皆がのんびりと過ごしてるせいか、聞こえるのは雨音ばかりだ。
たしかあの日も雨が降っていたような気がする。気がするというのは、実のところよく覚えていないからだ。
執務室で、第一部隊が帰ってきたあとの段取りを考えていて、唐突に確かに繋がっていたその糸が張り詰め、ぷつんと切れたのを覚った。
暑かったのか。寒かったのか。それすらも定かではない。
ただ、裂かれるような痛みに体の芯が凍り付き、ひと息ごとに身の内がこそげ落とされ、認めたくない現実が浸食してくるような錯覚を覚えた。
ただただ苦しくて、心の奥の奥へと逃げ込んで、見えるものも聞こえる音もなにもかもを遮断した。
何かを口に入れられれば飲み下し、手を引かれるがままに連れられて動く。意思も感覚も必要なかった。
こちらに向けられた労るような、痛くて悲しいものを見るような瞳の奥には見たくもない現実が見え隠れして、浮上しそうになっても大急ぎで深く深くへ潜り込んだ。
どのくらいそんな日々が続いたのか。ある日、目の前に鮮烈に咲いた深紅に目を瞠れば、庭には誰かの羽織のように白い、凜とした百合が咲いていた。
逢えたなら。言葉を交わせたなら。あの頃のように強く感じることができるんだろうか。
迷いながらもゆっくりと綴る。
初めて顕現した日、桜か光の精でも出てきたのかと驚いたこと。少し眩しくて、とても綺麗だと見惚れてしまったこと。
なんにでも目を輝かせて楽しそうにする彼の横にいるだけで、本丸という小さな世界が輝いて見えたこと。
躓いた拍子に抱き留められて、その肢体の力強さにドキドキしたこと。
振り返って文字にすれば、あの日々は確かに今も鮮明に自分の中で色づいている。
オセロをして、自分の不甲斐なさを突きつけられたのが悔しかったこと。どうにか勝ちたくて他の男士に教えを請うたら、なぜ自分に訊かないのかと拗ねた顔が可愛いと思ったこと。
当番制だった近侍を固定にして欲しいと言われて、もしかしたらと期待したこと。でも、もしかしたらと思うばかりで自分からは言えないままに『言ってくれないかな』という期待と『勘違いかもしれない』という不安とで行ったり来たりしていたこと。
言えばよかったと、言ってみたかったと、とてもとても後悔したこと。
いざ書き出してみれば、いつものように長い長い手紙となった。そうして、少し安堵した。消えてはいない、と。だから、「鶴丸さんのように振る舞わなくても大丈夫ですよ」と伝えたくなった。
机に突っ伏して、ゆるゆると息を吐く。誰に何を伝えたくなったのと自問しながら。
「人の子は、食って、眠っていれば生きてはいられると言うが、そうは見えないな」
縁に並んで座っていた彼は、躰の横にだらりと垂れただけの腕をなぞり、指先にたどりつくと、その手をそっと持ち上げた。
「俺は……俺たちじゃきみの生きるよすがにはなれないかい?」
あの時は何も感じずに通り過ぎただけの音が、切実さを持って響く。まるで懇願するような声だと思うのに、私の指先はぴくりとも動かない。
やがて何かを諦めたように目を伏せた彼は、私の手をそっと膝においた。
「きみがそうして身も心も弱らせて、俺たちを道連れに心中を決め込むというなら仕方ないな。この本丸に顕現した俺たちの運命ってやつだ」
「……」
「今度はきみが俺たちを折るってわけか。それも……一興だな」
「……」
「だが俺は、そんな退屈な終わりは御免被る」
そう言ってひらりと庭に降り立った彼の手には、デニム姿には不似合いな本体が握られていた。白銀にひかれて視線をあげる。
「枯れて消えていくよりは、染まって散る方が鶴らしいとは思わないかい?」
口調は好戦的なのに、泣き出しそうな顔をしているとあの時気付かなかったことに呆然とした瞬間、抜いた刃が彼の身に深々と突き立てられた。
滴り落ちた赤に、声をあげたのは誰だったか。
そこからはもう本丸中が大変な騒ぎとなった。
何をしているかと叱りつける声や、駆けつける短刀たち、騒ぎに驚いて畑や厩にいた男士たちも皆集まって、静かだった本丸は蜂の巣をつついたような有様となった。
思えばあの瞬間から、再び時間が流れ出した。
急いで手入れ部屋に向かおうとしたのに、足がうまく動かなくて転びそうになったのを受け止めてくれたのは、薬研くんだったか。
「そんな体で急に動くもんじゃないぜ、大将」などと言うから何を言っているのだろうと思い見下ろした脚は、ひどく細くなっていた。びっくりして掌を顔の前に掲げれば、指先は骨が浮き、張りもなく、まるで年寄りのような頼りないことになっていてまた驚いた。
実のところ、二振目のことは『鶴丸国永にしては珍しい、静かで目立つこともない穏やかな男士』だと認識していた。もっと言えば、とても存在感が薄いと思っていた。
認識はその後の日々で覆される。
潜りたがる意識のままぼんやりと座って過ごす時間がまだまだ多かったなかで、体調を気遣って休ませようとする男士たちばかりの中、国永さんだけはやれ掃除だ片付けだと追い立て、仕事を持ってきては目の前に積み上げた。
本調子でない躰はすぐにクタクタにくたびれ果てて、何も考えることなくすとんと眠りに落ちる。
あんまりそれが繰り返されるから『あんな鬼みたいなやつだったなんて』と腹がたってきて、そうしたらなんだかお腹もすいてきた。
最初こそ気遣ってくれる男士たちと対立することも多かった国永さんだったけれど、いつのまにか皆も執務室に仕事を持ってくるようになり、スジをとって欲しいと籠一杯のエンドウ豆が積まれたり、庭の花に水をやって欲しいなどという雑用も多く持ち込まれるようになった。
静かだった執務室に少しずつ『音』が増えて、合間合間には国永さんが「サボっていないかい」などと声を掛けては、ついでのように手伝って。やがてこの本丸は一振り欠けたままで『日常』を取り戻した。
ふっと意識が浮上する。
さらりさらりと髪を撫でる気配がする。とても心地よい感触だ。
さらりさらり。
ぬるま湯に揺蕩うような、ひとつの力を加えることなくふわふわと浮いているような心地。
しゃらり、と背後で音が聞こえた気がして、重い瞼を押し上げる。
机に伏して眠ってしまったらしい。少し腕や肩が痛かった。
身を起こすと、「すまん、すまん、起こすつもりはなかった」と少しも悪いとは思っていなさそうな顔で笑う、神と大きく書かれたTシャツ姿の男だった。
胡座をかいて、起きた審神者の頭をぽんぽんと二回、掌がはずむように撫でる。この感触は、四年前までよく知っていた。
「……夢?」
「……なんで、そう思う?」
「だって、鶴丸さんがいる。今朝起きた時から、ずっと」
起き抜けのうまくまわらない舌で言えば、一瞬泣くのかと思わせた目は綺麗に弧を描く。それは確かに笑顔なのに、ひどく悲しい表情だと思った。自分のせいだ。自分のせいで、今彼にこんな顔をさせている。そう思った。
「『国永』でなく?」
「……国永さんは、こんな風に私に触れたりしないです。鶴丸さんの好きだったオクラや納豆や……ネバネバした食べ物は嫌いだし、髪を結ばずにご飯を食べようとすると、邪魔なら結んだらいいって言うだけで耳にかけてくれたりしない」
違和感はあった。迎え火の後から、どこかそわそわとして落ち着かないと思った。
鶴丸さんの存在を誇示して、これまで自分からはしようと言ったこともないオセロに誘ったかと思えばまるで鶴丸さんがそうしたように盤上を真っ白にした。
そうして今朝。国永さんが目玉焼きをリクエストした時のこと。光忠さんはなぜだか少し驚いていた。少しして運ばれてきた目玉焼きの黄身は固焼きで。とろとろの半熟が好きなはずの国永さんの好みを、光忠さんが間違えたのなんてこれまで一度だって見たことはなかった。
そして今。私の背中に着せかけられた羽織は、国永さんが頑なに私の目に触れないようにしてきたものだった。
普通ならありえないことだ。けれども、人とは違う存在に、人の理で有り得ないことがあるのは不思議ではない。
「国永さんならきっと、鶴丸さんがいるって私が言ったら、『そうだな』って言う。そしてきっと、少し困ったように笑うんです」
ずっと隣に居てくれた。立ち止まりそうになった時、やっぱり駄目かもしれないと思った時にはそっと背中を押してくれた。いつも見守ってくれていた彼がこんな時なんて言うか思い描けるくらい、私も国永さんを見ていた。
「ごめん、ね」
「きみが謝ることなんざ、ひとつもないさ」
そう言って視界を暗く閉ざした掌が、こぼれ落ちた涙を拭っていく。
温かい手だ。とても、とても温かい。そこに在ってはならない、確かに存在する熱がひどく不穏な気がして「なんで?」と問う。問いながら、答えを見つけた気がして「私を連れに来たの?」と尋ねた。
「連れて行かずとも、国永がな、代わってくれるそうだ」
「……え?」
「同じ『鶴丸国永』だからな。一振り居れば辻褄はあう」
どういう辻褄なのか。
心臓が嫌な音をたてた。あの雨の中で感じた不安と喪失感とが一度に押し寄せる。
一振りの鶴丸国永。ならばもう一振りは?
鶴丸が戻る。その代わり、国永さんを喪う。喪ってしまう。
「だって、そんなの国永さんが……」
許すはずがないでしょう、と先の言葉が続かない。彼ならば譲ってしまいそうな気がしたからだ。
「言っただろう? 譲ってくれたのは国永だ。それともきみが、俺といくかい?」
一緒にいきたいと。後を追いたいと思っていた。
たとえ同じ場所にたどり着けなくても、彼の居ない世界で明日も目を覚ますだなんて耐えられないと思った。
「きみが選んでくれ」
そんなこと、と動かした唇は音を押し出すことはできなかった。
「そう深く考えることもないさ。俺も国永も『鶴丸国永』だ。どちらか一振り。それだけだ。どちらかだけがかえればいい」
どこに? という問いに、彼は笑みを深めるだけで答えることはしない。
「わた、私……鶴丸さんが、好き、で……」
声が震える。目を逸らしてきた選択を突きつけられて、口にしてしまえば取り返しがつかないことを、今、私は決めなくてはいけない。
「……ああ」
握りしめた掌を掴まえて、そっとほどかれる。そうして指を絡められたと思った途端、押し倒されて視界いっぱい鶴丸さんになった。
絡めたままの掌が彼の口元へと誘われ、ぺろりと手首を舐められた。
「な、に……?」
「古今東西こんな状況で男と女がすることといえば、ひとつじゃないかい?」
「鶴丸、さん?」
「なんで俺がここに来たと思う?」
問いを向けられていることはわかるのに、混乱して頭がうまくまわらない。身じろごうにも体重をかけられ、しっかり手をとられてしまえば、態勢を変えるどころかずり上がることすらできない。
「この躰で抱かれたら、きみはどちらに抱かれたことになるんだろうな」
顔が近づいてくる。あんなに好きだったのに、今はただ怖かった。
助けて。助けて欲しい。今すぐここに駆けつけて。
「っ、国永さんっ!」
みっともなくひっくり返ったその声に、掴まれた手が自由になる。
途端に、目の前の蜜色の目が、やわらかに弧を描いた。
「よく呼べたな」
「……な、に?」
ぐいと引き起こされて、畳に座る。
すまん、とまた笑って私の頭の上で弾んだ掌が、「いい子だ」と髪を混ぜるように撫でた。
「押し殺して声をあげないでいれば、心がゆっくり死んでいく」
そう言われて初めて、私は『選んだ』ことを自覚した。
「国永はずっと考えてたのさ。折れたのが一振目でなく己だったなら、とな」
「折れたのが国永さんだったらいいなんて思ったことは、一度もありません」
どうしようもなく悲しかったけれど、折れたのが他の誰かだったらよかったなどと、思ったことはない。
采配がいけなかったのか、天候への考慮が足りなかったのか、後悔なら眠れぬほどに繰り返した。時間を戻してと希求した。でもそれは、鶴丸さん以外だったとしても同じように考えたはずだ。
「ないですからねっ!」
どこかで聞いていないかと室内を見渡しながら念を押す。
くつりと笑った気配に視線をやれば、目の前の男が肩をふるわせていた。
「……すみません」
好きと言ったその口で、他の男士に助けを求め、今だって国永さんへと呼びかけて。随分ひどい女だと呆れられて当然だ。
「たった四年で……薄情者ですよね」
「たったじゃないさ。きみらの上に流れるひととせの重さはわかっているつもりだ。そうだろう?」
胸の内に溢れかえる想いが、言葉にならない。
ただ居るだけの審神者でなく、主であることを選んだ私の手を引いてくれたのはあなただった。どんなに情けない時にも大丈夫だと笑ってくれたのも、誰かを好きになるドキドキを教えてくれたのも、愛しくて胸がぎゅうとなる想いも、凍り付いて真っ黒に塗りつぶされた絶望を教えてくれたのも、全部全部──。
なにも言えずに息を詰めれば「きみのその想いは確かに受け取った。だからもう、忘れていいんだ」ともう一度だけ頭を撫でた手のひらが離れていく。
黙って泣きながらかぶりを振ると、背に回された腕に抱き込まれた。先ほどの強引さなど欠片もなく、緩慢に感じるほどに。
「人の子はそうやって生きていくもんだ。きみの想いもよすがも確かに俺がもらい受けた。だからもう、きみは前に進んでいいんだぜ?」
ゆるりと背を撫でられて、溜まらずに「鶴丸さんっ」と声を上げた。
「ああ」
好きで、好きで、大好きだった刀。
彼の隣で笑っていられる未来もあったんだろうか。
時折、歴史を変えたくなる遡行軍の気持ちもわかると思った。でも、それを実行しようとは微塵にも思わなかった。
それがせめてもの、『主』として立たせてくれた彼への餞のようにも思えた。
目が覚めると、布団の中にいた。
夢?
夢の中で夢から覚めた?
混乱しながら身を起こす。
障子の向こうはもう明るい。出汁を取るいい匂いがしているから、もうそれなりの時間だろう。
「……鶴丸、さん?」
つい先ほどまで優しく背中を撫でてくれていた相手を呼んでみる。誰の返事もない。
外では朝の厩当番が戻ってきたのだろうか。ワイワイと話す声が聞こえてくる。その中にも望む声は見つけられない。
「国永さん!?」
呼びかけながら飛び起きて、寝所を出る。
「国永さん! 国永さん!!」
廊下を駆けてすぐ、歌仙さんと行き会った。不機嫌あらわな常より低い声で「寝ぼけているのかい」などと眉を寄せる。
「歌仙さん、おはようございます! 国永さんが…」
「俺がどうしたって?」
背後からの声に勢いよく振り返ると、精霊馬と精霊牛のイラストに『おぼん大好き』と書かれたTシャツ姿の国永さんが立っていた。
「主、きみなんて格好で……」
「国永さん?」
確かめるようにまじまじと見つめる。
「国永さんですよ、ね?」
「いいかげんにしないかい。だいたいおなごがそのような格好で朝から……。雅以前の問題だと思わないかい? 代理殿はどう思うんだい」
監督不行き届きだとでも言いたげな歌仙さんに、すみませんと口にする。
「でも! 私国永さんに急いで言わなければいけないことが……」
「とりあえず、部屋に戻らないかい? 着替えが先だろう」
当の国永さんに言われてしまえば口を噤むしかなく、すごすごと自室に足を向けた。
国永さんはといえば後ろに付いてきてくれて、安堵して我に返れば、自分がタンクトップとショートパンツを履いているだけの、常よりも遥かに露出の高い姿だったと気付いて部屋まで駆け戻った。
着替え終わって障子を開けると、国永さんは廊下で胡座をかいていた。
空には雲ひとつなく、今の時間帯こそいくらか涼しさも感じるが日中はまた随分と暑くなるのだろう。
「朝餉の前に少しいいかい? 俺もきみに言わねばならないことがある」
「はい」
部屋に招き入れて、向かい合って座る。
いつもなら私は文机に向かって座り、その背後にいてくれるのが常だ。それがこうして正面に座られると、なんだかもうそれだけで少し緊張してしまう。
「きみは、鶴丸を選ぶと思った」
唐突にぽとりと落とされた言葉に、ハッと顔をあげると、少し困ったように眉を下げて笑う国永さんがいた。
ああ、国永さんだ。そう思って、ようやく安心する。安心したら、途端にぐぅとお腹が音をたてた。
どこからが夢かわからない。けれど少なくとも、昨夜は夕ご飯を食べた記憶がない。
「ふはっ、話しは後にするか。俺も腹が減った」
膝を打ってスッと立ち上がった国永さんが、手を差し伸べてくれた。掴まって立ち上がると、嬉しそうに目を細めて、手を繋いだままふたりして広間へと足を向けた。
その後。話しができたかといえば、駆け込んできたこんのすけに、締め切りを過ぎた書類があると言われて盆休みは強制終了。
昼食を取る時間もないままに、空はオレンジ色へと染まる。
どうにか間に合わせたが、次からは気をつけてくださいね!と念を押した管狐は、土産の油揚を差し出すと機嫌よく帰っていた。
「なんというか……散々な最終日だったな」
「そうですね。いえ、私がちゃんとしていなかったのがいけないんですが」
「いやいや、近侍代理を名乗る以上、きちんと管理するべきだった。すまん」
「こちらこそ」
「……火をつけていいかい?」
「……はい」
大きく艶々した精霊牛の隣にかがみ込んで、おがらに火をつけるのを見つめる。
なんとなく心配になってTシャツの裾を指先でつまむと、息をこぼすように笑った国永さんが、私の手をとってそのまま指を絡めた。
「あのう、国永さん。もしかして、鶴丸さん、いますか?」
「いるなァ」
「え……」
気恥ずかしさに手を解こうとすると、ぎゅっと握られて諦めた。
「また来年、待ってるから」
「……来ないと言っている。全部貰い受けたと」
「そっか……。鶴丸さん、私ね、私やっぱり忘れないと思います。心の中にある鶴丸さんの場所はなくならないです。なくならないってわかりました。だから……だからもう」
大丈夫です、と小さく呟くと煙の向こうに鶴丸さんの姿が見えた気がした。小脇に私の想いがたくさん詰まった文箱を抱え、ひらりと手を振る。
傍らに白い大きな牛が現れたかと思ったら、ケラケラと笑った鶴丸さんがひと撫でした途端美しい白馬へと姿を転じた。
思わず手に力が入ってしまうと、同じように強い力で握り返された。
それでもう、鶴丸さんの姿は見えなくなってしまった。
「笑ってました、ね」
「牛では乗り心地が悪いと言っていたな」
「乗り心地……」
笑いが漏れたものの、ひどく寂しい。
「そこ、気にするところですかね」
軽口をたたく声が震え、ほとりと涙が零れた。
「鶴丸さんはね」
国永さんとの違いをいくつもあげていく。ひとつひとつ、宝物を取り出すように。
初めて好きになった刀。好きだった、刀。
「国永さんは」
これからも増えていく宝物を口にすれば、今度は国永さんが泣きそうな顔で笑った。
「だからもう、着物を着ても大丈夫ですよ」
「あぁ」
「私を笑わせようと、いつもそういう楽しいシャツを着てたんですよね。大丈夫ですから、好きなものを着て、国永さんらしく居てください」
涙を拭って伝えると、国永さんが少し難しい顔をして考えこむ。
「どうかしましたか?」
「いや……その、楽しいシャツ、というのはこういうもののことを言っているのかい?」
「えーと……それもそうですが、全般的に?」
「楽しい……あーその、きみが楽しんでくれていたなら、なによりだ」
「……国永さん、もしかしてそういう意図じゃなかったんですか? 気に入って着てたんです?」
「んぁ? まあ、そうだな。皆に選んでもらったこともあるにはあったが……好きで着ていた」
ぶふっと吹き出して笑うと、そこまで笑うかと頬をつままれた。
「現世に、……ふふ、現世に着ていくんでなけれ、ば……、いいんじゃないですか? ハハ」
「笑いすぎだ」
「──── !」
唇を塞がれて息を呑む。
してやったりと目を細めた国永さんの頬は、夕陽で照らされた以上に赤く染まっている。
「その、近侍代理を返上して、近侍になってもいいかい」
「もちろん! お願いします。ただ、近侍というか……」
恋人だともっと嬉しいですと伝えると、今度はぎゅうと抱き締められた。