一振目の鶴丸を喪った女審神者と二振目の鶴丸の話 8月15日

←とうらぶ目次へ


 人の子はいつの世も頼りなく、愛らしく、そしてひどく愚かだった。
 己では刀を振るうどころか手にすることすら危うい少女を戦の最前線に置こうなどと考えるあたり、つくづくそう思った。
 こんな細腕の女を戦に巻き込まなければ守れない日常。足掻く彼らを健気と受け取るべきか、強欲と嗤うべきか、この身を得てから度々考えた。幾度も思考を巡らせて、結局いつも可愛くていじらしい主に手を貸すのは悪くないという結論に至る。
 雛遊びはとうに卒業し、嫁に行って子のひとりやふたりいても不思議ではない年頃の娘だ。許嫁はいないのかと問えば、年の割には幼さの残る頬を膨らませ、今はそういう時代じゃないんですよと唇を尖らせる。ならばいくつになれば『そういう』年齢になるのかと訊けば、そうですねえ……と考え込む。
 戦いなどほど遠い平和な世の中。そう思ってたんですけど、と苦く笑う彼女は陣形どころか戦のいろはもまったく知らないどこまでも普通の女で、それを主と仰いで日々出陣を繰り返してることに始めはひどく驚いた。数日おきに代わる近侍と毎回相談しているのだという部隊編成も、相談とは名ばかりの、数人の者が話し合って決めたものを主が承認するだけの態だった。
 誰もが主を庇護し、少しでも戦いから遠ざけてやろうとする本丸。よく言えば優しい、冷たく言えば主を蚊帳の外に置く本丸に他ならなかった。

「将棋、ですか」
「ああ、将棋が駄目なら碁でもいい。どうだい?」
「すみません。どちらも出来ないです……あ、でもオセロならありますよ」
「おせろ?」
「やってみますか?」
 
 それは形状こそ碁に似てはいたが、全く異なる盤上遊戯だった。だが目的を果たすには足りる気がした。

「鶴丸さん……強すぎ……」

 幾度となく真っ白になる盤の石たち。それらにげんなりと息を吐く彼女に、「これが戦なら俺たちは全滅だな」と嗤うと、ひゅっと息を呑む。愚かではない主は、すぐに遊戯を通して言わんとする意図に気付いた。
 可愛い雛鳥を風にも当てず、屋敷の奥深くに匿って過ごす。選択肢のひとつとして下策と言い切れない。が、上策には思えなかった。彼女自身がそれをよしとしていなかったからだ。目隠し目逸らしを重ね、気付かないままで置いておいてやることも容易かったかもしれない。けれど、庇護されるのでなく主たることを望むなら、叶えてやりたいと思った。
 
 対して国永はといえば、彼女を戦などから遠ざけ、安寧たる日々に置くことを望んでいた。
 
 十五日。この本丸で再び迎える二度目の朝。
 
 もう少しマシな服に着替えようと箪笥を開き、掛けられたシャツを吟味する。
 スーツと合わせのシャツにネクタイ、それ以外は長袖半袖のシャツばかりだ。
 
「おいおい……どんな趣味だ」
 
 自分の知る二振目は、己と同じようにいつも和装だった。二振目が現世に同行することはなかったから、洋装など見たことがなかったのだ。だから、国永の趣味に気付かなかったのだろうか。
 『冷やし中華始めました』とでかでかと書かれたものや、政府で視力を検査をした時に見たCやCがひっくり返ったようなものが並ぶ絵柄のもの、『手は貸さん!』と書かれた隣に猫が眠っているもの、『研ぎ立て危険』、『大根』など、書かれた文字は言うまでもなく色も柄もおもしろおかしいものばかりで無難に着て歩けそうなものがひとつもない。
 そもそも迎え火でやって来た時だって、夕闇の中、蛍光色に光る蚊取り線香の柄のシャツに驚かされた。
 探せば浴衣のひとつもあるに違いないが、これ以上あちこちを漁る気にもなれず目を瞑って取りだした一枚に袖を通す。
 白いTシャツに黄色い円が大きく描かれたそこには、筆文字で半熟と書かれていた。
 
 
「あ、国永さん、おはようございます」
 
 広間に顔を出すと、まだ少し眠そうな彼女が膳が運ばれてくるのを待っていた。
 こちらに気付いた彼女は、胸元に視線をやるとクスクスと笑い出す。
 
「ふふ、今日はそのシャツなんですね。……目玉焼きかゆで卵にすればよかったな。今朝はオムレツをお願いしちゃいました」
 
 主の隣にしつらえられた『鶴丸の膳』には既に目玉焼きが置かれている。しかし、そこには誰の姿もない。

「おはよう、国さん。国さんはどう……え?」
 
 気付いたらしい光坊が目を瞠る。己の唇の前に指を立てて何も言うなと片目を閉じて見せても、納得がいかないというように口を開こうとしたので「俺は……そうだな、目玉焼きがいい」と制した。
 
「目玉焼きね。了解」
「珍しいですね。甘いスクランブルエッグじゃなくてよかったんですか?」
「んあ? あー、そうだな、今朝はそんな気分でな」
「あとで。ちゃんと訊くからね」
 
 念押しして立ち去る光忠の背中を不思議そうに見送る主が「なにかありましたか?」と小首を傾げる。
 
「きみが気にするほどのことは何もないさ」
「……国永さん。私、ちゃんと覚えてますから。だから、そんな風に鶴丸さんみたいな言い方、しないでください」
「へえ……なんで『そう』思った?」
「もう……いいです」
 
 先ほどまでの笑顔を綺麗に消し去った彼女は、食事の間中にこりともせず「ご馳走様でした」と席を立った。
 
 
 
「ほぉ、しょくせんき? というのか。たった四年でも変わるもんだな。いやいや、便利になったものだな」
 
 食後、膳を下げるべく厨に顔を出すと、その日の当番である光坊はもちろんのこと、山姥切と歌仙とが待ち構えていた。
 初期刀の山姥切は以前は必ず頭から被っていた布を纏っているだけで、あの頃とは比べものにならないほどの強い眼差しでこちらをひたと見つめてくる。
 手合せこそしていないので定かではないが、見知らぬ顔も増えたこの本丸の中で、当時の面々も随分と錬度が上がったのだろう。あの国永ですらも。
 
「国永をどこへやったんだい」
 
 口火をきったのは歌仙だ。
 
「ここにいるじゃないか。俺は『鶴丸国永』だぜ?」
「鶴さん、わかっててそういうのはやめてくれるかな。国さんはどこへ行ったの? なんでその躰に鶴さんが居るの?」
「くれるというから貰い受けた。それだけだ」
 
 肩を竦めて見せて「この本丸に必要なのは一振目の鶴丸国永だというのでな」と言葉を続ければ、空気がピシリと音をたてたように張り詰めた。
 
「本当に、あいつがそう言ったのか?」
「おいおい、そう怖い顔をするものじゃないぜ? 確かにくれと持ちかけたのはこちらだが、明け渡したのは国永の意思だ」
 
 戯れに、けれどなかば本気で口にしたそれを、まさか受け入れられるとは思わなかった。
 二振目はさして迷う素振りもなく、それがいい、と頷いた。主が喜ぶだろう、と。
 
「それで唯々諾々と乗っ取ったのかい。雅じゃないね。かつての『一番刀』の名が泣くってものだろう」
「かつて、なァ」
「……鶴さん。鶴さんが帰ってきてくれたのは嬉しい。知ったら主だってきっと喜ぶよ。でもさ、四年の間、たった四年だけど本当にいろいろあったんだよ。主にも、僕らにも」
 
 深く溜め息を落とした光坊は、手近の椅子を引き寄せて、逡巡するように言葉を紡ぐ。
  
「抜け殻になった主に寄り添って、気遣って。少しずつ、本当に少しずつ生へと引き戻して。笑ってご飯が食べられるようにしたのは国さんだった。その国さんがいつか言ってたんだ。折れたのが自分だったらよかったってね」
「だろうな」
 
 あのどうしようもないシャツも。着物に袖を通さなくなったのも。
 朝餉で見た主の笑顔ですぐにわかった。たったそれだけのために。主がそうして浮かべる笑みひとつのために、あれは和装をやめたのだろう。
 健気なことだ、と内心で舌を打つ。
 
「ま、仕方ないな。これも二振目の意思だ。近侍が俺に代わる、出陣も当番も以前の通りだ。それじゃあ駄目かい?」
「……鶴さん。国さんはずっと近侍をしてたけど、近侍じゃなかったんだよ」
「は?」
「あいつは、自分は近侍代理だと言って近侍部屋を使ったことすらない」
 
 四年前と変わらぬ近侍部屋。かつて寝起きしたあの部屋がそのままだったのを少し不思議に思ったが、なるほど使っていなかったかららしい。
 今度はこちらが溜め息を落とす番だった。
 
「後は野となれ山となれ、とな」
「鶴さん!」
「明日は送り火だ。一振り帰って一振り残る。この本丸にはこれからもちゃあんと『鶴丸国永』がいる。何も変わらんさ」
国永あいつをどこへやった!?」
 
 初期刀の苛立ちを露わにした声に、「さてな」とひらりと手を振って厨を後にする。
 追いすがってまで誰何する者はなかった。

→次の話

←とうらぶ目次へ

  • URLをコピーしました!