天にかける梯子

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そういえばpictMalFemにもアカウントあったっけ……と見に行って発掘したお話。
投稿の日付は2017年9月でした。
ざっと見渡したけれどサイトには掲載してなかったようなので掲載。
審神者ちゃんが死んじゃうお話しなので、苦手な方にはお勧めしないです;;

 

「鶴丸~っ! 見て見て! 雲をとってきたよ!」

 廊下を小走りでやって来た彼女は、空に浮かぶ雲と寸分たがわぬそれを得意満面に差し出した。
 
 
 
 
 
「はは、懐かしいな」
  
 少し前までは庭に鳴り響いていた蝉の声もなりを潜め、渡る風は涼やかになった。もう一ヶ月もかからず畑の薩摩芋は収穫時期を迎えるだろう。そうすれば、庭で大々的に行われるのが芋焼きイベント。ハロウィンに並んで、彼女が毎年楽しみにしている秋の行事だ。
 夏の間力強く茂った緑も、徐々に色づき枯れていく。それは当然の命の巡りだ。その巡りが今はどうしようもなく恨めしく思える。
 開け放った障子の向こうを見遣った鶴丸はひっそりと息を吐くと、布団に横たわる彼女に視線を戻した。
 薄掛けの下、寝間着の胸はよくよく見なければわからないほどに緩く上下する。そんな風に凝視しなければわからないほどに、彼女の息は細く弱かった。
 枕辺でとりとめなく話す鶴丸に、褥の住人が反応を返すことも徐々に少なくなったが、それでも低く柔らかな声で語り続ける。
 顕現して十日も経たない頃。あの日、当番と買い出しに行ったはずの少女はこの廊下を駆けてきた。
 出陣も遠征もなく、そろそろ帰るはずの主を縁に腰掛けて待つ鶴丸の前に、少女は「ちょっと空に行って取ってきたよ」と綿菓子を差し出したのだ。

「雲に味があるかなんてとんちきなことは考えたこともなかったがなァ……触れば手はベタベタになるし、思うのとは随分違うと驚いた」
 
 あの日、口にした綿菓子は顕現してから食べたどの菓子とも比べものにならないほどに濃密な甘さで、それなのに温度も感触も感じさせないほどに儚く溶けて消えた。
 その儚さだけは確かに、風に流され、ちぎられて消える雲そのものだと感じた。
 
「俺はあの時、主は天に掛かる梯子を持っているのかと思ってな。そんなきみとの日々はさぞや驚きに満ちたものになるだろうと期待したもんさ」
「期待に……こたえられた?」

 少し濁った瞳が、ひたとこちらに向けられていた。かつては好奇心に輝き、苦境の中でも諦めない強さを湛え、想いをあますことなく伝えてきたその眼差しが、今確かに己を捉えている。それだけで、胸の中に溢れかえった想いに喉を塞がれる心地になりながら鶴丸は「あぁ」とどうにか言葉を搾り出した。
 人の子はいつも儚くて、けれどその儚く短い時間がどれほど濃密で愛おしいものか、教えてくれたのは彼女だった。
 億劫そうに少しこちらに顔を向けた愛しい女のかつては黒かった髪をそろりと撫で、「……期待以上だった」と囁くと、彼女は少女のように目を細めた。
 
「すっかり……秋ね」
「あぁ、そうさ。きみの好きな季節だ。今年も芋掘りは部隊ごとにして、掘り当てる芋の大きさを競ってみるかい? ハロウィンの仮装もお題を決めるならそろそろ発表してやらなくちゃ、皆の準備の都合もあるだろう。あぁでもきみは、あの紅葉をそのまま映したような着物を着ちゃあくれないか。どんな姿のきみも綺麗だが、俺はあれが一等好きだ」
「……」
「山に入って山葡萄を摘みに行くのもいいな。きみ、好きだろう? 光坊にタルトを作って貰ったのを独り占めしそうな勢いで食べていたもんな」
「つる……」
 
 骨がすけるほどの指先をそっと取って絡めた。かさつき皺の刻まれたその皮膚を、指の腹で緩く撫でてやる。
 ほとと涙が零れた。
 いくら予定を並べ立てても、もうこの消えそうな命はそこまで届かない。わかっていて、それでも祈るように口にする。
 
「秋が過ぎたらあっという間に正月になっちまうなあ。あぁ、その前にきみの好きなクリスマスがあるじゃないか。今年はいつかみたいに庭中に飾り付けしてみるかい?」
「つる」
「城の地下を掘る任務があったって、俺は行かないからな」
「……」
「絶対に、行かない。俺はずっと、ずっときみの傍にいたいんだ……」

 秋も冬も春も夏も。季節も時間も何もかもを越えて悠久の時を共にしたい。
 有限を生きる彼女を、人の理から攫ってしまおうと思わないでもなかったけれど、人で在り続けることを選んだ彼女が愛おしかった。それでいいと思ってきた。それなのに、いざその終わりを前にして、どうしようもなく途方に暮れる。
 彼女を喪う。
 考えただけで、暗闇に落とされるよりも更に深い闇に閉ざされる心地だ。喪失なんてなまやさしいものじゃない。絶望がかたちを成すなら、きっとこれだろう。

「鶴丸……」

 細い枯れ枝のような指先に、ほんの少し力がこもる。それすらもどうしようもなく弱々しくて、鶴丸は頼りないそれをそうっと両手で包んだ。
 涙を流す己に向けられていたのは、慈愛に満ちた眼差しだった。
 守るべき人の子であったはずの彼女は今、神の末席である鶴丸よりも遥かに何もかもを見透かすようにこちらを見ている。

「なあ、きみは梯子をどこに隠した?」
「……」
「黄泉比良坂を降るもんだと思っていたが、天国だったか。人は天へと昇るんだろう? 俺は人じゃないからな。供をするならきみの梯子が必要だろう」
 
 雲にも空にも、天にだって届かなくていい。ただ、きみが行くであろうどこかへ届く梯子が欲しい。
 涙はとりとめもなく零れる。けれど、両手で包んだ掌を離したくなくて、流れるままに鶴丸は言葉を続けた。

「きみたちは、いつも俺を置いていく……もう、俺も梯子に手をかけたって許されると思わないか」

 『鶴丸国永』としてあったこれまで、時間が長いとも短いとも、ましてや儚いなんて思ったことはなかった。
 ただ人の子はそういう時間の中を生き、物である己は在り続けるのだと、それが理なのだと当然のように受け入れてきた。けれど。

「つる、わたし……空にかける梯子、ないや」
「……きみは本当に、物をなくす天才だな。いつもみたいに俺が一緒に探してやるさ。だから」
「つるは、持ってるじゃない、梯子」
 
 少し辛そうに息をついた彼女は天井を見つめ、呼吸を整えるようにゆっくりゆっくり息を吸って、はいた。そうして再び緩慢に鶴丸に視線を戻すと、億劫そうに瞬きをして柔らかに微笑んだ。

「時間にかける梯子を、つるは持ってる。私が行けないその先のずっとずっと先まで届く梯子……」
「そんなものっ」
「梯子のずっと……ずっと先の時間で、私、また鶴丸に会いにきて、いい?」
「俺は今のきみがいい。だから頼む。俺を置いて逝くな」
 
 安心して逝かせてやろうとか、穏やかに寄り添おうなんて、そんなものはどこかへ行ってしまった。ただ縋るように、この消えそうな命を留めようと祈る。

「置いて、いくんじゃないよ……ずっと先で待ち合わせをしよう? 一度してみたかった。いつも、……ここから一緒に出掛けるから」

 皺の刻まれた眦から、つと雫がこぼれ落ちた。それでも、瞳に浮かぶそれは相変わらず悲しみなどではなく、どこまでも鶴丸へと向けられる愛情ばかりが湛えられている。

「政府の、あんな狭い施設なんかじゃなくて、お仕事なんかじゃなくて、私、鶴丸に見せてあげたいもの、いっぱい……本丸の外……いっぱい……」
 
 数十年。まるで閉じ込められるような日々の中で、彼女は幾度となく広い世界を語り、モニタ越しに見せては、いつか、いつかと語り続けた。
 
『いつか鶴丸と行ってみたいな』
 
 彼女がようやくここから解放される。それだけが救いだった。救いだと、思いたかった。

「……そうだな」

 震える声でそう答えてやると、常になく饒舌だった唇は緩く閉ざされ、眠りに落ちていくように瞼がおりた。
 細い息はいよいよか細くなり、ともすればそのまま止まりそうなほどに途切れがちになった。

「あるじ」 
 
 息をつめて、ただ見守る。

「俺だけのきみ」

 消え行く命を留める術ももたない。ただ刀を振るい、傍にいることしかできなかった。神とは名ばかりのこの身は、祈る言葉も持たない。みっともなく泣き崩れ、消え行くそれを追いすがるように見つめるだけだ。

「   」
 
 幾度名を呼んでみても、もう瞼は開くことはなかった。
 
 どれほどそうしていただろう。ため息でもつくように長く息を吐いた彼女の体にくっと力が入る。繋いだ指先もほんの少し力がこもり、あとはただ脱力した。
 もう、胸どころか睫の先すら震えない。

「きみは、本当におっちょこちょいだな……」

 わななく唇を御し、どうにか言葉を紡ぎ出す。

「日付も時間も決めないで、どう待ち合わせるんだい」

 まだ温かい手を押し頂くように額にあてる。いつかのように、その指先が髪を撫でてくれればいいのに。願ってみても、もう彼女はぴくりとも動くことはないのだ。

「俺は……信じて待つしかないじゃないか……」

  彼女の遺した確証も何もないそれは、いつかのはじまりへと渡す、まごうことなき梯子だった。

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