教えた通りに応える唇の方がよほど正直だ。
正体を明かして組み伏せた女は、何が起きたかすらわからないほどに混乱していたはずが舌を差し入れ誘いかければ、おずおずと絡めてくる。それもまた、どうしようもなく苛立ちを誘った。
「つけなくていいんだったな。溢れるまでそそいでやるさ。それとも……欲しくてたまらなくなるまでオアズケでもしてみるかい」
意地悪く未だに事態を飲み込めてはいなそうな瞳を覗き込む。薄く張った水の膜は止めどなく眦からシーツへと滑り落ちていく。
「うそ、だよ、ね?」
「嘘? はっ、きみはどっちがいいんだい」
「……」
「どっちにしたってやることはひとつだ。そうだろう? きみは『鶴丸国永』に抱かれに来た」
「──っ」
「『手近で済ますのはよくない』、だったか? さすが『手近』を避けて他の本丸の男を所望した主殿だぜ、いやいや驚いた」
組み伏せた下からずり上がるように逃れた審神者は、ベッドの上で身を起こし乱れた髪のままゆるゆると首を横に振っている。
「ちが……」
なんで、と。震えながらの呟きは、けれど音にはならなかった。ただ、とめどなく涙と共に困惑ばかりを溢れさせた瞳が、答えを探すようにこちらに向けられていた。
『私、もうずっと鶴丸のことが好きだったんです』
そう言って目を細めていたのは、けして遠い日のことではない。
『……もぉ消えちゃいたい』
しゃくりあげる華奢な肢体に、己が彼女の刀剣なのだと名乗りさえすれば、泣く必要などひとつもないと諭して、不安のすべてを拭い去れると思ったのに。
昂ぶる熱が身の内を焦がす。
思い知らせたい。どれほど愛しく思っているのか。同じだけ、いや審神者の抱えたそれよりも遥かに濃く澱むほどのそれを叩きつけ、注ぎ込みたい。
けれど。同じその思いが己の手綱を絞るのだ。優しくしたい、慈しみたい、と。
次の言葉も見つからないまま伸ばしかけた指先に、彼女がヒクと息を呑んで身を固くしたのがわかった。
持って行きようのない想いを握り込んで、強く己の脚に叩きつける。途端に怯えたようにはねた肢体を視界に捉え、荒ぶる呼吸を鎮めるべく固く目を閉じた。
人の子の幸せを願うなどとどの口が言うのか。もう泣かせないのではなかったか。
好意を目に前にぶら下げられ、それを躱されただけでこのザマだ。種明かしをして、改めて口説くこともせずに、ただ怯え、泣かせている。
ふと拳の上に柔らかな熱が触れて、瞼を開く。そこには、まだ濡れた目を気遣わしげに向けてくる彼女がいた。
「あの、……具合が、悪い?」
いや、と答えたのはなかば反射だった。なのに彼女は、よかった、と安堵の息を吐くとベッドサイドに手を伸ばして、盛大に鼻をかんだ。
「は……」
「すみませ……じゃなかった。ごめんね、なんか」
はは、と誤魔化すように笑う彼女の目から、またほろりと涙が零れた。
「あれ、なんか、ごめん。びっくりしただけで、……なんか、大丈夫なんで」
平気なのだと訴えながらもとめどなく零れる涙を、掌でグイと拭う幼い仕草に、暴れていたはずの熱が凪いでいく。
「触れて、いいかい?」
そっと尋ねると、鶴丸が嫌じゃなければ、と伏し目がちに答えた眦から、また雫が落ちた。
「嫌なわけない。俺がきみに触れたいんだ。……きみが嫌じゃなければな」
「嫌だと思ったことなんて、一度もない」
慎重に伸ばした掌でまだ濡れた頬を撫でる。冷えた涙の感触に再び罪悪感を呼び起こされていると、すりと甘えるように彼女が掌を重ねてきた。
「ごめんね。ごめんなさい」
ほろりとまた新たな涙が零れ、指先へと滑り落ちてきた。
「きみが謝ることなんてひとつもない」
「ううん、こんなことさせたくなかったのに。それでも ── 1日でも長く鶴丸の傍に居られるならって思っ……」
最後まで言わせずに、強くかき抱く。一瞬身を固くした細い肩は、そっと息を吐いて身を任せるように脱力した。
「きみが好きだ。ずっと好きだった。管狐に話しを聞かされた時には好機だと思ったさ。愛しいきみに触れられる、とな」
「……」
「きみが俺でない俺と契るつもりだったのは業腹だったが、それでもいいと思った。それでもどうしても」
欲しかった、と懺悔するように差し出し、答えを待たずに唇を塞いだ。
角度を変えながら深めていくと、ふと背中に柔い力を感じた。いつの間にか彼女の腕が、すがるように己の背にまわされている。
夢中になって貪りながら徐々にその身を横たえていくと、背中をぺしぺしと叩かれた。
「本当に、鶴丸が『鶴丸さん』、なの?」
「……ああ」
「『鶴丸さん』が言っていた主は、私?」
このまま躰で確かめ合えばいいことを、混ぜっ返すように訊かれて笑いが漏れた。でもそれが元来の彼女らしさだ。
「俺の主はきみだけだからな」
「……」
「千年だ。身も蓋もないことを言えば、きみより見目のいい人間も見てきたし、心根正しい立派な主の元にいたこともあれば、神力かと思うほどの力を持つ人間にだって会ったさ。それに比べれば大したことない小娘だと思った」
「……」
「だが、俺たちのためにきみがどれほど心を砕いてくれるか知っている。諦めずに努力を重ねることも、時々さぼっても投げ出しはしないことも知っている」
「……」
「きみが望むんなら色街でもなんでも行ってやるさ。そこで知らない女を抱いてきて、そのうえで言えば信じてくれるのか? きみ以外の女なんて抱きたくもないがな。このうえ何が足りない?」
じっとその瞳を覗き込むと、彼女は自身の唇をそっと噛んで、思い切ったように口を開いた。
「任務だからじゃ、ない?」
「違う」
「私の霊力が枯れちゃうから……かわいそうだからじゃ、ない?」
「違う」
「なら、私、このまま鶴丸を好きでいていい、の?」
見上げてくる眼差しが愛しすぎて、凪いだはずの衝動が暴れ出す。
「今のはきみが悪い」
「え?」
「もう待たない。その代わり納得するまで思い知らせてやる」
きみの躰に、と。唇から熱を注ぎ込むようにして塞ぐ。
文字通り、注ぎ込み、刻みつけ、もうこれ以上疑う余地もないだろうというほどに塗り込め愛し尽くした肢体は、指先ひとつ動かせないほどにベッドに沈み込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カチャリ、とロックの解除される小さな音に、ぴくりとしもしない彼女を抱き寄せてドアから入ってくる気配に意識を研ぎ澄ませる。
気配はひとり。殺気とまではいかないが、怒気を孕んだものではある。本体を探しかけて、そういえば今ここにはないのだと思い出して内心舌打ちしていると、廊下に繋がるドアが開いた。が、誰もいない。
「誰がここで三日夜の餅まで食えと言いましたか。審神者さまを救うどころか抱き殺すおつもりでございますか!?」
やって来たのは、白い尾をぶんぶんと振り、忌々しそうに。そのくせ、眠っている彼女を起こさないようにか、精一杯抑えた声音で怒りを示す管狐だった。
「あぁあぁ、こんなに花びらまみれにして。どれだけ──」
いつもなら気にくわない政府の手先でも、今なら抱き締めて口づけのひとつでもしてやれないこともない。そんな心の内を見透かすように、何を言っても無駄だと気付いたらしい管狐は「とっとと撤収して本丸にご帰還ください。いいですね!?」と言い置いて背を向ける。
「ああ、そうでございました。任務は完了ということでよろしゅうございますね」
「当然だな」
「それは重畳」
満足げな声を残し、部屋を出て行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
『鶴丸さん』にどれほど手加減されていたか、文字通り思い知った三日間だった。三日間というのは後から聞かされたから認識できただけで、実際日付も時間の感覚もなく、ひたすら翻弄され、しまいには意識が沈み込んでしまったことしかわからない。
いつ本丸に帰ってきたのかもわからず、ただ目を覚ますと声すらろくに出せないことと、ギシギシと音をたてそうなほどに疲労を残す躰が夢ではないのだと教えてくれた。
ようやく起き出して皆と食事を一緒にできるようになれば、赤飯だ鯛の尾頭付きだのが並び、祝われてこそばゆいのを通り越し、いっそいたたまれなかった。
それでも、隣に鶴丸が居てくれることが、ただ嬉しかった。
まだかろうじて別々の部屋にはなっているけれど、そろそろ同室にしてしまえと言われており、そこは主たる審神者としてけじめをつけるべきなのか、それとも実質毎晩お泊まりに来てくれる鶴丸のためにもそのほうがいいのだろうかと考え中だ。
「ま、あれだ。任務だとこれでも律していたからな。それにしても2回目はきみの想いを知った後だったからな。いやいや、誓約がなければ危なかったぜ」
「2回って、最後もあれは」
「3回目のあれは任務じゃなかった。違うかい?」
「ちが……いませんけど。その鶴丸、もうちょっとはな、離れて」
背後から上機嫌の鶴丸に、まるで幼子が熊のぬいぐるみをぎゅうぎゅうと抱きしめるごとく抱かれている。好きな相手に愛情表現をされることは嬉しいに決まっている。けれど。
「そうつれないことを言うもんじゃないぜ」などとお腹にまわされた手にきゅっと力がこもる。
「恋人というのは理由がなくとも傍にいていいものだろう? 誰に憚るものでもあるまいさ」
「少しは憚って頂いてもよろしいのですよ、鶴丸国永様」
不機嫌そうに尻尾を揺するこんのすけが、咳払いをしながら存在を主張した。
ほんの先ほどまで不通に接してくれていたはずなのに、こんのすけが来た途端これである。絶対当てつけに違いない。
「ああ、なんだまだいたのか」
「ほら、ね、こんのすけのお話もあるし」
「あぁ、私めにはお構いなく」
いやいやいや。私が! 構うから!!
「審神者様、来週の現世行きの申請通りましたので、後ほどおおまかな行程スケジュールのご提出をお願い致します」
例の任務でもたらされた特典のひとつなのだから、申請が通らないはずはないとしても、会議などのついででなく刀剣男士を伴い現世での2日間の休暇というのはかなり破格なのは間違いない。
「携帯用端末は必ずお持ち下さい。それから刀剣男士の本体はその間政府預かりとなります。緊急時には端末よりお知らせ頂きましたら、直ちにお手元に転送できますのでご安心くださいませ」
2日間かあ。温泉もいいし、普通にお買い物デートもいいな。鶴丸なら遊園地も喜ぶかもしれない。でも滅多にない機会だから、実家にも寄りたいし、でもそうすると鶴丸を紹介することになるし。どうしようかな。
「細かい書類は改めて端末にお送り致します。必ずお二方で熟読頂いた上でお出かけ頂きますようお願い致します」
親に紹介かぁ。結婚を前提どころかもう実質結婚しちゃってるような状態だけどいいのかな。
ふいに首筋をぺろりと舐められ、漏れそうになった声に慌てて口を押さえた。
「ふはっ、きみが心ここにあらずだったからな。呼び戻してやったまでだ」
「もぉ……、あ、ごめんね、こんのすけ。手続きだっけ?」
「……。すべて端末にお送りしておきますので、必ず! お目通しくださいまし」
「うん、わかった、読んでおくね」
これで話しは終わりかな、とつぶらな目を見つめると、どこかそわそわと期待に満ちた眼差しが返る。理由など聞くまでもない。この甘い香りが原因だろう。
「ところで審神者さま。今日の夕餉は?」
「今日の夕飯はいなり寿司だよ。食べてくよね?」
「はい! もちろんにございます!」
白い尻尾が、満足げに大きく揺れた。
【mission complete】