カノジョの婚活 9

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 敢えて流されたのは自分ではあったが、この男はこんなんで大丈夫なのかと洗い立てのシャツを干しながら思う。
 ベランダは少々寒いけれど、窓を隔ててひとりになれる空間は気まずさと気詰まりとをない交ぜにした室内よりも心地よく、軽く空を仰いで大きく息を吸ってみる。凜と澄んだはずの空気は、細く長い溜め息へと成り果てた。

 彼が欲しかったのは家を出るための理由であり、年相応にもっともらしい名目で不毛な片想いを覆い隠せてしまう隠れ蓑だったんだろう。単に”彼女”と同棲するよりも結婚を前提にしている”婚約者”とのほうが、彼が今まで培ってきた”誠実で頼りになるいい兄”のイメージに添う行いだったというのもあるかもしれない。
 こちらは実家からのお見合い話をやり過ごしたいだけで、籍をどうこうする必要性まではない。だから”婚約者”という耳障りのいい、将来が見えるように響く肩書きはちょうどよかった、というのも建前で、叶える気概も叶う望みもない想いを抱き続ける彼にほんの少し同情したというのが本当のところだ。
 ひとつ屋根の下で、募るばかりの気持ちを持て余す切なさは誰よりも知っているつもりだ。ましてや、その相手が愛しげな笑みを自分でない相手に向けるのを目の当たりにしながら日々を過ごすなんて、傷口のかさぶたを治る間もなく剥がされ続けるのと同じだろう。ううん、かさぶたになる間もなく、ずっと血を流したままかもしれない。
 あの頃、もしも鶴丸にそんな存在が居たとして。それを毎日目にする羽目になっていたとしたら。想像するだけで肺に澱んだ水を少しずつ流し込まれるような心地になる。手が届く場所に名目や隠れ蓑があったとしたら、私もきっと逃げ出した。
 
 行為の最中でも、国永はスマホの音に敏感だった。
 ああ、手短に済ませたいんだな。そう感じた後には痕跡を手早く洗い流して、そそくさと去って行く。手短どころか途中で放り出されることもあった。セフレなんてそんなものだろうと思っていたから腹は立たなかったけれど、我ながらどうしてこんな関係をずるずる続けているのだろうと考えはした。
 同じ顔だから。同じ声だから。それは甘い夢を見るのとは逆に、ただ傷口に塩を塗り込む行為にも思えたけれど、うっかり前世から持ち越してしまったものが少しずつ擦り切れ果てて消えてくれるような気がした。
 今となっては国永の片想いの相手を知るところとなったけれど、それを不毛だと切り捨てる気にもなれない。もしも恋人のいる鶴丸が私を頼ってメールをしてきたとしたら。スペアにすらなれないことを自覚していても、嬉々として駆けつけてしまう自分が容易に想像できる。
 そうやって尽くしてみても本命にはなれない自身に、彼は何度傷ついただろう。
 わかっているのに、その瞬間だけは相手に必要だと乞われることで幸せになれる。一番にも唯一にもなれない現実に想いごとぺしゃんこにされても、やっぱりなくしてしまうことは出来ないのだ。
 これはきっと傷のなめ合いでしかない。虚しくて生産性なんて1ミリもない。けれど今、国永にはそれが必要なのだろうということがわかってしまうのだから仕方ない。
 私にとってもこの状況は悪くはない。何かの役割がある状況は好きだ。好きどころか、役割があるからここに居ていいのだと安心できる。例えば”審神者”でも”主”でも、”真面目に業務をこなす社員”でも。”セフレ”だって”婚約者”だって大差はない。役割があるということは、そういう自分を必要とされているのだから。
 ましてや、姿だけとはいえ”鶴丸”の役に立てているという自己満足が得られる。
 これは間違いなくギブアンドテイクというやつだ。かえって虚しさを呼び起こす行いだとしても、互いに了承済みのことだ。
 彼は飽きたら「当分女はいい」という新たな言い訳をしながら一人暮らしを始めることもできるだろうし、私の方も名目上バツイチとなれば実家のあの人だって呼び戻そうなどという気も失せるに違いない。
 もしもこのまま本当に籍までいれる話しになってしまったら。……それはその時に考えればいいや。
 元々住んでいた部屋の契約はそのままになっている。住んでない部屋の家賃を払うのはもったいないけれど、家電を揃え直したり、引っ越しをしたりする手間を考えたら面倒なことこの上ないし。だって、こんな生活はやっぱりそんなに長く続くはずない。
 グーと空腹を訴える音が響く。
 硝子越しに室内の壁時計に目をやれば、13時半をまわっていた。
 洗濯籠から最後のタオルを取り出して、パタパタとはたいて干す。
 
『そういうことはちゃんと出来るのに、どうしてあんたは部屋の片付けが出来ないんだ』
 
 いつかの初期刀の声が思い起こされる。
 本丸での掃除当番も、洗濯干しも、料理当番も。私はみんなに混じってこなしていた。
 丁寧にシワをのばしてから衣を干す様を見て、隣でシーツを干していた彼は呆れた声をあげたのだ。
 あの時、なんと答えたのだったか。忘れてしまったけれど、その答えにも呆れたように溜め息をつかれたことだけは覚えている。
 あの本丸で、初期刀だけは私が特別いい主でもなく、自室を雑多に引っ繰り返したまま寝転んで菓子を食べるような姿を知っていた。
 今でも部屋の片付けは苦手なのだと知ったら、彼はやっぱり呆れたように息を吐くんだろうか。
 もしも彼も生まれ変わっているならば取り繕うばかりで本当は出来損ないだった主のことなんて忘れ去っていて欲しいけれど、遠くから元気に過ごしてるかは見てみたい気もする。
 
「彼女が出来てたりするのかな」
 
 小さく呟いて、ふふと笑いが漏れる。
 私にとって初期刀の彼は、”世話焼きなおかん”だった。
 あの彼に恋人とか。また漏れた笑いに、お腹から早くしろと抗議の音が再び響いた。
 
 
 
「お昼ご飯どうしますか?」
 
 ソファで、心ここにあらずというように遠い目をしていた鶴さんが、たった今目を覚ましたとでも言わんばかりに瞬きを繰り返す。煙草の灰がソファに落ちていないのは奇跡かもしれない。
 あの子のことを想っていたんだろうか。物理的に離れることで解決するんだろうか。でも、想われないと決まっている相手なら、どうにか離れるしか術がないんだろう。
 切ない片想いを前に、胸の奥がぎゅっとして苦しい。
 
「……んぁ? すまん、なんだ」
「お昼ご飯。つ……国永さんはどうするのかと思って」
 
 鶴さん。と呼んでいた期間が長すぎて、すっかりクセになってしまったそれを直すのはなかなかに難しい。世にはあだ名で呼び合うカップルも多いだろうけれど、私が”婚約者”として認識される必要があるのは双方の家族に対してだけで、その家族の前で呼ぶなら”国永さん”が妥当だと思うわけで。国永さん呼びに慣れようと、これでも地味に頑張っている。
 その国永さんは時計に目をやり、ようやく今の時刻を認識したようで、「外に食べに出るか」と煙草を灰皿に押しつけた。
 
「いえ、私は大丈夫です」
「大丈夫って、きみだって腹が減っただろう」
「あ、はい。なので私は昼を作ろうかと」
 
 これからランチをするためだけに他所行きの支度をするのが面倒くさい。
 カジュアルなお店に行くにしても、さすがに部屋着ワンピースで出るわけにはいかないし、お化粧だってもうちょっと直さないといけなくなる。
 身仕度の手間と食事を作る手間を天秤にかけて、自炊に軍配があがった。
 彼はあまり自炊しないのか、冷蔵庫には大したものが入っていない。その割にはキッチンには鍋だのフライパンだの必要なものは揃っているし、調味料も基本的なものはあった。
 自分の家から持ってきた食材を頭の中で組み立ててみる。
「よかったら鶴さ、っと国永さんの分も作りますし、国永さんは食べに行ってらしてもいいですよ?」
 すると彼は狐につままれたような顔でこちらを見つめてきた。
 何か変なことを言っただろうか。この”鶴丸”の驚きポイントはイマイチよくわからない。
「きみ、料理が出来るのか」
 そこか。料理はできる。というほどではないけれど、今生では小さい頃から料理をした。なにしろ本丸での調理当番という記憶アドバンテージがあるのだから、基本は抑えられている。手間のかかるものは作らないけど。
「出来るというか、人並みに自分が食べる物くらいは」
 当然じゃないかという顔で答えかけてハタと気付いた。この男が普段口にしてきたのは、本丸一料理にこだわる男と同刀だった弟の手料理だ。
 実家で振る舞われた料理も相変わらず素材も調味料にも、器や盛り付けにまでこだわり抜いていそうなものだった。あの弟に『母が料理好きだったから自然とね』なんて言わしめるくらいだから、母親の手料理もかなりのものなのだろう。
 そんなレベルの味が標準ベースな人に食べさせるなんて、どんな罰ゲームだ。うん、無理無理。外で食べてもらった方がいい。
「あ、なしっ。やっぱり鶴さんは外食をどうぞ」
「いやいや、せっかくの婚約者の手料理だ。外食よりもずっといいに決まってるじゃないか」
 声でわかる。面白がってる、絶対。
 彼は私の知る鶴丸じゃない。そんなことはもう充分わかっているけれど、それでもやっぱり『ああ、彼は鶴丸だな』と思う。愉しい驚きの気配を感じれば、こうして目を輝かせるのだ。
「愉しそうデスネ」
「そりゃ婚約者殿の初めての手料理だからな」
「後悔しますよ」
 あいにく驚きのとんでも料理を作る気はないし、驚かせるほどの絶品料理も無理だ。日常的に食べる、ごくごく当たり前の手間がかからないものしか作らない。
「手伝うか? っていうか買い物に行かなくていいのか」
「手伝いが必要なほどのものは作れませんし、あるもので済ませます。ホントにお腹に入ればまあいいかってものしか出来ませんからね」
 がっかりされる気しかしない。だからせめてハードルを下げようと念を押すのに、「そりゃ愉しみだ」と期待に満ちた笑みは変わることなく、ため息をこぼすしかなかった。

 ベーコンと玉ねぎを刻む。半分はパスタに、もう半分はスープにする。切り方すら変えずに作ったそれを、彼は手放しで誉めてくれた。
 作ったものは自分だけが食べる。それが普通だったから、こんな風に誰かに作ってあげたことはないし、それを一緒に食べるなんて初めてのことだった。
 おいしそうに食べてくれるのが嬉しくて、せめて食材は違うものでスープを作ればよかったかな、パスタの盛り付けももう少しどうにかするべきだったかもしれないなんて申し訳なさも湧き出てくるのに、おいしい、おいしいと繰り返してくれる。

「さすがにそこまで言われると嘘っぽいです」
 
 食べる様を見ていれば嘘ではないのはわかるけれど、なんとなく居心地が悪くなってきて抗議してみたけれど、「いやいや、きみにこんな特技があったとはなァ」と感心したように頷くばかりだ。
 
「きみ、あのベーコンやらパスタやらはいつの間に買ったんだ」
「買ったんじゃなくて、あっちの家……と、元の家から持ってきたんですよ。でも引っ越し前だからあんまりいろいろ買わないようにしてたので、大した物がなくてすみません」
「いやいや、本当に旨かったぜ?」
 
 誉められるのは嬉しいけれど、なんだかからかわれているような気もする。
 ありがとう、嬉しい、と笑って見せたら可愛いんだろうか。でもなんというかあんな簡単なものを手放して誉められるのが恥ずかしくて目を合わせることもできず「お粗末様でした」と音にした言葉は少し上擦り、いつもよりも早口になってしまった。

 片付けは彼が当たり前のようにやってくれた。家ではいつものことらしい。
 
「妹さんは?」
 
 訊いてから、しまったと思った。なるべく触れないようにと思っていたのに、つい疑問が滑り出てしまった。

「ああ、やって手伝い程度だな。最近はたまに花嫁修業だなんて言って台所に立つようにもなったが……まあ我が家のお姫様だからな」

 おどけたように笑ってくれても、ひたすら気まずい。あなたにとってのお姫様でしょう? なんて思ってしまって、本当に居たたまれない。
 話題。そう話題を変えなければ。

「あの……」
「うん?」
「家賃はいくら入れればいいですか?」
「は? 家賃?」
「はい。家賃とか生活費とか」
 
 駅からもそう遠くはない物件だ。ファミリー物件というよりは、贅沢な一人暮らし、もしくはカップルで住むのにほどよい2LDKのマンションは築もまだ浅いのか外装も内装もとても綺麗だ。元々は賃貸にまわすつもりで購入したものの、結局は別宅みたいにして使っていたからお金はかからないのだと聞いてはいた。
 婚約者なのだから生活費も気にするなと言われていたけれど、多少なりともお金を入れた方が気が楽だ。

「家賃はいらない。もちろん光熱費もな。通帳もカードも渡してあるだろう?」
 
 そうなのだ。彼と来たら愛情の欠片もない関係なのに、同居開始前に引っ越しの費用もここから出していいと言って預金通帳とカード、印鑑まで渡してきた。
 結局あの部屋は引き払うこともなく、とりあえず必要だと思うものだけを箱に詰めたから業者に依頼する必要もなくお金に手はつけていないけれど、籍も入れていない女に新築ファミリーマンションが買えそうな金額の入った通帳を預けるなんて、この人は大丈夫だろうかと本当に心配になった。 
 育ちがいいのか、人がよすぎるのか、実は桁違いのお金持ちとか?
 実家はちょっと広めではあったけれど特別高級住宅街というわけではなかったから、ボンボンというわけでもないだろう。
 そういえばこの男の年収も知らない。ただ、こんな金額をぽんと人に渡せるくらいだから、私なんかよりは遥かに稼いでいるであろうことは確かだ。
 女慣れしているこういうタイプも案外ころっと結婚詐欺に騙されることもあるのかもしれない。
 同居を開始するにあたり、仕事を辞めて好きに過ごしてもいいと言われたけれど、事態が変わればすぐに壊れるかもしれない関係である以上そうもいかない。今の仕事が好きでたまらないなんてことはないけれど、女の再就職はなにかと大変なのだ。と、かつて先輩が言っていた。
 これが前世ならば審神者というスキルがあれば再就職には困らなかったろう。辞めたくても辞めさせて貰えないというブラックではあったけれど、衣食住は保障されていた。
 そういえば私は自分がいつまで審神者を務めていたか覚えていない。私のことだから嫁にも行かずよぼよぼで審神者として使い物にならなくなるまで、あの日常を重ね続けていたような気もするけれど、戦死でもしたか、病死したのか。
 みんな少しは泣いてくれただろうか。
 もっとも自分が死んだ時のことなんて思い出したくもないから、忘れたままでいいのだけれど。
 
「必要な金は全部あそこから使ってくれて構わない」
「えっ……出納帳をつけて提出しましょうか」
「普通そこは家計簿って言わないか? まあいいさ。きみに任せるし好きに使ってくれ。あまり場所を取る物を買う時は相談してくれると助かるが、基本的にきみが必要だと判断したものは買っていい。任せる」
「お小遣いというか鶴……国永さんもここから使うんですよね?」
「なあ。きみ、鶴と呼ぶほうがいいならそれでもいいぜ? 公的な場でうまくやってくれれば後は好きにしていい」
「あー……すみません。なるべく呼び慣れた方がいいかなって思って。そのうちどうにかなると思うので、スルーしててください」
「わかった。で、なんだ、ああ小遣い。俺は俺で他に収入ががあるからそっちを好きに使う。気にしなくていい。だから、きみの小遣いもここから使っていいぜ?」
「いえいえ! 私は私でお給料はあるので」
「そっちを使い出すときみは家に必要なものまで自分で出しちまうんじゃないか?」
 
 図星だから、ぐうの音も出ない。うぅと唸っていると、降参でも示すように両手をあげた彼は「わかった、線引きしようじゃないか」と苦笑した。
 
「きみの嗜好品、趣味に使うものはここから出してもいいし、きみの給与からでもいい。それ以外は必ずここから使うこと。迷った時は相談してくれてもかまわんが、使い込んでなくなるなんてことさえなければここに振り込まれる金は好きに遣っても文句は言わない。貯蓄は貯蓄で別にしてるから大丈夫だ」
「はあ」
「なんなら一筆書くか」
「まさか」
「はは、冗談だ。ついでに何かしておきたい決め事はあるかい? これから一緒に住むんだ。これだけは譲れないとかそういうのがあれば言っておくといい」
 
 一緒に住む上での決めごと。
 どうしよう。言ってみようか。
 でも別に我慢できないほどのことではない。ないほうが快適だという程度だ。
 好きではない。ないほうが好ましい。
 言うだけ言ってリアクション次第ではすぐに取り下げればいい。そう意を決して口にする。

「あの。ひとつお願いしてみてもいいですか。……煙草、換気扇の下で吸ってくれると嬉しいとか、その、言ってもいいですか」
「きみ、煙草苦手だったのか?」
 
 実は苦手だ。好きじゃない。ただ、我慢はできるし、平気なふりもできる。
 社会人ともなればそういう人が周囲に居ても嫌な顔なんてしないし、酒の席なら尚更だ。なんなら、どうぞと灰皿だって差し出して、喫煙してもいいですよと促すことだってある。
 でも本当は、臭いが嫌いだ。ただ、それは私の自分勝手で、自宅なのだから好きに吸いたいというのが普通の感覚だというのもわかるから、本当にどうしてもというほどのことではないのだ。

「とっくに言ってくれりゃあよかったのに」

 呆れの滲む声音に答えようもなく笑みだけ返せば、ただ眉を顰められた。
 
「いい大人が自分の嗜好で嫌な顔なんてしないですよ。でもその、一応自宅ということになると出来ればお願いできるかなぁ、と」
 
 希望だけ口にして表情を窺えば、口を引き結ぶ様に是ではなさそうなことはすぐにわかった。撤回したほうがよさそうだ。
 大丈夫ですよ、と言いかけて、先に言葉を発したのは彼の方だった。
 
「……きみ、いつもそうなのか?」
「そう、とは?」
 
 なんだろう。やはりこんな希望を口にするのは図々しかっただろうか。
 いい大人が我慢できることをわざわざ言ってみるなんて、やっぱりちょっとよくなかったかもしれない。
 
「……いや。それで? 俺がそれを嫌だと言ったらどうなる?」
「どうもなりませんよ? なら仕方ないなって思います。これまでもそうだったじゃないですか。絶対駄目ってほどの話しじゃないので」
 
 希望はないかと訊かれたから言ったに過ぎない。これまでだって平気な顔はできたのだから、これからだって大丈夫だ。
 いざとなればベランダで洗濯を干してもいいし、ちょっとコンビニやスーパーに行くっていう手立てもある。どうとでもなる話しだ。
 
「無理ならホント大丈夫です。今まで通りってことで」
「いや……いや、いい。わかった。気をつける。煙草を吸う時は換気扇の下か、外か……とにかく気をつける」

 希望が通ったことに驚いた。気をつける、なんてまさかこの男の口から出るなんて思いもよらなかったから、ただぱちりぱちりと瞬きだけしか出来ない。
 
「ってなんでそんな驚いた顔をするんだ」
「や、なんかこう……まさか了承して貰えるとは思わなかったので」
「そのくらいするさ。愛しい婚約者殿の願いだしな」

 愛はなくとも”婚約者”の待遇は”セフレ”よりは格段によくなるらしい。
 ならば私は彼に何をしたらいいんだろう。
 ”婚約者”として出来ること。
 別にそんなことも求められていないのかなと思い至ると、胸の奥が少しだけ重くなるような気がした。
 それでもきっとこの役割に即したなにかは出来るはずだ。作った料理をあんな風においしいと食べてくれるなら、料理は私がするのもいいかもしれない。

「つ、国永さん、もしよかったらご飯、これからは私が作りましょうか?」
「別に無理しなくてもいいんだぜ? 買ってきて済ませても、外で食べるんでも構わんからな」
「それもいいんですけど、単純に飽きるんですよね。なんかこう……慣れた普通の味が食べたくなるっていうか」
「ああ、それはあるな」
 
 外食はラクだ。おいしいお弁当屋さんを見つけて、夕飯はそこでばかり買ったこともある。けれど、毎日メニューをいろいろとローテーションさせてみても、なぜか外食は飽きがくる。だから可能な範囲では自炊にして、今日は疲れた! 無理! って時だけ外食にするのがちょうどいい。家を出て、好きに外食が出来るようになってから学んだことだ。

「本当に大したものは作れませんけど……嫌いなものはありますか?」
「……け」
 
 なんとなく不機嫌そうにぼそりと告げられたものの、よく聞き取れなかった。
 
「なんですか?」
「椎茸」
「椎茸」
 
 思わず復唱してしまった。
 椎茸が嫌いって小学生くらいの頃には同級生に居たけれど、大人になってからはあまり聞かない。
 鶴丸は好き嫌いなくなんでも豪快に食べていたから、そのイメージも強いのかもしれない。
 
「そもそもありゃなんだ、あのヒダ。なんかこうぞわぞわしないか? スライスしてある姿なんてナメクジみたいだろう。食感だってクニっとしているというか、ふにっとしているというか」
 
 黙っていたら嫌いな理由まで語り出した。椎茸にしてみればあまりにあまりな言われようだが、力説する姿は子供じみていて可愛く見えてくる。
 
「ふふ、意外です。なんでも食べられるかと思ってました」
「……きみが訊いたんだぜ?」
「そうですね、ふっ……すみま、せ……ふふ……」
「笑いすぎだ」
 
 ツボに入ってこみ上げる笑いが抑えられない。彼の方も恥ずかしいのか耳までうっすら赤くなっている。
 
「椎茸ってことは、味も駄目です? 出汁とって煮物とか炊き込みご飯とか」
「味はいいんだ。見た目がどうにもな」
「他のキノコはいいんですか?」
「他はいいんだ……ナメクジみたいじゃないからな」
「ふふ、わかりました。気をつけますね。姿が見えないように」
「そうしてくれ」
「他にはあります?」
「ないな。きみはどうなんだ?」
「私は、そうですねえ。あんまり辛いものはちょっと……あ、パクチー。あれは苦手です」
「覚えておく」
「お願いします」
 
 ぺこりと頭を下げると、国永もやわらかに微笑んで頷いた。
 お互いの好き嫌いさえ知らなかった同棲は、こうしてスタートをきった。

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