殺し文句(鶴さに)

「頼りになるのは鶴さんばかりじゃないんだよ?」

 冗談めかして言われた言葉は、思いのほか重く重く響いた。
 

◇   ◇   ◇

 部屋に入って障子を閉め、へたりと座り込む。
 広間での喧噪に反し、静かなここに響くのは庭からの虫の音ばかりだ。
 今日はもうお風呂も済ませたし、書類だって片付けた。明日もいつも通りに朝から出陣するみんなを見送って、お仕事をして──だから今夜は鶴丸は来ない。
 そんなことを考えかけて、こういうところが駄目なんだと改めて思う。体育座りのまま膝におでこをのっけて、昏く澱んだ何かを息と一緒に吐き出した。
 燈をつけるのも億劫で。けれどもお布団は敷かなくちゃいけない。わかっていても、どうしても立ち上がって何かをしようとする気が起きない。
 
「あるじ?」

 控えめな呼びかけに、ハッとして顔をあげる。鶴丸の声だ。

「はい、うん、なに?」

 聞きたかった声。でも、今夜はここに来るはずもない相手に思わず動揺して声が上擦ってしまう。

「開けるぜ、っと、きみ、なんでこんなところに」

 障子を開いた鶴丸は、部屋の入り口に座り込んでいた私に目を丸くした。

「燈も消えてたからもう寝たかと思ったんだが……起きてたんなら少しつきあってくれないか?」
「つきあうって?」

座ったまま見上げる私に、鶴丸は障子を全開にして親指で後方の空を指し示す。澄んだ夜空に明るい天窓のような月が、蒼い光を放っている。

「きみとふたりで月見酒でもと思ってな。どうだ?」
「いいよ」

 もう今夜はひとりで丸まっていたい気分だ。でも、鶴丸と一緒にいたいのもまた本音だった。
 鶴丸はといえば、どうだ、なんて言いながら、しっかりふたり分の酒も肴も準備した盆を手にしている。私がまだ寝ていないって知っていたと言わんばかりに、以前好きだと話した缶チューハイまであるあたり用意周到だ。
 
 縁の柱に身を預けた鶴丸は、今日の遠征であった出来事を面白おかしく聞かせてくれる。いつもならそれだけで愉しい気持ちになれるのに、今日はどうしても気持ちが浮上しない。そんな自分を誤魔化すように余計にはしゃいだ声をあげて相づちをうつ。
 ひとしきり、そんな風に過ごしているうちに、ふと沈黙が訪れた。

「おいで」

 とんとん、と。股ぐらの床を指し示す彼に、手にした缶を置いておずおずと近寄る。
 鶴丸とはもう何度もそういうコトをしている仲だ。だから少しは色っぽいことを期待してしまうのは仕方がない。
 そっと近づいて、間近の月よりもずっと綺麗な金色を見上げる。すると、白くて、けれどやっぱり節くれだった男の人らしい両の掌が私の頬を包み込み、むにと引っ張った。
 
「ひょ、いひゃい」
「そうかい」
「ほうはい、ひゃあいおっ」

 むにむにと引っ張る指先を引きはがすと、そのまま両手を握られてしまう。

「そろそろ聞かせて貰おうか。俺が帰ってきてからはもうそんなだった。今日何があった?」
「……そんなって?」

 ああ、見透かされていた。そう思うのになんとなく素直に認められなくて、視線を落とす。すると、握り込まれた両手に促すようにきゅっと力が込められた。

「きみがそうやって笑ったフリばかりするのは、何かあった時と相場が決まっているからな。万屋での武勇伝は聞いたが他に何かあったのかい?」
「武勇伝って」

 小さく笑って鸚鵡返しに口にする。
 武勇伝、なんてものじゃない。向こう見ずにやらかして、迷惑をかけだだけの話だ。

 いつもよりも早く片付いた書類に、ならば万屋に買い出しに行こうという話になったのは今日の昼のこと。
 光忠が会計を済ませてくれるのを店先で待っている間、視線の先で路地裏にひっぱり込まれる女の子の姿が目に入って思わず駆けだした。
 三人の男を前にしまったと思いながらも手近にあった竹竿を手にしたところに、女の子の付き添いだったらしい歌仙と、うちの光忠とが駆けつけてくれて事なきを得た。
 それだけの話だ。

「そんなんじゃ、ないけど」

 答えながら、鶴丸の肩にぽすんと額を預ける。ほんの少し甘くて、それでいて爽やかな彼の香りを吸い込んで、ゆるゆると息を吐く。すると、気に掛かっていたそれがほろりとこぼれ出た。

「私、鶴丸しか頼りにしてないように見えるのかなあ?」

 助けてくれた光忠は眉を顰め、言ってくれれば最初から僕が助けに行ったのにと口にした後、ごめんなさいと項垂れる私を前に「頼りになるのは鶴さんばかりじゃないんだよ?」と。「もう少し頼ってくれたら嬉しいな」と少し困ったように微笑んだ。
 
 鶴丸のことは頼りにしている。でも彼ばかりを頼りにしているわけではもちろんない。みんなにはそれぞれ得手不得手があって、それを全部活かしきれているかと言われれば自信はないけれど、どの刀剣男士も私には大切で、頼りになる存在だ。
 でも、私はたった一人を特別だと選んでしまったから。仕事とそういう気持ちとは切り分けなくちゃいけないって頭ではわかっているけれど、もしかしたらやっぱり全然平等になんて出来ていなくて、みんなに嫌な思いをさせているのかもしれない。そう思ったら、どうにも不安になってしまった。私は『主』として、全然駄目ダメなんじゃないだろうか。

「……何か言われたかい?」
「言われたっていうか……。私ね、鶴丸を頼りにしてるよ」

 両手を捕まえていた掌がいつのまにか腰を抱き、もう片方で髪を優しく撫でてくれている。

「……ああ」
「でも、他のみんなも頼りにしている、つもりなんだけど」

 髪を撫でる優しい感触に励まされながら、思ったあれこれを吐き出してしまう。話している内にますます情けない気持ちになって、濡れた目元も彼の肩口に押しつけた。
 すっかり話し終えて。それまで柔らかに相づちを打っていた鶴丸が、なあ、と口を開いた。
 そっと両肩を掴まれて身を離し、私の目を覗き込む金色を前に、視線を落とす。

「今日の近侍が俺だったとしたら、きみは俺に助けに行けと命じたかい?」

 今日一緒に出掛けたのが鶴丸だったとしたら。彼が会計を済ませていて、それを私が待っていたのだとしたら。

「ううん」

 ゆるりと首を振る。居たのが鶴丸だったとしても、私はやっぱり彼を放り出してあの路地裏に駆け込んでいただろう。だって、本当に思わず体が動いちゃったんだから。

「だろうな。なら、それが答えじゃないか」

 私の答えなど知っていたとばかりに苦笑した鶴丸は、軽く肩をすくめた。

「光坊だって、他の奴らだって、きみがちゃんと己を頼りに思っていることはわかってる。今日のはきっとほんの言葉の綾だろうさ」
「……」
「ま、俺はきみが俺だけを頼ればいいのにとは思ってるぜ? 俺だけを頼って、俺がいなけりゃなんにもできないくらい甘えてくれないもんかとな」

 歌うように愉しげな声音で紡がれるそれに視線を上げれば、真っ正面の金色が弧を描く。

「いっそ俺なしで生きていけないようになっちまえばいいんだがなァ?」

 ふっと笑いが漏れた。そんな自分はちょっと想像がつかない。そしてなにより、きっとそんな私だったら。

「そうなったら、鶴丸の大好きな驚きがなくなっちゃうよ。それはきっと鶴丸が好きになってくれた私じゃない」
「そうとは限らないぜ? ま、きみがそうはならないってのも知ってるがな」

 なにかが解決したわけでもないけれど、心は軽くなっていた。
 ああ、だから鶴丸にはかなわない。こうして私をなんなくすくい上げてしまうんだから。

「でも」
「ん?」
「鶴丸なしでは生きていきたくないかなぁ」

 満月のように見開かれた瞳に、本当だよと囁くと、また嬉しげに細められた。

「ったく、そういう殺し文句をどこで覚えてくるんだか」

 寄せられる唇を、そっと目を閉じ受け入れた。
 
 
 


 
 
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