翌日の夜のおはなし(鶴さに)

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*2017夏コミで、「彼女のすきと鶴のすき」を購入頂いた方に配布した、本編の翌日の朝のお話です。
「彼女のすきと鶴のすき」は「鶴を驚かせたい審神者の話」の日の夜に、乱に聞いたコトが本当かと鶴の部屋を訪ねた審神者が鶴丸においしく頂かれてしまったお話でしたw

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 手の甲に書かれた、やけに達筆な『鶴丸国永』の四文字に視線を落とし、頬が熱くなるのを意識する。今日はこれが目に入る度に何度となく仕事の手が止まってしまい、「あまり野暮なことは言いたくはないけどね。閨事のせいで業務に支障をきたすなんて、さすがに雅じゃないだろう」と近侍当番に呆れられてしまったほどだ。
 そう。本丸中に知られていた。
 近侍当番は、朝、私が起きているか確認することから始まる。その私が部屋にいなかったのに誰も探し回らなかったということは、つまりそういうことだ。
 私はまだ全然実感がわかないのに、なんだか公認されているというのも変な感じがしてしまう。こんなにくっきりはっきり書かれた文字を前にしてなお、なんというか昨夜のあれやこれやは現実感が伴わない。なにしろなにもかも展開が早すぎて、頭も心もついて行かないままに、気付けば鶴丸の部屋で朝を迎えてしまっていたような気がする。
 起き抜けこそ蕩けるように甘い眼差しをしていた白い神様は、部屋で着替えてから改めて朝食で顔を合わせればいつも通りで。出陣の見送りも、帰ってからの報告だってこっちが意識しているのが馬鹿らしくなるほどにいつもの鶴丸だった。
 私なんて、なんだか意識しているせいか食欲だってろくになくて、ご飯も一膳しか食べられないほどなのに、あんまり変わらない態度だからいっそ腹が立ってくるほどだったのに。
 それでも、夕飯を終えて、お風呂を済ませてしまえば、今朝の鶴丸の言葉を思い返してついつい障子と時計とをちらりちらりと見てしまうのだから、なんだかなぁ、だ。
「ほんとに来るつもりなのかな」
 鏡台によりかかってぽつりと呟く。
 お風呂では鏡に映る自分の姿に絶句した。点々と散る紅がなんなのかなんて、考えなくたってわかる。思い出しそうないろいろを頭の中から追い出しながら、それでも、いつもよりもつい念入りに体を洗ってしまった。
 それでも、手の甲の文字はそのままだ。
 油性ペンだから。そんなのは言い訳で、ソープをつけて、タオルでごしごしとこすれば綺麗に落ちるはずだ。でも、なんとなくそれも惜しくて、結局泡立てた掌で幾度か撫で上げただけで済ませた自分につい苦笑してしまう。
「主、入っていいか?」
 障子越しにかかった声にひくりと息を呑む。
「ふぁっ、い、え」
「主?」
「う、うん、どうぞ、いいよ、はい」
 動揺して立つことも出来ないままに入ってきた鶴丸を見上げる。紺地の単衣姿は昨夜の記憶を纏うように連れてきて、うまく思考がまわらない。
「ほ、ホントに来た……」
 どうにかそんな言葉だけが零れ落ちると、ひょいと眉をあげた彼は「なんだそりゃ」と唇の端を引き上げて、私の前に膝をつく。
「来ちゃ悪かったかい?」
「ソ、ソウイウワケデハ」
「ふはっ、きみにお伺いをたててからと思ったが、その分じゃ少し呑んだ方がよさそうだ」
「の、のむ、って、お酒を?」
「きみが呑めるようなのが冷蔵庫にあったからな」
「ふ、普通に、呑むんだよ、ね?」
 軽く目を瞠った美丈夫を前に、馬鹿なことを訊いたと頬が一気に熱くなる。
 だって、どうしたって昨日の口移しで呑まされたあれが浮かんでしまうに決まっているじゃないか、もう。
「お望みならば呑ませてやろうか?」
 昨夜のように、と。殊更に声音を落として、するりと頬を撫でられる。
 なんだか逃げ場を失って追い詰められているような心地になりながら金色を見つめると、少し困ったように苦笑する。頬に添えられた掌は離れ、雑な仕草でわしゃわしゃと髪の毛をかき混ぜる。
 我に返ったように「ちょ、ぐちゃぐちゃになっちゃうっ」と抗議の声をあげると、すぐに整えるように撫でられた。
「嫌なら今夜は何もしない。だから、そう怯えないでくれ。きみにそんな風に見られるのは少し堪える」
 怯える? 私が?
 問うように見つめ返しても苦笑しか返さない彼がそっと身を離しかける。その袖をひいて引き留めながら「違う、くて」と口にする。
「うん?」
 鶴丸が怖いわけじゃない。そうじゃなくて。ただ。
「現実感がなくて。あ、現実っていうのはわかってて、ただなんだかまだ実感がわかなくて、いろいろと、その、展開が早くて。叶うわけないって、思ってたから。ずっと……」
 好きだったから、とまでは言えずに袖を掴んだ指先はそのままに、視線を畳に落とす。
 叶わないって思いながらやめられなくて、消そうにも消せなくて、ただ抱えているしかない恋だった。それがまさか叶うだなんて、やっぱりこれは夢でしたと言われる方がよほど現実感がありそうな気がする。
「きみは、こういうこと限定で気弱だな」
「なにそれ」
「ま、それはおいおいどうにかなるさ。現実だってことは、これから俺が嫌ってほどきみに教えるんだからなァ」
「……」
「さて、じゃあちょっと厨に酒を取ってくる。あぁ、きみも一緒に来て見繕うかい? それとも、もう酒なんざ呑まずにこのまま」
「いるっ、いくっ、とりあえず厨行こう! 厨」
 急いで立ち上がると、くつくつと愉しげに笑う鶴丸は、けれど、もうそれ以上からかうようなことも口にせずに一緒に部屋を出た。

 この晩、現実どころか朝が来たことすらわからない目に遭うだなんて、この時の私はまったく少しもわかっていなかった。
 
 
 


  
 
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