天蜜月 (鶴さに)

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七さんの描かれた鶴丸さんが素敵で書いたお月見SS。
 
 
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 油断した、と思った。だってまさか鶴丸さんが訪ねてくるなんて思うはずない。
 告白すると同時にキスをされて五日間。思わず緩みそうになる口元を必死で引き締めながら過ごす私とは対照的に、鶴丸さんは驚くほどに変わりがない。
 キスまでされたけれど、もしかしたら、こう、好きという言葉そのものの認識に差があるんじゃないか。いやいや外国人じゃあるまいし、キスは軽い好意でもする、なんてこともないはずだ。
 ない、と思いたい。
 そう考えてはみてもあまりに変わらない距離感に、もうこないだのあれは白昼夢かなにかだったんじゃないだろうかなんて、膨れて舞い上がった心持ちもそろそろしおしおと萎みかけた矢先。

「早々に寝ちまうにはもったいない月夜だぜ」

 そんな言葉とお酒とを携えて、鶴丸さんが離れを訪れた。
 「中からじゃあせっかくの月が見えないだろう」と言われればもっともな話。ふたりして縁にぺたりと座り込む。
 せめて昨日の夜ならばワンピース型の部屋着だったのに。今日はちょっと寒いかな、もうどうせ部屋を出るのはトイレの時くらいだとジャージに着替えたのが運のつき。
 着古したお陰で着心地だけ抜群のダサダサジャージ姿で、大好きな人とお酒を飲む。これはなんというかいろいろといたたまれない。

 まだみんな起きている時間のはずなのに、こうしていると広い本丸に鶴丸さんとふたりきりのような気持ちになって、ちょっとだけ緊張してしまう。
 私同様、後はもう寝るばかりと言わんばかりの鶴丸さんは単衣を纏っている。薄い鼠色のそれを纏って月明かりに照らされる姿はそれだけでサマになっていて、ジャージ姿の私なんかと比べれば月とすっぽん、提灯に釣り鐘。はだけた胸や立てた膝から覗く脚は、女とは名ばかりの私よりもずっと艶めいて、まっすぐ見ることも出来ない。
 そんな心中など知りもしない鶴丸さんは、柱に寄りかかったまま首をめぐらし、庭へと視線を投げると眉を顰めた。
 
「きみ、あれ少し苅った方がいいんじゃないか」
「今日薬研くんにも同じことを言われました。いざという時に危ないって。でも、こんな風にお月見するならやっぱり苅ってしまわなくてよかったです」
「まあ確かに、風情はあるがな」

 今夜は風もなく、眼前の小さなススキ野原はさやとも音を立てず、ただ虫の音が響くばかりだ。あまり手を加えていないそこはどこか懐かしくて、お気に入りの庭だった。それを知る皆はこれまでそのままにしておいてくれたのだけれど、こう繁ってしまうとさすがに口を挟みたくなるようだ。

 ここは──本丸は田舎のおばあちゃんの家によく似ている。
 木々の緑といっても整えられた公園くらいしか身近になかった私にとって、時々泊まりがけで遊びに行くそこは別世界と思えるほどで、お店も何もなく、ただ山や畑や原っぱばかりの場所だった。
 遊び相手も、滑り台もブランコもない畦道の向こう。広がるやわらかな穂の群れが、渡る風に一斉に揺れたのを見下ろして波みたいだと思ったのを覚えている。
 今はもうあの辺りもすっかり様変わりして、大きなマンションが建ち並ぶようになってしまったけれど。

「何を見てるんだい」

 ふと指先を掴まえられる。私よりもずっと白くて綺麗で、でも節くれ立った指先は確かに刀を振るう男の人の手だ。絡められた少し冷たい感触をそのまま握り返せばいいのか、されるに任せればいいのかよくわからずに固まってしまう。

「は、い、いえ、別に……月、そう月が綺麗だなって」

 答えて鶴丸さんを見れば、月よりももっと綺麗な金色が柔らかに弧を描いた。なんだかからかわれているような心地になってそっと手を引けば、指先はあっけなく解放されてしまう。

「ま、確かに。いい月だな」

 そう言って鶴丸さんは杯を傾け、肩越しに空を見上げた。蒼く照らされる端整な横顔に思わず見惚れる。やっぱり私には不釣り合いなばかりの相手だ。
 
 キスをしたあの日のことが夢だった、とは思わない。でも。

『俺が先に言うべきだったんだろうがなァ』

 苦笑を滲ませたあれは、身のほど知らずな恋をした【主】への気遣いだったんだろうか。
 本丸ではとかく誰かの耳目があって、そうそうふたりきりの時間というのは訪れない。だから確かめるなら今がチャンスだ。それでも、なんとなく怖くて言い出すこともできずただ杯に口をつけ、唇を濡らす程度に酒を舐める。

「月見に誘っておいて言う台詞でもないかもしれないがな、主。少しくらいは俺を愛でてくれてもいいんじゃないか?」
「……は?」
「は? ってきみ……」

 少し身を乗り出して伸びてきた手が、私の髪の先を戯れるように引っ張っると、あの日と同じ苦笑を浮かべた鶴丸さんは「恋仲の男相手に随分じゃないか」と口を尖らせた。

「こい、なか、ですか。私たち、が?」
「驚いた。きみ、恋仲でもない相手に口吸いまで許すのかい?」
「そん、そんなこと! そんなことないです、けど」

 実感がなかったいうか、なんというか、ともごもごと呟くように言い連ねるうちに、手の中の杯は取り上げられて鶴丸さんがひと息に空けてしまう。そのまま手首を掴まれて抱き寄せられ、ぽすりと腕の中に納められる。頬に当たった素肌の感触に驚いて身を引こうとしたものの、今度は許さないと言わんばかりにそのまま抱きしめられてしまった。
 どうしよう。なにこれ、どうしよう。
 体中の血流が勢いよく巡って、私の思考をかき混ぜていく。体全体が心臓になったみたいで、拍動を抑え込むように息を詰める。

「とって食いやしないぜ?」

 困惑を浮かべた声におそるおそる視線を上げると、額に唇が押し当てられてきゅっと目を閉じる。

「はは、悪い。だが、きみが嫌なことはしないと誓う。だからそう怯えないでくれないか」
「……怯える?」
「口吸いの後も……怯えさせるつもりはなかったんだがな。まあそのなんだ、嬉しくて、つい」

 怯えて、いただろうか。
 確かに、急にグイと肩を抱かれて唇を塞がれた時にはびっくりした。今だって、こんな風に抱きしめられるのは落ち着かないし、どうしたらいいのかわからないほどに混乱して。
 だけど。

「怯えてるんじゃなくて、ただ、びっくりして。その、緊張して……こういう時どうしたらいいかわからないので」
「そうか」

 そっと様子を窺うと、安堵を浮かべて頬を緩ませた美貌は、瞼に、それから唇にキスを落とす。手の置きどころさえわからないままに、緊張しているとそのまま首筋をぺろりと舐め上げられた。途端に背筋に何かが走り、慌てて息を詰める。
 そのまま幾度か軽く歯を立て、唇で甘く食まれる感触に堪えていると、熱い息を吐いた鶴丸さんは私の肩に額をくっつけて「きみなあ」と吐息ともつかない声を溢した。

「大概止めないと、このまま食っちまうぜ?」
「止めないと、駄目ですか」

 顔を上げた間近の金色に先程までとは違う欲を感じて、無意識にふるりと体が震えてしまう。

「いえ、嘘、間違い、今のはな、んっ」

 慌てて紡ぐ言葉の先を封じるように塞がれた唇に、舌がねじ込まれる。息をするのも忘れてお酒の味のするそれから逃げ惑っているうちに、ふっと意識が遠くなった気がした。

「息はしていいんだ、息は」

 くつくつと愉しげに笑う振動を体全体に感じながら恨みがましく見上げると、再びちゅっと口づけられた。

「とって食わないって言いました」
「きみが嫌がらないなら話は別だろう?」
「そ、そりゃ、好きな相手なんだから嫌なわけ、ないじゃないですか」
「はあ、きみは本当になんというか……」
「……?」

 浮遊感を感じた、と思ったら横抱きに抱き上げられていた。

「ちょ、鶴丸さん?」
「あぁ、月に見せるのすら惜しいな」

 そのまま部屋に歩を進めると、足で器用に障子を閉ざす。

「さて。きみが実感できるように、もう少し恋仲らしいことをしようじゃないか」

 弧を描いた金色は、見たこともないほどに甘く蕩けていた。
 
 
 


  
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