command 1 とりあえず寝てください

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 ポーンと軽やかな音と共にドアが開き、一瞬たじろいだ。

 エレベーターに乗りこんだフロアとは様相を一変させた絨毯敷きのそこに足を踏み出し、周囲を見渡す。長い廊下は先ほどとは打って変わり、味気ない蛍光灯なんかじゃなく柔らかなオレンジ色の照明に彩られ、両脇には重厚そうな木目調のドアが等間隔に並んでいる。いつも研修で来ている建物の上階に、ホテルと見紛うこんなフロアがあるなんて知らなかった。

 部屋番号を確認しながら誰もいない廊下を歩く。防音がしっかりしているのか、それともそもそも人もいないのか、周囲はシンと静まりかえっていた。

「ここかな」

 手の中のカードキーとドアのプレートとを幾度か見比べてから、壁のリーダーにカードを通すと、ピピッという電子音の後にカチャリとカギのあく音が響いた。

「失礼します……」

 誰もいないのはわかっていたけれど、もしかしたらと思い遠慮がちにそっと声をかけてみた。返事がないのに少し安堵しながら、足を踏み入れる。

 短い廊下の途中にはトイレやバスルーム、突き当たりの磨りガラスがはめ込まれたドアを開ければ、広さにして二十畳ほどの部屋だ。グレーの絨毯敷きで、内装は落ち着いた茶色を基調にシックな雰囲気で纏められている。昼間だというのに厚いカーテンは閉ざされ、いくつかの間接照明が室内を淡く照らしていた。

 壁際に置かれたベッドはダブルよりも更に大きく見える。オフホワイトの上質そうなそこは、えいとダイブすれば心地よく受け止めてくれそうだけれど、今は存在感のありすぎるベッドを目にするのは非常に居たたまれない。

 反対壁には三人掛けのソファが置かれ、サイドテーブルにはお酒の瓶と、トレイの上に伏せたグラスが置かれていた。ウィスキーなのかブランデーなのか、日頃あまり呑まない身としては瓶の見た目では区別もつかないけれど、ここに次郎や日本号がいたならばハイタッチをして喜んだかもしれない高級そうな気配だけはわかった。

 その隣の透明な薬瓶には、白い錠剤が二錠。

『お部屋に気持ちをやわらげるクスリが一回分用意してございます。依存性はございませんし、記憶が飛んだり、特別気持ちよくなるようなおかしなものでもないのでご安心くださいませ。あまり緊張されるようなら、お酒かクスリかお好きな方をどうぞ』

 エレベーターの扉が閉まる間際、そう言ってふかふかの尻尾をひと振りしたこんのすけの姿が思い出される。

 どうしようかと考えながら備え付けの冷蔵庫を開けてみると、よく見る缶チューハイやジュース、お茶にミネラルウォーターとそれなりの品揃えだ。少し迷って、ペットボトルの水に手を伸ばした。

 素面じゃとても無理そうだ。だからと言って強くないのがわかっていてお酒に手を伸ばす気にもなれない。となれば選択肢はひとつ。ラベルすら貼られていない瓶から取り出した白い錠剤を冷たい水と一緒に飲み下して、どさりとソファに腰掛けた。

 見るともなしに再び室内を見渡せば、カーテンの隙間から漏れる外の明るさは充分昼間のそれで、こんな時間からなんだかな、なんてため息が零れる。だったら夜ならばいいのかといえば、やっぱり気持ちの上ではそうもいかず。

 任務だとか神気の授与だとか、どう言葉で取り繕ったところでやることはひとつだ。 これから鶴丸とセックスをする。

◇   ◇   ◇

「報酬は、二ヶ月間の資材三倍供給と一ヶ月分のノルマ免除、または本丸増改築一カ所かのいずれかをお選び頂けます」

 執務室で近侍まで含めた人払いを望んだこんのすけは、特別任務でございます、と切り出すと真っ先に報酬がどれだけ破格かを口にした。

「えーと、報酬も気になるけれど、まずは内容を教えてくれないかな?」

「……ご希望であれば、現世への帰還も含めた休暇もおつけ致します」

 あ、これは喜んじゃいけないやつだ。現世への帰還が恋しく思えた新人の頃ならいざ知らず、既にベテランの仲間入りを果たした審神者ならばもう内容すら聞かずに断っていいものだと判断できる。

 好奇心は猫を殺す。そんな破格の報酬なんてどんな任務なんだろう、なんてことは考えず、即決で断るべきだ。うちの本丸の刀剣に、危ない橋を渡らせるわけにはいかない。

「お受けできません」

 考えておきます、とか、話し合ってみます、なんて温い文句で誤魔化そうとしたばっかりに、結局は押し切られたこと数知れず。きっぱり断ると、こんのすけはまた尻尾をひと振りして「無理でございます」と斬って返した。

「今回の任務に選択権はございません。言うなれば命令にございます」

「……こんのすけ。今日の夕飯ね、稲荷寿司なんだ」

「はにゃ!?」

「今日こんのすけが定例で来ることがわかってたじゃない? だからね、厨当番がいつもの稲荷寿司以外にも、揚げを黒糖で煮るバージョンと、お蕎麦を入れるバージョンとかいろいろアレンジしたのもやってみようかなって言ってた」

「アレンジ……それはそれは、非常に楽しみでございますねぇ」

 身を乗り出さんばかりの管狐は、今にも涎を垂らしそうだ。

 このこんのすけとのつきあいだって長い。どうしたら交渉の余地が出てくるかくらい、学んできたのだ。相応に痛い目も見てきたけれど。

「ほら、少し甘い匂いしない? 味がしっかり染みるように、早めに準備に取りかかるって言ってたからもう準備してるのかもね。おいしいよね、じゅわぁって煮汁が染み出すお揚げ」

「じゅわぁ……さようでございますねぇ。多少濃いかと思われて、あの油揚げのジューシーさで緩和されると申しますか……あぁ、稲荷寿司……」

「で、命令って言ったっけ?」

「はっ、そうです、そうです。審神者様におかれましては、この本丸の刀剣男士様とまぐわって頂きたいのです」

「まぐ、わう?」

「はい。まぐわう。おわかりになりませんか? 交尾、セックスでしたらいかがでしょうか」

「今すぐ出てってください」

 頭の中に組み立てつつあった交渉の段取りを、自分で引っ繰り返してすかさず言い放つ。交渉とか、譲歩とか、そんな甘い話じゃない。これはもう断固拒否一択の話だ。

 けれども残念ながら、この時交渉のカードは既にこんのすけの手にあった。いつもならうっかり愛らしく思えてしまうその目に冷たい光を宿して、時に政府の犬と審神者たちに陰口を叩かれる彼らしい表情で「よろしいのですか?」と声だけは人なつこい音で問いかけてきた。

「つまり、私の霊力が枯れ出す前に神力で補充しとけ、って話なのね?」

 こんのすけの話はこうだ。

 審神者は相変わらず希少だというのに、就任してくる人数よりも、亡くなったり霊力が枯渇して辞めざるを得なくなる審神者の方が多い昨今。政府は、刀剣男士と肉体関係を結ぶ審神者は命を落としたり神隠しに遭う以外には誰一人脱落していないことに気付いたのだという。それならば、ある程度の年数を経た審神者からそういうことを義務づければ、少なくとも霊力枯渇を理由とした全体数の下降を防げるのではないかということらしい。

「えーとね、こんのすけ。そういう仲になっているから枯渇しないんじゃなくて、元々そのくらい霊力が豊富な人だから刀剣男士に見初められたってことじゃないの?」

「いいえ。こう申し上げてはなんですが、ギリギリ……いえ、よく審神者になれましたねという方たちもいらっしゃいます」

 霊力があまりなくとも神様に好きになって貰えるなんて、よほどの美人か心根が綺麗な人なんだろう。

 文机に頬杖をついて耳を傾けながら、思わずため息を溢す。

 霊力も、容姿も、心根も。あいにく神様を魅了するようなものは何一つ持ち合わせていない。持っているのは分不相応な片想い。身の程知らずなそれを持て余しながらここでの生活を続けることに、正直最近疲れていた。だからそう言ったのは勢いや思いつきなんかでなく、心の中にひっそりと根を張り、あとは地上へ顔を出すばかりの状態にあった紛れもない本音だ。

「枯れたら枯れたでいいよ。そしたら辞めるから」

「そう簡単に辞められては困ります。審神者がどれだけ希少だとお思いですか。なにかと支障をきたす分、トキやイリオモテヤマネコの保護よりも遙かに切実な話なのでございますよ!」

 日本のトキって既に絶滅したのでは、と思ったけれど黙っておく。外国産なら居るみたいだし。そういえば、外国人の審神者っていないんだろうか。少なくとも会議や演練で会ったことはない。もしかしたら、日本刀の神様だから、日本人じゃなくちゃ駄目なんだろうか。それとも知らないだけで、実はアメリカ支部とかあったりして。

 

「ということで、来週週明けに強制的にまぐわって頂きます」

「はぁ!?」

 ちょっとぼんやりした隙に、ものすごい飛躍があった気がする。

 慌てて文机から身を離してこんのすけの正面に向き直り、「頂きますってあんまりじゃない」と詰め寄った。

「どうしてもお嫌なら、何も覚えていないで済むような、寝ている間にすべて終わらせる方法もございます」

「それって、注射や点滴みたいな話しではないよねえ?」

「当然、肌と肌を合わせてまぐわうのですよ? 審神者様が寝ているうちに済ませます」

 寝ている間にヤられるって? 考えただけで、ぞわりと鳥肌が立った。相手が誰であろうとも、そんな薄気味悪いことってない。そう考えながら、ふと疑問がわいてきた。審神者は何も女だけじゃない。それに対して、刀剣男士は全員男。

「待って待って。男の人はどうしてるの? 審神者は男の人だっていっぱいいるでしょう?」

「…………」

「…………」

「…………お聞きになりたいのですか?」

「…………やめとく」

 資質があったというだけで研修施設に連れて行かれ、あれよあれよと本丸に放り込まれて審神者にさせられて。しまいにはこんな任務を言い渡されるなんて本当に目も当てられない。

 審神者になったから彼に出逢えた、なんて幸せな気持ちを通過して久しい身にしてみれば、こうなったらこんな霊力今すぐ枯れてしまえとすら思えてくる。……嘘です。今すぐは嫌。ずっとは堪えられそうにないけれど、もう少しの間はここにいたい。

 

「さて、審神者様。ここでこんのすけから、稲荷寿司に免じてひとつご提案がございます」

「免じるも何も、あげるなんて言ってないよ」

「ゴホン……えーとですね。このこんのすけ、審神者様の為に選択権をもぎ取って参ります。今回の任務は、本来貴女様の本丸の刀剣男士の中から選んで頂かなければなりません」

「だからそれは嫌だって」

「最後までお聞きくださいませ。そこまでお嫌というならば、他所の本丸、または政府預かりの刀剣男士様でいかがでしょうか」

「……そんなこと、出来るの?」

「貴女様の霊力のタイプと波長が近しい方がいらっしゃれば、というお話にはなりますが」

 本当は、この話を最初に聞いた時、一瞬ひとりの姿を思い浮かべた。この任務を伝えて、それが断り切れないものだと知ればもしかしたら彼に抱いて貰えるかもしれないって図々しくも考えた。でも、それってあまりに申し分けなさすぎるし、なんというか情けない。そのうえ、そんなことをした後にも変わらずこの本丸で顔を合わせて生活しなければいけないなんて、とてもじゃないけど無理そうだ。けれども、他所の刀剣男士ならどうだろう。全く面識のない相手とそういうことをするなんて抵抗はあるけれど、後腐れがない分マシな選択肢に思えてくる。

「お相手にご希望はございますか?」

「……どうしてもやらなきゃ駄目?」

「…………」

「…………。他所の。他所の鶴丸でお願いします」

 どうせ抱かれなくてはいけないなら。初めての、もしかしたらこれが最後かもしれない相手なら、せめて見た目だけでも好きな人がいい。そんな考えがどれほど安易だったか。思い知ったのは、任務を終えた後のことだった。

◇   ◇   ◇

 

 磨りガラスのドアが開いてハッとした。慌ててソファから立ち上がり歩み寄りかけて、その姿に固まってしまう。

「すまん。驚いた、よな。ノックはしたんだが……これを持っていたから開けて入ってきた」

 カードキーをこちらに見せながらどこか気まずそうに視線を泳がす彼は、紛れもなく鶴丸国永だった。ベージュのチノパンに、ベビーブルーのシャツは上の釦をふたつほど開けているせいで鎖骨が覗く。羽織った真っ白なパーカーでいつもの雰囲気を残しそうなものなのに、今はただ見慣れないカジュアルな姿を際立たせていた。

 鶴丸国永が洋服を着ている姿を見るのは初めてではない。けれどもそれはいつも会議や研修の付き添いとして来ているから、うちに限らずどこの男士もスーツ姿がほとんどだった。こんな服も似合うんだな、いやいい男は何を着たって格好いいに決まっているかなどと考えながら、ついつい不躾に見つめてしまう。

「……どうかしたかい?」

「あ、いえ、えと。初めまして。今日はよろしくお願いします」

 こんなとんでもない任務を手伝わせてしまって本当にすみませんという気持ちをこめて、丁寧に頭を下げる。

 そうして顔をあげてから、ついついもう一度目の前に立つ鶴丸さんを見つめてしまう。

 事前に彼は政府預かりなどではなく、他所の本丸の刀剣男士なのだと教えられていた。霊力のタイプや波長が限りなく近く、それでいて演練などで今後も顔を合わす心配はない本丸に居るのだという。それにしてもここまで似ているということは、霊力や波長のパターンは様々あっても、審神者の適正を見いだされる霊力の種類というのは実はかなり限られているのかもしれない。

「鶴丸国永だ。ま、名乗るまでもないだろうがな」

 これからこの人とするのか……。

 そう考えると、自然拍動が早くなる。心臓もきゅっと握られたように少し苦しくて、息を吸ってもうまく酸素が体に巡っていかない心地になってくる。

「とりあえず座らないか」

 そう言って促すように腰に回された手に、過剰にびくりと反応してしまい驚いたように鶴丸さんが手を引っ込めた。

「すまん」

「いえ、すみません。ちょっと緊張しちゃって」

「はは、そりゃそうだろうな。なに、とって喰ったりしないから安心してくれ。……いや、ある意味喰うのか?」

 囁くように自問するのがおかしくて、思わず笑いが漏れた。そんな私を見て少し安心したように笑った鶴丸さんは、ソファに腰を下ろす。私もその端っこに腰を下ろして、息を吐いた。

 さて、この後どうしたらいいんだろう。いきなり脱ぎ出す。いやいやそれじゃ痴女だろう。さあしましょうか、って言い出すのもたぶん違う。自慢じゃないが経験がない。キスですら、そういえば幼稚園の頃にしたことがあったようななかったような、そんなレベルだ。自然な恋人同士がいったいどうやってベッドへと転がるんだかも経験がないのに、任務でヤれというのはハードルどころかエベレストよりも高いんじゃないだろうか。

 いっぱいいっぱいになり過ぎてまずは少しお話してみるなんてことすら思いつけないまま、そぉっと隣を見ると鶴丸さんと目が合った。慌てて視線を外しながらも、その首元にふと違和感を覚える。なにかが足りない。

「どうした?」

「ない……」

「ん?」

「あぁ、金の鎖がないのか……」

「鎖がどうかしたか?」

 

 疑問の正体に気付いて呟きながら、なんとなくふわふわとした心地になってくる。先ほどまでのドキドキはおさまって、代わりにやって来たのは少し眠いような、それでいて楽しい気分だ。

「きみ……酒か何か飲んだのか?」

「いえ、お酒じゃなくてクスリを」

「クスリ……具合は?」

「いえいえ、そういうんじゃなくて。これからその、そういうコトをするので、こんのすけが飲んどくといいよ、って」

「気分は悪くないか?」

「だいじょぶ。きんちょーしないようにってだけのクスリだそうです」

 眉を寄せて少し難しい顔をした鶴丸さんは、サイドテーブルに置いてあった飲みかけのペットボトルを手渡してくれる。受け取って口をつけると、さっき飲んだ時よりももっと冷たく感じたそれを飲み干す。思ったよりも喉が渇いていたらしい。

 そんな隣で鶴丸さんは膝の上で両の掌を握り合わせて、重い声を発した。

「なあ、本当にいいのか。その……」

 気まずい雰囲気とその声音に、鶴丸さんが言わんとすることは理解できた。なにかもっともらしいことを言おうとして、けれどうまく思考もまとまらず「すみません」と口にした。

「にんむだからって、わたしみたいのの、あいて……」

 なんだろう。体をまっすぐ起こしておくのがちょっとしんどい。すごく酔った時にも、確かこんな風になったことがある。あの時は、飲み過ぎだと鶴丸にしこたま叱られたっけ。

 景色が揺れているのか、自分が揺れているのかわからずにいると、やわらかな感触と共に揺れが止まった。鶴丸さんに、抱き締められていた。

「きみが嫌でなければいいんだ」

「……いやとは、いっちゃいけないの。でも、つるまるさんとならいっかなぁっていうのは、ほんとう」

「クスリが効いてるんだろうな、これは」

 確かに、これはクスリのおかげだろう。こんな風に抱き締められたらもっと緊張したり、恥ずかしかったりしそうなものなのに、今はただ背中を撫でられる感触が心地よかった。

「ふふ、そうかも」

 やんわりと唇が塞がれた。触れただけのキスはすぐに離れて、間近にあるのは金色の瞳。大好きな人とおんなじ金色。

 これが初めてのキスかとぼんやり考えながら、そうっと手を伸ばす。滑らかな白い頬を撫でると、彼はふと笑ってその手に掌を重ねてくる。

「つるまるさん……」

 そうだ。ここに居るのは鶴丸国永だけど鶴丸じゃない。鶴丸じゃ、ない。考えられなくなっていく頭の中で、それでもどうにか言い聞かせる。それなのに。

「鶴丸さん、か。きみはいつも鶴丸国永をそう呼ぶのか?」

「ん? んー、つるまる?」

「だったら鶴丸と呼べばいい」

「ここにいるのわぁ……つるまる、さん……」

「ここにいる間は、俺がきみの鶴丸国永だ。きみだけの。そうだな?」

「うん……」

 頷くと、ふいに横抱きに抱き上げられて慌てて首にしがみつく。ベッドに移動させられながら、きみだけの、なんていい響きだなとぼんやり考えていた。

 
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