はつなつ

 広場の中央に組まれた櫓と、軒を連ねる屋台の明かりとで、暮れ始めた周囲は明るく照らされていた。
 村の青年会が主催するこの盆踊り大会は、娯楽の少ない季封村での貴重な夏の楽しみで、まだ開始までは時間もあるというのに、既にかなりの人々が集まっていた。
「少し食うんだろ?」
 会場に着いて真弘が真っ先に目指した屋台は、言わずもがな焼きそばである。
 鼻先に差し出された香ばしいソースの匂いが、空っぽの胃袋を刺激する。
 いつもなら、そろそろ夕飯の時刻だ。今頃、宇賀谷の家の庭では、美鶴を交え守護者の面々が流し素麺に興じているだろう。それには参加することなく、こうして出かけてきたふたりだ。
 毎日が夏休みのような生活をしている真弘と違い、珠紀は先週からようやく夏休みが始まった。
 つきあって初めて迎える夏とはいえ、互いに受験を控えているとなると、そう羽をのばせるものでもない。しかも連日みんな揃っての合同受験勉強会ばかりで、ふたりきりで過ごすことはほとんどなかった。だから、こんな時間は久し振りだ。
「やっぱりいいです」
「ふーん。ま、他にもいろいろあるからな」
 そう言って夜店を見回した真弘は、口に咥えた割り箸を片手で割ると、威勢良く食べ始めた。 
 青海苔のかかった大盛りの焼きそばを喜々として口に運ぶ様を横目に、珠紀はこっそりとため息をつく。
 屋台のお兄さんは「青海苔どうする?」と訊いてくれたのに、珠紀が口を開くより早く「のせるに決まってる」と即答した真弘だ。
 結い上げた髪に挿した簪も、流水に撫子が咲く藍色の浴衣も、この日の為に用意したものだ。それなのに、一番見せたかった相手には開口一番「馬子にも衣装」と笑われただけなのが少し──いや、かなり悔しい。この上、口唇や歯に青海苔をつけた姿を見られるだなんて、冗談ではない。
(もぉ。わかってないなぁ)
 早々に焼きそばを平らげた真弘は、次はどうっすかなぁなどと呟きながら、キョロキョロしている。
 そんな彼も今日は鶸色の浴衣姿で、いつもより少し凛々しく、大人びて見える。絶対に言ってはあげないけれど。
「ところで先輩、あれ、決まりましたか?」
 たこ焼き、かき氷、店先を彩るあんず飴やチョコバナナ。どれも魅力的ではあるけれど、尋ねたのはそれらのことではない。
 問いかけの意味は、珠紀の手をとって歩きだした真弘にもちゃんと伝わったらしく、一瞬こちらを見た眼差しは、「あー」とか「うー」とか意味を成さない声と共に明後日の方へと行ってしまった。
「なんでもいいですよ?」
 繋いだ手を軽く引いた珠紀は、問うように振り返った濡羽色の目を覗き込み微笑んだ。
「なんでもって、おまえ……」
「あ、私の予算内程度で」
 慌てて付け足すと、「なんだ、それ」と呆れたように息を吐いた。
 
 真弘の誕生日まで、あと二週間あまり。
 好きな物を贈って、驚かせたい、喜ばせたい。そう思ってさりげなく本人にリサーチしたり、雑誌を見たり、拓磨達に相談したりしながら何をプレゼントしようか悶々とし続けた珠紀は、ここに来てついに音を上げた。

「誕生日に欲しい物のリクエスト、ありますか?」

 そう訊いたのは、昨日のこと。勉強会の後、忘れた問題集を取りに戻ってきた真弘を、玄関で見送った時だった。
 欲しい物ならいくらでもありそうで、訊けば幾つも候補を挙げてくれるだろうと期待していたのに、物言いたげにこちらを見た真弘は「あー、考えとく」と歯切れ悪く答えると「んなこたぁいいから、勉強しとけ、勉強」と、さっさと玄関の引き戸を閉めて行ってしまった。
 
 そっと窺えば、いつの間にか真弘の顔がこちらを向いていた。けれど、視線は珠紀を通り越し、どこかに熱心に注がれている。
 不思議に思いながら視線の行方を追って見ると、腕を組んで楽しそうに歩くカップルがいる。ミニスカートから細い脚を惜しげもなく晒す彼女は、キャミソールからこぼれそうな程に大きな胸を彼の腕に押しつけ、はしゃいだ声をあげている。
 そんな彼女を──否、恐らくはその胸を熱心に見つめる真弘の頬は、心なし赤らんで見えた。
「……サイテー」
「へ? あ、おい!」
 繋いだ手をほどいて、歩調を早める。慣れない下駄の鼻緒が当たって少し痛いけれど、構わずぐんぐん歩く。本当なら走り出したいくらいだけれど、この人混みではそうもいかない。
 珠紀は人の流れから抜け出すように夜店の裏手、明かりも届かない木立へと歩を進めた。
「待てって」
 すぐに追いついてきた真弘に手を取られた珠紀は、むぅと膨れたままその目を睨む。
「な、なんだよ?」
 楽しみにしていたのだ。
 みんなで勉強するのは嫌ではないし、やらなければいけないことだってわかってはいる。
 でも、彼と過ごす初めての夏に、恋人らしい思い出を作りたいと、今日のこの日を指折り数えて待っていた。
 それなのに。 
「追いかけてこなくていいのに」
「んだと?」
「先輩なんか、ずーっとおっぱいばっかり見てればいいんですっ」
「おっ!? ばっ」
 真弘の見ていたのは、確かに珠紀が指摘した通りだ。
 けれど、ああして腕を組むと珠紀の胸が自分の腕に当たるのだろうな、などと想像していただけで、その大きさに見惚れていたわけでは、……ないといえばない。
「あれは、まぁ、なんだ、単なる目の保養でだな」
「わかりました。私も目の保養しようっと。大人っぽくて格好いい人、いないかなぁ?」
 軽く伸び上がって、屋台の向こうの人波を見遣る。人出はますます増えてはきたが、ほんの少し離れただけでその喧噪は遠く感じる。
「あぁ? んなもん、目の前にいるだろうが」
「どこですか? ぜんっぜん見えないです」
「お・ま・え・なあ。ここに! 目の前に! 大人っぽくて格好よくて優しくて非の打ち所のない! 鴉取真弘先輩様が!」
「むぅ。先輩なんて、来年は同級生ですよ! だいたい大人っぽいどころか時々弟みたいな気になることだってあ、る……」
 売り言葉に買い言葉。思わず勢いで言ってしまったそれに、珠紀がしまったと思った時には、既に遅し。真弘は腕を組み、悪役めいた笑みを浮かべていた。
「ほぉ、弟、な」
「そ、そうですよ」
 すぐには折れることも出来なくて、そう答えた珠紀に腕をほどいた真弘が一歩迫る。
 気圧された珠紀は足を引き、後ろに下がろうとした。
 が、その時。下駄が脱げかけ、あ、と思った時にはバランスを崩し、見事に後ろにひっくり返る。
 咄嗟に支えてくれようとしたのだろうか。真弘まで一緒に倒れ込み、組み敷かれる態勢になってしまった。
「っぶねぇな。大丈夫か?」
 勢いよく転んだ割に頭を打たずに済んだのは、彼の掌が珠紀の後頭部にまわされ、衝撃を和らげてくれたからだ。
 こくりと頷いて、とりあえず怪我もなさそうなことに互いにホッと息をついた途端、距離の近さを認識した。
 ふざけあうことも、顔を寄せることも、キスだってしたことはある。けれど、こんな態勢で彼を見上げることは初めてで、珠紀は何も言えずにただ胸を高鳴らせた。
「……」
「……」
 何かを飲み込むように、彼の喉が鳴った気がした。
 そろりと近づいてくる気配に誘われるように、そっと目を閉じる。
 口唇に触れたそのぬくもりは、次に首筋へと落ちた。
 予想外の出来事に、珠紀の鼓動はどんどん加速していく。
 緊張して、声も出なくて、それなのにぎゅっと目を閉じたまま、頬に当たる真弘の髪の毛がくすぐったいなどと、ひどく冷静な感覚もある。
 この次の季節を迎えると、つきあって丸1年。それでも未だ、キス止まりの関係だ。
 そろそろその先に進んでもいいのにと思ってはいたけれど、それにしてもこんなに突然だなんて。
 ひどく混乱はしていたけれど、イヤだとは思わない。
 しかし。
 突然響き渡った和太鼓の力強い音と、流れ始めた大音響の盆踊りの音楽に、ここがどこかを思い出す。
 ふと、体の上の重みが離れた。
「いつまで寝てやがる」
 目を開けると、真弘が少し不機嫌そうな顔でこちらに手を伸べていた。
「なっ、ね、寝てたわけじゃ」
「いいから立て。ったく、せっかく新しいの着てきたんだろが」
 そう言って珠紀の腕をぐいとひいた真弘は、ようやく立ち上がったその背中をぱたぱたとはたいた。
「ちったぁ抵抗しやがれ」
 ひとりごちたその声は、彼女の耳には届かない。
 先程くちづけられた首筋に手をあて、動揺露わなままに「何か言いましたか?」と問えば、「なんでもねぇ! いいからその襟なおせ」と真弘はくるりと珠紀に背を向けた。
(襟……?)
 指摘されて見下ろせば、着崩れた襟元から下着が覗く。
「せ、先輩のえっち!」
 慌てて胸元をかき合わせて、はたと気付いた。
「どうしましょう?」
「あ?」
「私、出来ません」
「はあ?」
 向こうを向いた真弘が勢いよく振り返り、慌ててまたそっぽを向いた。その横顔に訴える。
「着せてくれたの、美鶴ちゃんで。私、着付け出来ないんです」
 珠紀はもう一度、どうしましょう? と助けを求めるように真弘を見つめた。
 こんな格好で帰っては、道行く人にあらぬ誤解を招くのは必至だ。かといって、ひとりここに残り、真弘に美鶴を呼びに行って貰うというのは心許なさ過ぎる。
 珠紀は途方に暮れて立ち尽くした。
「~~~だぁ、もういい。わかった。よぉくわかった」
 なにがどうわかったのかよくわからないが、声を上げた真弘が意を決したように近寄ってくる。
「背筋のばせ。袖、こうしとけ」
 ぐいと珠紀の腕を横に伸ばさせた真弘は、彼女の腕に袂をくるりと引っかけると、慣れた手つきで浴衣のあちこちを引っ張り始めた。
「え、先輩、着付け出来るんですか?」
「玉依の祭礼は和服必須だからな」
 答えながらも、真弘は手を動かし続ける。緩んだ胸元はみるみる整い、あっという間に元に戻った。
「すごい……」
「そうかそうか。尊敬しとけ」
 軽い調子で機嫌よく笑うと、真弘は仕上げとばかりに珠紀の背後を確認し、再び何度かぱたぱたとはたく。最後に己の掌を自身の浴衣で雑に拭うと、「戻るぞ」と手を伸べた。
 指を絡めて、夜店の明かりが届く辺りまで来た途端、足を止めた真弘が振り向く。
「決めた」
「はい?」
「誕生日は、おまえは貰う」
「──は?」
「だからっ! 誕生日プレゼントはおまえだ! いいな? 言っとくが反論は受付ねぇ。なんでもいいっつったのはそっちだからな。予算内だ。文句ねえな!?」
 早口にまくしたてた真弘は、それだけ言うと珠紀の答えを待つように押し黙った。
「それって」
「……んだよ?」
 先程真弘に組み敷かれた時同様、珠紀の鼓動は全速力だ。
 繋いだ指先からは、彼の緊張が伝わってくる気がする。
 迷うことなんかなかった。
 多分、それを求められることを待っていたのだから。
「わかりました」
 答えると、真弘は意外だとでも言うように、何度も目を瞬く。
 あんな風に言ったくせに、きっとイヤだと言えば「冗談に決まってる」と笑ってくれたのだろう。
「わかったって、おまえ……」
 声を上擦らせる彼に、「誕生日。楽しみにしててくださいね」と微笑むと、「お、おう」と返された。
 
 珠紀の少し乱れた髪と背中の微妙な汚れのせいで、守護者一同に生温かい目を向けられたのは、ふたりが祭りを満喫して、帰宅してからのことだった。

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