「甘い物は好きじゃないって言ってませんでしたか?」
そう言いながら、珠紀はお弁当のつくね団子を頬張った。
しょうゆの香ばしいタレの匂いに誘われて、彼女の弁当箱に手を伸ばす。
その甲をぺしと叩いた珠紀は、「先輩の分にも入れておいたじゃないですか」と呆れ顔だ。
近頃、珠紀はよく真弘に弁当を作ってきてくれる。よって、最近の真弘の昼食は珠紀のお手製弁当と、デザートに焼きそばパン、という構成だ。
確かに今朝のうちに渡されていたそれに、鳥つくね団子は入っていた。少し濃いめの味付けは甘辛でおいしく、ご飯によくあっていた。つけあわせの野菜も絶妙で、他のおかず共々、寝坊して朝ご飯を食べ損ねた真弘の胃袋に、2限目が終わってすぐに収まった。
「じゃあ、やっぱりカップケーキ寄こせ」
今日、珠紀は家庭科でカップケーキを焼いたのだという。調理実習があるとも知らず、朝、登校中に甘い物は好きかと訊かれた真弘は、特別好きじゃねえな、と答えてしまった。
「ないですよ。もうあげちゃいました」
「んだとぉ? 彼氏の俺様を差し置いて、誰にやったんだよ!?」
「誰って……女の子ですよ? 隣の班の子です」
珠紀にそんな趣味があったとは初耳だ。いやいやそんなはずはない。
「なんで他の班にやっちまうんだよ? そいつらだって同じもん作ったんだろ?」
「そうなんですけど、隣の班、何を間違えたのかケーキが全然膨らまなくて、全滅だったんです。そしたら、誰かにあげる約束をしてたらしい子が泣きそうになってたんで」
「……だからって、やることないだろ」
「だって、私は授業の終わりに味見がわりにみんなで食べたし、先輩は食べてくれそうになかったし」
「おまえがどうしてもっていうなら、食ってやらないこともなかった」
「別にどうしてもってわけじゃなかったんで」
可愛げない物言いになにか言ってやろうと口を開きかけた真弘は「どうせなら、先輩が好きな物を作って食べて貰う方がいいです」と言って微笑む珠紀に、口を噤んだ。
顔に熱が集まるのを感じ、慌てて珠紀から視線をそらすと、「明日のお弁当のリクエストなら聞きますよ?」と顔をのぞき込んでくる。
いつものごとく無自覚な珠紀は、今、真弘がキスしたいなどと思っていることなど想像もしないのだろう。視界の端に、熟睡態勢の1名と、やってられないとばかりにこちらから目をそらしている後輩2名。彼らがいなければ、実行に移したはずだ。
「先輩? 食べたいもの、ありますか?」
「別になんでもいい」
真弘はそれだけ言うとつくねを強奪し、口に放り込んだ。
もぉっ! と膨れた珠紀の声は聞こえなかったことにして、指についたタレを舐める。
「あれ? 慎司くん、それもしかして……」
ふと慎司の弁当袋に目を留めた珠紀が、声をあげた。
その手元を見ると、しまったという表情の後輩は誤魔化すようにあははと笑う。
小さな袋が3つ。透明な袋の中には、カップケーキが入っていた。
「慎司、おまえ、それまさか……」
「あ、はは……その、昼休み前に貰いました」
「え、それって、3つも? すごいね、慎司くん。2年生からもモテモテなんだね」
「いえ、こないだ委員会でちょっと先輩の手伝いをしたので、多分そのお礼です」
「そうなの? あ、それうちの班のだ」
「そ、そうなんですか?」
「うん。カップケーキの具材とかって、班ごとに自由だったの。チョコとオレンジピールにしたのはうちの班だけだから、絶対そうだよ。食べたら感想聞かせてね」
袋のひとつを指さして言った珠紀は、楽しげにそんなことを言う。
彼氏である自分の前で、他の男だけが彼女の手作り菓子を食べる。
そんなことを許せるはずもない。
「慎司、それ寄こせ」
「えっ!?」
「ちょ、なに言ってるんですか、先輩。それは慎司くんに食べて欲しくて、うちの班の誰かが渡した分なんですよ? 慎司くん。絶対自分で食べてね」
「……はい。帰ってゆっくり頂きます」
とてもその場では食べられないとばかりに、慎司は居心地の悪そうな顔で愛想笑いを浮かべた。
「先輩。そんなに食べたかったんなら、今度作ってきましょうか? カップケーキ」
学校からの帰り道。珠紀はそろりと伺うように言った。
「別に。どうしてもってわけじゃない」
「じゃあ、なんでまだ怒ってるんですか?」
「怒ってない」
「怒ってます」
「しつこいぞ」
立ち止まって珠紀の顔を見ると、彼女の方も少々むっとしたような表情で見つめ返してくる。
「だって、機嫌悪そうじゃないですか」
「おまえが他の奴にやっちまうからだろ」
「だから、今度作ってきますって言って……」
「ちげーよ!」
「なにが違うんですか? 意味わかんないです」
「他のヤツが食べたことがムカツクんだっ! わかれよ、そんくらい」
「そんなの……、みんなで作ったんだししょうがないですよ」
珠紀の言い分はもっともだ。班で作ったのだから、それらのケーキが誰の口に入ったかなど、珠紀の預かり知らないことだというのはわかる。
けれど問題は『珠紀の分』のケーキの行方だ。調理実習で誰かにあげるとなれば、絶対相手は男に決まっている。本来ならば自分が食べたはずのそれを、他の男が食べたとあっては面白くないことこの上ない。
「おまえの分を、他の野郎が食ったかと思うとムカツクって言ってんだ」
「えぇ……そんな……」
言い淀んだ珠紀は、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべ、真弘の唇を自分のそれで塞いだ。
軽く触れて離れると、「カップケーキは他の人も食べられるけど、これは先輩だけです」などと言う。
当たり前だ、と言いかけて、これで帳消しとでも言いたそうな珠紀がどこか生意気に見えて、なんとなく面白くない。
「……足りねえな」
「え?」
彼女の腕をひいて引き寄せる。そのまま腰に腕をまわして抱き寄せて、真弘は珠紀の唇を塞いだ。
「ん…っ」
驚いたように押し返そうとする珠紀の手に、自分の指先を絡めて握りこみ、深く口づける。
その甘さを堪能して。
彼女の体からくたりと力が抜けてから、ようやく解放した。
「ごっそさん」と。
まいったかとばかりに笑ってやると、「せんぱいのえっち!」と、少し潤んだ目で、納得いかないと言わんばかりの珠紀の表情。
「俺だけはいいんだろ?」
「~~~っ、知りません!」
真っ赤な顔で、珠紀がひとり歩きだす。
その後ろに続くように、真弘は機嫌よく歩きだした。