「真弘先輩はちっちゃい頃からちっちゃかったんですか?」
「んだと? コラ」
コーヒー牛乳にさしたストローから口を離した真弘は、想い人に不穏な目を向けた。
「いや、子供の頃はそうでもなかった」
「確か中学にあがる前までは、俺より高かったんじゃなかったか?」
食後の昼寝を決め込んでいるかに見えた祐一と、クロスワード雑誌に目を落としたままの拓磨は、不機嫌な真弘の声を無視して答える。
珠紀はといえば「そうなんだ……」と納得したようなそうでもないような複雑な表情で頷くと、ごちそうさまでしたと手を合わせ、食べ終えたお弁当箱の蓋を閉じる。
「急にどうしたんですか?」
脈絡のない質問に慎司が不思議そうに尋ねると、彼女は「ん? う、ううん。なんとなく聞いただけ」と首を振る。
「なんとなくでつまんねーこと訊いてんじゃねえぞ」
真弘は腰掛けた柵から飛び降りると、つかつかと歩み寄って思い切り拓磨の頭をこづいた。
「痛っ! なんすかっ! なんで俺なんすかっ」
「うるせえっ。図体ばっかりでかきゃいいってもんじゃねぇっ」
そう口にする真弘が、一番身長を気にしていることを知っている一同は、敢えてつっこむことはしなかった。
微妙な空気を無視するように、予鈴が響く。
その音に促されるように、珠紀はお弁当袋を手に立ち上がった。祐一や慎司もそれに続く。
「あぁ、次古典だよね。絶対寝そう。寝てたら起こしてね、拓磨」
先日の席替えで、珠紀は拓磨の隣になった。
同じクラスどころか、同じ学年でもない真弘が珠紀の隣の席で授業を受けるのは到底無理な話で、そんなことでヤキモチをやくなど情けない。情けないが、ムカつくのだから仕方ない。
「俺も寝るんだから、それは……痛っ! なんなんすかっ」
今度は足に軽くケリをいれた。
彼氏である自分を差し置いて、他の男が珠紀の寝顔を見るなど我慢ならない。
それに加え、先ほどの彼女の様子もなんとなく気にかかった。
「うるせぇっ。珠紀、お前ちょっと残れ」
屋上のドアに手をかけていた珠紀を指で招くと、彼女は素直に戻ってくる。
他の面々は、真弘のこんな発言はいつものことだというように、気にも留めずに屋上を出て行った。
なんですか? と小首を傾げる仕草が可愛い。サラリと肩から零れる落ちる長い髪からなんとなく視線を逸らした真弘に、珠紀は不思議そうな顔で問う。
「先輩、授業始まっちゃいますよ?」
「サボれ」
「えぇ!? そんな」
「寝るくらいなら、サボれ」
真弘は屋上の柵まで歩み寄り、再びそこに腰掛ける。校庭からも死角になるここならば、教師に見つかる心配もないことを真弘は知っていた。
珠紀はといえば、「先輩もサボるんですか?」と困惑顔だ。
歩み寄ってくる珠紀に、当然だと胸を張って見せると彼女はひとつ息を吐いて、諦めたように笑った。
「珠紀、お前さぁ」
「はい」
背、高い奴の方が好きか?
なんか俺に隠してないか?
他の男に寝顔なんて見せてるんじゃねーぞ。
訊きたいことも、言いたいこともあるけれど。
いつもより少し低い位置から上目遣いにじっと見つめられるのは、なんとなく居心地が悪い。
「どうしたんですか?」
「あー、その、なんだ。さっきのアレはなんだ?」
「さっきのって……あぁ、ちっちゃい頃からちっちゃかったのかっていうあれ、ですか?」
「ああ」
珠紀は困ったように視線を泳がせる。やはり、なにか隠し事がありそうだ。
「なんだ? 俺様に言えないようなことか?」
「先輩っ」
やがて意を決したように、珠紀が口を開いた。
その勢いに気圧されながら、おぉと答える。
「自分より背の高い女は、ナシですかっ?」
「はあ?」
「うちのクラスの男子が言ってたんです。『つきあうんなら、自分より背の高い女はナシだな』って」
もう少し深刻な話題を想定していた真弘はついていけずに、詰め寄らんばかりの勢いで返答を待つ彼女の顔をまじまじと見つめた。
「先輩、身長のこと気にしてるみたいだしっ。私、こないだの身体測定で1センチ伸びちゃってたしっ」
「伸びたのかっ!?」
初耳だった。2センチの成長を喜んでいる場合ではない。
今日は帰ったら牛乳を飲もう。
心密かに決意する真弘の前で、珠紀は花が萎れたような表情で「すみません……」となんだか泣き出してしまいそうだ。
その姿があまりに深刻そうで、真弘は小さく笑った。
「ま、選べるんならナシだな」
「ナシ……ですか……。でも先輩っ、まだ多分同じくらいだから」
「ばぁーか」
真弘は珠紀の髪を軽くかき混ぜるように撫でた。
「選べるんならって言ってるだろが。もう選んじまったんだから、後の祭りだな」
「いいんですか?」
「お前こそどうなんだよ。自分より背の低い男はナシか?」
ぶんぶんと頭を振って、そんなことないです! 先輩ならちっちゃくても大丈夫ですっ!と力強く言い切られて苦笑を漏らした真弘は、ちっちゃいちっちゃい言うなっ、と長い髪を更に乱すように撫でた。
「先輩っ、髪ぐちゃぐちゃになっちゃうじゃないですかっ」
一歩下がって髪を整えた珠紀は少し照れくさそうに笑うと、再び真弘に歩み寄り、軽く背伸びして口づけた。
「──っ!」
「私は先輩の背なんか、気にしたことないです」
頬を染めながら、上目遣いにそれだけ言うと目をそらしてしまう。
真弘は柵から降りて、珠紀の肩を抱き寄せると今度は自分から口づけた。
口づけながら、こうして正面から見つめたり抱き寄せるのもいいけれど、上目遣いの珠紀は3割増しで可愛い気がする、などと考える。
あと何センチ伸びれば、それが日常化するだろうか。
そっと体を離した真弘は、照れて俯く恋人に「お前、当分牛乳禁止な」と言いつけた。