「すごい…」
望美はそれきり黙り込んで、しばし魅入られたようにその景色を眺めていた。
やがて、ひとつ息をつくと隣に並ぶヒノエに微笑んで、「こんなに綺麗な紅葉見たの、初めてかも」と再び山の錦に視線を投げる。
紀井湊で平家の船を奪うことに成功した一行は、京へと向かっていた。
熊野を出た頃は、まだ夏の色が濃かった日差しも今はすっかり和らいで、朝夕は肌寒いほどだ。その冷え込みに誘われたように、山々は、深緑から鮮やかな秋色へと更衣していた。
「ふふ、山紅葉も、姫君の美しさの前に我が身を恥じ入って、赤らんでいるんじゃない?」
「もぉ…」
「ねえ、望美。天津彼方にあるお前の国がどんな所だか知らないけど、この世界だって、戦だけじゃないんだぜ?姫君を喜ばせるようなものは、まだまだたくさんあるよ」
戦女神として争乱の渦中にいる彼女に、この世界の戦以外のことももっと知って欲しい、と思う。
望美の世界と同じように、彼女を楽しませたり、喜ばせるものは、ここにもたくさんあるのだと、わかってほしかった。
紀井湊で想いを告げたヒノエに、「私の世界はここじゃないから…」と戸惑いながら答えた望美の表情が思い出される。
そんなヒノエの言わんとすることを察したらしい望美は、どこか苦笑を滲ませながら、ようやくまっすぐこちらを見た。
「……知ってるよ。京の桜や、熊野でヒノエくんが見せてくれた夕陽はすごく綺麗だったし…。この世界にも、いろんなものや、景色があるよね」
「なによりここにはオレがいるし、ね?」
肩を聳やかして微笑んだヒノエに、望美は仕方なさそうに息をつくと、ぷいと顔を背けて歩き出した。
窺い見た横顔は、ほんのり赤く色づいている。
笑みを深くしたヒノエは、望美の後ろに続いて歩きながら、その背に向けて言葉を続けた。
「戦が終わる頃には、お前の口から言わせてみせるさ」
「……」
「帰りたくない、オレの傍にいたいってね」
「そんなこと…っ」
不意に望美が振り向いたのと、ヒノエが立ち止まりかけて木の根に足を取られたのは、ほぼ同時のことだった。
「…っと!」
咄嗟に手をついて、転倒は回避する。
安堵の息をついて視線をあげれば、顔を真っ赤にして口をパクパクしている望美が映る。
己の掌には、彼女の衣ごしのやわらかな感触──。
さっと手を引っ込めると、ヒノエが謝罪する間もなく、望美は背を向けて、さっきよりも早足で歩いていく。
「ごめん……わざとじゃないぜ?」
すぐにその背に追いついて謝ってみても、望美の歩調が緩むことはない。
「知ってるっ」
「木の根に躓いちまってさ」
「知ってるってばっ」
怒っているというよりも、恥ずかしいといったところか。
ヒノエは、少しホッとしながら口にした。
「……望美が好きだよ?」
「知っ──…」
ずんずんと前を歩いていた足が、ぴたりと止まる。ヒノエも倣って足を止めた。
今が盛りの紅葉に負けないほど紅い顔で振り向いた望美を見つめ、ヒノエはからかうように目を細めた。
「知ってたかい?」
「~~~っ」
なにか言いかけて口を噤んだ彼女は、知らないよっと答えて、再び背を向けて歩きだす。
その姿も、その声も。
全部が可愛くて、仕方ない。
小さな仕草のひとつひとつが、ただ愛しく映るばかりだ。
秋を司る龍田姫が山を錦に染めるごとく、かの姫君は己の心をすっかり染め上げてしまったらしい。
「ふふ、知らないなら、教えてやるよ。姫君」
ひとりごちたヒノエは、その背を追って早足で歩き始めた。