「へぇ、祭っていうから神事みたいなものかと思ってたんだけど」
参道を歩きながら、ヒノエは物珍しそうに賑々しい夜店に視線を走らせた。
「ふふ、市みたいでしょ?」
日が落ちかけた時刻。
徐々に夕闇が濃くなっていくのとは対照的に、夜店に吊された電球のオレンジが煌々と明るい。
親子連れやカップルなど、思ったより人出が多いのは、これがこのあたりで行われるこの夏最後の祭だからだろうか。
そんなことを思いながら、望美は慣れない下駄に、浴衣の裾を気にしながら、人の流れに流されるように、ヒノエと並んで歩く。
あんずあめ、ソースせんべい、金魚すくいに、射的に、たこ焼き。
参道の左右に並ぶ夜店をきょろきょろと見渡しながらも、望美はヒノエとはぐれないように、繋いだ手にきゅっと力を込めた。
平家との戦を終えて、別れの挨拶もろくにできないままこの世界に戻った望美がヒノエと再会できたのは、今年の春のことだった。
「待ってなって言っただろ?」
そう言って笑ったヒノエは、以来月に一度くらいのペースで時空を越えて望美に逢いに来ている。
夏休みといえば、毎年友達同士で海やプール、ショッピングと遊ぶ予定で埋め尽くされるのが常だったけれど、受験生ともなるとなかなかそうはいかない。それでもそんな合間を縫って彼氏と出掛けたという友達の話を聞けば、望美は羨ましくて仕方なかった。
遠距離恋愛。
友達にはそう説明していた。
電話もメールも、手紙すら送ることの叶わない遙か時空に隔てられた恋は、思った以上に寂しくて切ないことが多かった。それでも、こちらの世界に戻って来た時の、もう二度とヒノエに逢うことができないのだと思っていた喪失感よりはマシだ、と思う。
そう、言い聞かせている。
時空を越える時、逆鱗はおおよその望む時空に運んではくれるけれど、日付まで確定することは難しい。それは望美自身が誰よりも知っていることで、だからヒノエとの約束は、いつもどこか曖昧で、次に彼が現れるはずの一ヶ月後は、望美にとってどうしようもなく遠く感じられた。
ヒノエは時空を渡ってくれば、最低でも二、三日はこちらに滞在する。菫からなにがしかの事情を聞いていたからか、それとも望美や譲と違って二ヶ月以上行方不明になって後、帰ってきた将臣のことがあったからか、有川家では荒唐無稽とも思える京での出来事は思った以上にすんなりと受け止められ、望美のうちに泊めるよりもいいだろうという総意のもと、ヒノエが時空を越えて来た時は、有川家を宿としていた。
夏休みも残り一週間。折良く祭のある日に現れたヒノエと共に、望美は神社を訪れた。
「七時から花火だから、始まったら見えるところに移動しよ? 特等席があるんだ」
先月時空を越えて来たのは、『期末テスト』の寸前だった。タイミングが悪すぎだと笑った将臣の言葉通り、試験勉強に忙しかった望美とは遊びに行くことなど出来ず、ヒノエは彼女の下校時間を見計らって学校に行き、ちょっとだけ寄り道して帰ってくるという程度の逢瀬しか叶わなかった。
「花火って……ああ、前に熊野で景時がやったやつかい?」
京にいる時、景時が夜の浜辺で皆に見せた『花火』。夜空に咲いた大輪の花々は、望美の世界の話を元にしたのだと聞いた。あれの本家本元を見られるということだろうか。
「そうそう。あれも綺麗だっ…… あっ、綿菓子っ」
望美が店のひとつを見て、目を輝かせる。
視線の先には、色とりどりの大きな袋が吊されていた。小さな店の中では、男がなにかをかき混ぜるように箸を動かしている。
そこを目指して、望美は人混みをかき分けるようにして進みながら、こっちこっちとヒノエの手をひく。
今日の望美は、濃紺に薄紅の撫子をあしらった浴衣姿だった。髪を結い上げて、ほんのりと紅をひいた彼女はいつもよりずっと大人びて見えたけれど、はしゃいだ声音でヒノエの手を取る望美の表情は無邪気な子供そのものだ。
『わたがし』が何かはわからないヒノエも、望美の様子と店先の甘い匂いで、それがどういったものかはおよそ見当がついた。
「ひとつください」
「はいよ。一本二百円」
巾着をあけようとした望美を制して、ヒノエは尻ポケットに入れていた財布を取り出して、男に小銭を渡す。
「えっ、ヒノエくん、私出すから」
「ふふ、こんなもので姫君の花の笑顔を拝めるなら安いもんだぜ」
男はざらざらと鍋のような中になにかを落とす。するとその中に、みるみる白い霧のようなものが現れた。
「へぇ、面白いもんだね」
「不思議だよねぇ。大人になって見てても、やっぱり不思議」
鍋をかき回すように、くるくるとまわしながら箸で霧を絡めていく。絡められた霧は、一塊の雲のようになり、人の顔よりも大きくなっていった。
「はいよ。お姫さんのほうでいいのかな?」
先ほどのやりとりを聞いていたのだろう。男はそう言って望美にそれを差し出す。そうしてまじまじと浴衣姿の望美を見つめた男は、元々細い目を糸のように細めた。
「はっは。確かに可愛いお姫さんだ。兄ちゃんにいろいろ買ってもらいなよ」
「オレの姫君なんだ。可愛いに決まってるだろ」
彼女の肩を抱いてそう言ってやると、箸を手に次の綿菓子を作りながら、男は大きく突き出た腹を揺らして豪快に笑い、ごっそうさんと応える。
望美は困ったように照れ顔で俯きながら、手にした綿菓子を口にした。
「ヒノエくんも食べる?」
手を繋いで、空いた方の手で望美の巾着を持ってやったヒノエに、望美はそう言って綿菓子を差し出した。
ふわふわの白い塊は、先ほどの店先に溢れていた甘い匂いだ。
ぱくりと口にしてみれば、それはあっという間に舌の上で溶ける。
「甘っ」
口内に充満した甘さに思わず眉を寄せたヒノエに、砂糖の塊だからね、と望美は笑いながら、自らもそれを口にした。人の顔よりも大きいこの甘い塊を食べられるのは、感嘆に値するというものだ。
「ふふ、ヒノエくんは結構甘い物平気だから、大丈夫かと思ったんだけどな」
そう言ってちろりと口唇を嘗めた舌が、どこか扇情的に映り、悪戯心も手伝って、ヒノエは望美の口唇に掠めるようにくちづけた。
「なっ、ひ、ヒノエくんっ」
「オレにはこっちのほうがいいかな」
綿菓子を取り落としそうになりながら、再び顔を真っ赤にする望美を前に、ガラにもなくはしゃいでいるのが自分でもわかった。それは、この祭の華やいだ雰囲気のせいもあるだろうが、やはり久しぶりに逢えた嬉しさからだろう。
「望美は?」
「え?」
「綿菓子の方がいい?」
「それは」
「ん?」
触れそうな距離で瞳を覗き込むと、ふいっと視線をはずし、綿菓子だよと早口に言う。その照れた表情が本当の答えを雄弁に物語ってはいたけれど、意地っ張りな彼女を前にヒノエは大げさにため息をついて肩を竦め、繋いだ手をすっと離して歩き出した。
タンクトップの裾が引かれて振り向くと、望美は困ったような瞳で口唇を噛んでいた。
何か言いかけて目を伏せた望美は、数瞬迷ってから、上目遣いに「嘘だよ」と呟いて、再び目を伏せてしまう。そんな彼女の手を取り指を絡めたヒノエは、その耳元に「知ってるよ」と囁いて、今度は頬に口づけた。
「ちっちゃい頃、空の雲は綿菓子で出来てると思ってたから、雨が甘くないのが不思議でしょうがなかったんだ」
「雨の日に口でも開けて待ってたとか?」
箸についた最後の一片を口にした望美は、目に付いたゴミ箱に箸を入れ、笑いながら頷いた。
幼い望美が真剣に空から降る甘露を待っていたかと思うと、それだけで思わず笑みが漏れてしまう。
「もぉ、笑わないでよ。ホントにちっちゃい頃のことなんだから。あ、今度京に行ったら、白龍にお願いしてみようかな? 龍神って雨を降らせられるよね?」
「……そうだね」
望美は大学を卒業したら、熊野に来るという。
それまでには、あと四年以上。
その間、どうにか周囲のうるさがた連中を黙らせておかなくては、とヒノエは思う。
ヒノエは十八。もうとっくに正室を迎えていてもおかしくはない年齢だ。本家の嫡男として、早く嫁を迎え跡取りを作れという声は高まってきている。幸い湛快や丹鶴、側近たちや水軍衆の面々という身近な者たちは、ヒノエがもう望美を妻にすると決めていることは知っているから、縁談を持ってくることもない。しかし、交易による豊かさと、水軍を擁する熊野を統べる別当という肩書きに、京に応龍の守護を取り戻した神子の八葉であったという経歴まで加わったヒノエのもとには、方々から縁談の話が舞い込んでいる。せめて時空を越えてこの世界に望美を帰す前に、それなりのお披露目でもしておけばよかったと後悔したヒノエだが、それも今となっては詮無いことだ。
「京かぁ……私もヒノエくんみたいに行き来が出来たらいいのに。皆にも会いたいなぁ」
「いいのかい? この次お前が熊野に来たら、オレはもうこの世界に帰してやらないぜ?」
「それは……。ふふ、それもいいかもって思うけどね」
けどね、に続く言葉を、望美は口にはしなかった。
望美が生まれ育った世界。京とはまったく違うこの世界にこそ、彼女が大切にしているものがたくさんある。突然奪われるように京へと連れてこられた望美を、あのまま京に縛り付けるような真似はしたくないと思った。だからこそ、ヒノエは戦の後、逆鱗で自らが時空を渡れる可能性に賭けて、望美をこの世界に帰すように仕向けたのだ。
熊野に来るというそれは、彼女の内で本当に決心できていることなのだろうか。
正直に言えば、すぐにでも攫って行ってしまいたい。けれど、今そうしてしまっては、大学を卒業してから京に行くという望美の気持ちを無視することになってしまうし、なによりも、仮に今、望美がそれを望んだとしても、叶える術をヒノエは持たない。
逆鱗が一度に時空を越えさせることができるのは、一人だけだ。弁慶と共に時空を渡ることはできないものかと試したこともあるが、逆鱗はヒノエだけをこの世界へと運んだ。唯一願いを叶えられそうな龍神も、今はもう呼びかけにも応えることはない。そもそも神とはそういう存在で、何事もない折に、そう易々と人の声になど応えるはずもなかった。それでも、あるいは神子である望美が応龍にそれを願うならば、叶えられるのだろうか。
いずれにしても、望美があと四年こちらにいるならば、その間にふたりともが時空を越える術を探せばいいし、既にその為の情報も集まりつつあった。
「懐かしい~」
玩具の並ぶ夜店の前で足を止めた望美はそう言って、小さな指輪を手に取った。
「おんなじだ」
赤い石のついた金色の指輪はいかにも玩具めいた安っぽさだ。掌に載せたそれを、望美は懐かしそうに見つめる。
「同じって?」
「あのね。子供の時、将臣くんがこの指輪と同じのを買ってくれたんだよ」
「へぇ。将臣が、ね」
自然声音が硬くなる。
けれどそんなヒノエの心情に気付くこともなく、望美は指輪を元に戻して歩き出した。
「小学生くらいの頃だったかなぁ。両方の親に内緒で将臣くんと譲くんと三人だけで花火大会に行った時にね。こっそり家を抜け出したのまではよかったんだけど、私お財布忘れちゃって。その時にあれと同じのを買ってくれたんだ」
「……」
「あんまり嬉しくて指輪をはずすのを忘れて帰っちゃって、結局親にバレて三人とも叱られたんだけどね」
「嬉しくて、ねぇ」
「うん。子供の頃って、ホントああいうきらきらしてて可愛い物が好きだよね。ましてや指輪とかアクセサリーはなんとなく大人の気分っていうか」
「……」
「ヒノエくん?」
こちらの世界では、求婚する時に指輪を贈るのだと聞いた。
子供の時の出来事に、そんな意味などないと知りながらも面白くない。
望美に関しては、自分はどこまでも狭量らしい。
「ふーん。望美が将臣と婚約してたなんて、初耳だな」
「えぇぇっ、婚約っ?」
望美はあたふたと狼狽えた態で、そんなんじゃないと盛大に否定する。わかっていても、そんな彼女の姿に少しだけ溜飲が下がる思いがした。
「冗談だよ、姫君」
ヒノエは繋いだ望美の左手をそっと持ち上げて薬指に口づけ、「ここはオレが予約済みってね」と艶めいた視線を送る。
望美は目元を染めると、幸せそうに微笑んで、小さくこくりと頷いた。
「ここを降りるのかい?」
高台に位置するこの神社は、隣町のグラウンドで行われる花火大会を見るには絶好の場所だ。
お堂の隣の石段を更に登っていた先には、小さな展望台があり、普通は皆そこから花火を眺める。
けれど、ひとしきり夜店めぐりを楽しんだ後に望美が向かった先は展望台ではなく、本堂の裏手だった。
「うん。上の展望台からもよく見えるんだけど、すっごい混雑するの。こっちだったら誰も来ないんだ」
望美がそう言っても、ヒノエはどこか戸惑ったように指し示した先を見遣っている。もしかしたら花火を見るのはイヤなのだろうか。それとも、展望台のほうがいいのだろうか。
「え…と、もしかして、ヤダ?」
「いいや。望美とふたりきなのは大歓迎だけど、ね。その格好でここを降りるのかい?」
「あ……」
望美はようやくヒノエの困惑の意味を理解した。
本堂の裏手は林で、斜面になっている。木につかまりながら降りていくとはいえ、いつもの服装にスニーカーでも履いていればどうということもないその下り斜面も、下駄に浴衣では少々厳しいかもしれない。将臣や譲とここに来た時はいつも浴衣など着ていなかったから、望美はそういったことをすっかり失念していた。
ここを少し降りた先は林が途切れて視界がひらけているうえに、ちょうど目の前に花火が上がる為、絶好のスポットだ。
せっかくヒノエと花火を見るならば、ゆっくりとふたりきりになれるここがいいと決めていただけに、どうしたものかと立ち尽くしてしまう。
「それでもここがいいって表情だね。だったら行こうぜ。お手をどうぞ?神子姫サマ」
望美は差し出されたヒノエの手に自分の手を重ねると、注意深く歩き始めた。
空気を振るわす音が響く。
手頃な石に腰を下ろしたヒノエは、おいで、と望美を膝の上に招いた。
「え…あ、私は…」
望美はどこか他に座れそうな場所を探してみたが、それらしいものは見あたらない。
「おいで、望美。やたらな場所に座ったら、せっかくの浴衣が汚れちまうぜ?」
確かにこの石を譲ってもらったとしても、浴衣で座るのは躊躇してしまうだろう。望美は素直にヒノエの膝へと腰を下ろした。
正面に座ってしまってはヒノエが、花火を見にくいかもしれない。そんな風に考えて横座りしてみると、ちょうどヒノエの肩に頭を預けるような格好になった。
「ヒノエくん、暑くない?」
「ふふ、こういう暑さなら大歓迎だけど?」
ヒノエはそう言って望美をきゅっと抱きしめる。
望美は、ドキドキと鼓動は早くなっていくにも関わらず、ひどく落ち着くような不思議な心地がしていた。
次々と上がる花火は、鮮やかに夜空を彩る。
「綺麗だね」
「ああ。確かにここは特等席だね。オレとお前の貸し切りだし」
「でしょ? 将臣くんと譲くんと来たときに発見…っ」
言いかけた言葉は、ヒノエの口唇に遮られてしまう。
「んっ…うぅ…」
差入れられた舌が絡まり、うなじを指先で撫でられて、身をよじってみても、がっしりと腰を抱く腕は望美を捕まえて離さない。ヒノエの舌に口内を蹂躙されながらなおももがくと、ようやく解放された。
「ちょっ、ヒノエくん…花火っ…」
軽く息を弾ませてヒノエを見上げると、思いのほか真剣な眼差しがそこにはあった。
ヒノエは望美を抱きしめたまま、そっと片手で濡れた口唇をなぞる。
「今日はもう姫君の口から、オレ以外の野郎の名前なんて聞きたくないな。そうでなくともオレがいない隙に、大切な花に変な虫がつかないか気が気じゃないんだからさ」
「もうっ! ヒノエくんじゃないんだから、つくわけないでしょ」
望美はヒノエと違って、もてたことなどない。
もっともそれは、彼女の傍で将臣や譲が周囲を牽制しつづけた努力の賜物ではあるけれど、そんなことは望美の預かり知らないことだった。
「どうかな? お前にとって害虫でなくとも、オレにしてみればそうじゃないって輩もいるからね。油断ならないな」
「ないよ。もしあったって」
例えば誰かに想われても、それがいったいなんになるだろう。
いつでも逢いたいのは。
ずっと触れていたいのは。
心を捉えて離さないのは。
ただひとりだけなのに。
「私はヒノエくんでいっぱいなんだから。誰も入る隙間なんて」
ないよ、という語尾は恥ずかしくて消え入りそうなほど小さくなってしまう。
ヒノエと目が合わないように、彼の首筋に顔を埋めると、きつく抱きしめられて息が詰まった。
「…ノエく…、苦しい…」
どうにかあげた抗議の声に、抱きしめた腕の力が緩む。
額に口づけが降りてくる。瞼に、頬に、鼻先に。そうしてそれは、柔らかに口唇に降りた。
啄むように、時折望美の口唇を軽くくわえ、舌先がちろりと嘗め上げていく。するりと差入れられた舌に、おずおずと応えると途端にそれは深くなった。
浴衣の襟元から忍んだ指先が胸に触れて、望美は我に返った。
「待って、ヒノエくんっ、こんなとこで誰か来たら…」
「姫君が言ったんだぜ? ここは誰も来ないって」
「い、言ったけど、でも…、ぁっ…」
掌で包まれて優しく揉まれ、あえかな吐息があがる。
舌先で耳を、片手で裾をわり太股をさわさわと刺激され、徐々に快感に支配されていく。それでも望美はどうにかもう一度、待ってと口にした。
「私…帯結べないし…」
「帯を解かないって手もあるけどね。帯を解くのがご所望なら、オレが結んでやるから大丈夫だよ、姫君。それとも…イヤ?」
吐息混じりに耳元で囁かれ、それだけで背筋が粟立ち、望美はぎゅっと瞳を閉じた。
嫌なのだろうか。
自問して、そうではないと思ってしまう自分に戸惑う。
「嫌じゃ、ない、けど…」
「けど?」
望美はそっとヒノエの耳元に口を寄せて、恥ずかしい、と訴えた。
「オレしかいないのに?」
「だから…ヒノエくんに見られるのが恥ずかしいの…」
今更だと笑われるだろうか。
もう幾度か、ヒノエとは肌を合わせている。それだって、いつももちろん気恥ずかしさはあるけれど、こんな風に外でともなれば、その恥ずかしさはいや増すばかりだ。
「ホントに望美は…」
「なに…?」
「…いいや? 大丈夫だよ、望美。そんなことも気にならなくしてやるからさ」
そういうことじゃなくて、という抗議の声はとうとう上げさせて貰えず、望美はヒノエの言葉通り、恥ずかしいなどと考えることもできないほどの時間を過ごす羽目になった。
参道は既に明かりがほとんど落とされて、夜店も撤収作業が終わり間近だった。
望美は綺麗に整えて貰った浴衣姿で、ヒノエに手を引かれて歩く。
「花火、見たかったのに」
「堪忍。オレももう少し堪え性がある性質だと思ってたんだけどね。お前相手じゃそうはいかないようだよ、望美」
実際、あそこで最後までするつもりはなかった。
今回は望美の夏休みの終わりまでこちらにいるつもりだったヒノエは、今日は着飾った望美と一緒に祭りや花火を満喫できればそれでいいと思っていた。
望美を前にすると、思った以上に自制がきかないことを痛感して、苦笑するばかりだ。
「ヒノエくんにも、花火見せたかったのに」
「見せて貰ったよ。それに、オレは花火よりももっと綺麗なものをたくさん見られたしね」
一瞬不思議そうな表情をした望美は、すぐに思い至ったのだろう。
頬を膨らませて、少しも痛くない強さで、ヒノエの背をパシリと叩いた。
「明日は講習もないんだろ?」
「うん」
「だったら明日は、お前が行きたい所に行こうぜ?」
「ホント? あのね、行きたい場所いっぱいあるんだよ」
買い物でしょ。映画でしょ。水族館も、プールも…。
機嫌のいい声音で、望美はいくつも挙げ連ねていく。
「たくさんあるね。さすがに、全部は無理かな」
「うん。でもね。ヒノエくんが一緒なら、本当はどこでもいいんだ」
はにかむような彼女の声に、ヒノエはくらりとしてしまう。
明日もきっと、自制心などきかないに違いない。
「まいったな」
「なにが?」
「だから」
耳元に口唇を寄せて囁くと、望美は蕩けるような笑顔を浮かべる。
釣られるように微笑んだヒノエは、歩調を更にゆっくりにした。
もう少しだけ、望美といられる時間を引き延ばせるように。