another ending  - 凶 報 3 -

鎌倉の梶原邸に到着したのは、昨夕のことだった。
景時は報告にくるようにと大倉御所に呼ばれたものの、他は明日で構わないという頼朝からの遣いがあり、昨夜は到着の安堵のままに寛いだ気分で皆が床についた。
 
朝餉を済ませ後片づけを手伝う望美に、譲は食器を元の場所に積んでいく手を止めることなく訊ねた。
「夕飯は先輩が好きなものを作りましょうか? なにが食べたいですか?」
特に要望を口にしなくても、譲が食事の支度をして望美の嫌いなものが膳に並んだことはない。だから望美もまた、片づけの手を休めることなくほんの少し考えてから答えを口にする。
「そうだなぁ。なんでもいいよ? 譲くんの作るモノはなんでもおいしいし」
「そうですか?」
振り返りレンズの奥の瞳を和ませた幼馴染みに微笑んで見せながら望美は、ほらと思う。
自分はこんなに平気なのだ、と。
 
ヒノエと別れてから、食欲などまったくなかった。
だから船酔いを理由に、船で移動中の数日間はろくに食べ物を口にしなかった。
それなのに胃は空腹を訴えて鳴く。
食べる気などないままに、けれど、なにかしら口にすればそれなりにおいしいと感じる。それに気づいてからは、普通に食事を摂ることができた。
 
たいして眠れないとはいっても眠くはなるし、こうして笑って話すこともできる。
人の心は案外頑丈にできているらしい。
それとも自分が特別頑丈にできているのだろうか。
 
こんな風に笑えるならば、帰って日常の生活を再開したら、このどうにもならない痛みも徐々に薄れていくのかもしれない。
 
「望美。準備は済んでいるのか?」
厨の外から声がかかる。
「だいたい済んでますよ。もう行きますか?」
束ねていた髪をほどきながら、土間から外へと顔をのぞかせてみれば、すぐに出掛けるという様子の景時と九郎が立っていた。
 
大急ぎで、部屋に帰って剣を帯びると服に乱れがないかを確認して、門へと急ぐ。
「走らんでもいい」
ふたりに駆け寄る望美に声をかけた九郎の背後に、ちょうど門をくぐって帰って来た弁慶が見えた。
「ごめんなさいお待たせしました。弁慶さんは出掛けてたんですか?」
「ええ少し。さあ行きましょうか」
どこに行っていたと答えるでなく、今入ってきたばかりの門を再びくぐる彼に従うように、望美たちも歩き始めた。
「景時。昨日兄上はなにか言っておられたか」
「い、いや~、報告はしたけど特に何も言われてないよ」
「そうか」
「ほら、今日九郎たちも来るってわかってたからさ。その時に言うつもりなんじゃないかなぁ、なんて」
語尾が自信なさげに小さくなっていく景時は、俯いて小さくひとつ息をついた。
「景時さん、もしかして具合悪いですか? なんだか顔色も悪いみたい」
「はは、大丈夫。譲くんのご飯がおいしかったから食べすぎちゃったかなぁ」
「お腹痛いんですか?」
眉根を寄せる望美に平気平気と手を振って見せた景時は、
「歩いているうちに治るよ。うん、大丈夫」
望美と目を合わせることなく腹を撫でるようにしてひとり頷いた。
「無理しないでくださいね。でも、戦も終わったから、少しはみんなのんびり過ごせますよね」
戦乱の最中では、体調不良は命取りになる為、誰もが自分の体調管理には気を配っていた。
食べ過ぎてお腹が痛くなる、などということは平和な日々の象徴にも思えて望美は戦が終わった安堵を再び噛みしめる。
「のんびりなどしていられるか。これからは兄上の理想とする国を作ることができる。俺も役に立てることがあるといいのだが」
真面目な性格らしい九郎の物言いに、望美はなにも答えなかった。
 
今日頼朝の元へ出向くのは、平家との戦の報告もあるが、京での後白河院から申し出のあった官位の件もある。
望美の知る『日本史』では、その官位こそが頼朝と義経の亀裂の原因になった。
違う世界のこととはいえ、彼女の世界同様『源平合戦は源氏の勝利』という流れできているからには、警戒するにこしたことはない。
望美の世界では、兄に許可なく官位を受けて義経は追われる身となった。
だからこそ院には、官位は頼朝に報告せずには受けられないと答えた。
ここから先は、どういう流れを行くのは見当もつかない。
 
─── 使わないで済むといいけれど
 
望美は衣の上からそろりと逆鱗に触れた。
 
景時と九郎の背中を見ながら歩いていた望美に、弁慶がすいと並んできた。
「望美さん、これを」
古びた布に包まれたそれを訝しく思いながらも受け取った望美は、その感触で中にあるものがなんとなくわかった。
くすんだ萌黄色の布は、元は深緑だったのだろうと思われる紐で結ばれている。
確かめようと、それを解いて中のものを取り出してみれば思った通り小刀だった。
「これ……?」
持った手を困ったように差し出す望美からそれを受け取った弁慶は、慣れた手つきで元のように仕舞ってくるりと紐をかけると再び望美に手渡した。
「お守りですよ」
「……」
「女性に贈るお守りならば、もう少し可愛らしい物を贈りたかったんですけどね。邪を祓う力があるものだそうですから、君に相応しいと思って。これを僕だと思って肌身離さず持っていてください」
おっとりと微笑む彼にそれ以上はなにも問えずに、望美はありがとうございます、とそれを懐に仕舞った。
 
 
 
 
 
大倉御所に着くと、門番は軽く頭を下げて一行を中へと通した。
中では直垂姿の男が3人待ちかまえていた。
「ではお腰のものをお預かりしましょう」
挨拶もそこそこに、ひとりの男がそう口にした。
景時は黙って銃を差し出す。
「なんだ。今までこんなことはしなかっただろう?」
「鎌倉殿のご意向ですので」
「俺たちが兄上に害なすはずがっ」
「九郎」
不機嫌になった九郎を諫めるように名を呼んだ弁慶は、
「それこそここで使う必要はないんですから、別にいいでしょう?」
男達に視線を走らせながら窘める。
不承不請の態で刀の紐を解く九郎に従って、望美も剣を差し出した。
そういえばと思い、先ほど貰ったばかりの小刀も出そうと懐に手を伸ばしたものの、
「望美さん」
それより早く弁慶の手が望美の襟元を整えた。
「すみません。女性の胸元に手を伸ばすなんて失礼でしたね。少し乱れていたものですから」
「……いえ。ありがとうございます」
弁慶の意図を正確に読み取った望美は、それを表情には出さないで首を振った。
 
 
 
 
 
ずいぶん長い時間待たされているような気がする。
それともひとりで居るから、長く感じるだけだろうか。
 
御所に入るや、政の話に龍神の神子は不要として望美だけが別室に案内された。
 
目の前には小さな膳に、茶と菓子が並べられていた。
豆のまわりに甘い砂糖のようなものがまぶしてあるそれは、望美の好きな菓子ではあったけれど手を伸ばす気にはなれない。
それらに視線を落として座っていた彼女の耳にさらさらと衣擦れの音が届いた。
「あら、甘い物はお嫌いかしら?」
向かいに腰を下ろした政子は、一粒それを取り上げて紅色の口唇についと運ぶ。
「毒など入っておりませんわ」
物騒なことを言う女に心を見透かされた気がして、望美はまさかと頭を振った。
「そんなつもりじゃなくて……。朝ご飯を食べ過ぎてしまったようで」
気づけば威圧感漂う男がひとり、音もなく部屋へと入ってきた。
口ひげをたくわえた男は、切れ長の強い瞳を望美に向ける。
視線をはずせなくなった望美は、ごくりと生唾を飲んだ。
「そう。でも少しでも召し上がっておけばよろしいのに。これがこの世で口にする最後のものになるのですから」
ころころと笑う政子の声すらどこか遠い。
「お前が龍神の神子か。いや……偽物の、龍神の神子」
低い声はくつくつと喉で嗤う。
驚愕に見開かれた望美の視線を受けて、男は蔑むように見つめ返した。
「京で院の為に舞ったのは偽物の神子。そうだな? 景時」
「!?」
苦しそうに眉間に皺を寄せて、景時が室内へと入ってくる。
望美のほうを見ないままに歩み寄って来る彼は、口唇を噛みしめていた。
「鎌倉殿がお尋ねですわ。景時?」
「……御意」
「景時さん……」
ようやく喉から絞り出した声に、景時はまるで聞こえないというように反応しなかった。
「本物の『龍神の神子』は、もうすぐ鎌倉にやってきて、この地の安寧を龍神に祈り、生涯鎌倉に尽くすのだ」
「そんな……」
馬鹿なと言いたいのか、ひどいと責めたいのか。
それすらもわからないままに、呆然として望美は呟いた。
「女。龍神の神子の名を騙った罪は重い。その命をもって贖わねばならぬほどな」
政子がつと立ち上がり、望美の背後にまわって膝をつく。
「綺麗な髪ねぇ、お嬢さん。娘時代にはこういう真っ直ぐな髪に憧れたものですわ」
白い指先を伸ばし濃紫の髪を一房掴むと、望美が身をひくよりも早く、いつの間に手にしたのか、手の中のそれを短刀でざっくりと切った。
「なっ!?」
「女ですもの 最期に残すものは綺麗なほうがいいでしょう? 血に濡れてからよりは、ねぇ?」
察していたことを目の前に突きつけられて、望美の鼓動は耳元で大きくなる。
「九郎殿の許嫁、でしたわよね。安心なさいな。九郎殿ともすぐに会えるでしょうから」
「九郎さんも、殺す気ですか?」
「九郎は力をつけすぎた。鎌倉に降り立つ龍神の神子に八葉はいらぬ」
「そんな……弟でしょう?」
兄を慕っている九郎は、もうこれを知らされているのだろうか。
それがどうした、と感情のこもらない声で言い捨てる男の為に、皆があの戦で命を賭けたのかと思うとひどく腹が立った。その怒りが、望美を少しだけ冷静にさせる。
「私が、本物の龍神の神子が鎌倉の為に祈るほうが、効果があると思いませんか?」
「ふん。効果などいらぬわ。必要な力ならば、既にここにある」
実の弟にすら驚異を感じる男だ。
本当に力のある龍神の神子など、存在すら疎ましいに違いない。
院の為に京の安寧を祈ったのは偽物の神子で、鎌倉こそが本当の龍の加護を得ているのだと示したいだけで、本物は必要ないのだ。
「景時。罪人の始末はいつものように」
「……御意」
景時は、緩慢な仕草で手にした銃を望美に向けた。
「景時さん」
「ごめんね、望美ちゃん……」
銃口が望美を正面から捕らえるのを見届けて、頼朝は踵を返した。
それに倣うように政子も後に続く。
 
ドクドクと心臓が駆けだして、胃がせりあがりそうな苦しさを覚える。
こんなところで死ぬのだろうか。
 
逆鱗に手を伸ばしたい。
でも、今指先ひとつ動かそうものなら、すぐに引き金は引かれるだろう。
 
─── 死にたくないっ!!
 
切に願う。
こんな結末の為に、誰よりも大切な人と別れてきたなんて、あっていいはずがない。
 
ほんの数秒だったろう。
けれどもっと長い時間だったように感じるほど、様々な感情が一気に心の中にあふれかえる。
望美は膝の上の手に視線を落としてギュッと目を瞑った。
 
─── ハッタリはさ……
 
彼の言葉と自信に満ちた顔つきを思い出し、ふと息をつく。
 
ヒノエくん……。
 
顔をあげた望美の口の端が引き上げられたのを目にして、景時は望美の気がふれたのかと思った。
 
「いいんですか?」
出て行こうとする頼朝たちの背に声をかける。
振り返った男の視線を正面から受けて、望美は挑戦的に、まっすぐ射抜くように頼朝を見据えた。
 
─── ハッタリはさ、ホントのことを混ぜ込むのがコツなんだぜ?
 
「私は今すぐ鎌倉を滅ぼすこともできるんですよ? その引き金が引かれても……命が絶える前に、あなたたちを道連れにしてみせる」
 
 
─── 全部嘘じゃあ通用しない
 
 
望美は泰然と笑って見せた。

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