反則

無造作に放られた上着を拾い上げて、畳んであげようかと広げればふわりと彼の香りがした気がした。
なにか香をつけているわけでもないはずなのに、ああ、ヒノエくんの香りだなぁと思う。
潮の香りだとか花の香りだとかなにかの香りじゃない、それ。
 
 
─── オレの女になりなよ
 
 
思い出しただけで鼓動が早くなっていく。
 
いつもいつも冗談ばかりだと思っていたのに。
だからいつも真に受けちゃ駄目だと言い聞かせていたのに。
あんな真剣な表情は反則だ。
 
 
 
 
 
 
「ひゃっ!!」
唐突にまわされた腕に、望美は裏返った声と共にビクリと跳ねる。
「抱きしめるなら、そんなもんじゃなくて中身にしてくれないかい?」
「ヒ、ヒノエくん」
「ま、オレが抱きしめるからいいけどさ」
「だ、抱きしめてたんじゃないもんっ!落ちてたから拾っただけ!」
上機嫌な声の主は、ジタバタともがく望美の抵抗をなんなく封じながら背中からまわした腕を離さない。それでも諦めきれないように身をよじる彼女の言い分に、笑みを深くする。
 
─── 拾っただけ、ね
 
いくらヒノエが気配を消して近づいたとはいえ、抱きしめるまで気づかない望美ではない。なのに、一向に振り向かない彼女を捕まえてみれば、胸にしっかと自分の上着を握りしめているのだから、期待しないはずがない。
「ふーん…それは残念。ふふ、顔が赤いよ?姫君」
「暑いんだもん!だから離れて!」
腕の中で振り返った望美は、ヒノエに上着を押しつけるように差し出しながら、どうにか逃れようと試みる。
仕方なく檻を解いてやれば、望美はすかさず身を離して真っ赤な顔のまま肩でゼイゼイと息をついた。
「もぉ!脱ぎっぱにしないでよねっ」
くるりと回れ右で歩きだした彼女の背中に聞こえないほどの声音で、
「もう一押し…かな」
呟いたヒノエは笑みを浮かべたまま、その後を追いかけた。

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