another ending  - 凶 報 1 -

日が傾いてきていた。
そうでなくとも暗い木立の影がぐっと深くなりつつあるが、なんとしても暗闇に道を閉ざされる前に、この峠だけは越えてしまいたい。
時折、鳥の甲高い声が聞こえるほかは、ただ木々がざわめくばかりの道を、蹄の音を響かせて駆け抜けていく。
力強いその足音とは対照的に、栗毛の馬は口から泡を飛ばし、かなり消耗しているのが見て取れた。それでも、その腹にもう一蹴り入れて、乗り手は速度を緩めることを許さない。
 
─── 悪いがもう少し頑張ってくれよ。ここを越えれば代えの奴がいるからな
 
ヒノエの心の声に応えるように、馬は一心に駆け続けた。
 
 
 
 
 
◇   ◇   ◇
 
 
 
 
「お楽しみのトコ悪いが、大将、火急の用件だ」
音もなく背後に立った気配は、遠慮なく声をかけてくる。
「きゃっ」
木に背を預けて、うっとりとヒノエの指先に酔わされていた女は我にかえり小さな悲鳴をひとつ。
人がそうそう入ってはこない木立の奥。それでも外には変わりない。
こんな場所で誘いに乗るわりには、人並みに羞恥心を持ち合わせていたらしく、女は肩まではだけた着物を引き上げ、声をかけてきた男の目から逃れるようにヒノエの胸に顔を埋めた。
それはそれで可愛らしい仕草で、その黒髪にひとつ口づけをおとしてやってから、ヒノエは背後の男にうんざりした視線を向ける。
「コトの最中に踏み込まずに済んで助かったぜ」
ヒノエよりも頭ひとつ背の高い男は、少しも悪びれることなく言ってのける。
「似たようなもんだろが」
恨みがましく言ってはみたが、この男がわざわざ自分を探して来たというなら確かに『火急の用件』なのだろう。
「わざわざお前が来るってことは、それなりのことがあったってわけだ?」
「まぁな」
用件を口にしないところを見ると、他人に聞かせるようなものでもないということだ。
「ふーん……。悪いね、姫君。そんなわけで、また今度」
腕の中の存在は、そんな、と顔をあげて呟いたが、有無を言わせぬ瞳にぶつかり、先の声を飲み込むと、その場を逃げ出すように走り去った。
ため息と共にそれを見送ってから呼びかける。
「で? これで大した用件じゃなかったらタダじゃおかねえぜ? サカキ」
「神子姫さんの情報を、烏より先に早馬が持ってきた。この意味、わかるよな?」
「望美の?」
望美と淡路島近くで最後の別れを済ませてから、既に一ヶ月以上が経っていた。
元の世界へと帰って行く彼女に最後まで同行できないかわりに、万が一に備えて腕のたつ烏を密かに幾人かつけていた。
その烏からヒノエのもとに逐一情報がもたらされ、京に着いた望美がすぐに自分の世界へ帰ることなく、頼朝に会うべく九郎達と共に鎌倉に向かったということは知っていた。
通常烏は情報を入手してすぐに、その情報が重要なものであればあるほど、海路なり陸路なりを用いて、最も早い連絡手段をとって熊野に伝えてくる。
サカキが『烏より先に』と口にしたからには、烏以外の者から、なにか重要な情報がもたらされたということだろう。
「京からか?」
鎌倉の烏よりも先に熊野に情報を届けることができ、かつ望美に関係することならば京での情報に違いない。なかば確信をもって尋ねたヒノエの言葉はあっさりと打ち消された。
「鎌倉の梶原屋敷からの使いだ」
「鎌倉? 京の烏の報告よりも先に?」
鎌倉で何かことが起き、その場にいた烏がすぐに連絡を講じることができなくとも、大抵の場合はそれを京あたりにいる烏が熊野に送ってよこす。
しかし、その京の烏すら情報の入手が遅れているからこそ、鎌倉からの早馬が熊野に先に着いたのだ。
「京からも別の知らせが来たぜ。おかげで烏の長まで動いてる」
「ろくな知らせじゃなさそうだな」
明らかに尋常ではない。
それでも軽い調子で返すと、いつまでもこんなところで話していても仕方ないと歩き出す。
その後に続いて歩きだした男は、
「とりあえず、あいつらには使いを出したから屋敷に集まるはずだ。早馬が持ってきた文はお前さん宛だからもちろん読んじゃいねえが……」
常になく言い淀む。
「……なんだよ?」
ろくな内容じゃないことは、ここまでの話で十分把握している。それを今更言い淀むのを不審に思い、ヒノエは立ち止まって振り返った。
「落ち着いて聞けよ?使いの奴の話だと……神子姫さんが処刑されたらしい」
「……っ!」
目を見開き、その場に立ちつくす。
 
 
─── 処刑?
 
「詳しいことはわからん。文には書いてあるかもしれねぇが」
 
─── 誰が? あいつが?
 
「おい?」
 
─── なんであいつが? 処刑? まるで罪人のように、処刑なんて
 
「おいっ!?」
「聞こえてる。とにかく戻って文を読む。話はそれからだ」
歩き出すヒノエの背中を、冷たい嫌な汗がつたった。
 
 
 
 
 
 
屋敷に戻ると、側近ともいえる面々がすでに顔を揃えていた。
一同が見守るなか、使いの男が持ってきた文に目を通す。
文は朔からのものだった。
 
動揺したままに書いたのであろうその筆跡は、幾分乱れた印象を受ける。
朔自身もどうやらなにが起きたのかわからないままに、知る限りのことを記したらしいものだった。
 
鎌倉入りしてすぐに九郎と弁慶、景時と共に望美が大倉御所に出向いたこと。
その日の夜に望美が『龍神の神子の名を騙った罪』で処刑されたこと。
九郎と弁慶は、偽の龍神の神子で頼朝を欺こうとしたことに対して詮議をうけるべく大倉御所に捕らわれていること。
それらが淡々と綴られていた。
 
文字を目で追いながらも、まるで信じられない内容である。
鎌倉に着いて、そう日も置かずに処刑されたということは、ろくに詮議もなかったということだ。
そのうえ『龍神の神子の名を騙った罪』とは、望美が偽物だと決めつけられたということに他ならない。
文の結びには、望美の形見を託すので熊野で供養してほしい旨と、ヒノエと別れた後の望美の話もしたいから、近くまで来たら立ち寄ってほしいということが書かれていた。
 
文とは別に渡された漆塗りの箱をそっと開けてみる。
そこには彼女の舞扇と、濃紫の髪が一房、納められていた。
 
この扇を広げて。
この髪を風に揺らして。
天女のように舞って見せた彼女が、もういない。
 
そんな馬鹿なことがあるだろうか。
こんな結果を招くために、あの時、望美の手を離したのではないはずなのに。
 
 
「ヒノエ?」
箱の中を凝視したまま動かない彼に、遠慮がちに声がかかる。
「……ああ」
動揺しているわけにはいかない。
烏の連絡系統の乱れは尋常ではないのだ。
この地を預かる別当として、事態を正確に把握しなくてはならない。
個人的感情は、後回しにすべきものだ。
渦巻く想いを抑え込み、頭領の顔になったヒノエは、
「それで? 京からも報告が来てるんだったよな?」
見守る面々に視線を配る。
「はい。京のほうでもまだ正確にはいろいろ掴んではいないようなのですが」
「鎌倉の烏は全滅らしいな」
「……間違いないのか?」
「今のところはそうとしか考えられない。少なくとも烏の長は、そう判断して動いてるぜ?」
烏とは元々独自の指揮系統を持っている。
彼ら烏の一族は、ヒノエの───熊野別当の配下として動くだけの存在ではない。
「なるほど、ね。源氏か……」
龍神の神子を偽物として処刑するのは、頼朝にとって都合がいい材料だということは理解できるヒノエだが、彼らが鎌倉にいた烏を一掃できるほどの情報網も組織力も、まだ得ていないとも判断していた。
「ま、なんにしても熊野に残してるヤツらを動かさないと、どうにもならなそうだな」
鎌倉の烏が一掃されたなら、それなりの手配をしなければならない。
「あなたは祭事が終わるまで、いてくださらなければ困ります」
2日後には本宮での神事を控えていた。別当たる彼がいなければ、一切を取り仕切る存在を欠いてしまう。
「わかってる」
ヒノエが今すぐここを飛び出して行きたい気持ちでいるのは、居合わせた全員がわかっていた。
頭領である前に、仲間として過ごしてきたのだ。
その彼が、龍神の神子にどれほどの想いを寄せていたのかも、今、どれほどの衝動を抑え込み、この場で頭領として振る舞っているのかさえわかっている。
だから。
「祭事を終えたら、あとはご自由に。始末はつけておきますから」
「烏は先に行かせとくからよ」
「……道々の手配はしておくぜ。情報を拾いながらなら、馬で行くんだろ?」
己が役目に即したことを口々に言う。
「ああ、頼むぜ?」
頭領としてでなく、仲間として。
ヒノエは心からの信頼をこめて、そう口にした。

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