not yet love

「姫君、今日の予定は?」
 
朝餉を済ませ、各々が1日の過ごし方について考えていた時のこと。
皆はなにをするのだろうかときょろきょろとしていたところに、そう声をかけてきたのはヒノエだった。
 
望美は今、勝浦にいた。
頼朝の命を受けた九郎たちと共に、中立を保っている熊野に源氏への助力を乞いにきたのだ。
熊野とその水軍を統べるのは、熊野別当。
その人物に会うべく本宮へと足を運ぶはずが、
折り悪く、本宮へとつながる道が川の増水で通ることができなくなり、ここ勝浦で足止めを食っていた一行である。
予定外に手にした休養の日々は、嬉しい反面、ともすると持て余しそうになる。
昨日はリズヴァーンに稽古をつけてもらい、その前は弁慶の薬草摘みに譲と同行して時間を過ごした望美だが、
今日はまだこれといって決めていない。
 
「うーん…どうしよう…?また剣の稽古でもしようかなぁ。ヒノエくんはどうするの?」
「予定がないなら、オレと一緒に出掛けない?姫君の好きそうなところへ案内するからさ」
「そうだね……うん、出掛けるのもいいな。じゃあ、朔か誰かを誘って…」
「待った。オレは望美と二人で行きたいんだから、他のヤツが行くなら案内なんかしてやらないぜ?」
誘っておいてずいぶんな言い草ではあるが、もう幾度となくふたりで出掛ける機会を失っているヒノエにしてみれば、そうそう譲ってばかりはいられない。
「二人でなど大丈夫なのか?熊野は修験者くずれの賊も多いと聞くが?」
近くにいた九郎がそれを聞きつけ声をかけた。
ヒノエの戦いぶりはわかっていたし、その実力には一目置いていた九郎だが、望美は源氏にとって大切な『白龍の神子』である。万が一にも、なにかあっては困るのだ。
「こと熊野に関しては、彼がついていれば大丈夫だと思いますよ」
横から口をはさんだ弁慶は、九郎に穏やかに頷いてみせた。
「さすが弁慶、わかってるじゃん。ま、ここはオレの庭みたいなもんだからさ。大人数で移動して変に目立つより、よほど安全だと思うけど?」
実際、熊野には平家方の人間も少なくはない。自分たちと同じ目的で来ている者もいるだろう。
そう考えると、ヒノエの言うことも一理あるように思え、九郎もそうかと頷いた。
「神子、体を休めず平気か?」
今度はリズヴァーンがやってきて、望美に問う。
昨日の稽古で、彼女が暑さのためか少々疲れているように見受けられ、心配していたのだ。
「あ、それは全然。どうせなら、どこかに出掛ける方が気分転換になっていいかも」
それはあくまでも師匠に向けた返答だったはずなのに。
「じゃ、決まりだね」
気付けばなにやら最終決定がなされたらしい。
異議を申し立てるほどでもないながら、どこか釈然としない望美ではあったが、
「望美さん。僕らでは行けないような場所でも、ヒノエなら詳しいですからね。君の目で、熊野の様子を見て来てください」
そう言って弁慶に微笑みかけられてはもう、そうですねとしか答えようがなくて。
「じゃあ、ちょっと支度してくるから待っててね?」
と自分が使っている部屋へと向かった。
そんな彼女の後ろ姿を見送りながら、弁慶はこそりとヒノエに釘を刺す。
「ヒノエ。わかっているとは思いますが、望美さんに不埒な真似は許しませんよ?」
年長者らしい物言いに、負けじとヒノエも余裕の笑みで応ずる。
「さてね…許さないって?どうするつもりだよ?」
「そうですね…。君が何者なのか、言ってしまう、とか…」
さらりと吐かれた言葉に、迷惑そうに顔をしかめて、
「……わざと黙ってるのかと思ったぜ?」
ヒノエは探るように視線を投げる。
「僕は別に。単に君の意志を尊重してきただけですからね」
微笑みの下。まったく見えない本心に、身内ながらつくづく食えない奴だと知っていたはずのことを再確認した。
「………」
「いいですね?女性を泣かせるような真似は、許しませんよ?」
「アンタにだけは言われたくないね」
もっと言ってやろうかと思ったが、目の端に戻ってきた望美をとらえ、ヒノエは会話を切り上げた。
「まぁいいや。なんかあったら烏が飛ぶようにしとくからさ」
「そうですね、お願いしますよ。ふたりとも、気をつけて行ってきてくださいね」
「はい。行ってきます」
「じゃあ、行こうか、姫君」
 
戸外に出れば、さざ波のようにあふれる蝉の声。
澄み渡る青空は、今日も暑くなることを予感させた。
 
 
 
「ねえ、どこに行くの?」
「着いてからのお楽しみ、ってね。まあ任せなよ。きっと気に入るからさ」
ここ勝浦は港町だ。
やはり海辺に行くか、町で市などを見るかのどちらかだろうか。
そう考えていた望美の予想を裏切り、ヒノエは町を抜けて林の中へと入っていった。
「きゃっ…。あ、…ごめん。ありがと」
ふと横切った瑠璃色の小鳥に気をとられ、望美は足下の木の根に躓いた。
それを咄嗟に受け止めたヒノエは、さも楽しそうに彼女を抱き寄せる。
「いいや?ふふっ、役得、かな?」
「ヒノエくんてば…」
彼がからかうように触れてくるのも、恋の真似事を囁くのもいつものこと。
だからやはり彼女も、慣れた風に冷静さを装って、身を離そうとした。
「昼日中からお熱いこって。お楽しみなら俺達にも分けて欲しいなぁ?」
ふいに木の影から、男たちがあらわれた。
「なかなかイイ女じゃねえか。着ている衣も悪くはねえが、ひん剥いて中身まで拝んでみたいものだね」
男の物言いに嫌悪を感じた望美は、相手を睨み付けたが、
「へぇ?気の強そうな女だな。じゃじゃ馬に乗るのは嫌いじゃないぜ?」
面白そうに言った言葉に、仲間も同意の笑い声を漏らすばかりだ。
「おい、兄ちゃん。女と金目のもんを置いてくってんなら、命まではとらずにいてやるから、とっとと失せな」
ヒノエは軽く息をついて、腕の中の望美を背後に押しやると男達に向き直って腕を組んだ。
「それはもしかしてオレに言ってんのかい?だったら寝言はよそでやってくれ。あいにくてめえらの相手をしてるほど、暇じゃないんでね」
「んだとぉ?」
不遜な物言いに、男たちはそれぞれ刀を抜いた。
それを見て望美もすかさず腰に帯びた剣の柄に手をかける。
しかし、その彼女の手を軽く制して、肩越しに振り返ったヒノエは、
「戦女神にお出まし願うほどの相手じゃないな。たまにはただ『守られる』ってのもいいんじゃない?」
とウィンクをひとつ。
「でも…」
相手は4人。しかも揃いも揃ってずいぶんと体格がいい。
刀の構えは粗雑で隙だらけといえなくもないが、彼が1人で相手するのでは少しばかり分が悪そうに見える。
「オレがこんなヤツらに負けると思う?」
それなのに、ヒノエときたら勝って当然という表情なのだ。
「さてと。てめえら、せっかくの姫君との時間を邪魔しといて、無事ですむとは、まさか思ってねえよな?」
「ふん、オンナの前で格好つけたい気持ちはわからなくもないけどなぁ?相手見てモノ言えや。出すモン出せば、痛い目みねえで済むんだ。
それとも痛い目みて、オンナ置いて逃げ出すか?」
それもいいんじゃねえかと、男たちが声をあげて小馬鹿にしたように嗤う。
「弱い犬ほどよく吠えるってね」
ヒノエは茶化していた瞳をすっと細め、
「いいからとっととかかってこいよ?」
抑えた声音で男たちを挑発した。
「お、おい!口で言ってもわからねえなら、わからせてやろうぜ」
その声を合図に、相手は次々に刀を振りかざし向かってきた。
望美を軽く突き飛ばすように後方へと下がらせた彼は、振り下ろされる切っ先をなんなくかわしていく。
自らは武器を手にすることもないままに、相手の刀をたたき落とし、蹴りをいれる。
好戦的な瞳は、そんなやりとりのひとつひとつを、いっそ楽しんでいるようにも見えた。
「野郎っ!……ぐぇっ!!」
無駄のない動きはさながら野生の獣を思わせるしなやかさで、望美は思わず目を奪われる。
横から手を出す必要など感じる間もなく、気付けば男たちは全員地面に倒れ伏していた。
「うぅ…」
「ぐ…う…」
うめき声があがるなか、ヒノエは落ちていた刀のひとつを拾い上げ、
「で?何を出せって?」
相手の喉元に切っ先をつきつけた。
「ひぃ…い、命だけは勘弁を…」
先ほどとは打って変わって、情けない声をあげて、命乞いをする。
「せっかくの逢瀬が血生臭くなるのも無粋だからな。とっとと失せな」
その言葉に、落とした刀を拾うこともせずに、男たちは皆、我先にと起きあがり逃げ去った。
 
「すごいね、ヒノエくん…」
ただただ感嘆という風情の望美に、手にした刀を放ったヒノエは得意満面だ。
「惚れ直した?ご褒美は姫君の口唇でいいよ」
冗談なのはわかっていた。
けれど、そう言って近づいてくる彼に気圧されて、望美はなんとなく後ずさる。
「なんで逃げるのさ?」
「に、逃げてないよっ」
そう言いながらもヒノエとの距離を保とうとする望美は、木の幹に阻まれてすぐにその距離をつめられてしまった。
ゆったりとした仕草で、彼女の顔の横に手をついたヒノエは、
「ふふっ、姫君、顔が赤いよ?」
言いながら指先で望美の口唇をゆるりとたどる。
「ねぇ?姫君やっと気付いてくれたのかな?オレほどの男はそうはいないって」
 

余裕綽々な態度に、先ほど戦っていた時の姿が重なって、望美は自らの胸の鼓動を宥めつつ口を開いた。
「ヒノエくん、戦う時いつも本気だしてないでしょ?」
この状況で、そんなことを言い出す望美が可笑しかった。
でもだからといって揶揄する気は起きない。
いっそこのまま口唇を奪ってしまおうかとも思っていたヒノエだが、
頬を赤らめながらもまっすぐにこちらを見つめてくる瞳にそれを思いとどまる。誤魔化しを許さない真剣な眼差しだ。
「本気を出す必要がある相手ならそうするさ。そうだな、たとえば…姫君相手なら本気になるのも悪くない、かな」
「私っ!?……じゃあ負けないように、もっともっと稽古しなくちゃ」
意味を取り違えたまま決意を新たにする望美に、でもまだそれを言おうとは思わなかった。
「稽古…ね。オレが本気になったら、こんなもんじゃないんだぜ?」
「負けないよぉだ」
彼女なりの宣戦布告に
「ふふ、受けて立つよ?」
ヒノエは不敵な笑みで応じた。
「いつかそんな余裕の顔なんてしていられなくなるんだからね」
「楽しみにしてるよ、姫君」
 
イロコイは、本気になったほうが負けだと言ったのはダレだ?
負けるのは趣味じゃないが、お前相手ならば不思議とそれもいいような気がする。
 
─── その時には、お前もオレから離れることなんてできなくさせてやるぜ?姫君。
 
ヒノエの思惑など知るよしもない望美は、するりとその腕を抜け出して、
「ほら、いいとこに連れてってくれるんでしょ?早く行こうよ」
先に立って手招きする。
ヒノエは軽く肩をすくめてそれに従った。
「姫君の仰せのままに」
 
─── だから今はまだ、不埒な真似とやらも謹んでやるさ。…今だけな。
 
 
望美が海岸線に咲く浜木綿に歓声をあげたのは、このすぐ後のことだった。
 

遙鎌倉