野辺送り

彼を包むそれは、やがて輪郭を失い、淡く小さくなっていく。
光の余韻は風に散り、やがて何事もなかったように再び闇が訪れた。
それでも、最後の一欠片を追うように、探すように、望美はその場を見つめていた。
「いったのか?」
「ヒノエくん…どう……」
どうして…?と、紡ぎきれなかった言葉が聞こえたかのように、ヒノエは答えた。
「愛しい姫君の居場所ならすぐにわかる…って言いたいところだけどね。オレもあいつに呼ばれたんだ。お前を、夜道にひとり帰すわけにはいかないからってね」
それは、片道しか共にいることのできなかった彼が、最後に残した優しさだった。
 
望美がヒノエと共に熊野へ旅立つのを翌日に控えた夜、彼女は敦盛に『頼みがある』と呼び出された。
 
「ヒノエくん、知ってたんだね。敦盛さんが…」
「熊野の烏は無能じゃないからね。それに、あいつの鎖。あれが封印の一種だなんて、ちょっとそういう力があるヤツならすぐにわかる。景時も薄々気付いてたんじゃねえの?」
「私、知らなかった。時々、苦しそうにしてたのに…どうして気付いてあげられなかったんだろ…」
語尾を震わせながら、自らを抱きしめるように腕を引き寄せる望美は、大切な仲間が口にした最初で最後の願いを思い出す。
 
 
『私を、浄化してもらえないだろうか?』
 
 
ヒノエはゆっくりと歩み寄って望美の前まで来ると、彼女の頭を抱き寄せ自分の肩口に押し当てる。
「泣いてもいいんだぜ?」
その言葉に、それまで堪えていたものが堰を切ってあふれ出した望美は、顔を埋め嗚咽をもらした。
「…たし…、な…っ…なにも…なにもして、あげ、…なくて…」
ヒノエはしゃくりあげる望美をなだめるように、その背を撫でながら囁いた。
「……送ってやったじゃん。『怨霊は哀しい存在だ』ってあいつ何度も言ってたけど、お前のおかげで、今はもう…そうじゃないだろ?」
 
『伯父上亡き今、平家が新たな怨霊を作り出すことはないだろう。私で…最後だ』
 
怨霊が元の人格を手放し、やがて暴走していくということを、これまでの戦いで十分過ぎるほど認識していた望美は、それがどんなに苦痛を伴うことであったとしても断ることなどできなかった。
 
 
ひとしきり泣いて。
ようやく少しおさまって来た頃、髪を優しく撫でる手はそのままに、ヒノエが懐かしむように語りだした。
「あいつ、ガキの頃からトロくてさ。山んなか駆ければはぐれるし、鯨を捕りに出りゃ、何をすればいいのかってオロオロしてるし…」
熊野詣についてきた貴族の息子と、地元の悪ガキたち。
大人のしがらみに囚われることもない同年代の彼らが打ち解けるのは、あっという間だった。
「その話…聞いたよ。子供だけで鯨を捕りに行ったけど、自分はほとんど役に立たなかったって…」
あれは紀井湊に向かう途中のことだった、と思い出す。
その時の姿を思い浮かべて、望美の目は再び潤んだ。
「そっか…でもな。そん時、鯨はとれたんだけど、夜になっちまうわ星はでてないわで陸の方向がわからなくなってさ。ひとり泣き出したら、みんな泣き出しちまって…オレも途方にくれてたら、あいつ、いきなり笛を吹き出したんだ」
「笛を…?」
そっと顔をあげてヒノエを見上げると、「ああ」と答えて望美の涙を拭ってやりながら目元を和ませた。
「あんな時に笛を持ってきてたのも驚いたけどな」
穏やかな調べだった。
澄んだ音色は波の音と溶けあい、皆の不安をやわらげた。
「見かけよりすごいヤツだって、あのとき初めて思った」
こんなことしか出来ないから。
そう言って申し訳なさそうにしていたけれど。
こいつは、力じゃない強さを持っているヤツなんだと子供心に見直した。
翌朝、どうにか岸へと戻ったヒノエたちを待っていたのは、湛快直々のお説教で。
てっきりお咎めなしと思われた敦盛が一緒に叱られたのは、皆に心配をかけたのだから同罪です、という敦盛の兄・経正の意向だったらしい。
そんなこともあって、ヒノエたちと敦盛が、より連帯感を強めたのは確かだった。
 
八葉だから。
そんな理由で、一族の中で可愛がられて育った敦盛が、平家の敵にまわるとは思いもよらなかったヒノエは『いいのか?』と訊いたことがある。
「あいつさ、笑ってたよ。お前に会えてよかったって。自分がここにいる意味を見つけられたって」

『つらい役目をさせてすまない』と、最期まで優しい言葉をかけてくれた。
光に包まれ、儚く笑ったあの人は少しでも幸せだったろうか?
 
 
腕の中の細い肩の震えと共に、ヒノエの奥底に沈む悲しみも共鳴する。
「『早く終わるとも命の促しきには非ず』っていうけどさ…。でも…やっぱ早すぎるよな」
これから年を重ねて、もっといろんなことを語り合えるはずだった。
けれど、今となってはもうそれも叶わないのだ。
腕の中の存在は、当分泣きやみそうにない。
望美がオレ以外の男のせいで泣くなんざ、我慢ならねぇけどな。
相手がお前じゃ…今日だけは大目に見てやるよ。
ふたりだけの野辺送り。
ヒノエは望美を抱きしめながら、空を仰いだ。
あの日とは違う満天の星空が広がっている。
 
─── これならお前も迷わないだろ?
 
呼びかけに応える者は、もうどこにもいなかった。
 
 

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