運命 SADAME

炎はみるみるそこらじゅうを這い回り、獲物を逃がさないとでもいうように燃えさかった。
パチパチと木のはぜる音。
息つくこともままならない熱風。
煙もたちこめて、目すら開けられなくなっていく。
 
 
─── 逃げて!早く、逃げて!
 
繰り返す言葉は、そこには届かない。
 
 
ゴォォン…と大きな音が響いたかと思うと、建物の梁が崩れ落ちてきた。
 
─── みんなはどこ!? 
 
炎の壁の奥には、ついさっきまで共にいた仲間たちがいたはずだった。
 
 
─── 消して! 誰か、この火を消して! 
 
 
気付けば炎の中に白龍の姿が浮かび上がる。
 
その先を知る自分はとどめるように呟く。
 
─── 駄目だよ
 
 
けれど、透けるように白い手は自らの喉へと向かった。
 
 
─── 駄目!お願いだから
 
 
 
「神子…、生きて」
 
 
 
 
最後に見たそれは、どこまでも儚い白龍の笑顔だった。
 
 
 
 
 
 
「……っ!!」
 
ビクリと体を揺らして目を開くと、先ほどまでのすべてが消え去った。
浅い呼吸を繰り返し、そっと身をおこして周囲を見回して、今自分がいる場所を確認する。
 
炎などどこにもない。
夜に沈みこんだ静寂のなかで、すべてが夢だったのだと悟る。
 
大きく息を吸い込んで、溜息のように吐き出しても、悪夢から逃れ出た安堵は訪れない。
なぜなら少女は、それがただの夢ではないことを知っていたのだから。
 
 
京に来てから───京に戻ってから。
もう幾度となく、あの日の夢をみた。
自分にとって過去である、未来。
 
熱も、音も、痛みも、声も。
夢などではあり得ない、確かな記憶。
 
京の町を歩き、怨霊の封印を繰り返す日々に疲れた体は、十分な休養を要求したが、頭の中にめぐる多くのことが今はそれを許してくれそうにない。
 
 
白龍を遠ざけておいてよかったと、望美はそれに関してだけはホッとした。
始めは同じ寝所で休んでいたものの、うなされて飛び起きる望美に
「わるい夢を、はらう力もない…」とあまりに悲しそうな表情をするから、昨夜からは理由をつけて譲たちと一緒の寝所に移ってもらったのだ。

白龍が悪いんじゃない。力がないのは…私の方だ…。
 
 
─── 外の空気でも吸ってこよう…
 
望美は緩慢な仕草で立ち上がると、庭に面した縁へと向かった。
 
 
 
外は月があるせいか、それとも闇に目が慣れていたからか。
思ったよりも庭がよく見えた。
山桜の類であろう、高さのない桜の木がひっそりと浮かびあがっている。
時折風に連れられるように花の群れを離れるひとひらが、ゆるやかに地面に舞い落ちていた。
 
─── 稽古、しようかな…
 
どうにか花断ちができるようになってはいたが、まだまだだという自覚はある。せっかくこうしているのなら、剣を持ってこようかとも思ったが、こんな夜も明けないうちにそんなことを始めれば、寝静まっている皆を起こしてしまうかもしれない。
 
望美は今し方の思いつきを諦めて、ただ景色を眺めるに留まった。
 
 
『流れを自分の意志で変え、ゆがみを生む覚悟があるなら、ひとつ、ひとつ、流れいずる元を変えていくことだ』
 
時空を越えられるようになってすぐに出会ったリズヴァーンの言葉が、思い出される。
 
そう、時空を越えたのだ。
 
なにもわからないままにこの世界に来て、白龍の神子として自分が紡いだ運命は、仲間をすべて失うという最悪の幕切れだった。
平家の放ったあの炎の中で、望美も共に果てるはずだったが、白龍の逆鱗のおかげで、時空を越えて逃げることができた。
 
─── 私だけが逃げた…
 
元の世界に戻って生活することは出来る。
でも。
なにごともなかったようにというのは到底無理に決まっているし、この痛みが消えるはずがない。
 
─── ごめんなさい…
 
どこからやりなおせば、あのような結果を避けられるのか。
皆目検討がつかない望美は、初めてこの世界に来た時の運命を、もう一度始まりからたどっていた。
 
─── 今度こそ…助けるから…
 
 
 
「………桜の精が降り立ったのかと思ったよ、神子姫様?」
闇の中からふいに声がかけられて我に返ると、庭にはヒノエの姿があった。
「……!? ヒノエくん…。早起き……じゃないか、今、帰り?」
起き出してきたというよりも、明らかにどこかから帰ってきたという様子だ。
「ちょっと、夜の散歩をね」
「こんな時間まで?長い散歩だね」
望美は軽い調子で言葉を返した。
もうずいぶんな夜更け…明け方に近いかもしれない。いつ頃出掛けたのかは知らないけれど、散歩というのはさすがに無理があるだろう。
「姫君は?」
尋ねながら、縁に上ってきた彼は、望美の正面に立つと笑みを絶やさないままに見おろしてきた。
「私は、……トイレ…厠に起きただけだよ…」
いつのまに庭にいたんだろうか?いつから見られていたんだろうか?
「ふーん…」
それしか言わない彼からは伺い知れない。
「……桜、そう、そしたら桜が綺麗に咲いてたから、少し見てただけ」
少しでも彼が納得しそうなコトを口にしてみる。
「そう…」
別に見られてやましいことがあるわけでもない。
それでも、なんとなく居心地の悪さを覚える望美にそっと手が伸びてきた。
「ヒ、ヒノエくん?」
ヒノエが望美の手をとって、恭しく口づけたのだ。
「せめて寝所までお供致します、神子姫様」
いつもの冗談だとはわかっていてもさすがに照れてしまう。
「もぉ、ヒノエくんってば…」
引っ込めようとした手は、しっかりとにぎられてしまい、結局彼女はその手を解く機会を失ってしまった。
普段は軽口をたたくヒノエも、さすがに寝静まった邸では無言のまま歩く。それに倣ったわけでもないが、望美も黙って手を引かれていた。
 
この時空で初めて彼に会ったのは、数日前の六波羅だ。
その出逢いは決して偶然などではなく、前の時の流れで出逢った彼に、春は京の六波羅にいたと聞いていたからだった。
 
前の時の流れ───本当の初めての出逢いは熊野だった。
先ほどと同じように、ヒノエは彼女の手をとり口づけた。
 
あの炎の中。
彼も確かに一緒にいたのだ。
 
「……あったかいね」
思わず口をついて出た言葉に、手をとって前を歩いていた彼が振り向く。
「ん?」
「ヒノエくんの手、あったかいね…」
確かにここにいる、生きている温度。
喉までせりあがってきた涙を飲み下した望美は、
「恋しい姫君の手をとって歩けば、熱もあがるよ。なんなら身体も温めあうかい?オレは大歓迎だけど」
軽口に、なんだか救われた気持ちになった。
「ふふ、遠慮しておきマス」
「それは残念だな」
肩をすくめてみせたヒノエは、彼女の返答を当然予想していたとばかりに少しも残念そうではない。
「どうぞ、姫君」
言いながら、御簾を巻き上げる。
「ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ。続きは夢の中でね」
あまりに彼らしい言いようで、思わず声をたてて笑いそうになり、慌てて声をおとして
「冗談ばっかりなんだから…」
と言って御簾をくぐった。
 
少し笑ったせいだろうか。
胸の重さがやわらいだような気がする。
望美は褥に横たわると、瞬く間に眠りの淵へとおちて行った。
 
 
 
 
大堰川沿いは、いつかと同じようにあちこちに桜が咲いていて、とてものどかだった。
 
一行は、星の一族を訪ねた帰り道である。
彼らの館では、望美は他の皆に怪しまれないように、何を聞いても初めて聞いたような顔で相づちを打った。
譲たちの祖母が、時空を越えてやってきた者だということは、前の時の流れでも同じように判明したことだから本当はすべて知っていたのだ。
 
他愛もないおしゃべりが、とても心地よい。
穏やかな陽射しが降りそそぐ川べりは、散策するには絶好の場所だった。
まだリズヴァーン、敦盛、それに将臣も合流していないし、九郎と弁慶は別件の用事で今日は同行していない。
どうせなら全員いたらよかったのに、と惜しまれるような春の日だ。
 
この次たどり着く先にも、こんな優しい時間が流れていたらいいのに。
 
望美がそんなことを考えていると、
「うわぁぁぁ!!助けてくれ~!!」
「ひぃぃぃ~、怨霊だぁ、誰か~!」
助けを求める声が聞こえてきた。
見れば数人の男たちが、怨霊に囲まれている。刀を振り回したところで、怨霊は何度でも復活するのだから、意味はない。
「助けなきゃ!」
なかば条件反射のように、剣を手にして望美は走り出した。

駆けつけて、迷うことなく剣を振り下ろす。
「ギギィィ…」
もうその身に肉を持たない怨霊は、骨の軋みと、空気の漏れる音だけを発しながら望美に向き直った。

怨霊の数が少なかったのも幸いして、手間取ることなく封印はすぐに終わった。

「怪我…ありませんか?」
こちらを遠巻きに見ていたのは、先ほどこの怨霊に襲われていた男たちだ。
彼らは望美の問いかけに答えることもなく、じっとりとした視線をこちらに向けている。

─── どうしたんだろう?

「おい、礼のひとつも言えねえのかよ?」
ヒノエの不機嫌な声を聞きながら、違和感の正体を確かめるように望美はじっと男たちを見つめた。
お礼など言われなくとも、何事もないならこのまま去ればいい。
けれど、なぜかこのまま背を向けてはいけない気がした。
「あんたが白龍の神子か?」
わかっていて訊いているとしか思えない口調。
望美が口を開く前に、
「気が…淀む。神子…くるよ!」
白龍が彼女の袖を引いた。
 
先ほど倒した怨霊よりも、もっと強そうなものばかりが、いきなり5体も現れた。
気付けば男たちは、こちらに向かって刀を構えている。
「どういう…こと?」
最初に怨霊に襲われていたのも、フリだったってこと?
「こういう、ことだっ!」
望美に向けられた一撃は、割って入ったヒノエにより防がれた。
「女の子を狙うなんて卑怯じゃねぇかっ」
望美も今度こそしっかりと剣の柄を握りなおす。
「ふん、その『女』に力を借りているのはどこのどいつだ?」
どうやら、最初に望美に斬りかかってきた男はそのまま、ヒノエが相手をするようだった。
「女だてらに勇ましいねぇ…」
彼女に対峙する男は、下卑た笑いを浮かべ、すぐに攻撃をしかけてきた。
刃の動きはどうにか見えるし、かわせないものでもない。
 
─── どうしよう!?
 
とても集中しきれなかった。
目の前にいるのは怨霊ではない。生きた人間だ。
やらなければ、殺されるのだとわかっている。
相手はそういう勢いで、打ち込んできているのだ。
 
似たようなことは、最初にたどった運命でもあったが、実際に自らが人の命を奪ったことはなかった。
怨霊の封印に専念しろといわれ、そういうものかと思っていたけれど。
 
「くっ!!」
打ち込まれた刃を、咄嗟に剣の棟で受けとめる。
男が刀を引いた瞬間に、どうにか間合いをひらく。
 
前にたどった運命でも。
きっと気付けなかっただけで、すごくたくさん庇われていたんじゃないの?
 
そうでなければ、幾度か戦場に身をおいて人を殺さずに済むなんてこと、あるはずがない。
 
─── たどり着く、絶対!
 
迷いを振り切るように振り下ろした剣は、ざっくりと男の首筋をえぐった。
 
「うごぉぉ…っ!」
男の放った最期の声は、望美の耳にいつまでも残った。
 
血飛沫をあげながらのたうち、やがて動きを止めた相手に今更ながら沸き上がってくる恐怖。
「大丈夫かい?」
同じく相手を斬り捨てたヒノエの声もどこか遠くに感じた。
「うん…。封印…しなきゃ…」
まわりでは、朔や景時たちも次々に怨霊を屠っていた。
「めぐれ、天の声、響け、地の声…彼の者を封ぜよ!」
清浄な光に包まれ、怨霊は跡形もなく消え去った。
残ったものは、先ほどまで確かに生きていた人間の骸。
周りには血の臭いがたちこめている。
 
戦場ではもっと多くの死体を見たはずだった。
吐き気がするほどの血の臭いだって知っている。
 
─── でも、今、殺したのは私
 
 
「望美ちゃん、ちょっと貸してね」
景時が、血に濡れた剣を清めているのを目にしてようやく周りが見え始めた。
「望美?大丈夫?」
朔が覗き込んで、心配そうな顔をしていた。
「あ…あ、うん、だ、大丈夫、大丈夫。びっくりしたね…」
景時にありがとうと言って剣を受け取るために差し出した手も、血に濡れていた。
「あ…。私ちょっとそこで手、洗ってくるね。ここで待ってて?」
体の震えを押さえ込みながら、受け取った剣を鞘におさめると、望美は川のほうへと駆けだした。
 
 
もつれそうな足でどうにか水際までたどり着くと、その場に屈みゴシゴシと手を洗う。
洗っても洗っても落としきれない気がして、手が真っ赤になるまでこすりあわせているうちに、徐々に嫌悪感が広がった。
 
 
─── サイテーだ、私…
 
 
こんなことで動揺してちゃ駄目なんだ…きっと。
 
刃が肉に食い込む感触は、まだ手に残っていた。
望美は両手をじっと見つめる。
もう、血はきれいに落ちていた。
 
今みたいなことが起きて、相手は怨霊じゃなくて平家の人たちだったら?
 
迷いが隙をうみ、大切な誰かが傷つくことになりかねない。
 
─── 決めたのに…今度こそ助けるって決めたのに
 
誰かの命を奪ったことに、どうしようもなく動揺している。
明らかに相手には殺意があった。
でも、だから殺していいはずはない。
それでも。
 
─── 私はこの手が届く人たちを、守りたい
 
大切な人を守ると決めたなら、たぶんこれから幾度もこんな思いをするんだ。
 
まだ少しふらつく足を励ましながら、立ち上がる。
最初の時の流れは、私が知らない間にみんなに庇われてばかりいたからかもしれない。
今度はきっと、私が守る。
 
─── それが運命なのだとしても、この手でそれを変えてみせる!
 
ふいに視線を感じて目をやると、こちらを見ているヒノエの視線とぶつかった。
昨夜といい、今といい、彼には気付くとこんなところを見られているな、と気恥ずかしくなって、誤魔化すように笑いながら、そういえばと視線を巡らす。
先ほどの場所に、変わらずに仲間がいた。
 
皆がいるんだから、きっと絶対大丈夫!
 
 
まだ少しふらつく足を気取られないように歩み寄って、
「ヒノエくんも手を洗いにきたの?」
と声をかけた。
「………ああ…いや。姫君を迎えにきたに決まってるだろ?」
「そうなんだ。ありがとう」
きっと朔たちも心配しているに違いない。
 
「お手をどうぞ?姫君」
ヒノエが手を差し伸べる。
望美は手を出しかけて、自分が爪が食い込む程に手を握りしめていたのだと気付いた。
「私、……大丈夫だよ?」
おそらくそれにも彼は気付いていたから、手を差し出して来たのだろうと望美は思った。
「そうじゃなくてさ、オレが…、……。ほら、行こうぜ」
常に見られない、少し困ったような表情に、どうしたのだろうかと思っていると、なかば強引に手をとって歩き始める。
 
昨夜と同じように、もしかしたらそれ以上に。
握られた手はとても温かかった。
 
 
 
─── きっと、守るからね
 

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