綺麗な花は心楽しませるもののひとつ。
可憐に咲いて誘うから
─── 手を伸べてやるだけ。
「どなたか…想う方でもできたのかしら?」
月明かりに白い肌を惜しげもなくさらした女は、衣を身につけ始めた男に、そう声をかけた。
「ふふっ、後朝に男を見送る言葉とも思えないね、姫君?」
「まぁ、恨み言を申しているのではございませんわ」
女はそう言って身を起こすと、自らも単を肩にかけた。開いたままの襟元にのぞく紅い花弁が、先ほどまでのひと時を雄弁に語っていた。
「ただ…そのように感じたから言ってみただけですのよ?」
女は、彼が自分の元にだけ通っているなどとは思っていなかった。自らも夫を持つ身なのだから、そのようなことを望むべくもない。
「さあ?姫君ほどの花がそこここに咲いているとも思えないけど?」
お互いに本気でないと知りながら、なにを告げるでないままに肌を合わす。
もう幾度かそんなことを繰り返していたが、今夜の彼はなにかが違う気がした。
「ほほ、相変わらずお上手」
微笑む女に別れを告げて、ヒノエは人目に触れぬように注意深く邸を後にした。
欠けはじめたばかりの月は、既に中天を遙かに過ぎていた。
こんな時刻に出歩くものなど、夜盗か酔狂か、自分のような者だろう。
寝静まった町に、音も立てずひそやかな風が吹いている。春とはいえ、さすがにこんな夜更けでは風も冷気を含むが、今のヒノエににとって、それは心地よいものだった。
ふいに背後に気配を感じて振り返ると、男がひとり片膝を立てて頭を垂れていた。
「お前か。様子はどうだった?」
「はい。先の宇治川の件、平家も手の者を京へと向かわせたようです」
「ふーん…意外に遅かったね。それほど脅威を感じてないってところかな。ま、怨霊だけは次々に送りこんでるみたいだけど」
まだ雪深い季節。
木曽義仲討伐に乗り出した源氏軍に、平家が攻め入った。勝利を目指したというより、多少なりとも相手の戦力を削っておければという程度だったのか、平家側は兵をほとんど動員することなく怨霊を源氏にけしかけた。
「神子姫様は平家の敵じゃない…か」
『宇治川の戦いが平家の退却で幕をおろしたのは、白龍の神子が現れ、源氏に力を貸したかららしい』
噂なのか真実なのか。
烏からもたらされた情報の真偽を自分の目で確かめるべく、ヒノエは京へと偵察にやってきた。
このまま戦が続けば、ここまで中立を保っている熊野をとりこもうとする動きは、源氏・平家の双方からあるだろう。
勝ち戦なら乗ってもいいが───
白龍の神子が本当に出現したのだとしても、それが戦の勝敗を左右するほどのものになりうるか、見極めなければならなかった。
伝説の龍神の神子。
歪んだ気を整え、万物の気の流れをあるべき姿にただすという白龍の神子は、怨霊を封印しうる唯一の存在である。
潜伏していた六波羅で、その神子に偶然出逢い、ヒノエが八葉のひとりだと判明した。
八葉とは龍神の神子に仕え、守るのが役目である。
本来の立場を考えればそれはあまり好ましいこととも思えず、煩わしさを感じないでもなかったが、一番近くで確実な情報を得ることが出来るというのは魅力だったし、『白龍の神子』だという少女にも興味があった。
それゆえ彼は、その少女に同行する日々が続いている。
「で、あの爺さんは?」
形ばかりとも思える雨乞いの儀を行うとは聞いている後白河法皇。
むしろ大局に影響するのは、こちらだろうか。
「そちらは特には…」
「そうそう尻尾はださない…か。……とりあえず福原から目を離すな。還内府の噂も気になるしな」
「はっ」
一礼して、男は現れた時同様、音もなく闇に溶けた。
龍神の神子が京の宿としているのは梶原邸である。
源氏の戦奉行・梶原景時の邸に白龍の神子と人の姿をした白龍、それに八葉が身を寄せていた。
『八葉』というからには八人いるのが本来だが、まだ全員は見つかっていない。
現在判明している八葉は、神子の幼馴染みだという男の他に、源九郎義経、武蔵坊弁慶、梶原景時、そしてヒノエの五人。
五人中、三人までもが源氏の人間だったし、黒龍の神子にしても、景時の妹である。
なにより当の白龍の神子が力を貸すのだから、こと『龍の加護』にいたっては、源氏優勢と言えなくもない。
もっとも、まだなにかを判断するには材料が足りなすぎるのも確かだし、龍神の神子の出現すら知らない大多数の豪族たちにしてもどちらにつくのが今後のためか、息を潜めて見守っている段階だった。
─── ん?
考えるともなしに夜道を歩いていたヒノエの目の前を、ふわりと白いものがよぎった。
見上げれば、満開の桜が闇に白く浮かび上がっていた。既に盛りを過ぎたらしく、わずかな風にもはらはらと花弁を散らす。
「たえて桜のなかりせば───か…」
舞い散る花の中で、桜を見上げてひとりごちる。
咲いている間はもちろんのこと、散りゆく時も目を奪われる美しさだ。
けれど、そんなことに心乱されはしないのに、とヒノエは思った。
美しいなら、ただ美しいと感じるだけでいい。
花はひとつではないのだし、また咲くのだから、その時にその花を愛でてやればいいのだ。
ひとしきりそうして桜を眺めた彼は、ふたたび月明かりの道を歩き始めた。
梶原邸は静寂に包まれている。
見張りの男には、邸を出るときに多少のものは渡してあったので、戻るときも無言で門は開かれた。
足音をたてないように気を配りながら歩いて庭にまわると、意外な人物が縁に佇んでいる。
─── 望美?
単姿のまま、蒼い月明かりに照らされていたのは白龍の神子、望美だった。
『どなたか…想う方でもできたのかしら?』
先ほどの女の言葉がよぎる。
当たらずとも遠からず、かな。
ヒノエは口唇の端に笑みを浮かべた。
彼女に同行するようになってから5日。
異世界からやってきたという少女は、可愛いだけの姫君かと思えばそうではなく、自ら剣をふるい怨霊を封印するという勇ましさも持ち合わせている。
話してみれば、頭の回転が早いのか切り返しもなかなかのもので、当初『煩わしい』と思った八葉の役目を、ヒノエ自身楽しんでさえいた。
綺麗で、勇敢で、賢い。
今まで会った誰よりも上等な女だ。
熊野別当の妻がつとまるなら、娶るのも悪くない。
それにしても。
─── なんであんなところに?
彼女はただ立っていた。
いつからそうしていたのか、なにをしているのか。
佇む視線の先には小さな桜の木が花をつけていたものの、こんな時間にわざわざ花見もないだろう。
しばらく様子を見ていたものの、一向に動く気配のない少女を怪訝に思い、静かに近づいてみた。
「………桜の精が降り立ったのかと思ったよ、神子姫様?」
驚かすことがないように、抑えた声音で呼びかける。
「……!? ヒノエくん…。早起き……じゃないか、今、帰り?」
聡い望美を誤魔化すのは難しそうだと思いつつ、
「ちょっと、夜の散歩をね」
当たり障りない答えを返してみる。
「こんな時間まで?長い散歩だね」
いつ出て行ったのか、気付かれてはいないはずだが、彼女はそう言うと小さく笑った。
「姫君は?」
尋ねながら、ひょいと軽やかな仕草で縁に上がる。
「私は、……トイレ…厠に起きただけだよ…」
「ふーん…」
「……桜、そう、そしたら桜が綺麗に咲いてたから、少し見てただけ」
訊いてもいないのに重ねて答えるさまに、それはすぐに嘘としれたがヒノエは、そう、としか言わなかった。
思うところがあったのか。
単に眠れないのか。
理由はわからないが、訊いたところで本当のことなど言わないであろうことはわかっていたからだ。
彼はそっと腕を伸ばし、望美の手をとる。
「ヒ、ヒノエくん?」
とまどう彼女の声を聞きながら、思わず眉をひそめた。
どれほど長く、ここにいたのか。
望美の手は、思った以上に冷たかった。
「せめて寝所までお供致します、神子姫様」
冷えた指先に口づけて、わざと畏まった仕草で望美の手をひくと
「もぉ、ヒノエくんってば…」
呆れたように言いながらも、引かれるまま、素直に歩き始める。
「………あったかいね」
「ん?」
手をひかれて歩く望美がぽつりと言った。
振り向いて見たものの、暗いうえに彼女がうつむき加減とあっては、その表情を盗み見ることも叶わない。
「ヒノエくんの手、あったかいね…」
ヒノエとて夜道を歩いてきたのだ。それほど温かい手をしているとは思えない。そう感じるほどに、望美の手が冷えているのだ。
声音はどこか寂しげで、言葉通りの意味だけではないようにも感じたが、何も訊かずにただ励ますようにほんの少し握る手に力をこめた。
「恋しい姫君の手をとって歩けば、熱もあがるよ。なんなら身体も温めあうかい?オレは大歓迎だけど」
「ふふ、遠慮しておきマス」
少しも本気にしていない口調で答える望美に、
「それは残念だな」
と軽く肩をすくめてみせたヒノエは、立ち止まってそっと手を離し、彼女がくぐりやすいよう御簾をあげてやった。
「どうぞ、姫君」
「ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみ。続きは夢の中でね」
ウインクをしたヒノエに、冗談ばっかりなんだからと笑い、望美は寝所へと入っていった。
何を思い悩んでいたのか知らないが、やはり彼女は笑っていたほうがずっといい。
自分の寝所に向かいながら、ヒノエは先ほどの月明かりに照らされた望美の姿を頭に描く。
生まれた世界が恋しいのか。
悩みごとでもあるのか。
もう少し心を近づけて、そんな秘密も暴いてみたいね、姫君。
翌朝、望美が眠そうな顔のまま朝餉の席にやってきた理由を知るのは、ヒノエだけのようだった。
「譲くんが星の一族だったとはねえ~。世の中、どこでどうつながってるかわからないよね、ホント」
大堰川の川縁を歩きながら、景時は感心したように譲に話かけた。
「そうは言っても、俺にはなんの力もありませんから」
とまどうように答えた譲は、顔を曇らす。
「もう少し先輩の役に立つ力があればよかったんですが…」
「譲くんは役にたってくれてるよ?八葉として一緒に戦ってくれてるし、いてくれるだけで心強いもん」
譲を元気づけるように、望美はひときわ明るい声で言うと、幼馴染みの背中をたたいた。
屈託なく笑って、話に興じる彼女に昨夜の憂いは欠片も見えない。
星の一族。
龍神の神子に仕えるその一族は、未来を覗く力があるという。
彼らを訪ねて嵐山を訪れたのは、その助力を得るためだ。
ところが、一族ならば誰でもその力があるということではないらしく、一番最近にその力を強く示したという菫姫は行方知らずになったらしい。
そして、これが一番皆にとって意外なことだったのだが、どうやら彼女は譲の祖母にあたる女性らしかった。
「時空を越えた先で運命的な出逢いが待っていたのね、菫姫には」
「そうだよねぇ。譲くんや将臣くんっていう孫もできたわけだから…そういうことになるねぇ」
年頃の娘らしい表情で視線を交わす朔と望美を、周囲も微笑ましく見守っていた時、前方から大声で助けを求める声があがった。
「うわぁぁぁ!!助けてくれ~!!」
「ひぃぃぃ~、怨霊だぁ、誰か~!」
見れば数人の男たちが、怨霊に囲まれていた。刀を振り回してはいるが、怨霊はそれを物ともしていない。
「助けなきゃ!」
すかさず剣に手をかけて走り出した望美の姿に、ヒュウと口笛を吹いたヒノエは、勇ましいね、とすぐに後に続いた。
刀で応戦していた男3人は、突如現れた助っ人に後を任せるように、少し離れた場所へと避難した。
「ちっ、手伝う気もなしかよ」
舌打ちしながらもヒノエは怨霊に一撃をあびせる。
怨霊は3体。対するこちらは6人。
勝敗はすぐに決し、望美の封印で幕を閉じた。
「怪我…ありませんか?」
望美は避難して見ていた男達に声をかけた。
なにも答えない彼らに、首を傾げる。
「おい、礼のひとつも言えねえのかよ?」
先ほど、すかさず人に押しつけた態度にも腹をたてていたヒノエは険悪な声で言い放った。
まあまあと押しとどめるように景時が声をかけた瞬間、
「あんたが白龍の神子か?」
値踏みするように、男は望美の上から下まで視線を這わす。
「気が…淀む。神子…くるよ!」
白龍がそう告げた直後、怨霊が今度は5体現れた。
男たちは、怨霊でなくこちらに向かって刀を構える。
「どういう…こと?」
そう言いながら、既に状況を把握しているらしい望美は鞘に収めた剣に再び手をかける。
「こういう、ことだっ!」
男は言うが早いか、地面を蹴って望美に斬りかかってきた。
飛び退いて剣を抜こうとした望美の前に割って入ったヒノエは、男の一太刀を自分の武器で受け止めた。
キンッと金属のぶつかりあう音が響く。
「女の子を狙うなんて卑怯じゃねぇかっ」
「ふん、その『女』に力を借りているのはどこのどいつだ?」
見下すように言って、男は一歩退くと、再び刀を構えた。
一撃受けてみれば力量など知れる。勝てない相手ではない。
─── 問題は…
「女の力を借りねば戦もできぬとは、源氏も落ちたものよ」
そう言いながら、他の男も望美目がけて斬りかかった。
─── 神子姫様に人が斬れるか
怨霊と戦うのは幾度も目にしたが、生身の人間を相手にしているさまを見たことがない。
先ほど男がかかってきたときの反応は、あきらかに常よりも遅かったのだ。
「くっ!!」
望美が刃をかわすさまは紙一重という危うさで、怨霊を相手にする時のような軽やかさは見られない。次々繰り出される攻撃をどうにかやり過ごしているが、かわすだけではそう長くもたないだろう。
横目に周囲を見回せば、自分以外の人間は皆、怨霊の相手で手一杯という様子だ。
「どこを見ている?お前の相手はこっちだぜ?」
先ほどの男が再びヒノエに刃を振り下ろす。
─── とにかくオレの背後にさがらせるか?
その攻撃を受け流しながら、とりあえず目の前の男を倒すと決めて、望美から視線をはずしたヒノエの耳に
「うごぉぉ…っ!」
男の断末魔が響いた。
視線を走らせて望美の無事を確認しながら、ヒノエも自分の相手を斬り捨てた。
「大丈夫かい?」
肩で息をしている彼女にそう声をかけると、
「うん…。封印…しなきゃ…」
と周囲の様子を見渡し、怨霊の封印にかかる。
残るひとりの相手をと思ったヒノエだが、その男の姿は既になかった。敵わないと見るや逃げ出したらしい。
生かしておいて聞き出すべきだったか?
足下に転がる死体を眺めながらそう考えかけて、聞くまでもないと思い直す。
『源氏も落ちたものだな』
男の言葉を思えば、自分たちを何者だか知っていたのは間違いない。
「……彼の者を封ぜよ!」
望美の声が響き、怨霊たちもすべて消え失せた。
急な出来事に、面食らいながら戦いに突入したものの、誰も怪我はしていない様子だ。
「神子?けが、ない?」
剣を鞘に収めることもないままに、ぼんやりとしていた望美に白龍が声をかけた。
「………」
「望美ちゃん、ちょっと貸してね」
景時は彼女の指先をほどくように剣を受け取り、血に濡れたそれを懐紙でぬぐってやった。
「望美?大丈夫?」
朔も心配そうに呼びかける。
「あ…あ、うん、だ、大丈夫、大丈夫。びっくりしたね…」
景時にありがとうと言って剣を鞘に収めたものの、その場にいた誰もが、彼女が人を斬ったことに動揺しているのは見てとれた。
「あ…。私ちょっとそこで手、洗ってくるね。ここで待ってて?」
望美はパタパタと川のほうへと駆けだした。
かける言葉もないという風情の一同を見渡してから
「オレも行くかな…」
ヒノエは河原へと降りた望美を追った。
水際にかがんで、威勢よく手を洗っていた望美は、ふと手を止めると、両膝に顔を伏せた。
─── そりゃそうだよな
少し離れた横から、その様を見ていたヒノエは、さてなんと慰めたものかと考えを巡らせた。
勇ましくても姫君は姫君。人の命を奪うことに、慣れていようはずもない。
それを当然のことだと思いながらも、己が内に落胆にも似たものを発見して、ヒノエはひとり苦笑する。
守るということ。
切り捨てるということ。
それらはいつも表裏一体だ。
選ぶ時には選び、それを実行しなくてはならない。
─── 可愛い姫君にそこまで望むのは、酷というものだよな
とにかく肩でも抱いて、慰めようと歩き出したヒノエの目に入ったのは、すっと立ち上がると、顔をあげてまっすぐに前を見据える望美の姿だった。
─── っ!?
強い意志を宿した瞳は、おそらく目の前に流れる川など映してはいないだろう。
もっと違う、目に見えないなにかを確かに見据えている横顔。
ドクン…と跳ねた心臓はそのまま早鐘に変わり、耳元で警鐘を鳴らす。
─── この女はヤバイ
呼吸を、瞬きを忘れて魅入られる。
音という音すべてが消え去り、景色すら忘れて、その姿に見入る。
それほどまでに、眼差しの強さは鮮烈だった。
─── 他の誰かとなんて比べようもない
ふっとこちらに気付いた望美の表情は、ヒノエの見慣れたものだった。照れたように少し目を伏せてから、思い出したように、離れた場所に待つ仲間を一瞥する。
風に揺れる長い髪を耳にかけると、鮮やかに笑った。
─── この女は、オレを本気にさせる
「ヒノエくんも手を洗いにきたの?」
「………ああ…いや。姫君を迎えにきたに決まってるだろ?」
「そうなんだ。ありがとう」
もうすっかりいつもの望美に見えた。
けれど、その手は強く強く握りしめられて小さく震えていたのを、ヒノエは見逃さなかった。
─── こいつだけは絶対に手にいれる
「お手をどうぞ?姫君」
そっと手を差し出してやると、握りしめた手をようやく自覚したのか、ためらいがちに拳を開いた。
「私、……大丈夫だよ?」
「そうじゃなくてさ、オレが…、……。ほら、行こうぜ」
さっと望美の手をとり歩き出した。
石だらけの河原を、彼女の歩調に気を配りながら歩く。
望美の手は、やはりまだほんの少し震えていた。
「な?だから今日は花見に行こうぜ?」
1日の始まり。
八葉はリズヴァーンと、将臣を加えて既に七葉になっていた。
「そういえば、前にヒノエくん言ってたもんね。下鴨神社でしょ?」
確かに花見には誘ったが、場所まで言った覚えはない。
「へえ…。下鴨神社だって、よくわかったね」
探るように問うと、望美は少し視線を泳がせてから
「あ、あれ?聞いてなかったっけ?ま、まぁいいじゃない、お花見。みんなで行こうよ、ね?」
一息にしゃべる。
聞いてなかったっけ…ね。
まあいいさ、いつか必ず聞き出すから。
「みんな?おいおい、逢瀬はふたりと相場は決まってるもんだろ?」
「もう、ヒノエくんってば、冗談ばっかり言ってるといつか本命の人が出来たって、信じてもらえなくなっちゃうよ?」
「だからお前が……」
既に聞いていない望美は、朔や白龍に、楽しみだねと笑いかけている。
仕方ない。
どうせ二人で行くと言ったところで、ぞろぞろおまけがついてくるに違いないのだ。
今日のところはそれでいい。
薄紅の花の下に立つ、お前を見られるなら。
世の中に絶えて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし
─── お前にならば、心乱されるのも悪くない